じぶんのいばしょ と のーと
落ちたノートを恐る恐る拾い上げてみた。
どこかで見たことのあるような、黄緑色のcampasのノートだった。
古びた状態から推測するに、小さい頃に使っていたノートのようだ。
実家に帰った時に誤って、カバンに入ったのだろうか…。
はっきりと書いている名前の少し上に、何かが書いてある…。
だいぶ、薄くなっていて、読みづらい…。
「わ…し…い??」
読める部分だけ読んでみたが、よくわからなかった。とりあえず、教科の名前でないことは確かだった。
よく分からないことだらけで、知らぬ間にノートと睨めっこをしていた。
「おはよう、安原。そんなノート見つめてどうしたんだ? 彼氏との交換ノートか何かか?」
急に降ってきた声に、驚きが隠せず、変な声が出てしまった。
「おっふよう、ございまふ…。」
「驚かせてしまったみたいだな…すまんすまん。」
「大丈夫です。私こそすんません。驚きすぎて。」
咳払いをして声を整えてから、身体の向きを相手に正し、言葉を続けた。
「それに、彼氏との交換日記なわけないじゃないですか。私、彼氏いないので。」
真面目な声で、真面目な顔をして言い放ってから、自分で吹きだし、笑った。
先輩の上田さんも笑った。
「だよなあ。じゃあ、なんでそんな、しかめっ面してたんだ?」
「いや、私にもわかんないんですけど、知らぬ間に昔のノートが紛れ込んでいて…。」
上田さんに自分の手に持つノートを見せる。
身長の高い上田さんは、座る私の真上から見下ろすように、覗き込んだ。
「お前の名前書いてあるじゃん、貸してみ!」
一瞬のうちに、自分の手元からノートが抜き取られる。ノートは上田さんの手元に移っていた。
「ちょ、まっ、私もまだ見てないんですよ!」
思わず声を荒げて、奪い取りに立った。
立ち上がったはいいが、162cmの身長に加え5cmのヒールがあるのに、腕を伸ばしても一切意味がない。
子どもが大人と戦っているレベルだ。
「ちょ、本当に!上田さん!」
そんなことを焦った少し高い声でずっと口にしていた。ここだけ見れば、まるで学生と何ら変わりはない。
「うるさいぞ、朝から。安原!」
声の主は、私と上田さんの上司の、高田純也だった。白髪混じりの頭を気にしているのか、いじりながら入ってくる。
「ふん、今月の売上げがギリギリなのに、遊んでいるなんて、いい根性しているな。安原、どうするつもりなんだ?」
最悪だった。高田に聞かれることになるとは。
上田さんは、小さく「悪かった…」と呟いて、ノートを私の手元に戻した。
185cmもある体を縮こませながら、私の斜め右後ろの自分の席へと座った。
「朝からすいません。本日向かうお客様の先で、現在製品を検討中なので、そこをしっかり決めてきます。それでなんとか今月も、達成できるはずです。」
自分の席に向かう高田に謝罪と報告を行った。
しかし、高田は何かあったのかイラついていた。
「そんなこと言うくらいなら、新人でもできるんだよ! 何年働いてるんだよ!決めてくるまで粘ってこい! なあ、上田、そう思うだろ?」
縮こまっていた上田さんの肩がビクついた。私の方を見ずに、高田の方を見て、口を開いた。
「あ…そうですね、ちゃんと達成に持っていかないとですね。」
生気を失っている声だが、はっきりと言葉としては聞こえた。
「ほらな、安原。お前くらいだぞ、そんな甘えたヤツは。いなくてもいいんだ、代わりなんていくらでもいる。」
自分の中から吐き出しそうな全ての感情を、グッと飲み込む。
吐き出してしまうと、今までが全て水の泡だ。
上田さんだって、いつもは、高田がいなければいい先輩だ。
分からないことは教えてくれるし、理解してくれるし、仲間だと思えと言ってくれた。
ただ、毎回、毎回のこのやり取りでどれが本当なのか不安になる。それさえもストレスだった。
「申し訳ありません! 頑張って決めてきます。ご助言ありがとうございます。」
何もなかったように、笑顔を高田と上田さんに向ける。耳からは鈍いボーッというしか聞こえなくなった。朝から頭が痛い。
ノートをしまおうとした時だった。ノートの文字が少し読めた気がした。
『わたしのえがく…せかい…?』