(夜露が残る道)
彼らの視界が絡まる垣根から解放されたとき、もうすでにサクラの姿は川から消えていた。月明かりが川に梯子のように伸びて道を作り、その周りを青白い光がフワフワと彩るだけだった。
3人は足が解放されても尚、口を開くことはなかった。
「落ち着きましたか? 皆さん」
弦楽器のようにゆったりとした声が響いた。川を見つめていた彼らは我に返ったように声の方向へ振り返った。
「手荒な真似をしてすまなかったと、彼らも申しています」
憂いの表情を浮かべながら、辺りの植物を大きな手で撫でる。
そんな彼にシャルは掴みかかった。
「どういうことだ! お前は!……お前は彼女が流されることを知っていたのか! どうして……!」
怒りが眉間、鼻筋に皺を刻む。震えた声が彼の口から絞り出された。
そんな怒りに対面してもユゴーは眉一つ変えずに、シャルの目を見つめた。
「私は星の声を聞いたにすぎません。私が望んだことではない」
それがまたシャルを烈火させた。
「どういう言い逃れだ!」
「だから私を攻めるのは筋違いだと言っているのです。もし実行したとするならば、一体なぜあなた方にそれを知らせたというのです? 入口にいたあなた方には知りえないことです。わざわざ連れていく必要もないでしょう」
その言葉を聞いてもシャルは我に返らなかった。ユゴーに掴みかかる彼の右手首に彼女が手を伸ばしてぐっと力を籠め、腕を離させた。シャルは目を瞬かせた。まるで何が起きたのか分からないように。
「ごめんなさい。訳が分からないことが続いて、みんな動揺していたわ」
「アシュラとテンの子よ。さすがです。噂には聞いておりましたが、素晴らしい才女だ」
ランレイがはっとして伏せていた目を正面に向けて、彼を見つめた。
「あなた……私のこと……」
「差別をする必要はありません。みな平等に生を全うしているのですから。差別は憎しみを生むだけです」
ランレイの目が少し潤み、星の煌めきを含んだ。緩んだ口元に彼女はぐっと力を入れ直して、彼に問いかけた。
「でも、なんで川からハイネを助けるのを邪魔したの? あそこなら助けられたかもしれないのに」
「助けられた……まだ思考が感情に飲み込まれたままのようだ……。感情に支配されていては、大事なことを見落としてしまいます」
恍惚な表情を浮かべ、月夜を眺めるようにユゴーは首を動かした。星たちもそう言っているといわんばかりに。ランレイは不服そうに眉間に皺を寄せた。
「なんか、ゲンダツバの人って変な話し方なんだな」
「失礼な!」
「思っただけじゃんかー。でも、言ってることは俺も同意するかも」
意外な言葉を吐いたメルローに全員の視線が集まった。また変なことを言ったか?と焦りながら、彼はつづけた。
「だってさ、助けられたかもしれないけど、逃げられなかったかもって思うもん」
「ほう」
「ユゴーが力を抜くまでランレイは腕から抜け出せなかったんだろ? それにシャルも隙がなかったから、ランレイを救えなかったんだろ?」
はっきりとした口調でそう言われた2人は肩を落として、地面に視線を向けた。
「あの場面で助けてもさ、それだけゲンダツバが一人一人強かったら、すぐに捕まっちゃうじゃん?」
メルローの声が静かな森の中にゆっくりと吸い込まれていく。それを追うようにユゴーが拍手を彼に送った。
「案外と君は静かな心を持っているようだ。実に論理的だ」
「まあな」
自慢げに胸を張るメルローの頭をランレイが叩き、ふんと鼻を鳴らした。軽い力で叩かれたはずだったが、思いがけないことでバランスを崩し正面に転ぶように倒れた。
「彼が言った通りです。だから木々もあなた方を守るために動いたのです。要らぬ争いを見たくないと」
「植物に感情があるのね」
「お前な……!」と言いながら立ち上がるメルローを全く気にしないようにランレイが言葉を挟んだ。
「そう、彼らにもそして他の植物にも感情があるのです。ここの木々たちはとてもいい人達です。私は大人からではなく、彼らに多くのことを教えてもらいました」
「お前、まだ……子どもだったのか?」
「ええ、まだ子どもです。大人たちからしたら体格も全く違いますから」
「十分大きいと思うけどなあ」と自分の身体と見比べながらメルローが呟いた。
「……脱線してしまいましたが、彼女が流れていったのは恐らく……テンです」
「テンだと? テンは他の街との交流を塞がれているはず……アシュラでもそうだったが、一体何が起きているのだ……」
シャルがやっと口を開いた。ユゴーはこくりと頷いて、話を続けた。
「この川は、テンが他の街との交流を断たれた後、ひそかに作られたものと言われています。ゲンダツバは見ての通り、体がこのような形ですから細かい作業ができません。頭が同等によく、手先が器用なテンの力を欲していたのです。逆に、テンも外との交流を回復したかった……」
「それでこの川を……」
「じゃあ、この川を船か何か用意して下っていけばいいじゃんか!」
メルローの楽観的な声をユゴーは首を横に振って答えた。
「それはできません。これはゲンダツバが生んだ川と言っても過言ではないそうです。ゲンダツバには周りの声を聞く力があります。植物や星、そして川さえも。力を極めたものは川の声を聞き、流れを作るのです。川は通常、あのように動かない水たまりと変わりないのです」
ユゴーが指差した方角に全員が一斉に目を向けた。目が溢れんばかりに大きく見開かれた。
目の前にあった流れの早かった川は、流れていたのが嘘のようにその場にただある鏡のように変わっていた。
唾を飲みこんでから向き直ったシャルが彼に問いかけた。
「あの川以外にテンへと行く道はあるのか?」
「直接向かうことはできません。昔の名残でここからはかなり高い木々と見えない壁のようなものが塞いでいると聞きます。行けるとしたら、交流が許されているカルラの山からになるかと」
「じゃあ、すぐにカルラを呼んで……」
メルローがぽんと拳で自分の手を叩く仕草をする。しかし、その提案もまた首を横に振られてしまった。
「いや、ここではすぐに大人たちから見つかってしまう。何より、カルラは口が軽い。金を少しはずめばすぐに口を割りますよ」
「そんなあ……」
「まずい……」ユゴーがそう小さく漏らした。
彼は3人を順番に見つめると、懐から4つ折りにされた縦長の紙を取り出し、ランレイに近寄って手渡した。
「これをあなた方に。今すぐ、ここから旅立ちなさい。大人たちが、あなた方がいないことに気づいたようで、ここに向かってきています。途中の植物たちは彼らの味方ですから……」
「そんな! じゃあ、早く逃げないと! ユゴーも行こうよ!」
真剣な眼差しを向けるメルローに、ユゴーがふっと力なく笑いかけた。月に照らされたその顔が初めて幼い子どものように映った。
「嬉しい言葉。これが、友人……というものでしょうか……」と言いながら、彼は後ずさりをして背中を向けるように方向転換をした。
「しかし、私はいけません。私たちにはあなた方の運命を守る義務があります」
その言葉に呼応するように木々がざあっとざわめいた。左手にある垣根が配置を変え、一本の道を作り出した。
「ユゴー!」
納得がいかず、腕を伸ばそうとするメルローをランレイが制した。その腕を引きずるように木々が示した道へと引きずる。彼女の目には涙が浮かんでいた。
「絶対、また会おうな! 絶対だぞ!」
「絶対……ですか……。許されるならば、私もその運命を望みましょう。植物たちがあなた方の手伝いをしたいと言っています。彼らについていきなさい」
「ありがとう」
「ありがとな!」
「本当に、すまない!」
「いえ、これ以上、運命を黒く染めるのが嫌なだけです。私の初めての希望ですから」
「運命のご加護を」と手を振るユゴーを背中で感じながら彼らはゆっくりと進め始めた歩をだんだんと早め、走り出していた。道筋には夜露のような雫が線を成して落ちていった。




