東大生と素粒子論
「ええ。この状況を引き起こした責任は、やっぱり張本人にとっていただきたいと思いまして」
そのときの俺は、召喚術が発動したときにごっそり魔素を持っていかれて、立っているのもやっとなほどに消耗していた。だが、つとめてそれを表に出さないように、自信たっぷりを装う。
「ふむ。純度の高い魔素を直接経口摂取して、自らの処理能力を一時的に増大させたのか。無茶な真似をする。一歩間違えると、お前自身が魔物化していたところだ」
「手段を選べる状況じゃなかったんですよ。常識を超えるには、それくらいやらないと」
俺がそういうと、レヴィアタンは満足そうに頷いた。
「而うして、お前は人智を超えた。人智を超える知恵を示した者を、この世界では賢者と呼ぶ。さあ、この大賢者レヴィアタンを召喚せし者、賢者ヒデトシよ。何を望む」
「この魔物嵐をなんとかしてください」
「承知した」
悠然と宙を泳ぐ禍々しい巨大な鯨は、巨体に見合わぬ軽やかさで身を翻し、魔物たちの方に頭を向けた。
硬直していた魔物たちが、いよいよもって本能的な恐怖で震え上がる。
レヴィアタンはそんな魔物たちの様子を意にも介さず、何事か聞き取れない言葉のようなものを発した。
すると、一瞬の間を置いて、突風のようなものが地表から巻き上がるようにして地面を吹き荒れ、長さ数キロにわたって帯状に地面を覆い尽くしていた魔物たちの姿を、砂埃が包み隠した。
そのまま突風は竜巻のように渦を巻き、砂埃とともにあっという間に空へと吸い取られていった。
魔物たちの姿は、一見すると何も変わらずそこにあったが、一拍置いて彼らは我にかえったようにあたりを見回したあと、蜘蛛の子を散らすように散り散りバラバラに走り去っていった。
あとに残ったのは、レヴィアタンと俺たち三人だけ。
ぽかんと立ち尽くす俺たちを振り返って一瞥をくれると、巨鯨は空中でくるりと身をひるがえし、最初に会った時の長身の女性の姿に戻った。
ふわりと地面に降り立つと、あきれたような表情を浮かべた。
「どうした、呆けた顔をして。勇者たちとは思えん顔だぞ」
その言葉にまっさきに我に返ったカンジが猛然と食ってかかる。
「おいお前、いったいなんなんだ! 急に現れて全部片づけやがって、こっちはわけがわからねえんだよ!」
レヴィアタンは可笑しそうに口角を上げた。
「それはご挨拶だな。急に現れても何も、そこのひょろひょろが私を呼び出したのだぞ」
「ひょろひょろ……?」
カンジは迷わず俺の方を振り向いた。
ナナミも俺の方を見ている。
お前ら……
俺は一言いってやりたい思いを嚙み殺しながら頷いた。
「はい、ここに書いてあった術式で、レヴィアタンを召喚しました」
右手に広げたのは、もちろん例のスクロール。
「おお、やっぱりお前がやったんだな、ヒデトシ! 絶対にやってくれると信じてたぜ」
「まさかとは思ったけど、本当に召喚術が使えるなんて……」
カンジとナナミは、二人して興奮した様子で俺の背中をバンバンとたたく。
そんなレヴィアタンは、どこか楽しそうな口ぶりで語り始めた。
「本当なら、魔物嵐が起こる原因を取り除いてから伝説の装備をくれてやろうと思っていたのだがな。それなしでスクロールを読み解いたのであれば、もはや順序も何もあったものではない。お前のことだ、すでにすべてのカラクリを見通しているのだろう?」
「え、ええまあ。推測ですが」
「言ってみろ」
召喚された側なのに、尊大な態度は何も変わらないんだなと思いながら、俺は自分の推測を口にした。
「俺は、この魔物嵐は『大迷宮』から無尽蔵に湧き出す魔素によって生み出され続ける魔物を、定期的に処理するためのシステムだと考えています」
「さっきも言ってたな。定期的に魔物を間引くシステムだって。でも、それは結局どういうことなんだ?」
カンジが首をひねる。
「いまでは『大魔海』と呼ばれるほど魔素が濃く、魔物にあふれる『大森林』ですけど、さすがにキャパシティに上限があるのでしょう。『大森林』のキャパシティの上限を超えた魔物たちが、一挙に外にあふれだす魔物嵐が定期的に起きていたはずです。最初にこの村が襲われたのも、そんな自然現象としての魔物嵐でしょう。しかし、ランダムに近隣が脅かされる状況は決していいものではありません。そこで、これを制御しようとしたのが、ここにいる大賢者様」
レヴィアタンは俺が指をさすと、満足そうにうなずいて見せた。
しかし続きを語ろうとはしない。あくまでも俺に説明させたいようだ。
しかたなく、俺は説明を続ける。
「大賢者様は、魔物を吸い寄せる装置をこの町に固定し、負の魔素を定期的に増大させることで魔物嵐を意図的に誘発し、この町に誘導したのです。吸い寄せる装置、つまりはザイモンさんですね。彼は処理装置も兼ねていて、近づいてくる魔素が多くなれば多くなるほど、負の魔素量も増大する能力を持っています。魔物嵐が近づいている状態だと巨大化して、町に到達する魔物が減ると小さくなっていたのはそういうことだと考えると、説明がつきます。最終的には押し寄せる魔物の魔素をきれいさっぱり相殺して対消滅させる仕組みにしていたのでしょう」
「対消滅って?」
ナナミが疑問をさし挟んだので、俺はナナミのほうを見て簡単に説明する。
「ある物質と、それと反対の性質を持つ物質同士がぶつかることで消滅する現象です。素粒子物理学の概念ですけど、似たようなことが起こっているんだと思います」
俺がこれに気が付いたのは、サー・ザイモンの戦いを見ていたときだ。
俺たち(と言っても、実際はカンジとナナミだが)が魔物を倒すのと、サー・ザイモンが魔物を倒すのにはひとつだけ大きな違いがあった。
俺たちが魔物を倒したとき、そこにはその魔物のもつ魔素が結晶化した魔石が残される。
しかし、サー・ザイモンが倒した魔物たちは、魔石を残さずに消滅していた。
「魔物を倒しても魔石が残らないということは、魔石になるはずだった魔素がどこかに消え去っているということです。わざとそういう仕組みにしないと、こんなことにはならない。これは大賢者様の計算通り……むしろ、これこそが大きな狙いのひとつだったはずです」
俺がそういって水を向けると、レヴィアタンはようやく自分で説明し始めた。
「その通り。魔物嵐まるごと一回分の魔素がすべて魔石になったとすると、大変な量になる。その気になれば奇跡すら起こせるほどの力を持つはずだ。まさにお前が実践したようにな。数十年に一度くらいであればよいが、それが数年おきに定期的に世にもたらされるとなると、秩序を脅かすものになる」
「なるほど……だからあえて魔石が残らないシステムにしたのね。あれ、でもそれじゃあどうしてあなたは、この町を魔物嵐が襲う原因を取り除けって言ってたの?」
ナナミが疑問を口にする。
「いい質問だ。どうしてだかわかるか?」
質問を受けたレヴィアタンは、そのまま質問を俺に丸投げした。
「素粒子論では、対消滅が起こるとき、同時に大きなエネルギーが発生します。そのアナロジーで考えると、魔素と負の魔素が対消滅したときにも我々が知らない大きなエネルギーが発生していると考えるのが自然です。そのエネルギーがどこかに流れているのか、それとも蓄積されているのかはわかりませんが、これも適切な処理をしないと、オーバーフローを起こすのではないでしょうか」
「その通りだ。そのエネルギーは、人間の観測範囲外にあるがゆえに、人間の理解を超えた奇跡をもたらす力だ。しかし、そろそろこれもキャパシティオーバー。一旦システムを止めたいところだったんだ」
「それでギルマスのおっさんを消せって言ってたのかよ! 自分で幽霊にして、用済みになったら俺たちに消させようなんて、自分勝手にもほどがあるんじゃねえのか!?」
カンジが吠えるが、レヴィアタンは涼しい顔をしている。
「誰も消せとは言っていない。魔物がこの町を襲う『理由』を取り除けと言ったのだ」
「同じことだろうが!」
「同じではないぞ。まあいい。そういえばお前たち、そのミッションはまだ達成していないのではないか?」
「やっぱりどうしても俺たちにギルマスのおっさんを消させたいんだな!」
カンジは今にもつかみかからんばかりの勢いでレヴィアタンに食ってかかる。
俺とナナミは、とっさにカンジの服をひっぱってなんとか押しとどめた。
「落ち着いてください、カンジさん。大賢者様、煽るからには、その件もなんとかしてくれるんでしょうね?」
俺がにらみつけると、レヴィアタンは意地悪そうに片方の口角を上げた。
「やれやれ、召喚主がそういうのであれば仕方ない。行くぞ」
そういうとレヴィアタンはさっさと町の中へ歩き始めたので、俺たちも慌てて後を追った。




