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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

煙たなびく、女子高の屋上から

作者: さく

この学校に通い始めて一年を越えて三ヶ月ほど経つが、はじめて屋上に足を踏み入れた。アニメやゲーム、小説ではあるまいし、いまどき屋上にフリーパスで入ることのできる学校など聞いたこともない。

 花の女子高生と屋上なんて絵になるかなと少しは思ってみたこともある。だけれども、結局のところ屋上という聖域は黒鉄の門扉一枚に固く阻まれ、ついぞ正攻法での侵入を許してはくれないようだった。

 だいたい私は十人並のモブ顔であり、屋上に似合いそうな女子高生としての素質などひとつも持ってはいない。成績だって並、いや下の上といったところか。授業はいつも睡眠時間。おしゃれにだって少しは興味もあるけど、InstagramとTikTokを流し見するくらい。身長だって取り立てて高いわけでもない。教科書以外の本なんて読まなくなって何年経つだろう。私はそんな、「一般的な」女子高生。


 今日は夏のさかり、定期試験も終わって夏休みへ向けて気だるい登校日と名のついた日。せいぜい出来の悪い試験の答案が返ってきて、大掃除という名の不毛な時間を過ごすだけのなんの変哲もない一日のはずだった。

 全校生徒によって行われる大掃除の最中、美術室の担当であった私はベランダの掃き掃除をするような顔で何となくぶらりと外へ足を向けてみたのだ。真面目な生徒たちによって掃除の大半は終えられてしまっていて、誰もやりたがらない炎天下の作業のみがぽつねんと残されていたのである。


 不真面目で成績も低空飛行、なんとなくクラスでも浮き気味の私は最初のうちこそ真面目に掃除をするフリをしていた。けれどもあまりの居心地の悪さに、掃除が一段落ついたのを見て、思わず箒とちりとりを持って炎天下のベランダへと飛び出してしまったのだ。

 大掃除に割り当てられている時間は相当に余っていた。やる気のある、真面目な生徒たちは既に自分たちの役目は終わったとばかりに、誰の彼氏はどうこうでどこまで進んだ、やっただのやらないだの、そんな姦しい話を時間いっぱいに使ってやるのだろうと思うと、そこに混ざるのは耐え難い苦痛のように感じてしまった。

 

 女子高の現実なんて、そんなものだ。彼女たちは教師の前でだけいい顔をしておけば良いと思っているし、真面目そうに見えても教師の目の届かないところではやることをやっているのだ。まったく始末に負えない。

 ベランダの奥、その奥へと進んでいく。こんな場所には来たことがなかった。とうに私の掃除班のテリトリーからは遠く離れてしまっていたが、どうしてか窓から見える教室に生徒の姿は見えない。そろそろと歩いていったら、ふと横に小さな階段と鉄柵があるのを見つけた。スカートが捲り上がるのにも構わず、私はその鉄柵を乗り越えようとしていた。

 短い足を振り上げ、鉄柵を越える。身体がふわりと宙を舞う。屋上への数段の階段を急ぎ足で駆け上がる。


 見えた景色は、さきほどまで美術室から見えていたものとさほど変わらない私の生まれ育った街と、この学校の生徒会長が悠然とタバコをふかしている姿だった。


 この学校の生徒会長は三年生で、まあなかなかに綺麗な人ではあった。まあなかなか、と表現したのは、この手の話にありがちな、とてつもない清純美少女をイメージしうる類の美しさでは決してなかったからだ。たとえるならそれは身内贔屓を加えた上でやっと某国民的アイドルグループの研究生に入れるかどうかといったくらいで、クラスに一人は彼女より可愛い子や綺麗な子はいるし、ややもすれば三番目くらいの立ち位置にいるのだろうと思えた。身長だって特別高いわけでもない。十人並みというには少し小柄な私よりも少し高いくらいだろう。

 成績だってこの手の話にありがちな学年トップ、東大間違いなしというほどでもなし、せいぜい早稲田か慶應か、あるいは明治か、その程度の成績だと聞いたことがあった。とはいえうちの学校ではそれがクラスでも先程の容姿と同程度のものであることは説明しておかなければならない。

 並行して所属している合唱部ではソロパートなんかも任されているようだが、当然ソプラノ・メゾソプラノ・アルトのどれであるのかも、十人並みのモブである私には知る由もなかった。

 交友関係は非常に広いようで、生徒会長という身分にも関わらずヤンキーのような女生徒と一緒に下校しているところを見かけることもあるし、その逆もまた然りであった。彼女の周りにはいつもたくさんの人がいた。

 全校集会でも何度か顔を見たことはあったけれど、もちろん自分のような下々の民は彼女と会話を交わすことなど一度もなかった。

 いずれにしろ、私とは生きる世界が違う人間のようだった。


 そんな生徒会長がタバコを吸っているだなんて、今目の前にしている光景を見てもなお信じがたい事柄ではあった。だけれども、彼女が夏のセーラー服に身を包んで、自らが生徒会長として君臨する学校の屋上でタバコを吸っている姿はとても退廃的で、美しかった。

 男が見たら、きっと放ってはおかないだろう。よほどの嫌煙家でもなければの話だが。


 「あれ、君も吸う?」


 さも全人類がタバコを吸うかのような顔と声色で差し出された顔つきで差し出されたパッケージは緑色で、妙に古めかしいデザインだった。ハイライトメンソールと書いてあった。そういうタバコがあるのは知っている。

私が大学生になって煙草を吸うようになったときに知ったことだが、椎名林檎がずっと吸っていた煙草だったようだ。そのときになって、彼女はすこし椎名林檎に影響されていたのだろうか、と回想したものだ。

 今までは昔の広告やドラマ、映画では女性がタバコを吸っていることについて疑問しか抱かなかったものだ。しかし、今こうして目の当たりにしてみると、綺麗な女性がタバコを吸っているところを官能的だと表現する気持ちが少しわかるような気もした。


「一本ください」


 心とは裏腹に、声はそんなことを言っていた。

 実は中学生だった頃、父親のタバコをくすねて吸っていたことがある。そういうものに憧れる年頃だったのだ。美味しくもない煙を吸って、噎せて、吐き出して、大げさな咳をして。

 駅前の喫煙所で、コンビニの灰皿の前で、疲れ切った顔でタバコを吸っているサラリーマンを見て、家のベランダで苦虫を噛み潰したような顔をしてタバコを吸っている父親の姿を見て、こんなに美味しくないものなのにどうして皆はこんなものを吸い続けているのだろうと思った。

 何もわからなくて、すぐにタバコを吸うのはやめてしまった。もともと性に合わなかったのだ。そう思うことにした。


 けれども、目の前の会長はなんて美しい所作でタバコを吸うのだろうか。火をつけ、煙を吸い込み、物憂げな顔で天を仰いでふうと煙を吐く。屋上に吹き抜ける風が彼女の髪をさらい、ひらひらと靡いている。実は、ここは相当風が強いんじゃないだろうか。

 やっぱりさも当然のように差し出されたライターでタバコに火をつけようとしたが、風のせいで相当火のつきが悪かった。


 「つかないです」

 「貸して」


 会長の指先がふわっと頬先を掠め、彼女の手が私の口元で風から守ってくれるようにライターを点火する。顔も心なしか近づいて、そんな気もないのになんだか気恥ずかしくなった私の顔もどんどん赤くなっている。誤解されたらいやだなと思った。


 「だめだ、つかないね」

 「ふみはへん」

 「ライターで火をつけているときに吸い込むの、貸して」

 「あっ」

 それまで私が咥えていたタバコをひょいと持っていかれ、会長は自分の吸っていたタバコを右手に持ち替え、ライターで火をつけようとした。

 会長は必死な顔になっていたが、ライターは乾いた音をたてるだけで、火のつく気配はまるでなかった。


 「つかないですね」

 「なんでだろう、ガス切れたかな」

 「タバコを咥えて、吸ってみて」


 またタバコを咥えた。なんとなくスーッとする感じとタバコ葉の臭みが混ざり合い、なんとも言えない気持ち悪さが残った。

 次の瞬間、会長の顔が近づいてきたと思ったら、お互いのタバコの先端同士が触れた。


 「ふっへ」


 吸って、ってことだろうか。

 思いっきり吸い込んだら火がついた。次の瞬間、ものすごい量の煙が口の中に充満し、ミンティアの数倍くらいのスーッとする感じが鼻に抜け、すごい勢いで噎せた。ああ、私が中学生のころ吸っていたのはメンソールじゃなかったんだな、と少し笑ってしまった。彼氏に無理やり勧められてはじめてタバコを吸った女子大生みたいに、ごほごほと咳き込んでしまった。

 ひときしり咳も落ち着いて考えてみると、確かに会長のタバコを吸っているところはたまらなく綺麗だけども、私はこんなに綺麗にタバコを吸うことなど一生かかってもできそうもないなと気付いてしまった。

 会長は大笑いしながら、私が噎せた拍子に落としたタバコを拾ってくれていた。雲のむこうの、生きる世界が違うところにいたはずの会長が、また雲のむこうにいるように見えてすこし腹が立った。

 会長に拾ってもらったタバコで吸った二吸い目では、もう噎せなかった。


 「こういうの、なんて言うか知ってる?」

 「そんなの知らないですよ」

 「シガーキス」


 最後の一言は、ふっと近づいてきた会長の息がかかるくらいの近さで、要するに耳元で囁かれた。私の顔は慌てふためいてぼっと赤くなり、いきなり近くに現れた彼女の顔を知覚するまでにずいぶん時間がかかり、やっとのことで言葉の意味を理解したときには既に顔から火が出そうなくらい熱くなっていた。

 もう会長の顔は直視できなかった。三吸い目、四吸い目とただこの空間から逃げ出したくて吸ったハイライトメンソールが嫌というほど鼻に抜けても、顔の熱さは全く取れる気配がなかった。私が噎せるたびに大げさな仕草で笑う会長に、無性に腹が立った。

 いたいけな少女にそんなことをしておいて、よくそんなに笑ってられますね。中学生の時分からタバコを吸うような、現実的にはただの不良少女であることを棚にあげて大声でそう言いたかった。

 けれど、言葉は全く出てこなかった。やっぱり彼女はどうしようもなく綺麗だったからだ。


 どういった目的で屋上に存在し続けているのか、皆目検討もつかないような構造物に並んで腰かけて、二人でしばらく無言でタバコを吸い続けた。会長は先に吸い終わり、購買の前の自販機で売っているブラックコーヒーの空き缶に吸い殻を入れて、またもう一本チェーンスモーキングをしようとしていた。


 「会長、どうしてタバコなんか吸っているんですか」

 「元彼の影響かな。大学生だったから。別に美味しいとも思わないけど、屋上で吸っているとなんだか気持ちいいし、なんとなく大人になったなって気がして」

 「そういうものなんですね、私にはわからないです」

 「そのうちわかるようになるよ」

 

 しばらく話しているうちに、会長の元彼は大学生で、二年生の頃に通っていた予備校の教師だったそうだ。つい先日にありふれた理由で振られてしまったようで、どうしてこんなにもタバコを吸っている姿の美しい彼女を振ってしまえるのか、なんだかその男をぶん殴ってやりたいような気持ちになった。

 彼についての話をする会長は、いつも全校集会で見るような顔とは全く違う、どこか年齢相応のかわいい女の子の顔であるように思えた。

 会長の三倍くらいの時間をかけても、半分くらいしか吸えずにタバコを揉み消して、会長の持っていたブラックコーヒーの空き缶に吸い殻を捨てさせてもらった。

 ちょっと立とうとしたら、すごく、くらくらする。気持ち悪い。


 「ヤニクラだね、最初はよくある。慣れだよ」

 「こんなの、慣れたくないですね」


 学校の屋上という場所がこんなにも風の通る場所だなんて、今まで全然知らなかった。誰も踏み入れられないはずの屋上に、タバコを吸っている人なんかがいて、しかもその姿がこんなにも綺麗に決まる人だなんて、今まで全然知らなかった。しかもそれがうちの学校の生徒会長だなんて。

 こんなにも不味くて、噎せて、クラクラして、おまけに臭い。そんなものを好き好んで一日に何十本も吸っている人がいるなんて、やっぱり全然知らなかった。


 「世の中知らないことばかりですね」

 「そうだね」

 

 小さな声で、会長も返してくれた。なんだかそれだけで、満ち足りた気持ちになった。

しばらくしたら、大掃除の時間の終わりを告げるチャイムの音が屋上にも響き渡った。忘れていたが、今は学校をあげての大掃除の時間だった。教室に戻っての最後のホームルームだってある。


 「タバコ吸いたくなったらいつでも来ていいよ」

 「先生にバレたら面倒くさいですし、行きませんよ」


 そんな軽口を叩き合いながら、会長が常備しているというファブリーズを借りて互いに吹き付け合い、教室に戻ってきた。悠長に無駄話をしていたものだからもちろん遅刻で、担任教師には小言を言われたが、その内容なんか一切覚えていない。

 クラスの小利口な生徒たちのように掃除を真面目にこなすよりもよっぽど大事な、きらきらした体験をしたはずだったのに、同じクラスの「いい子」たちにはそれを話せないのがどうしようもなくもどかしくて、つらくて、苦しくて、どこか楽しかった。

 家に帰って、父親の箪笥の中にあったタバコを吸ってみた。当たり前のことだが、それは不味くて、臭くて、噎せて、涙が出るほど気持ち悪かった。屋上での夢のようなきらきらした経験など、思い出せるはずもなかった。


 あのきらきらした体験をもう一度、どうしても味わいたくて、新学期になって何度か屋上に足を運んでみたけれども、会長には一度も会えなかった。タバコを吸った跡も、灰皿がわりにしていた缶コーヒーの空き缶も、全ては最初からなかったかのようであった。

 綺麗な生徒会長とのきらきらした夏の思い出、シガーキスを交わしたことでさえ、全てが夢の中の出来事であったのかもしれない。とさえ感じ始めた。

 全校集会で変わらず生徒会長として声を張り上げ、生徒代表として君臨する彼女は相変わらず綺麗で、ずっとよそゆきの顔をしているように見えた。屋上で出会った、タバコの似合う彼女と同一人物だとは、やっぱりどうしても考えられなかった。


三年生の卒業式の後、気付けば仲の良い先輩などいない私の足は屋上へと向いていた。

会長と会えるかもしれない最後の日に、会長と同じハイライトメンソールを吸って、あの夏の日のきらきらした思い出を思い出のままに終わらせよう、そう思ったのだった。


美術室を抜け、ベランダから金網を乗り越えて階段を駆け上がると、先客がいた。凛とした立ち姿、美しい横顔、茶色のフィルター。

会長、どうして。あれからどうして一度も屋上に来てくれなかったんですか。そう叫ぼうとして、気付いた。会長と同じハイライトメンソールをわざわざ買って、鞄の奥に忍ばせておいたのだ。別人だった。


階段からでは夕陽に隠れて顔は見えなかったけれど、よく見たらそれは会長ではない、よく似た、別人だった。


慌てて火を消して、去っていこうとする彼女を恨みのこもった視線を向けて見送ろうとした。気付いた時には、呼び止めてしまっていた。待ってください、話を聞いてください、と。


彼女は向き戻り、あの日と同じ屋上の構造物に腰かけ、またタバコに火をつけた。そこはあなたの場所じゃない。私と、会長の、きらきらした思い出の、特別な場所。そう言おうとしたけど、言葉が出てこなかった。代わりに漏れてきたのは、感情の波だった。


「好きな人がいたんです」


「ここであなたと同じようにタバコを吸っていて」


「あなたみたいに綺麗で」


「タバコがよく似合ってて」


「私が久々に吸ったタバコで噎せてるのを見て」


「ひどくないですか?大笑いしてたんですよ」


「ひどいですよね」


「最悪です」


「シガーキスまでしてきました」


「タバコ吸いたくなったらまた来なよ、なんて言ってたのに」


「それから一回も会えませんでした」


「廊下で会っても知らん顔されて」


「本当につらかったです」


「こっちがどんな気持ちでいたと思って」


「ばか」


「大嫌いです」


そのうち、叫びながら泣いていた。


見ず知らずの人に向かって、めちゃめちゃに泣いていた。


「それは厄介な女に引っかかったな」


「ほんと、厄介でした」


「私も卒業しちゃうからもうここには来ないけど、元気でな」


「わかんないけど、そいつもきっと君のこと好きだったと思う」


「そいつなりの事情があったんだと思う、そうに違いないさ」


彼女が行ってしまってから、私は大声をあげて泣いた。

たった一回ここで一緒にタバコを吸っただけで、会長のことがこんなにも好きになってしまったのだと。

気付いた時には、もうなにもかも遅かったんだと。


涙に噎せながら、あの日会長と吸ったハイライトメンソールに火をつけた。

久しぶりに吸ったタバコはやっぱり、不味くて、臭くて、噎せて、どうしようもなく気持ち悪かった。


<了>

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