(マゴラガの長老リクター)
黒い魔女の言葉に世界の音が止まったように思えた。鼓動が速くなり、自分の中の音がどんどん強くなっていく。
キンナラの時のように誰かが困っているの?
危ない目に遭うの?
もう誰も傷つくのは見たくない……
強くそう思った。
シャルの腹が裂け、ヨハネが泣き叫び、キンナラ様が傷つきながら泣き、ナナミが過ちを詫びた。
キンナラにいた誰のせいでもない。全て、黒い魔女のせい。城の姫の部屋で見た、あの黒い人物が恐らく黒い魔女。あの声が、今もまだ耳から離れない。
ここにいる人たちに、同じことはしてほしくない。
どうにか回避しないと。一体ここの人たちが抱えている問題は何?
どこに黒い魔女の影響があるの?
思いと考えをぐるぐると頭の中で巡らせる。
悪い想像ばかりが頭に映し出される。
急に息が苦しくなった。息が吸えない。それに吐くのも難しい。
一体何が起きたのかと焦って、声を出そうとしても何もできず、意味をなさない音しか出せなかった。唇に冷たい滑らかなものが触れた。
「しっ。動くな。」
気づいた時には、メルローが私の背中側から左手でお腹辺りを抱き寄せ、右手で口を塞ぎ、低い声で私に命じていた。
状況が読めず、額から変な汗がじんわりと出てきた。
そんな私を他所にメルローは、一歩ずつ後ろに進み始めた。
「静かに。このまま長老の元へ行く。あと10歩下がったら、全速力で走れ。いいな。」
メルローは私の顔を覗き込みながら静かに伝え、また一歩とジリジリと下がる。マイヤーは、顔を地面から離し、50センチほどの高さでゆらゆら揺れながら、舌を前後に動かしている。蛇の行動は分からないが、何かに注意しているように見えた。
残り一歩……。
その時、爆発音がして、さっきまで立っていたあたりの地面が割れた。次の瞬間、空気抜けるような音がし、紫色の煙が吹き上がった。
「走れ……!」
一体何が起きているのか、それさえも聞かぬまま、無我夢中で目の前を走る、メルローを追った。
ぬかるんだ地面が足の自由を奪う。前に進むために蹴っても、後ろに引き戻されるようだった。
後ろからは、度々爆発音がしている。
だんだんと息を吐いているのか、吸っているのか、それさえも分からなくなり、肺が熱くなってくる。
手足も重くなり、意識も薄れ始めた。メルローがこっちに向かって何か言いながら、手を伸ばしている。
どれだけの距離を走ったのだろうか…
目の前が暗くなり、もうダメだ……
メルローに向かって、手を伸びしながら、倒れた。
ひんやりと弾むように柔らかいものが全身を覆った。
「よかったわ。迎えに来て。」
温かく、しゃがれた声が頭上で聞こえる。重い目蓋を押し上げ。徐々に焦点が合ってきた。目の前に真っ白く、滑らかな爬虫類の肌が見える。
「お加減はどうかしら? お姫様?」
声のした方に顔を向けると、そこには人ではなく、世界のニュースなどで見るような大きな白い蛇が優雅に佇んでいた。
大きな赤い目がメルローと同じように私の姿を捉えようと瞳孔を大小に動かしている。
「長老! よかった! きてくれたんだな。」
息を上げながら、メルローがこちらに近づいてきた。
「ハイネ、無事で何よりだ。」
彼は幼さを感じさせる笑顔を見せた。褐色の肌に鋭い犬歯のある白い歯が際立つ。
『な、大丈夫っていったろ。』
頭の中で誰かの声が再生された。メルローの笑顔に何か関係があるのかと不思議に思う。
先ほどまでのメルローとは、何故か雰囲気が大きく変わっているように思えた。重荷が全て払われた……そんな気さえもした。
「ちょっと、ちょっと。メルロー。ハイネって誰のこと?」
自分の体を支える大蛇が遮るように声を発する。
「え? 長老の目の前のキンナラがハイネだよ?」
きょとんとした顔でメルローは告げた。
「ふうん。そう。」
その声を聞いた長老は、また私に目を向けて、舌を前後に出した。目の奥に冷たさを感じた。
落ち着いてきた息がまた上がってきたような気がする。
「そうだ、メルロー。この子、とても体が起こさないようだし、疲れているから、何か飲み物取ってきてあげなさい。」
体を起こし、逃げる態勢を取ろうとしたが、思いがけない言葉が長老の口から投げかけられた。
「おう! 任せとけ!」
大蛇の奥からメルローが顔を覗かせた。
「ハイネ、もう安心だからな! 長老の元なら、絶対大丈夫だからな!」
元気のいい声を残し、彼は走り去った。
その姿が消えるまで見送ると、長老が再び口を開いた?
「さて……。一体どういうことかしら? お姫様?」
じっと見つめられている。全く動ける気がしない。走っていなくても恐らくそうだっただろう。
蛇に睨まれたカエルとは正しくこのことではないだろうか……。
「あら、やだ……。ちょっと怖すぎたかしら……?
ごめんなさいね、別に脅してる訳じゃないのよ?」
「え……?」
「うちのメルローに嘘ついてたみたいだから、なんか苛めないたくなっただけなのよー!」
大蛇に似合わない、ラフな口調……いや、おねえ口調に驚きが隠さず、言葉が出てこなかった。
「私はね、長老のリクター。よろしくね、サクラ姫。」




