第5話 狩りの準備
魔物狩人一ノ瀬晃人と助手のアリシア・ウォンは大堂路邸を一旦辞していた。多くの火器や武器を、正式に依頼を受ける前から持ち込むことは許されていないからだ。
これは武力を背景として、不平等な依頼を狩人が持ち込まないための瑞西狩人協会の方針である。
今回使うべき武器の調達については、ほぼ終わっている。七月十日に電話を受けてから、大堂路邸に赴くまでの二日の猶予を晃人とアリシアは無駄にはしていなかったのだ。
晃人は瑞西狩人協会に国際電話を掛けて、猟犬の被害者と思しき例が無いかを照会した際に、猟犬を使役しているであろう魔術師の噂や、撃退例がないかと言う具体的な事柄も問い合わせていた。
魔術師については皆目わからなかったが、撃退例は一つだけあった。今から六年前、西暦二〇二二年に、英国で惨殺された実業家が居たが、彼の娘が襲われた際に、その場にいた狩人が襲い掛かってきた魔物を撃退したと言うのだ。
その名を聞けば、晃人は思わず天を仰ぐ。サー・ロジャー・ラムレイ、老練の狩人で、その腕は瑞西狩人協会でも十指に入ると言われている人物であり、魔物狩人としての晃人の師匠筋の一人であったのだ。
晃人は久方ぶりにロジャーにメールを送った。サー・ロジャー・ラムレイの性格は偏屈で連絡手段は電子メール以外は持たない事でも有名だからだ。電話等とは違い返答に時間を要する手段であれば、この緊急時に使うのには適さない。
ただ、それしか方法が無いのであれば仕方ないのだ。日本に恐るべき魔獣が現れた、撃退時の詳細な記録が欲しい、そう記してメールを送る。いつ返事が来るのか、期日までには間に合うのか晃人には不安があった。
しかし、事態を重く見てか、ロジャーは早々に返信をくれた。そこに記されていたのは、彼が当時使っていた狩人用の武装と彼から徹底的に叩き込まれた狩人の矜持、そしてある一言が書かれているのみだった。その返信メールを目にすれば、相変わらず厳しい老人だと苦笑いを浮かべて、晃人は自身の武装との比較を始めた。
ロジャーの武装と比べて晃人の武装は如何であろうか? 銃に関しては愛用のコルトパイソンで問題ないだろう。聖別された.357マグナム弾は1ダース程しかないのでアリシアに取り寄せを頼む事にした。
ロジャーの銃はエンフィールド・リボルバー。辛うじて、RSAF……帝国式に訳せば王立小火器工廠で生産が続くこの銃をロジャーが用いているのは、彼が頑迷な英国人だからに他ならない。
他国の人間には、より安定性や性能の高い銃を使うのに抵抗はないのだ。同じ.357マグナム弾を用いるのであれば、コルトパイソンの方が寧ろ射撃性能は高い。
問題があるとすれば、近接戦の武器である。ロジャーの近接武器は、英国の狩人が好む仕込み杖である。仕込まれているのは、一般的には聖別された刀剣の類だが、長年狩人として研鑽を積み、サーの称号を得る程の男の武器は、やはり他の一般的な狩人とは違った。
聖ゲオルギウスが竜殺しに用いた槍の穂先、それを細い剣に加工し直した物、つまりは耶蘇教の聖遺物の一つである。
晃人には、流石にそれに匹敵するような近接武器は無い。聖別を受けた刀剣は所持しているが、異空間の魔獣が相手ともなれば、それでは心許ないのだ。ロジャーが銃ではなく、近接武器で猟犬に手傷を負わせたのならば……そして、それしか有効打が無いのならば晃人はかなり不利な状況になると言えた。
聖遺物とは、多くの人々の思いが、何百年と言う時の重みで凝り鍛えられた宗教的価値の高い物。それは魔物に対する武器にもなるのだ。それこそ、彼の有名なロンギヌスの槍やロンバルディアの王冠でもあればと思わぬでもないが、在ったとしてもそれらを武器に仕立て直す時間はない。そうなると既存の聖なる武器を探すしかないのだ。
或いは、凄まじく呪われた武器を。祝いも、呪いも、人の想念が生み出すものだからだ。
アリシアは晃人から足らない物を知らされるとすぐに行動を開始した。揃えられる物を彼女の《《家業の下部組織》》に調達させるために、まずは実家に国際電話を掛けた。
これで香港にある聖ヨハネ主教座堂で聖別された.357マグナムのホローポイント弾10ダースが翌日には届けられるだろう。問題は近接武器だ。彼女は伝手を頼り、何か無いかと裏社会に探りを入れた。
だが、結局、有力な情報を何一つ得る事は出来なかったのだ。後は、家業の仲間達だけが頼りにだったが、この件に関しては二日の時間は無為に過ぎてしまった。アリシアが今回、手に入れられたのは10ダースの聖別された弾丸と雑多な火器のみである。
晃人に何と顔向けできようか、唇を引き締めて状況報告をするアリシアに、晃人は静かに頷いてその働きに礼を述べるのだ。アリシアにはそれが何より堪えた。そして、せめて晃人の盾となり、決して晃人より後に死ぬまいと胸中で誓ったのだ。そう、彼等は既に決死の覚悟で大堂路邸に赴いていたのである。