死にたい
最後まで見て頂けると幸いです。
死にたい。
まだはっきりとそう言えるうちは良いけれど、この言葉すれ言えなくなってしまったら、俺は・・・・・
生きる意味ってなんだろうか?俺は全くわからない。そんなこと突き詰めていけば無限にあってしまう。よく子孫を増やす為、とか言ってる。でもじゃあ、なんで?なんで子孫を増やしたいんだ?俺はそこを聞いてるんだ。なのに本の中の人や、画面の中の人は肝心な部分を言わない。
「生きる」ということに意味を求めてはいけないのかもしれない。そもそも生きると死ぬってなんなんだろう??なんの違いなの?よく脳死がその間にあって生と死の議論が続いてるとかも聞く。大人たちでも、丸めて今生きてる人間でさえも、その区別はついてない。それは結局これといった基準がないんだ。きっと。だから、迷ってる。
そして人は死を怖がりもする。自分も勿論怖い。そして、今俺はそれだけがストッパーだ。死ぬのが怖くなくなったらきっと。だって生きたい、じゃなくて死にたくない、だから。
親に失礼だ、感謝しろとか言われる。でもさ、俺は別に産んで、って
頼んでないんだよ。
だって、おかしいと思わないか?父と母が勝手に産んだんだ。俺を。
誰しも等しく生きる権利はあっても、等しく死ねないんだなと思った。そんな権利は無いのだと。確かに、メリットはないよ誰にも。でもさ、逃げたいんだよ。
身勝手な親は俺の相談さえ嘲笑い、勝手に怒り。俺は、俺は親がいるけど。カタチだけだなって思う。俺は親と一緒にいて幸せと感じることができない。
でも、そんな親には感謝していることもある。親がそんな性格をしているお陰で、俺は心の中で多分二人を反面教師にしていたんだな。とても礼儀正しくなった。家にいるときも、常に精神を磨り減らし、親に気を遣っていたために、相手が思っているような、言葉の裏に隠した感情もほぼ全て汲み取れるようになった。親は毎日ピリピリしている。だから俺も毎日体調が悪い。成績も悪いが、家では勉強しづらいにきまっている。
凄く悲しい。しかも今の現状は親だけが悪いだけではない。自分もなにやってもできないし、必ず皆より一歩手前だ。自分は、何が取り柄なんだ?って、本当に笑える。
自分を支えてくれた人に感謝しろ。
それは無理な話だ。だって、別に俺が頼んでない。人の気持ちを踏みにじるのかと?違う。お節介なんだよ。迷惑なんだよ。俺が感じてるような気持ちがなかったら、お節介、ありがた迷惑とかなんて言葉は生まれない。
言葉は人を動かすものだ。だからこそ、それであるが故に、人の歴史の象徴である。言葉の変遷をたどれば、昔の人も俺と同じこと感じていたんだなとわかる。日本に「もったいない」があって、外国にないのと同じだ。方言も同じだ。地域や、歴史によって言葉の発達や変化は束縛を受ける。だからこそ、その地域の人や歴史、感情さえも見えてくる。
俺と同じような悩みを持った方などいたら是非。是非コメントや評価をしてほしい。ただ見るだけでも良い。この文を。今みたいな感情のときは、何かにすがり付きたいものだから。
俺は今まで「死ぬ」ということについて色々言ってきた。もしそれが不快であったのなら、謝罪する。
逆に自分が他人に「生きる」ということについて言うとなったなら。そう言えるようになったなら。
そうだな。
俺は社会には3つの人種があると思う。1つは陽の光に当たって輝いている人間。所謂、陽キャラってやつだ。
もう1つは生まれながらにして、陰にいて、輝けない人。所謂、陰キャラ。でも大抵は陰キャラが陽キャラを支えてるんだ。
そして最後の1人。それは
陽の光を浴びているのに、自分から陰に行く人、だ。本当は陰キャラも絶対に陽キャラになれる。目立てないひとも、目立てる。皆と同じことが出来なくても、違うことはできる。才能はあるんだ。
でも、例えそうじゃない、クズのような、ゴミのような、最底辺の陰キャラがいたとしても。
自分を誇りに思って良いと思う。
そんな奴らがいなきゃ、陽キャラは陽キャラじゃなくなるからだよ。苦がなければ楽も無いだろ?それと同じ。結局はさ、皆の存在が皆を支えあっているんだよ。きっと。
そう言えるようになりたい。胸を張って。
だからさ、多分生きることに意味なんか求めるんじゃなくてよく言われるように、生きることが意味なのかもな。
皆で支えあって生きていく。良いことじゃん。
俺もあいつもこいつらもそいつも皆。陰で誰かを支えてるんだよ。きっと。
きっと生き遂げた先には良いものが待ってる。そう信じよう
。だって、「死ぬのが怖い」んだもん。しょうがないよ。
これは、俺の遺書になっても過言じゃないと思う。でもまだ。まだそうしない。「生きる」の先に待ってるものを掴むまで。もうちょっと生きてみることにするよ。
死にたい?
ありがとうございました。どうでしたか?
今感じている気持ちを胸にしまっておいて頂けたなら、自分は本望です。死にたい時って、すがり付きたいんです。何かに。自分もそうですが、逆にそういう時は自分の心のを大切に。そして、自分の心にすがり付けば、なんとか1日を過ごせると思います。そんなことの積み重ねでもキツイときはキツイ。だったら休む。それで良い。生きているうちは、工夫をしないとね。うん。
ではまたの機械に。