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私がわたしを描く世界   作者: 宇槻 叶
6章
50/70

(始まりの街)

 ひんやりとした革の布で額を撫でられたような感覚がした。眉間に皺を寄せて、目を開く。先ほどとは違い、スムーズに目が開いた。大きな何かによって視界がふさがれているのか、何かの隙間 から光が零れてくるくらいだった。

「んん?」という声とともにその何かは遠ざかっていった。遠ざかっていくとその何かは光を浴びて黒から藍色、鮮やかな紫色、緑色と様々な色へと移り変わる。何かが顔から50㎝ほど離れたところで、声の主の顔が見えた。何かは声の主の大きな手だった。指の隙間にある半透明の水かきのようなものから顔がうっすらと見えた。


「おや、お目覚めだったようだなあ、この世界の主よ」

 大きな手の主はワニのような顔をし、頭には角が生え、長いひげを蓄えた老人のような大きな人だった。マゴラガのリクターのように蛇でもないが、メルローのように人間に近いわけではない。あくまで動物が二足歩行をしているような姿をしている。


「どうかしたか? ああ、俺の姿に見とれていたか?」

 満足げに大きく頑丈そうな爪の生えた中指で鼻らしき箇所の下を拭った。


「それにしても、さすがにあんたは早かったなあ」

 その言葉でぼやけていた記憶が鮮明によみがえってきた。そうだ、さっきあの社のようなところで水を飲んで……慌てて、周囲を見渡す。隣にメルローやルーキたちが並んで寝かされている。青い柔らかい光に覆われている。


「安心しろい、まだみんな寝とる」


「あ、の……ここは……」

 喉が潤っているはずなのに、言葉が緊張で切れる。


「ここはあんたらが目指しとったリュウの街だ。みんなここに入るために飲んだ水の力でまだ寝とる」

 男はすくっと立ち上がると壺のようなものを後ろの戸棚から取り出して、水を入れて火にかけ始めた。


「どういう……?」

男は部屋に干してある草や木の実をすり鉢ですりつぶし、その壺の中に入れる。酸味のきいた匂いが湯気によって運ばれてくる。


「一種の夢を見ておる。あんたは間違えて一瞬向こうの世界まで戻っちまったがなあ」


「じゃあ、さっきのは夢じゃ……」

 断片的にしか思い出せないが、病室にいたのは現実だったのか。たしか最後は車の中でノートが燃え始めて、それでこっちの世界に来て……。


「それよか」という言葉とともに目の前に大きな湯呑のようなものが差し出された。さっきの壺から香っていたのと同じ香りがしている。オレンジのような匂いだった。


「体の方は平気か? まあ、これでも飲んで体を温めろ。 カルラ族みたいな単細胞じゃない限り、普通は記憶の混同で体調を崩すもんだ」


 湯呑を受け取る。温かさが湯呑を通してじんわりと掌に伝わってくる。温かさで緊張が解けたのか、何も感じていなかったはずの頭に痛みを感じ始めた。


「少し頭が痛いくらいで……」


「そうか。それくらいなら大丈夫だなあ。さすがは主だな」


「主……?」

 私の言葉に驚いたのかその男はビー玉のように丸い目をより丸く見開いた。


「そうだろうがよ。俺たちリュウはあんたのことをそう呼んどるぞ。ここが始まりの街っていうこともあると思うがなあ」


「始まりの街……」


「おお? 忘れてんのか? まあ、記憶が掘り起こされちまって頭が混乱してんだろうなあ」

 長く尖がった口の下が顎なのだろうか、顎の下に手をやり考えるように男は天を仰いだ。そして、少し間をおいて、「はっ!」と小さく息を飲むとぎょろりとこちらを見つめた。


「ってーと、俺のことも忘れちまってんのか?」


「私は……あなたとお会いしたことがあるのですか?」

 その私の言葉で彼は顎をのせていた右手で額を叩いた。


「くう……俺が抱き上げた子が俺のことを忘れちまってるってのは……ちいと悲しいもんだなあ」


「え?」


「この世界ではなあ、あの海から魂が生まれるんだ。魂はきれいな結晶のまま母親たちのお腹へと向かって飛んでいくんだ。ありゃあ、きれいだなあ」

 そうやって、部屋の左側にある大きな窓の方に視線を送った。それにつられるように私も顔を動かした。驚いてばかりで景色を見る余裕がなかったが、なぜこれが今まで目に入っていなかったのだろうと驚いた。

 地面は浅い海に覆われていて色とりどりの海藻がゆらゆらと揺れている。空を薄いガラスのような水色が覆っている。奥に行くにつれて海と空が重なって、最後には暗い藍色になっている。空からは白い光がゆらゆらと揺れながら、あちこちで光の雪が降るように落ちてきている。奥の藍色のところから光る何かが近づいてくる。


「あ、ほら」とその光る何かを男は指さした。だんだん近づいてくるにしたがって色と形がはっきりと見えてくる。深紅の光を放つビー玉のようだった。


「ありゃあ、アシュラの子だなあ。うん」


「きれい……」

 光の帯が連なるように空に向かって深紅の光が伸びていく。


「あんたもあの奥の海から流れ着いた。……まあ、あんたらの場合は生まれた姿でここに来なさる。それで見張りの俺があんたのことをひきあげたっちゅーわけだ」


 えへんと胸を張るようにして、胸の前で腕を組んだ。この人は信用しても問題なさそうだと思えた。もっと話を聞こうと口を開いた時、横で寝ていたメルローの声が漏れた。


「んー……ばあちゃん、俺……よくわかんない……」とはっきりと言ってから、ゆっくりと目を開いた。そして、まだ眠いのか少し瞼が開ききっていない目をこすりながら起き上がった。


「あれえ? ばあちゃんがいない……。夢にしてはリアルだったなあ……」

 ふわあと気が抜けた欠伸をする。その姿を見て、男は驚いた。


「おめえ、早えなあ。なかなかこんなに早く起きるやつはいねえぞ? 案外強い力を持っとるんだなあ」


「え? 何? 俺、もしかして褒められてる? やったー」とまるで反射のように答えた。が、そのあと、リュウの男と目が合って驚いて固まった。どうやら、本当に何も理解していなかったようだ。


「ん? おめえ、もしかしてマゴラガんとこの跡取りか。そうかあ、大きくなったなあ」

 声を掛けられるメルローだったが、彼の言葉が耳に入っていないらしい。


「メルローさんのことも……あなたは知っているのですか?」

 なんと呼べばいいのか迷い、言葉がつかえた。だが、そんなこと気にしていないのか普通に答えが返ってきた。


「ああ、俺はこの街じゃ若え方だからなあ。ここで守り人をして、なんかあったらお偉いさん方に伝えるのが仕事なんだ。つっても、俺だけじゃねえぞ?」


 その言葉に誘われるように奥から大きな足音が近づいてきた。

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