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帝都の狩人  作者: キロール
三爪の獣
8/13

第8話 魔獣との死闘

 冬子の、年頃の娘の部屋が今は酷い有様となっていた。


 壁には散弾の跡が無数に残り、舞い散った羽毛が床に散乱している。散弾は窓硝子も割り、迫る嵐による強風が大堂路邸に吹き込んでくる。


 はためくカーテン、湿った強風、そして悪臭の源である悍ましい獣……魔獣が、魔物狩人デモンハンター一ノ瀬晃人(いちのせあきひと)とその助手アリシア・ウォンの前に立ち塞がっていた。


 先程、晃人が部屋に躍りこむ際に放ったコルトパイソンにより放たれた弾丸、その殆どを魔獣は異様な動きで避けた筈であった。避けながら、冬子を甚振れなかった怒りをぶつける相手が二人に増えた事を魔獣は、或いは使役者は濁った歓びを感じているようだった。


 しかし、それが大きな間違いであることにすぐに気が付くことになる。嘗て、老いた狩人による捨て身の一撃を食らい、逃げ出した時の事を思い出す羽目に、早くも陥いったのだ。


 濁った喜びは簡単に消し飛ぶ。屈辱と怒りがその内から湧き起り、術者による制御すら難しいものに変えていた。老狩人に付けられた傷は既に癒えていた。だが、長い年月の間、唯一傷を受けたと言う衝撃までは消せるものではないのだから。


 老いた狩人が付けた傷は、前脚と思しき個所と胴らしき部分を繋ぐ言わば付け根の部分、そこに存在する。網の目の様に葉脈染みた毒腺が皮膚に浮き出た、奇妙に躍動する肉腫の盛り上がりがその痕である。


 この聖なる力で再生を阻害するこの傷を癒すのに、魔獣の身体はまた変容する羽目になったのだ。おかげで機動性は大分損なわれてしまった。それでも、それ以降に魔獣を傷つける事が出来た者はいなかった。その筈であったのだ。


 ……だが、最早それは過去の話となる。晃人の放った聖別された.357マグナム弾は、青みがかった体液に塗れる右前脚の先、犠牲者の死体を愉悦の為に傷つけるその三本の爪を見事打ち抜き破壊しているのだから。


「はぁ……っ。晃人、遅いぞ……。」

「待たせたな。まだ戦えるか、アリシア。」

「誰に物を言っている? 俺は戦う、お前が死ぬまでは、俺は死んでも戦ってやる。」

「おいそれと死ぬな、馬鹿者。」


 アリシアの言葉をたしなめながら、晃人は刀の柄に手を添える。アリシアは援護の為に、左右の手中にある自動拳銃を水平に並べて構える。対する悍ましき魔獣は、自身の負傷具合を推し量った。そして、再び手傷を負った過去の記憶と、今の記憶が怒りとなり、口と思しき個所を大きく広げて吼えた。


 廊下から差し込む電灯に照らされた奇怪な獣は、獣と称することが難しいほどに異様な姿をしていた。蛇めいて長細い胴に腐肉を思わせる皮膚、胴に似合わず太い四足、前脚の表面に浮かぶのは葉脈めいた毒腺。それは三爪へと繋がり、絶えず青みがかった毒液をまき散らしている。胴体とは不釣り合いに大きな顔と思しき部分には、目、耳は無く、亀裂のように割れた口からは、長細く針めいた先端を持つうねる様な舌がだらりと垂れさがっている。吐き出す息は腐臭の如く汚らわしい悪臭を放っている。何とも忌まわしい姿をさらす魔獣は、悪夢の産物そのものである。


 怒りに吼えた猟犬が、人の視認速度を超えんと異様な動きを繰り返し、晃人に迫った。右から来るかと思えば左に、左かと思えば上からと、まるで規則性のない動きで迫る魔獣。その動きを目で追いきることは不可能!


 そこで晃人は目を瞑り、小さく息を吐き出してサー・ロジャー・ラムレイが嘗て己に叩き込んだ狩人としての矜持を思い出す。途端、四肢に自ずと力が篭もった。その刹那である。


 迫る気配、命を刈り取る恐るべき死神の鎌の如き何かが迫る、そう感じた己の感性をただ信じて、晃人は半歩下がる。下がるのみならず、迫る気配を両断するべく、幾百と繰り返してきた鍛錬時の様に、軽やかに、吹きすさぶ風よりも尚早く、刀を逆袈裟に振り上げた。正に一閃!


 飛び散る火花が示すのは、猟犬を仕留められなかった証であり、猟犬の動きに対応できた証だ。先程まで晃人が居た空間を、猟犬の爪が切り裂き、刀と交差したからだ。


 この段になり、初めて使役者である魔術師は、相手が若さに似合わず尋常ではない使い手であると悟る。ならば、長居は無用。そう言わんばかりに、しゅるりと虚空で螺旋を描くように魔獣は狩人から距離をあけて、規則性のない軌道でアリシアや晃人の視線を撹乱しながら四隅の角へと逃げ込んだ。


 標的は既に殺し、後は彼等の戯れに過ぎない、これ以上の危険を冒す必要は無かった。……だが、目論見は脆くも崩れ去る。隅に逃げ込むと言う行いは、虚しい徒労に終わったのだから。ある程度の角度さえあれば、何処からでも時空を渡れた魔獣は、今は逃げ出すこと叶わず、未だに冬子の部屋の片隅に居続けている。


 角度から角度に渡り歩く異時空の存在も、それを使役する魔術師も何が起きたか一瞬把握できなかった。数多の犠牲者を出して捕らえ、飼い慣らした『ティンダロスの猟犬』が、例えこの時空に染まり変容していたとしても、角度に飛び込めないとは如何なる事か!


 その混乱は一瞬の物でしかなかったが、アリシアは動きを止めた化け物に対して、問答無用に銃弾を撃ち込んでいた。双方の手にあるFN社のFive-seveNが同時に火を噴く。双方五回の、つまり十発の弾が部屋の片隅でまごついていた魔獣に放たれた。


 一瞬の隙を突かれた猟犬は少なくとも三発は被弾したはずだが、トカレフ並みの貫通力を保持する名銃Five-seveNの放つ弾丸であっても、その皮膚を貫通する事は叶わなかった。


 腐肉のような皮膚は、まるで分厚いゴム材の様に異様な弾力を示し、また爛れた様な皮膚の弛みが弾丸を絡めとり受け止めるのだ。何という奇怪な生物か!


 魔獣はそれで我を取り戻したか、何とも形容しがたい唸り声をあげて、敵意を改めて示した。それに対抗する様にアリシアは小さく毒づく。


 そして、再び引き金を引き絞ろうとするアリシア目掛けて、奇怪な軌道で襲い掛かる! アリシアが引き金を引いた時には、銃口の先に猟犬は居ない。冬子の部屋の壁に刻まれた弾痕だけが虚しく、アリシアの視界に映る。


 アリシアが目を見開く間もなく、豪と唸りを上げる強風よりも早く、猛り狂った魔獣が針の如き舌でアリシアの身体を貫こうとする。風より尚早き電光石火に一撃だ!


 アリシアの絶体絶命の危機を救ったのは晃人だった。唸る風も魔獣の舌も断ち切らんとする鋭い斬撃が晃人より放たれ、アリシアを貫かんとした舌先を阻む。刀の切っ先が細い舌を切り裂く事は無かったが、それでも衝撃で舌は叩きつけられぐにゃりと歪む。


 晃人の目論見通り、アリシアは傷つくことは無かった。そして、そのアリシアは、舌が迫る最中も晃人を信じてか、銃口を猟犬の頭に向けていたのだ! 白い指先が、罵倒の間も惜しみ躊躇なく、引き金を引く。室内に響く銃声、輝くマズルフラッシュ。


 先ほどよりも尚至近距離での銃撃、聖別された5.7x28mm弾、FN社のSS190が魔獣に放たれた。その爛れた様な皮膚を貫く事はやはり出来なかったが、その一撃は完全に弾かれも、受け止められたわけでもない。


 回転する弾丸が猟犬の皮膚を削り、頭部と思しき場所を斜めに走り抜けた。大抵の生物であれば致命傷。だが、猟犬は頭を削られたところで、痛みを訴える事すら無く、また二人から飛び退り唸り声をあげる。


 この地球上の生命体であるならば、傷口から血液なり体液が流れ落ちた事だろう。だが、猟犬の身体は如何に変容していても、異空間の存在。地球上の生命体とは一線を画していた。毒腺無き場所は、いくら傷付いても体液すら流れない様だ。そして、生命活動には何ら影響はないらしく、再び口を大きく広げて狩人を威嚇する。


 再び割れた窓から強い風が吹きこみカーテンを激しく揺らす。外套をも揺らす強風に吹かれながら、晃人は刀の柄を強く握りしめた。革手袋に覆われた指先が、微かにギリギリと軋む様に唸ったが風にかき消される。


 この刀ではあの細い舌すら断てなかった事に、晃人は少なからず衝撃を受けていた。己の腕が悪いのか、刀自体が力不足かは今の攻防ではわからない。ただ、今まで魔獣は、或いは使役者は此方を舐めて掛かって居た。


 その間隙かんげきを突けず、この様に相対する羽目になれば、不利は身体能力の劣る狩人の方なのだ。旧き神より教えられ、数学者が普遍化した狩場の形成法も、狩人が死ねば打ち消される言わば簡易の結界。何かしら狩人に有利な状況を導き出すものではない。だからこそ、名の知れた怪物と戦う際は、用意周到に準備して、怪物の不意を衝き、迅速に打倒さねばならないのだ。


 その教えを守っても尚、届かぬ魔物は居る。魔物狩人デモンハンターが少ないのは、能力もさることながら、あらゆる魔物を狩ろうとする強固な意志が必要だからだ。決して、人の身では届かぬであろう魔神デモンすら狩ろうとする常軌を逸した意思が。


 だが、如何に意思が強固でも届かぬ事は数多ある。……今宵、生還足り得ぬかもしれぬ。そう覚悟を決めた晃人は、懐にある己の切り札の重みをずっしりと感じていた。

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