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東大生とゴーストタウンの幽霊

 突然だが、俺は前世では東京大学(それも理科一類)の学生だったんだ。

 自然科学の忠実なるしもべとして、超常現象や死後の世界などという非科学的な概念とは距離を置いて生きてきた。

 この世界で転生や魔法を目の当たりにし、ずいぶんと揺らいだが、そのたびになんとか論理的整合性を見出してなんとか乗り越えてきた。


 しかし、ここに来て俺は最大の危機を迎えていた。


 幽霊。


 まさに非科学の代名詞だ。


「て、定義だ……! 幽霊の定義はどうなっているんですか……!」


 思わず口走ってしまったが、ナナミとカンジはもちろん、当の幽霊もポカンとしてしまった。


「ヒ、ヒデトシくん?」


「定義……と言われてもな」


「あ、いや……」


 急に恥ずかしくなった俺が言葉を探していると、カンジが思い出したように背負っていた盾を担ぎ上げて身体の前に構えた。


「相手が幽霊だろうが妖怪だろうが関係ねえ! この俺の「光の盾」を突破できると思うなよ!」


 遠近感を狂わせる漆黒の巨大な盾は、正対するとかなりの威圧感を与える。

 あわてて俺とナナミも構えをとった。

 しかし、それを見ても幽霊のギルドマスター、サー・ザイモンは落ち着き払っていた。


「待たれよ。ここはすべての冒険者たちの安息の家である冒険者ギルド。武器を振りかざすのはご法度である。それくらい冒険者なら知っておろう」


 威厳と威圧に満ちた声に、俺たちはたじろぐ。


「ナ、ナナミさん、あちらの言うことに一理ある気がします……!」


「そ……そうね。私も本物の幽霊を見るのは初めてだけど、噂に聞くような悪の存在っていう感じはしないわね……」


 そんな俺たちに、サー・ザイモンは鋭い視線をよこした。


「わかったら、武器をおろし、盾を下げたまえ」

 

 鋭い視線に射すくめられて初めて気がついたが、サー・ザイモンの瞳は血のように真っ赤で、たしかに通常の生者とは異質の存在であることを感じさせられた。


「お、おう……」


 カンジは大盾を背負い直す。


「うむ。まあ吾輩は幽霊だからな。諸君らが警戒するのも無理はない」


 サー・ザイモンは特に気を悪くした様子もなく、鷹揚に頷いてみせた。


「失礼な態度をとってしまって、すみませんでした。ザイモンさんは、いつから幽霊なんですか?」


「よくぞ聞いてくれた。あれは忘れもしない、世にいう『大災害』のときだ。知っての通り、この町は『大森林』に面しておるのだが、『大災害』以降、『大森林』は全体が高濃度魔素の海のようになってしまった」


「魔素の……海ですか」


「左様。大賢者殿は『大森林』ではなく『大魔海』と呼び替えるべきだと提唱されておられる」


 それを聞いて、ナナミが驚いて声を上げた。


「大賢者!?」


「ん? 大賢者殿がどうかしたのか?」


「俺たちは、大賢者に会うために『大森林』に向かっているところなんです」


「ほう。そうであったか。大賢者殿は『大森林』の奥に居を構えておられるが、ときどき森を出て、この町に来ることがあってな。このギルドにも顔を見せてくださっていたのだ」


「じゃあ、この町で待ってれば私たちも大賢者に会えるかしら」


「いや……見ての通り、この町がゴーストタウンになってしまってからは、買い物もできんし、大賢者殿もそうそういらっしゃることはなくなった。いまではここから離れられぬ吾輩を元気づけるため、一年に一度か二度、いらっしゃることがあるくらいだ」


「そうですか……。この町がゴーストタウンになったことと、ザイモンさんが幽霊になってしまったことはやはり関係が?」


「おお、そうだ。話がそれてしまったが、その話だったな。関係があるどころではない。この町がゴーストタウンになってしまったことと、吾輩が幽霊になってしまったことはほとんど同義なのだからな」


 サー・ザイモンはその赤い瞳を哀しげに曇らせた。


「ほとんど同義ってどういうことだよ。まったく、どこの町でもギルマスってのはもったい付けた話し方をしやがるんだよなあ」


 カンジがしびれを切らしたように舌打ちをすると、サー・ザイモンは苦笑した。


「スマンスマン。若い頃は吾輩も血気盛んな冒険者だったのだが、ギルドマスターになって偉い連中との付き合いが増えてくると、どうも奴らの悪影響がな。貴殿の町のギルドマスターも同じだろう。大目に見てやってくれ」


「お、おう……。偉そうなんだか腰が低いんだか、よくわからねえギルドマスターだな」


「それで、同義というのはどういう意味ですか?」


「『大森林』が『大魔海』になったとき、森の生物たちはすべて高濃度の魔素に汚染され、強大な魔物になってしまった。その魔物たちは、森から溢れ出て、四方八方に暴走していったのだ。この国で森から一番近かったこの町は、真っ先に襲われたのだ」


 俺たちはハッと息を飲んだ。


 生き物が魔素を大量に浴びると魔物になる。魔物になると生き物は凶暴化し、周辺を荒らし回る。この町はその犠牲になったということか。


「吾輩やギルドの猛者共が獅子奮迅の働きで食い止めている間に、町の人間はなんとか避難することができたが、歴史あるこの町の主要な機能は徹底的に破壊され尽くした。避難した住人たちも、いつまた魔物に襲われるともしれないこの町に戻るのを躊躇し、また、町を再建する余力もなく、結果的に町はなかば放棄されてゴーストタウンになってしまったのだ」


「そうでしたか……。するとザイモンさんもそのときに?」


「うむ。さすがの猛者共も、津波のような魔物共の猛攻の前には多勢に無勢。一人欠け、二人欠け……最後まで戦った盟友たちとともに、数多の魔物共を血祭りに上げながら、ついには吾輩も討ち死にと相成った」


 自分の死に様を静かに語る老武者の姿は、底しれぬ迫力があり、俺たちは完全に圧倒されていた。


「しかし、もしいつの日か町に住人が戻ってきたときに冒険者ギルドがもぬけの殻では、住人たちも安心して生活再建ができぬ! それだけが無念であった」


 サー・ザイモンは、心底悔しそうに拳を振り上げた。

 だが、数秒してゆっくりとその拳を下ろすと、今度はニヤリと笑った。


「だが、運命は吾輩を見捨てたわけではなかったのだ。魔物たちが過ぎ去ったあとしばらくして、荒廃したこの町に、たまたま大賢者殿が現れた。大賢者殿は、吾輩の残留思念に気が付き、すくい上げてくださった。その結果、吾輩はこうして幽霊として現世にとどまることができるようになったのだ」


 俺たちは、その壮絶な語りと笑みに、打ちのめされた。


「じゃああんたは、いつ戻ってくるかもわからない町の人たちのために、死んだあともなお、誰もいないこの町で冒険者ギルドを守り続けてるってのかよ……」


 カンジが声を絞り出すと、ザイモンはこともなげに頷いた。


「左様。なぜならば、吾輩は、古より受け継がれしこの町のギルドマスターの当代、サー・ザイモンであるからだ」


  *


 その後、俺たちはギルドの食堂でサー・ザイモンと食卓を囲んで語らい(ただし、食事は俺たちの携帯糧食だ)、宿泊施設を借りて一泊した。


 サー・ザイモンはこのあたりの地理に明るく、また戦闘能力としても非常に高いと思われたので、大賢者のもとへ同行してもらえないかと頼んでみたのだが、すげなく断られた。


「吾輩はここを動くわけにはいかんのでな」


 せめて、大賢者の居所を教えてくれないかと頼んでみたところ、それはあっさりと教えてくれた。


「冒険者の助けになるのが冒険者ギルドの使命である」


 とのことだ。


 翌朝、身支度を整えた俺たちはサー・ザイモンに別れを告げて、町を出た。


 町の外は原野と言っても大げさでないほどに、何もない土地が広がっていた。

 見渡す限り、目に入るのは地面か岩か草だけで、かつてあったのだろう人の営みのあとはまったく感じ取れなかった。


 雑草に覆われてほとんど失われてしまった道をなんとかたどりながら魔動車で少し進むと、すぐに『大森林』の辺縁が見えてくる。

 やがてその森は左右に伸びていって地平線と一体になった。


 近づくにつれて、地平線は立ち上がるように厚みを増し、地平線をなす暗緑色の木々は存在感を持って迫ってきた。

 やがて、地平線どころか天頂に達するほどの高さとなり、視界のほとんどすべてが森の木々で覆い尽くされたとき、俺たちは森の端にたどり着いた。


 『大森林』の名にふさわしい、深い深い森だ。

 これほどの森を前にすると、あまりの威容に自らの小ささがことさらに自覚させられる。

 ここから先は、おおげさではなく人智の及ばぬ世界なのだろう。

 かつてのワグナス子爵が、この中に分け入って迷宮を発見したなど、にわかに信じがたくなってきた。


「さあ、どこから入る?」


 ナナミは車から降りて、森を見つめた。


「ワグナス魔王国の入国審査場はなさそうですね」


 俺も車を降りて、周りを見渡し、ジョークを飛ばす。

 すると、ナナミが意外そうな顔をして振り向いた。


「正式には『大森林』の端じゃなくて、中を流れる川が国境になっているの。だから、ここには国境の関所なんてないわよ。ヒデトシくんでも知らないことがあるのね」


 なぜか俺がきまりの悪い思いをすることになり、理不尽さを感じていると、カンジが歩いてきてバシバシと俺の背中を叩いた。


「くだらねえこと言ってないで、入れるところを探すぞ。ギルマスのオッサンの話だと、あっちに地元猟師が使ってた道があったってことだったろ」


 カンジが左の方を指して、さっさとそっちに歩き始めた。


 俺とナナミも慌ててカンジのあとを追う。

 三人で注意深く周囲を観察しながら森の縁に沿って歩いていると、カンジが前方のある一点を指差して、声を上げた。


「ほら、あれじゃないか。あのへんだけ下草の生え方が違うぞ」


 近づいてみると、たしかに他のところと違って大木の間に空間があり、雑草も周りから入り込むようになっていて、道らしきあとに見えた。


「たしかに、これっぽいわね。じゃあ、さっそく行きましょう」


 俺たちはカンジ、俺、ナナミの順で一列になり、『大森林』――またの名を『大魔海』に足を踏み入れた。

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