(脱出の時)
洞窟の中は暗く、ほとんど何も見えない道が続いている。かろうじて見えるジァンの足を追いながら、足元に意識を集中させて歩き続ける。まっすぐ続いていた道が2つに分かれたり、うねうねと曲がったりしていく。かなり長い洞窟のようだ。それなのに彼らは迷わずに歩の速度を変えないまま歩き続けた。
1時間ほど経った頃だろうか、どっと疲れが足を襲い始めた。足取りが重くなり、歩くスピードが落ち始めたとき、先頭を歩いていたタイランが止まった。止まったと思うと、ガサゴソと音を立て何かを探し始めた。音が静かになったと思ったら、何かが壁を削る音がし、壁にキラキラと火花のようなものが散った。すると、やわらかい光が辺りを包み込んだ。タイランの手には松明が握られていた。足元には松明が十数本落ちている。
「どうしてこんなものが……」と頭に浮かんだ言葉が漏れ出した。
「私たちが作った脱出する道だから」
静かな声だった。その声を発したのは、ランレイだった。ランレイは、洞窟にもたれかかったまま天井を見上げていた。
「ランレイさん! よかった!」
「アシュラから脱出するために作った道。もちろん普通に出ていくことができればいいけど、念のために用意していた道だったのよ。自由になりたくて作った道……まさか、本当につかうときがくるなんてね」
ランレイは視線を逸らすことなく話を続けた。
「こいつらが教えた道、覚えてるなんて……本当にちゃんと宝石を追ってきたのね……」
ランレイの見つめている方向をよく目を凝らすと、きらりと光る石が埋まっていた。
「この石を見逃さずに行けばあと数十分でこの国から出てリュウに向かう道へと抜けるわ」
「本当? よかった。もうクタクタだったんだあ……」
「なら、さっさとみんなで行こうぜ」
ルーキとメルローが喜びで元気を取り戻したようだった。その姿をランレイは横目で静かに見て、腕を組んでふっと笑った。
「馬鹿ねえ。あんた達だけで行くのよ。まだ、旅をしないといけないんでしょ? 私たちがいたら、すぐに追手にばれて、またこの状況に逆戻り」
「でも、それじゃ皆さんが」
「私が原因で起こしたことなんだから、私がけじめをつける。ジァンとタイランは別で逃げればいい」
ジァンとタイランはすべての言葉を理解していないようだったが、ランレイの表情を見て何かを察知したらしく、「ダメ! ラレ、ニゲロ」とはっきり言った。
「は? 馬鹿が何を言ってるの? 言葉のつもり? わけわかんないんだけど」
驚きが隠せない様子で、ランレイはジァンとタイランに向き合い、つっけんどんな態度をとったように見えた。そんなことを気にしないジァンとタイランは言葉を繰り返す。
「ラレ、マモル」
「ラレ、ニゲロ」
「やめてよ……」と呟くようにランレイは言う。松明の光を浴びて、潤んだ瞳がキラキラと光る。
「ラレ、マモル」
「ラレ、ニゲロ」
伝わっていないと思っているのか、2人はゆっくりと発音をし直す。
「やめてっていってんでしょ!」
ランレイの隣にいたタイランのお腹に向かって拳を突き上げ、弱弱しく殴った。後ろを向くランレイの肩が細かく揺れる。
「私はもう死にたいの。生きていたってなにも変わらない。頑張ったってなにも報われない。これが答えじゃない。死んで楽になりたい……。私なんか……放っておいてよ……」
「ラレ、スキ。ダカラ、マモル」不思議そうにタイランがランレイを見下ろす。
「だから、やめてって言ってんでしょ」
「ランレイさん」
呼びかけながら、近づく。彼女は、一向にこちらを見ることなく、「うるさい」と拒絶している。
「ランレイさん」
「うるさい」と鼻声交じりで彼女はまた拒絶をした。
近くで見れば見るほど華奢な体つきだった。そんな彼女を気づいたら後ろから抱きしめていた。
「な……」
「ランレイさん、確かに死んだらあなたは楽になるかもしれません。でも……あなたが死んだら、彼らが正義になってしまいます。死んだら何も否定できない。……私は、あなたたちを……あなたの両親のことを馬鹿にしたあの人たちが正義になるなんて……嫌です。悔しいです」
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「ねえ、安藤さん最近さ、萩原と仲いいよね」
「あ、たしかに。私もそう思ってた」
一緒のグループの2人が昼休みの教室で私の席を囲むように座って話しかけてきた。
「そう……かな?」
力なく答えるしかできない私を他所に、彼女たちは話を続ける。まるで面白いおもちゃを手に入れたかのように。嫌な笑顔が彼女たちの顔に浮かんでいる。
「でも、やめた方がいいよ? あいつ、良い噂聞かないし。前に先生のこと殴って、病院送りにしたって聞いたよ」
「え! 超怖いじゃん。あ、私も別の噂だけど、家が超貧乏だから万引き常習犯で何度も歩道さてるって」
「それは私も聞いたことある」
「でも……あくまで噂だし……」と愛想笑いを浮かべながら口にすることが唯一の抵抗だった。
それを聞くと、「あちゃー」とため息をつくように彼女たちは言った。
「本当に純粋だなあ、安藤さんは」
「絶対、安藤さんのことカモにしようとしてるんだよ」
「気を付けた方がいいよ、ほんと」
まるで自分たちが正義だというかのように彼女たちは、諭すように口にする。
「あははは……ありがとう」
それしか言えない自分に無性に腹が立った。
夕日が廊下を照らす頃、図書館の扉を開くと、夕日の光を浴びた優里が座っていた。
「なんかいつも以上に辛気臭い顔してんね。どうした?」
「優里のこと、悪く言われたのに……また何も言えなかった」
「ああ、昼休みの殴って病院送りとか万引きとかって噂のことか」と彼女はケラケラ笑った。
「確かに殴ったけど、あくまで先生がセクハラしてきたからだし、万引きの話も逆に万引きした奴を止めたから警察の事情聴取に付き合ってって言われただけなんだけどな。ほんと、噂ってすごいよね」
「そう……だよね……」と自己嫌悪しながら言葉を呟く。
「あ、さては一瞬、疑わなかったな?」
名探偵が事件を解くかのように優里は指差した。言葉にしていない思いを見破られ、驚いて「ごめ……」としか言えずにいると彼女はまた笑った。
「素直でよろしい。でも、気にすんな。家が貧乏なのは本当のことだし。肌の色も、目の色も日本人と違うしね。高校も行く余裕ないからこのまま就職だしねえ」
「え! そうなの? 優里頭いいのに……」
「まあ、高校って案外お金かかるからさあ……でも、私、勉強をあきらめたわけじゃないよ。高校行かなくても勉強は続けるし、働いたお金で高卒認定受けて、大学で追いついて見せる! だから今に見てろ!」
「うん」
つられて笑顔になる。
ザ――――
「誰か屋上から飛び降りたって!」
「先生呼べ!」
廊下を反響していく声。男女の声。悲鳴と言葉が薄暗い廊下で混ざり合う。
「うわ……あいつじゃん。普段の行いが悪いからこういうことになるんだよね……」
黒い水たまり――――――倒れている人――――――嫌な声―――――――
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頭がくらくらとふらついた。また、記憶のようなものが流れ込んだ。最後があいまいだったけど、心の奥底から苛立ちが込み上げていた。そして、自分でも不思議な言葉が口から出た。
「もう、同じ過ちを繰り返したくない。もう、あんな悔しい思いをしたくないんです」
ランレイは大きく肩を揺らし、背中を向けていた私の胸に飛び込むように振り返った。そして、まるで小さな子どものように声をあげて泣きだした。
「みんなで逃げられる道を考えましょう」
私の胸の中で泣きじゃくる彼女がこくりとゆっくり頷いた。周りの疲れ切った暗い雰囲気が、一気にオレンジ色に辺りを照らす陽だまりのような温かい雰囲気へと変わった。緊張の糸が途切れた、その時だった。
パシュッ――――――
短い風を切る音がしたすぐ後で、ジァンが背中を抑えてその場に倒れ込んだ。慌てて振り返ると、多くの足音とともにいくつもの黒い影たちが近づいてきているのが見えた。
「奴らだ! くそっ! 追いつかれる!」
「アエアエ」という声を合図にまた短い音が聞こえる。ジァンが立ち上がり、体でそれを受け止める。歯を食いしばり声を殺しているようで、口の隙間から血がたらりと顎を伝い落ちる。
「……やっぱりここが潮時。あんた達だけでも逃げて」とランレイが掌で目をふき取るようにしながら口にした。
「ここをまっすぐ行けば、出られる。もし迷ったら緑色の宝石を追って走って。……ハイネ。ありがとう。さっきの言葉、嬉しかった」
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「そっか。……仲良くしてくれて、ありがとう」
涙で潤む彼女の目が細くなると、そのきれいな目から涙が頬を伝った。後ろから聞こえる嫌な笑い声が耳に入らなくなるほど、そのきれいな顔から目をそらすことはできなかった。
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喉が詰まって、息ができなくなった気がした。目の奥が痛いくらいに熱くなって、鼻の奥がツンとする。目の前にいるランレイの顔が水面に映し出された絵のように歪んで波打ったように見える。言葉が何も出なかった。
「ラレ、ニゲロ」
誰よりも先に口を開いたのは、ジァンだった。打たれた背中をかばうことなく、まっすぐな瞳をランレイに向け、唸るように言った。タイランは、腰につけていたハンマーのような武器を手に取り、辺りに落ちていた彼の体ほどある金属の板を軽々と持ち上げ、ジァンの後ろに置いた。
「ノコル、オデダチダケ」
「だから、私も」とランレイが腰の刀を取ろうとすると、タイランが武器を彼女に向けた。動こうとする彼女の手が止まる。
「ラレ、ニゲル。ココ、ダメ」
「馬鹿言わないで。それにこんなもの私に向けないで」
「ラレ、スキ。ズットオデマモッタ。ツギ、オデダチバン」
「そんな身体じゃ、本当に死んじゃうよ……」とルーキが心配そうに2人の姿を見つめる。たしかに彼女の言うように彼らの体はいたるところから血が流れ、腕や足が腫れ上がり、見るからにボロボロだった。
「行きましょう、ランレイさん」と言いながら私は彼女の手を引いた。
「姫様!?」
驚きの声を上げたのはルーキだった。ランレイは目を丸くして手を見つめた後、私の顔を無言で見つめ返した。
「このままみんなでここにいたら、全員死にます。だから、私たちは逃げましょう」
「だから、あんた達だけでも逃げなって」
「ランレイさんも逃げるんです。あなたが、ここにいたら……彼らは必ず死ぬ」
「何を言って……」
「彼らはランレイさんが大好きなんです。ランレイさんのためなら簡単に命を投げ出すと思います。だからこそ、あなたがここで戦うと決めれば、彼らは絶対にここで戦う。あなたが彼らを殺すんです」
強すぎる言葉だと思いながらも口にしてしまった。でも、きっとそうだ。彼らの目はずっとランレイをまっすぐ見つめている。ランレイは口を開いたまま、何も言い返さずに俯いた。
「逃げましょう。2人を信じて。私たちがいなければ、彼らは逃げることができるかもしれません。人任せにする許せない結論かもしれないけれど、ここにただ残るより、みんなが生きる方法だと、私は思います」
足音がより大きくなる。彼らがもうすぐそこまで来ている。決断をしなければ本当にまずい。
「……った」とランレイの方から何か音がした。「え?」と聞き返すと、ランレイが私の目を見つめはっきりと口にした。その目は吸い寄せられるように輝いて見えた。
「わかった。逃げるわよ」
そして、剣を収めて、後方にいるジァンとタイランの方に近づいた。
「2人とも、私たちが逃げたら、絶対にあんた達も逃げるのよ」
そういうと、ジァン、タイランの順に右手で彼らの左胸に触れ「生きて……約束だから」と呟くように言った。
右手をぐっと握り拳を作ったランレイは洞窟の奥へと走り出した。ジァンとタイランは、左胸に左手をのせ、3秒ほど目を瞑った。目を開けた彼らは、彼女に背を向けて相手を立ち向かえる姿勢をとった。
ただ茫然とその場に立ち尽くす私たちに「グズグズしてたら、死ぬわよ」とランレイさんが数十メートル先から声を掛けた。慌てて私たちも走り出す。
「ジァン、タイラン、絶対生きろよ」とメルローは口にすると、シャルの後ろについて速度を上げた。
「絶対だよ」とルーキも口にする。
「ありがとうございます」と私も口にすると、タイランはさっさと行けというように左手を払う仕草をした。遅れること十数秒後、私もランレイの背を追って暗い洞窟の先へ駆け出した。
振り向かずに真っ暗な道を走り出した。前か後かもわからなくなりながら、目の前にいるルーキの背中だけを目に据えて、重い鉛のような足を壊れた歯車のようにただただ前に運んだ。まだ5分も進んでいないのに、すでに胸が苦しい。心臓から恐ろしい速さで血液が身体中へと送られている。後ろから聞こえる雄叫びや呻き声、響き合う金属音が私たちの胸をより締め付ける。ただ、誰も何も言わずに走り続ける。
急に眩しい光が目の前に入った。よく見ると、壁にある緑色の宝石に光が反射して私たちの目に光を届けたらしい。その光の方向へと進んでいく。声がもう後ろからは聞こえない。私たちは前だけを見るしかなかった。細い糸のような光の帯がだんだんと太くなっていき、私たちが走る道を作った。息を吐く喉から血のようなにおいがする。からからに乾いた喉がきゅうっと狭まっていく感覚がする。もう何も話すことはできそうもない。足の感覚がない。震えて、こけそうになる。視界がぼやけていく。辺りが輝きを増し、金色の世界と暖かい陽だまりが私の体を包み込んだ。天国にでもついたのだろうか……。いや違う、外に出たんだ。
安堵感で腰の力が抜け、がくっとその場に崩れ込んだ。振り向くルーキとシャルの心配そうな顔を最後に辺りが暗くなった。




