東大生の接近遭遇
どんなに困難なことでも、対処の方針はひとつ。
傾向と対策だ。
さらに、その傾向と対策を考える上で大事なのは、情報の質である。説明会ではいくつか重要な情報が得られたが、その情報が真に価値を持つためには、その情報の信頼性が担保されている必要がある。
今回の情報は、その点でいうと疑問の余地がある。
「なにせ、みんなが関心を持っている重要事項をわざとわかりにくく書いて、質問されてもはぐらかすような連中ですからね。彼らの情報は、裏をとってからでないと信用できません」
俺は山道を軽い足取りで歩きながらそう言って、二人を振り返った。
二人は少し離れたところを、ぜえぜえはあはあ言いながら息も絶え絶え登ってくる。
気づかない間に、少し引き離してしまったようで、俺は立ち止まって二人が追いついてくるのを待った。
「ハァ……ハァ……だからってよ……いきなり……曙光山脈に……登る必要が……あんのかよ……」
ようやく追いついてきた二人は、手近な岩にへたりこむように腰をおろしながら文句を言った。
俺は意にも介さず頷いた。
「そりゃあ、百聞は一見にしかずといいますからね。この目で確かめるのが一番です」
そんな俺を見て、ナナミは嘆息するように言った。
「ヒデトシくん……意外と体力あるのね……」
「山登りはけっこう好きなんですよ」
今のところ、この曙光山脈は前世でさんざん登っていた富士山に比べても随分登りやすい。
二人がこんなに苦労しているのが不思議なくらいだ。
なんていうのは冗談で……。
「アホか。お前の荷物も俺らが持ってるからだろうが……」
カンジが恨みがましく睨みつけてくる。
「ははは、そうでした。ありがとうございます」
非戦闘員の俺は早々に音を上げ、二人に荷物を持ってもらったのだった。
「ヒデトシくんは頭脳要員だからしょうがないわよ。あー、水が美味しい」
水を飲みながらナナミがフォローしてくれた。
それを聞いたカンジは、実に嫌そうな顔をした。
「あんまりこいつを甘やかすなよ……」
「そんなことより、もうだいぶ目的地に近づいてきましたよ!」
あからさまに話を逸らし、俺は地図を片手に行く手の方を指した。
「地図からすると、あの稜線を越えたあたりがドラゴンの遭遇情報のある一帯のはずです」
カンジとナナミも、そちらの方を仰ぎ見る。
山道の先、茶色い山脈の岩肌と快晴の空の境が、くっきりとした線を形作っていた。
一見すると、絵葉書にでもなりそうなすがすがしい山の風景だが、その実、すでにそこは危険地帯だ。
「ここからは慎重に行ったほうがよさそうね。カンジ、騒がないでよ」
「なんで俺に言うんだよ。騒がねえよ」
ナナミとカンジの掛けあいを聞きながら、俺はそこまでの道のりを目測した。
あと三十分といったところかな。もう一息だ。
小休憩を終えた俺たちは、態勢を整えてドラゴン生息地帯に向けて再び歩を進め始めた。
ここからは、戦闘能力のある二人の機動性を重視するため、荷物の多くをこの場に残して行くことにした。どうせ他に登ってくる人もいない。
今回は偵察メインのため、三人とも動きやすい革の防具に、念のため耐火の魔法を付与して身につけて臨んでいる。もちろんドラゴンブレス対策だ。この程度でなんとかなるとも思えないが、できることがあるならやっておいた方がいいのは間違いない。武器の方は、カンジは短剣、ナナミは樫の杖、そして俺は唯一の使える武器であるムチだ。
これまでとはうってかわって、誰も一言も発さず、慎重に山道を登っていく。
高い緊張状態を保ったまま三十分ほど進み、ついに俺たちは件の稜線に到達した。
視線を交わし、無言のまま意思疎通した俺達は、カンジ、ナナミ、俺の順に一列になって稜線の向こう側へと足を踏み入れた。
足を止めて三者三様に身構え、念入りに周囲に注意を飛ばし警戒するが、特段変わりはないように感じられた。カンジとナナミも油断なく目を配っているが、異常は見つかっていないようだった。
しばらくそうしていたが、何も起こらないため、俺たちはふたたびカンジを先頭に歩き始めた。
そのとき。
さっと日が遮られ、地面に黒い影が落ちた。
俺たちが見上げると、まさに体長10メートルはあろうかという巨大なドラゴンが双翼を広げ、上空から飛来してくるところだった。
呆然としているヒマもなく、ドラゴンは凄まじいスピードでこちらに向かって急降下をし始めた。
「ヤバい、逃げろ!!」
カンジの叫びにハッと我を取り戻した俺は、少しでもその場を離れようと、無我夢中で坂道を駆け下り始めた。
「ヒデトシくん! そっちじゃない!!」
ナナミの声が聞こえたのとほぼ同時に、至近距離で打上花火が爆発したような轟音と、ビリビリとした空気の震え、続けて砂混じりの爆風が背後から襲ってきた。
俺はすさまじい爆風に背中を押され、バランスを崩して地面に吹き飛ばされた。
焦って振り返ると、俺たちがさっきまで立っていたあたりに、一匹の巨竜が悠然と着地し、翼を畳んでいるところだった。
その姿形自体は、想像していたものと同じようだったものの、存在感がまるで違っていた。
一枚一枚が日の光を反射して輝く鱗、呼吸に合わせて上下する皮膚、湿り気の多い呼吸音、そしてするどい眼光。
ああ、生き物なんだなあ、と俺は変な実感を抱いた。
そのドラゴンを挟んだ反対側に、カンジとナナミが武器を構えて立っていた。
そうか、あっちから来たから、あっちに逃げないといけなかったんだな……。つい、身体が向いていたほうにそのまま走ってきてしまったが、これはドラゴンの領域により深入りする方向だった。
その証拠に、ドラゴンはあちらの二人ではなく、ゆっくりとこちらの方に向き直った。
そして、ドラゴンはゆっくりと口を大きく開けて息を吸い込んだ。ドラゴンの喉の奥に、パチパチと火花が散っているのが見えた。
ヤバい、ドラゴンブレスだ!!
そう思ったとき、ドラゴンの向こう側でナナミが叫んだ。
「氷の矢!」
無数の氷の矢が現れ、ドラゴンの背に向かって飛ぶ。
「おらああああ!」
それに負けじと、カンジも短剣を振りかぶってドラゴンに斬りかかった。
ドラゴンもそれに気がついて、ブレスの予備動作を中断し、首と目玉をちょっと動かして二人の方を見た。
氷の矢は間断なくドラゴンの背と、そこから生える膜翼に降り注いだが、ドラゴンの身体に触れるやいなや、硬い壁にあたったかのように勢いを失い、パラパラと地面に落ちた。
カンジの攻撃も、ドラゴンの尻尾を切断する勢いで臀部付近に当たったものの、金属バットでブロック塀を叩いたような鈍く響く金属音を立てるばかりで、突き刺さることなく跳ね返された。カンジは反撃を警戒して、再度飛び下がる。
俺は、そのすきに斜面を巻くように走り、ドラゴンを迂回しながら、山肌を駆け上った。
二人とドラゴンの様子が俯瞰できる位置に到達すると、ナナミに向かって叫ぶ。
「ナナミさん、プランB!」
「了解! 3,2,1,閃光!」
ナナミは俺の指示に間髪入れず反応し、ノータイムでカウントダウンから閃光魔法を発した。
俺とカンジは閃光で目がくらまないよう、タイミングを合わせて目をつぶって反対側を向く。
あたりはフラッシュのようなまばゆい光で包まれ、景色も何もかもが白で塗りつぶされた。
一瞬ののち、カンジが地を蹴る音がした。
閃光でドラゴンの目を眩ませ、そのすきを突いてカンジが刺突で攻撃を加える作戦だ。
しかし、今度もまた、鈍い金属音がして、それに続けてカンジが悪態をつく声が聞こえた。
どうやら短剣を刺突する攻撃も、ドラゴンの表皮で跳ね返されてしまったようだ。
ようやく光がおさまり始め、目を開けてドラゴンの方に目を凝らすと、まさにカンジがドラゴンの太い尾による打擲を受けているところだった。
キャッチャーミットに会心のストレートが叩き込まれたような、軽快な打撃音と同時に、カンジの身体が数メートルも吹き飛ばされた。
着地時にうまく転がって地面への激突の衝撃は殺したようだが、尻尾による打撃のダメージは小さくないはずだ。
ドラゴンはカンジを軽く払ったあと、ナナミの方を見て、ひと吠えした。
その吠え声は、谷底に響く雷鳴のような迫力に満ちたもので、声だけで身体が竦まされるような思いだった。
「続けていくわよ! 3,2,1,閃光!」
ナナミは怯まずに閃光魔法を再度発する。
タイミングを合わせて目をつぶった俺は、目を閉じたままナナミに叫んだ。
「拘束を!」
「了解! 拘束!」
ナナミは俺の指示を受けて、事前の打ち合わせどおりにドラゴンに向かって土系の拘束魔法を放った。
光で見えないが、ドラゴンの脚部は盛り上がって硬化した地面に拘束されているはずだ。
「カンジさん、いけますか?」
「おう、なんとかいってくらあ!」
既に起き上がっていたカンジから返事が上がり、駆け出す音が聞こえた。
が、それに前後して激しく素振りをするかのような音が聞こえたかと思うと、地面から何かを引き抜くような音とともに、激しい風が前面から吹き付けてきた。
「土の拘束が破られたわ!」
ナナミが悲鳴のような声を上げる。
それに続けて、カンジの悔しそうな叫び声も聞こえてきた。
「野郎、飛びやがった!」
「カンジさん、投擲お願いします! ナナミさん、援護を!」
回復してきた視界の中で、状況を把握し、二人に指示を出した。
拘束から脱したばかりのドラゴンは、まだ高空には上がっていない。
俺の指示を聞いて、カンジは持っていた短剣をおおきく振りかぶって投擲した。
「順風!」
ナナミが杖をかざしてカンジの投げた短剣に追い風を与え、加速させた。
一発の弾丸のようになった短剣が、ドラゴンの膜翼に吸い込まれるように飛んでいき、見事刃の部分が突き刺さるーーかのように見えたが、先端がドラゴンの膜翼に触れた瞬間、短剣は力を失って落下した。
「ダメか……。しょうがない、次が最後です! ナナミさん、風でドラゴンの飛行を撹乱してください!」
「わかってる! 暴風!」
ナナミが好き勝手に暴れまわる猛烈な風を上空に発生させ、ドラゴンに直撃させた。
だが、ドラゴンは涼しい顔をして羽ばたき続けている。
「くそったれ! まったく効いてねえ!」
カンジが歯噛みする。
そしてドラゴンは俺たちの方に向かって大きく口を開けた。
「ヤバい! ブレスが来るわよ!」
「撤退っ! 撤退です! 稜線の向こうへ走ってください!」
俺たちはドラゴンに背を向け、全速力で走って元来た稜線の反対側へ駆け込んだ。
一瞬ののち、空気を蒸発させるような凄まじい灼熱と青い閃光が俺たちの上を通り過ぎ、虚空を裂いて彼方の空へと消えていった。
それは炎というよりは、レーザーかチェレンコフ光を思わせるものだった。
「……あれを食らったら、洒落になんねえぞ」
カンジの言葉に、俺とナナミはただ頷くことしかできなかった。