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私がわたしを描く世界   作者: 宇槻 叶
6章
60/70

(止められない運命の歯車)


 息苦しい。体が動かない――――――

 とりあえず、呼吸をしないと。

 あれ? 呼吸ってどうやっていたっけ?

 私は次に吸えばいいの? 吐けばいいの?

 何もわからなくなってしまった。目を開けないと。どうにかしないと。


 誰かが私の体を叩いている。体の右上の方が少し痛む。

 だんだんと強くなっていく。

起きるから。起きるから―――――


 呼吸が止まっていたのだろう、息を吸い込む音が可笑しいくらいに大きく聞こえた。呼吸の再開と同時に勢いよく目が開いた。強い光が目を突き刺して世界が真っ白に色づく。世界の線がじんわりとはっきりとしてくる。

虹だ。優しい青白い光を放つ月を抱き込むようにして、薄い青色の水面に大きな虹色の織物がすーっと流れているようだった。水面に溶け込むように、でもはっきりとその形を示している。月の光を反射させてきらきらと表面を輝かせながら、虹自体が世界を明るく照らしているように見える。

 その衝撃的な美しさに目を奪われた。他に何も考えられなかった。


「きれい」

 普段よりも少し掠れた自分の声がぽつりと漏れた。すると、しんとした世界に大きな笑い声が溢れた。


「第一声がそれかよ、サクラ」


「でも、確かにきれえだからなあ」


 その声にはっとして体を勢いよく起こした。ぐわんと頭が揺れて、目の前が白くなって後ろに再び倒れ込んだ。

 不思議と背中が痛くない。何か少し温かい。

 地面の代わりに弾力のある少しごつごつとした温かい何かに受け止められたようだった。


「急に動くとあぶねえぞ」


 先ほどの声の主のチョウヒとメルローが私の顔の真上に心配そうな顔をのぞかせる。

 どうやらチョウヒに抱きとめてもらったらしい。


 帰って来られたんだ……という安心感からふっと笑いが込み上げてきた。

 心配そうな顔をしていた2人は顔を見合わせて、目を大きく瞬きさせた後、噴き出す様に笑い始めた。

 

「よくぞ戻られました、姫君。鏡に魔物を封印されたおかげで、海が元の姿に戻った」

 

 これまた嬉しいほど懐かしい竜王の声だった。今聞くとこのゆったりとした声が何とも安心する。

 体を硬く固めていた緊張がどんどんほぐれて、余計に体に力が入らない。

「はい」と言いながら体を起こそうとしたが自分の力だけでは持ち上がりそうもなく、チョウヒに抱き起こしてもらって竜王に向き合った。


「新しく生まれる子たちの魂も清らかじゃ。それにあの魔物に阻まれていた魂も外に出られたからか大渋滞が起きておる」


 竜王が指を差す方角には先ほどの虹があった。改めてよく見てみると大きな虹ではなく、一つ一つの線を成しているのは小さな光の玉だった。前に見た時とは違う、綺麗な色を放っている。


「すべてあなた様のおかげです。誠にありがとう」


 竜王の周りにいた数十人の人々も追うように声を上げ、こちらに向かって頭を下げた。集まった声が大きく、びりびりと肌を振動させた。

 思わず驚いて一時停止してしまったが、ぶんぶんと頭を左右に振って自分を立て直す。声が動作のだいぶ後になってやっと出てきた。


「いえ!私一人では何も……本当に何もできませんでした。むしろ、私も魔物に飲み込まれてしまっただけだと思います。……やっぱり、メルローさんがいたから」


 視界の左端にいるメルローは照れたことを隠す様に再び笑って、鼻の横を右手の人差し指で掻いた。


「メルロー、おめえ、照れてんな」


「照れてねえよ! 本当に俺のおかげだからな」


「顔が赤くなってんぞ? 説得力ねえなあ」


「照れてねえったら」


 チョウヒとメルローの楽しそうなやり取りを聞きながら、頭上を再び見上げる。虹は姿を刻一刻と変えながら、各方角に分かれて飛びだとうとしている。でも、その下流からまた新たな光が生まれて世界を照らしている。

 きれいな風景に影響されるように、周りの声も音もすべて柔らかくなった。笑い声が響く。温かい場所に変わった。


「ちっ」

 そんな雰囲気を切り裂くように誰かの舌打ちが右耳の近くで聞こえた。驚いて振り返っても、そこには何もなかった。あるとすれば、まだ寝ているシャルだけだった。


 その晩から次の夜が明けるまで、リュウは赤、緑、青と色とりどりの装飾で鮮やかに彩られ、人々が宴を催した。リュウに住む数百人の老若男女が歌い踊り、飲んで食べて、笑い声が途絶えなかった。

 体を休ませてもらっていた竜王の御殿の周りにも人が集まって、楽しそうに騒いでいる。


「みんな、俺たちがいないとずっと寝たまんまだったんだからな! 感謝しろよ、感謝」


 リュウの人々によって救世主ともてはやされ続けたメルローがランレイとシャルに自分の偉業を言って聞かせる。


「ちっ。まだ言ってんの?」


「本当にうるさいやつだ」


 机を挟んでメルローの向かい側のソファーに腰かけた2人が機嫌悪そうにメルローへ冷たい視線を向ける。

そう、この話はすでに3回目だった。最初は仕方なさそうではありつつも、「ありがとう」と素直に言っていた2人だったが、さすがに3回目ともなると苛立ちが込み上げてきたようだ。

 たった数日ぶりの3人のやり取りを見て、より一層安心感が沸く。この世界が本物ではないことも分かっているし、過ごしてきた日々がそこまで経過したわけでもないのに、現実よりもこの日々が大切に思えてしまう。


「素直にありがとうって言えよなー。こんな時くらい」


「だから、さっき言ったでしょ……ていうかこっちは記憶もないってのに何度も何度も」


「まったくだ」


 そう……なんだ……。あれだけの辛い記憶を見せつけられていたのに記憶がないなんて。

……いや、むしろ喜ぶべきことなのかもしれない。あれが忘れられるなら、忘れていた方がいい。


 純粋なメルローは驚いてきょとんとした後、ランレイの記憶を思い出したのか険しい顔を浮かべた。少し顔色も悪くなったように見える。


「え? 記憶ないのか? あんな辛そうだった……」


 メルローが言いかけた言葉に被さるように勢いよく扉が開いた。チョウヒは今更大きい体を隠す様にそっと顔だけのぞかせ、部屋中をゆっくりと見回した後、にっこりと大きな笑顔を浮かべながら頷いた。


「おうおう、お前さんたち元気になってよかった、よかった」


「チョウヒ! この2人ってばひどいんだぞー」


「まあた、この2人にあの話しちょったんだろ」

「え!なんで?」


「この街中のリュウに話したくらい話していただろうが。もう言い飽きただろうとおもっちょったがお前さんは……」


「ほうら、見なさい。やっぱりあんたは馬鹿なのよ。みんな飽き飽きしてるじゃない。ねえ?ハイネ?」


自分を馬鹿にするランレイに反論しようと「はあ? お前、ハイ……」とメルローは言いかけて、自分の口を両手で勢いよく塞いだ。


「何……やってんの?」

 

ランレイは馬鹿にしたというよりも哀れみのこもった視線を向けた。メルローは口を一文字にぎゅっと閉じて、腕を胸の前で組みながらこちらに視線を向けた。


「秘密を守るんだ、俺は。うん」


「とうとう頭おかしくなった?」


「何言われても俺は言わねえぞ。約束したからな」


 机を横に避けて、ランレイとメルローがそれぞれ接近する。今すぐにでも互いの胸倉を掴めそうだ。さすがに手はどちらも出ていないが、こちらから見えるメルローだけでも相当すごい顔でランレイを睨みつけているのが分かる。


「まあまあ、2人ともその辺にしとけ」

 

向き合うランレイとメルローの間に大きな体のチョウヒが入り込ませる。小さな隙間にチョウヒが横から入ってきたせいで彼の分厚い筋肉にぶつかって、2人はそれぞれ後ろに尻もちをついた。

チョウヒは何で転んでいるんだ?と不思議そうな顔を浮かべながら足元の2人を見た後、何もなかったかのようにこちらを振り返る。


「大事な話があるんだわ」


「大事な話……ですか?」


「そうなんだ。竜王がおめえらを船でゲンダツバに連れてけってさ。竜王ももうすぐ……」


 どしん、どしん――――――

 大きな足音が地震のように床を伝ってくる。「竜王、頭を下げてください」というリュウビの冷静な声が聞こえたと思ったら、壁に衝撃が走った。小さく「いててて」という声が漏れ聞こえる。


 少し遅れて竜王の顔が部屋に長い首を伸ばして入ってきた。どうやら設計上、体までは入らなかったらしい。客間だったから入口まで竜王の体のサイズを計算していなかったようだ。

 しかし、竜王はそんなこと気にも留めないように話し出した。


「すまない。遅くなった。これからのことは聞いたかの?」


「へえ! さっき、船の話をしたばかりですだ」


「おお、そうか。では、早く旅の支度をした方がいいということも伝えたか?」


「いや、それはまだで」


「早く出るっていっても、ルーキが起きた後だろ?そんな急ぐ必要ないじゃん」


 メルローが不思議そうな顔をしながら、チョウヒの体の横からぴょこぴょこと顔を出して竜王に問いかける。


「その子は直接あの魔物が心に巣を張った。影響が特に強いのだろう。ただ、起きるのを待つことはならん」


「どうしてですか? お邪魔でなければ、もう少しこちらで休ませていただいてからでも……」


 思いがけない言葉に思わず私も言葉を挟んだ。竜王は目が隠れるほどの太い眉をゆっくりと持ち上げて目を見張った。あまり見えていなかった深い紫色の目がこちらを捉えている。部屋の空気が少し鋭くなったように感じる。


「邪魔なわけではない。ただ、ここに長居することはやめた方がよい」


「なぜ……」


「運命が決まっているからじゃ。しかも、今でも予定より少しここに長居しすぎておる」


「何を……ご存じなんですか?」


 竜王は目を閉じて顔を大きく左右に振り、再度こちらに向き直した。


「ここで真実を伝えれば、また世界が変わってしまう。……この意味が分かりますな?」


 竜王の威厳のある深い声――――どこか少し悲しげな声が大きな客間の中にこだました。全員の視線の先には私の右横のベッドで寝ているルーキの姿があった。胸を一定のリズムで上下に動かしながら、小さく吐息を立てている。

 今までそこまで気にしたことはなかったが、私たちの旅の行く末は何なのだろうか。

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