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帝都の狩人  作者: キロール
三爪の獣
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第7話 迫る魔獣

 ヒタ、ヒタと足音を立てて虚空の闇を歩むそれは、狩猟の喜びに打ち震えていた。何万年、何十万年と昔、この時空におびき寄せられ、今は地上に存在しないであろう金属の球体の中に閉じ込められた恐るべき太古の存在は、長い年月の間封じられていた。


 恐るべき魔術師に捕らえられ、多くの死を振り撒いた魔獣は、しかし主が変わった事によりその運命を変えた。新たな主は、魔獣を捕らえた魔術師ほどにはそれを上手く扱えなかった。結果、魔獣は狩るべき錬金術師が研究していた溶剤をかぶり、その力を一時失う。そして、長きに渡る封印を施されてしまった。


 だが、時代は下りその封印も破られた。破ったのは浅ましい人間の性だ。力を欲する魔術師が幾世代にもわたり、伝説と化した魔獣を封じた球体金属を探し続けて、遂には見つけてしまった。


 だが、生憎と猟犬は変容していた。長きに渡る時間、この時空に留まり続けてしまった時間と言う概念すらない古都ティンダロスを根城にしていた魔獣は、その不死性が失われていたのだ。


 殺せない刺客だからこそ価値があったのだが、だからと言って出した犠牲を考えるのならば相応の働きをさせねばならない。そう考えた魔術師達は、球体金属を見つけ出した時と同じような妄執とでも呼ぶべき執念で魔獣を飼い慣らす事に成功し、最後には暗殺道具の一つとして使役するようになった。それが今から四百年前の事だ。


 高度な精神集中を要する暗殺道具である為、時代時代に必ず使い手が現れた訳では無かった。だが、今の世には使い手が存在する。サディスティックな我欲を満たさんと欲する猟犬使役術の使い手が。


 今や猟犬の意識と使い手の意識は互いに共有されているのだ。変容したとはいえ、飢えと捕食の本能しかなかった魔獣が、今やうら若き娘を嬲り殺す事に喜悦を覚える紛う事無き化け物として存在しているのだ。


 その存在が、冬子にゆっくりと近づいていく。放つ悪意に冬子は気付いているのか、布団をかぶったままもぞもぞと動いている。布団が微かに動くたびに、漏れ出すのは冬子の恐怖に塗れた臭い……。


 不意に猟犬は歩みを止めた。まるでおかしな事が起きていると言わんばかりに頭と思しき場所を軽く傾けた。途端、布団が奇妙な形に持ち上がりズドンと言う凄まじい銃声と共に、猟犬が居る空間目掛けて、獣狩り用の十数個の散弾が布団を引き裂き飛来した。


 無論、聖別は済んでいる。猟犬は咄嗟に飛び跳ね、迫る散弾を全て躱した。だが、攻撃がそれで終わったわけではない。ハンドグリップを前後に素早く往復させる音が響き、ズタズタになった布団から突き出た細長い銃口が猟犬の方へと正確に向いたかと思えば、再び火を噴いた。


 銃口付近で煌めく輝きが一瞬、室内の様子を露にした。夏だと言うのに、肌掛布団ではない羽毛布団は何を遮断したかったのか。そして、暗闇の中に灯ったマズルフラッシュは、散弾に引き裂かれ衝撃で吹き飛んだ羽毛がゆっくりと舞い降りるなか、散弾銃を撃った存在をも浮かび上がらせていた。


 冬子であろうか? 否だ、撃った者は女であるが髪の色が違う。そう、金色こんじきの髪を背後で一つに纏め、冬子の寝間着を纏って居るのは、我らが一ノ瀬探偵事務所の助手アリシア・ウォンである。


 アリシアは手早い動作で再びハンドグリップを前後させ、弾薬を排出して次弾を薬室に送り込む。そして、三度散弾銃は火を噴いた。


 ここに至れば猟犬も気が付いた。火薬の臭い、冬子の臭いに混じり、まったく別の存在の臭いが其処にある事を。


 猟犬は喜悦を吹き飛ばされ、期待を粉々にされ怒り狂った。それは猟犬を操る魔術師も同じ思いだ。彼らは既に意識を共有している。どちらの怒りであるのか、他者からは判別はつかないが、彼らは思うのだ。冬子の代りに無謀にも戦いを挑んできたこの女を、ズタズタに引き裂かねば気が済まぬと。


 その怒りが失念させた。嘗て猟犬に手傷を負わせた狩人と戦った際の事を。あの時は、狩人自身が娘に成り代わっていた。故に手傷を負ったのだが、故に逃れる事が出来た事を。


 彼らは失念していた。狩人は、狩場を形成すればどちらかが死ぬまで逃れる術はない事を。それは、ベテルギウスの旧き神が矮小な人間に星の戦士を通して授けたささやかな秘術。


 以前は限られた魔術師のみが行使可能であったが、天才数学者レオンハルト・オイラーが秘術の解明に成功し、瑞西スイス狩人協会の為に再定義したとされている秘術だ。再定義前も再定義後もその効力に違いはなく、精神力の確かな狩人であれば、秘術を行使可能となった。


 これに逃れる事が可能な存在は、外宇宙の神、或いはその直属の落とし子くらいなものだ。如何に時間の概念すらない太古の時空都市ティンダロスより飛来せし魔獣と言えども、逃れる術は無いのだ。


 銃声が鳴り響くや、魔物の血で汚れて異様な臭いが染みついた外套を着せ、臭いを誤魔化していた冬子や、使用人たちに地下室に籠るように指示を出した晃人は、次に秘術の完成を、事前に行っていた準備の最後の一押しを行うべく行動を開始した。


 二発目が鳴り響く中、実は各部屋で眠らずに待機していた使用人たちと冬子は急ぎ手筈通り地下室へと向かう。三発、四発と銃声が響き渡る中、漸く避難が完了した事を確認した晃人は、最後の呪句を唱えた。


くして、ここは我がの狩場。逃れる獲物はここに無し。」


 呪句と共にエルダーサインと呼ばれる五芒星にも似た印を虚空に描けば完成である。五芒星にも似た印を描き終わた途端に空気が変容する。されどそれをじっくりと吟味している暇は晃人にはない。何故なら、既に五発目の銃声が響いていたからだ。残りは一発。急ぎ階上へ駆けあがりコルトパイソンをホルダーから抜き、六発目の、最後の発砲音を聞きながら、晃人は全く臆する事無く冬子の部屋の扉を蹴り破った。


 廊下の明かりに照らされた室内で、今、正に汚らしい獣とも呼べぬ悍ましい存在が、針のように長い舌を、アリシアの白い首筋に突き立てようとしていた。途端、晃人はコルトパイソンの数発の銃声が矢継ぎ早に鳴り響く。不意を突かれた魔獣は、しかし、異様な動きで室内を俊敏に動きそれらを全て避けた……筈であった。


「さあ、狩りの時間だ。」


 アリシアが急ぎベッドから降り、晃人の脇に立てば次の武器を構える。その最中さなかに晃人は悍ましき存在を見据えて、怯えすらまるで見せず毅然と言い放った。


 魔獣は、右足の爪を打ち砕かれた事に気付き、思い出した。ごく最近、或いは遠い過去に撃退された記憶を。その際の怒りも思い出したか、口らしき部分を開き、針の如き舌を振り回し異様な声で咆哮する。ここに恐るべき魔獣と若き狩人の戦いの火蓋が切って落とされたのだ。

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