のーと と へんか
今までとの違いが起きた。
あっちの世界で、起きていないことが勝手に書かれている。
こんなことは今までなかった。
あったとすれば、私が世界を書き足した場合だけ。
勝手に進むなんて…。
そんなに驚く程ではないと頭では分かっているものの、何故か分からないほどの不安が背中にのし掛かってきた。
「こんなの……この呪われたノートなら…起こる。うん、起こる」
自分に言い聞かせるようにノートを閉じて、本棚にしまった。
顎に不意に冷たい液体が触れた。
驚いて、シャツの袖で拭う。
それが目から溢れた涙ということに気がついた。
止めどなく、両目から溢れる涙の前に、両腕のシャツは無意味な布と化した。
何か悲しいことがあったわけではない。
むしろ怖いことだった。
不安を感じることがあったわけではない。
あったの世界を心配する義理はない。
頭と身体が、全く別人のように感じた。
この涙は、悲しいことがあったときに出るもの。
誰かを心配して流すもの。
無力感に負けないように出し切るもの。
怒りや恐怖から出す涙は、また別物。
もっと感情が涙の中に入り混じる。
言葉が一緒に出る。こんな静かな涙ではない。
『いい加減、諦めたらどう?』
またあの少女の声が聞こえた気がして、スマートフォンに目を向ける。
しかし、通話にはなっておらず、その後の声は続かなかった。
私の思い込み……。
心が崩れていくような感覚がした。
「私は、サクラ姫じゃない……。あったの世界で……八季の国で成功しても何の意味もない……」
自分の腕で自分を抱き抱えて、目を伏せる。
まるで現実から逃げるように。
『そう。わかったわ。』
まるで、そう言ったようにノートは本棚から動くことはなかった。
日が暮れていく。部屋が紫色とオレンジ色を混ぜた色に変わる。
台所の方から暗闇が迫って行く。
闇の世界がゆっくりと私の心を蝕んで行くようだった。
私はその場から動けずに、気がつくと夜は開けて、光が辺りを包んでいた。
その日から私は心を殺したように働いた。
契約が決まっても喜ぶことなく、上司から何を言われても悲しまず、まるでこの世界に生きていないようだった。
そんな風に過ごしていたとしても、自然と季節は移りゆく。生温かい風が吹き、夏の香りと音を運んでくる。
新緑が彩りをもたらしている。
車から見る景色がピンク色や黄色の花々から濃い緑色の葉が生い茂っている世界に変わった。
何気なく、ただ単にハンドルを両手で握って、信号待ちをしていた。
「あつっ」
右手に熱い何かを押し付けられたような気がした。
ただ、この車には私しか乗っていないし、車に差し込む光でそんなことが起こるとは到底思えない。
まだ熱が取れない。右手に視点を移した。
白い炎が轟々と右手を覆っていた。
「な、何これ……!」
驚き、助手席に置いていたジャケットを左手で掴み、火を叩く。
しかし、火は消えない。それどころか、火は自分の左手に移った。
「何これ、何これ……」
消えろ、消えろと念じながら叩く。
後ろからクラクションが鳴らされ、はっと周りの世界に目を向けた。
信号機は青に変わり、直進レーンに並ぶ私の後ろに5、6台の車が並んでいた。
慌てて、車を動かす。
ただ、ハンドルを持つ両手は轟々とまだ燃えている。
右の指先からキラキラと光る煙が舞い始めた。
ここで急に止まっても後ろから突っ込まれて死ぬ。
進み続けても燃えて死ぬ。
何を選んでも死ぬんじゃないだろうか……。
パニックになりながら、止まれそうな場所へと向かう。
200mほど進み、左手にスーパーが見えてきた。
左のウィンカーを出して、とりあえずスーパーに入った。
白い炎はどんどん身体に近付いてくる。
「やだ……やだ……」
『放置しているからよ。危険を伝えたあげたのに』
またあの少女の声がした。
『そのまま燃え続けたら、その右手みたいに燃えて、消えるわよ。』
その言葉で右手に目を向ける。
光の煙を上げながら、自分の右手の小指から薬指までが消えていた。
不思議と熱いだけで、痛みがない。
『ノートを見なさい。』
ノートが太ももの上にパッと落ちた。
すると、章が進んでいたのだった。




