(運命の誘い)
「さあ、この場にそぐわない者も消えたことです。そろそろ場を変えてお話しいたしましょう。身も冷えたことでしょう?」
張りのある重低音だった。なんという名前だったか忘れたが吹奏楽部の誰かが弾いていた大きなバイオリンみたいな楽器に似ている。大きな声というわけではないのにユングが話すだけで空気が揺れて、肌がびりびりと震えている気がした。
「それはありがたいなあ! なあ! こんなに寒いの初めてだったから、俺の手足がもう凍りそう」
メルローがかなり嬉しそうに言った。振り向くと小刻みに足踏みしながら、手を擦っている。それもあってかとても楽しそうに見えてしまう。
「でもルーキを運ばないといけないわね。この崖かなり急だから大変そう」
ランレイは抱えたままのルーキに視線を落とした。
ただ、その言葉が言い終えるか言い終えないかの頃にゲンダツバの方から「その者は中に入れてはいけない」と声が上がった。
顔をもう一度ゲンダツバの方に捻ると、ユングと名乗った男の隣にいた銀髪の旗を持った若い男が険しい表情を浮かべて口を動かしているところがギリギリ見えた。
「は? 何言ってんの? なんでこの子を入れちゃいけないのよ」
「あなたもですよ。アシュラの民よ」
「なぜですか?」
自分で言葉を発したと認識する方が遅かった。気が付いたら声に出していた。緊張からなのか寒さからなのかわからないが、唇がぴりっと痛んだ。
「その者たちが抱えている運命だからです」
若いゲンダツバの男はまるでずっと決まっていたことになぜ腹を立てているのだろうとでも言うように淡々と言い放った。
「おかしいだろ!」
「運命とかは……わからないのですが、彼女たちも身を休ませないといけません。どうにかお願いいたします」
頭を深く下げる。営業時代の謝罪のときのように。メルローは倣って、頭を下げる。シャルはその横で小さく、「姫! いけません!」と口を開いた。
「顔をお上げください。あなたの願いとはいえ、これを受け入れることはできないのです。それが運命なのです」
若い男の代わりにユングの声がした。
「でも!」という私の声に被せるように「わかったよ。あたしはルーキとこの森の中にいる。街に入らなければいいんでしょ」とランレイの声がした。
驚いて顔を上げると、ランレイはこちらを見て笑っていた。
「そんな驚かないでよ。あたし、こういうの慣れっこだからさ。それにゲンダツバとアシュラが仲たがいしてるって話も知ってるからさ」
「仲たがいですか……?」
「そう……まあ、筋肉しかない馬鹿とは多くの街の人が合わないよ」
「でも……」
「いいから! 食事だけはもらってきてね。リュウ出るときに食料もらい損ねちゃったし」
「お前、今、食料のことなんて」
「何バカが一丁前にさ。安心しなよ、ルーキは私がちゃんと見ておくからさ」
ランレイはカラカラと笑っていた。気高く、強く彼女はそこにいた。
「賢明な判断だ。混血の迷い子よ。では、いきましょうぞ。フラッド」
その言葉を合図にフラッドという男が旗を掲げると、松明を持った男たちが先頭を闊歩していく。中盤でフラッドとユングが動き始め、その後を追うように私たちは残りの男たちに背中を押されて歩き始めた。
黒々とした森がざわめきだす。生き物のように、冷たい風に枝を揺らして葉を震わせる。ゲンダツバたちの姿で後ろのランレイたちが全く見えない。前の景色もほとんど変わらない。
狭い視界の中で、下に広がる木の根を避けながら、なだらかな登坂を進んでいく。結構歩いているのに、寒さからか汗もかかなければ、背中の寒気が取れない。
「結構遠いんだなあ。チョウヒみたいに背中に乗せてくれたらラクそうなのにな」
メルローは重苦しい雰囲気に嫌気が差したのか冗談交じりに口にした。
すると、目の前を歩くユングが顔だけ振り向かせ、恐ろしい顔を浮かべた。
「マゴラガの坊ちゃん。我々を家畜だとお思いか?」
あまりの迫力にメルローは私に何度も視線を送りながら、「いや……そういうわけじゃなくて、俺、冗談っていうか……」とたじろいだ。
「冗談でも面白くないことはあります。くれぐれもそういった無礼な発言はご容赦を」
冷たく言い放つと、機械人形のようにくるりと顔を戻した。
少しの間、メルローはユングから目が離せないようだったが、こちらを見ないことがわかると私の肩を叩いて「怖えな」と口パクした。
確かに彼らの放つ雰囲気は今までの街の人とは違っていた。アシュラでも危険は感じたけれど、こんなに嫌な圧力は感じなかった。
本当に彼らに大人しくついていっていいのだろうか?
本当に危険はないのだろうか?
そんな負の感情が私の頭を巡り続けた。
「そんなに難しい顔をすることはありません。姫よ」
空から言葉が降ってきたようだった。「え?」と聞き返しながら顔を上げると、重低音が歌うように続けた。振り向きもせずに。
「あなた方は欺き通せているとお思いかもしれませぬが、そんなに甘くはありません。噂は簡単に風に乗って回りますし、我々は運命を読むことができる。あなた方がご自分たちの身元を隠したところで、意味のない嘘にすぎません」
その言葉に一番戸惑い、早く口を開いたのはシャルだった。左横から短く息を吸う音が聞こえたと思ったら、震える声が言葉を紡いだ。
「そんな……それでは……城は……」
「案ずることはない。城の民たちには噂が巡りっていない。中にいるからこそ外からの情報は入り込みづらい。だから、内部紛争は防げているのです」
ユングの声よりも少し高い声がした。どうやら旗を持っている男が口を開いたらしい。それを聞いて、左から次はため息のような音が聞こえた。
確かに、この人たちの話が正しければまだ安心できる。ハイネさんもオルさんも無事でいられているってことだし。
ユングが空を見上げた。月夜に照らされた顔が陶酔しているように見えた。
「人の世は恐ろしく果てしない宇宙です。この空に広がる宇宙とはまた異なる宇宙が人の間には広がっているのです。その人の内にあるものと周りの人々と結びつけるものの2種類が。我々は、天に広がる宇宙と後者の宇宙を見ることができるのです」
フラッドがこちらを振り向く。
「空の星の声、植物たちの声は小さく微かです。反対に人々の声は五月蠅くて、多すぎる。だが、それらの全てが交わって運命が成り立つのです」
フラッドがこちらへにこりと笑顔を向けたが、それがカルト教団に入ってしまった知人の顔を思い出させた。
先ほど怒られたことが怖くてか、メルローは険しい顔を浮かべながら「わかんねー」とまた口パクした。すると、今度はそれすらもユングに拾われてしまった。
「マゴラガの跡取りよ、あなたもすでに実感していてもおかしくない。民の声が聞こえないふりをしていただけであろう?耳を背けていたにすぎまい」
メルローは目を零れんばかり見開くと、顔をさっと下げて俯いた。
木々のざわめきとゲンダツバの軽い足音、そして周りを包む冷たい風だけが私たちに残った。




