東大生と大賢者
「うおわっ!?」
「あ、あの、えっと、私たちは……」
急に後ろから声をかけられてうろたえる俺たちを、その女は上から下まで眺め、ちょっと驚いたように目を見開いた。
「お前たち、勇者か」
ナナミの剣とカンジの盾に気がついたようだ。
見ただけでこれらの伝説の装備の正体を見抜くというのは、間違いなく只者ではない。
「そうですが、あなたは?」
俺はわざととぼけて相手の出方を見ることにした。
すると、女はニヤッと笑った。
「ほう。てっきりお前たちは私のことを知っていてここに来たのかと思ったがな」
「じゃあ、やっぱりあなたが?」
「いかにも。私が大賢者である」
その大賢者を名乗る女は、尊大に頷いた。
「えっマジかよ。賢者ってのはもうちょっとこう、白髪とか白ひげの腰の曲がった爺さんみたいなイメージだったんだが……」
「それはこんな姿か」
女がそう言った瞬間、ピントがくるったように女の輪郭が急にぼやけた。ふたたび焦点が合ったときには、背の低い気難しそうな白ひげの老人が目の前に立っていた。
「おわっ! どうなってんだ!」
カンジが狼狽する。
「姿そのものを変えてるのか、私たちの認識を変えさせているのか……どちらにしても恐ろしい技量……。たしかにこの人が大賢者に間違いなさそうね……」
ナナミは驚きながらも、カンジに比べると多少冷静に分析していた。
「まあどちらも同じようなものだ。見た目の姿などどうでもよいということはわかっただろう。それより、私に用なのだろう。わざわざこの『大魔海』を通ってきたのだ。茶でも振る舞おう」
そういって大賢者は、老人の姿のまま俺たちの間をすり抜け、小屋の中に入っていった。
ちなみに、小屋の戸の前を塞ぐように立っていた俺たちは、あっけにとられて一歩も動いていなかったし、もちろん小屋のドアには誰も指一本触れていなかったが、大賢者にとってはどちらも大したことのないことのようで、自然と俺たちの間をすり抜けていたし、開いてもいないドアから当然のように中に入っていった。
「うーん、なんだかバグって壁の中に入り込んでしまうゲームを見てるみたいだな……」
なんとも言えない気持ち悪さをたとえてみたが、カンジとナナミにはもちろん通じなかったようで、ふたりとも曖昧な顔をしていた。
「何をしている。早く入ってきたまえ」
中から聞こえてくる声に、俺たちは慌ててドアを開けて小屋の中に入る。
小屋の中に足を一歩踏み入れ、再度唖然とする俺たち。
吹き抜けの空間に、明るい光が満ちている。
壁も床も天井も、大理石を思わせる硬質な素材でできているようだ。
ひとことで言えば大企業の自社ビルエントランスのような空間だった。
どう考えても外から見た小屋のサイズの数十倍はある。
その近代的な空間に、いかにも賢者然としたファンタジーな老人が立って、俺たちを待っていた。
「ほら、こっちだ」
俺たちが入ってきたのを見ると、大賢者はさっさと背を向けて歩いて行く。
俺たちは大賢者のあとを追って、大賢者の入っていった部屋に入る。
そこは、やはりどこかの企業のオフィスの会議室のような、きわめて機能的な、別の言い方をすると、無味乾燥な空間だった。
大賢者に促され、俺たちが席につくと、次の瞬間には当たり前のように、俺たちの目の前にお茶が出ていた。
もはや何があっても驚くまいと内心で思っていたのだが、今度もやはり度肝を抜かれてしまった。
ナナミの前には高級そうなティーセットが、カンジの前にはビールジョッキが。
そして俺の前にはペットボトル入りのお茶飲料があったのだ。
「なんだ、ヒデトシのだけ珍妙な容器に入ってるな」
カンジが俺の前からひょいとペットボトルを取り上げて眺める。
ナナミや大賢者も、それに注目していた。
「ほう、それは異世界の素材だな」
大賢者も、ペットボトルのお茶に興味を持っているようだった。
お前が出したんだろうと言おうとしたが、その前に大賢者が口を開いた。
「私は、お前たちの意識の中にある『茶』を具現化してやっただけだ。何が出てくるかは私の関知する範囲ではない」
そういってちょっと手招きをすると、カンジの手からペットボトルが飛び出し、大賢者の手元に収まった。
「要素としては、特別この世界にないものが含まれているわけではなさそうだな」
「それが異世界の素材だって、なんでわかるんですか?」
俺が聞くと、大賢者は顔を上げて俺の方を見た。
蛇を思わせる赤い瞳に射すくめられ、俺は無意識に体を強張らせる。
「簡単なことだ。私は世界が創造されて五日目に生まれ、森羅万象を見てきた。もちろん、隣り合う異世界のこともな」
大賢者の言葉が一瞬理解できなかった。
隣り合う異世界……?
この大賢者は、ひょっとして量子論の話をしているのか……?
「世界が創造されて五日目ですって?」
ナナミの声に、たしかにそこも驚きポイントだったと気づいた。
実は、女の姿で湖から出てきたというところから、大賢者の正体は人魚なのではないかと当たりをつけていたのだが、人魚がそんな神話の時代からの生き物という話はあまり聞かない。
ここに来る前は、人間でなければエルフかトレントだろうと思っていたが、それも違うようだ。
その答えは、大賢者自身の口からこともなげに語られた。
「ああ、私はレヴィアタン。天地創造の太古より海を司っているが、最近はもっぱら大賢者としてこのあたりで遊んでいる」




