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帝都の狩人  作者: キロール
三爪の獣
3/13

第3話 若き狩人

 帝都の住宅地を少し離れた下町に、その事務所はあった。一ノ瀬探偵事務所。そう白地に黒で書かれた看板は、一ノ瀬ビルヂングの看板の脇に申し訳程度に設置されていた。黒いダイヤル式の電話の受話器を置いた金色の髪の女は、所長と呼ばわりながら屋上へと昇る。1階、2階はどこぞの輸入業者の倉庫として貸している為、三階建てのビルヂングでも、三階部分と屋上だけが一ノ瀬探偵事務所のテリトリーであった。


 ガチャリと屋上へ至るドアのノブを回して開けると、ステンレス製の円形の筒の前で若い男が屈みこんで、内部を見ていた。漂う匂いは香ばしい匂い。如何やら、事務所の主は真昼間から薫製を仕込んでいたようだ。


「所長。……所長?……晃人あきひと!」


 呼べど返事を返さない雇い主に痺れを切らしたようにその名を呼ばわるのは、一ノ瀬探偵事務所の麗しき助手、アリシア・ウォン。アリシアが己の名を呼ばわるのに漸く気付き振り返る男こそ、一ノ瀬晃人(いちのせあきひと)。我らが魔物狩人デモンハンターである。


「何だい、アリシア。君は寝てたから、薫製はやらんぞ?」

「仕事っす、仕事! 大堂路邸の事件、うちで調べる事になりましたよ。」


 出来上がったばかりの薫製したチーズを片手に、へぇと呟いた晃人は一口チーズを食べて。


「詳しく聞こうか?」


 そうアリシアに声を掛けるのであった。



 そして七月十二日、その日の朝に大堂路邸に一本の電話が入る。一ノ瀬と名乗る若い男は挨拶もそこそこに、本日の午前十時にお伺いしますと用件のみを伝えてきた。冬子が頼んだ探偵と言う事だが、清太郎せいたろう香代子かよこも胡散臭い物を感じていた。何と言っても大堂路家は格式の在る家柄、その当主があのような無残な姿で亡くなったのだ。報道の自由を叫び、無遠慮に大堂路家を嗅ぎまわる記者の類にはうんざりしていた。もしかしたら、その探偵とやらもそんな者の類かも知れない。


 そもそも、現実には探偵小説の様に事件を解決に奔走する探偵ばかりではない。ゆすりやたかりを臆面もなく行うような無頼の輩もいる。心配すべき事は幾らでもあるが、それでも清太郎も香代子も冬子の行いを咎めはしなかった。彼女が自発的に動いた結果である、使用人である彼らは従うまでだ。最も、その探偵が大堂路の不利益になりそうであれば、全力を挙げてその行いを阻止する心積もりでいた。


 今一人の使用人、年若い美津子みつこは療養中である。若い娘には修司の死に様はあまりに衝撃的であったのだ。あの日以来、気分優れない美津子を実家に戻らせていた。冬子の母、美静みすずは修司の死に大変な衝撃を受けており、療養先の病院で意気消沈していると言う。修司の死は、大堂路家に大きな影を落としていた。冬子は家の中の空気が淀み凝るような心地でここ数日を過ごしていた。彼女にとって、現れる探偵兼狩人は、一縷いちるの微かな希望なのだ。


 冬子が藁をも掴む思いで依頼したのには、あの日の出来事だけが原因ではない。……あの日以降も感じているのだ、あの生々しい不可視の悪意を。あの日以来、夜の闇が広がると彼女は視線を感じていた。父の葬儀の手筈を整えている時も、葬送に参列した客に挨拶している時も、そして寝室のベッドで眠っている間にも。闇が見えぬようにカーテンを閉めて眠っているのにも関わらず、視線を日に日に強く感じる様になっていたのだ。そして、あの心臓を鷲掴みにされるような底冷えした悪意も。


 昼の冬子は、気丈にもいつもと変わらぬ振る舞いを見せている。だが、夜は別だ。夜となれば、原初から人間が持っている夜闇に対する恐怖が彼女の胸中に湧き起り、荒れ狂うのだ。窓のカーテンと言うカーテンを閉め切り、家中の明かりを全て灯した所で闇は消えない。童女の様に毛布を頭から被って震えていようとも、酒の力で眠ってしまおうとグラスを傾けていても、それは彼女を執拗に見つめ続け、悪意を叩きつけている。その様な状況でなければ、冬子が交流の少ない先輩を頼ったりはしなかった。そして、使用人たちが探偵の存在を認めたのも、この状況下だからこそなのだ。



 午前十時。約束の時間となった事を示すように、食堂の時計が鐘を鳴らす。ボーン、ボーンと古ぼけた、それでいて重々しい鐘の音が鳴り響く中、門扉に添えつけられているインターホンが鳴り響いた。清太郎がモニターをのぞき込みその姿を確認すると、年若い男女が映っていた。


「一ノ瀬探偵事務所の所長、一ノ瀬と申します。本日は大堂路冬子様からのご依頼でお伺いさせて頂いたのですが。」


 白いシャツに茶色のベスト、それにベージュのスラックスと言ったシンプルな装いの青年がインターホンに語り掛けた。清太郎はじっと男をモニター越しに見つめた。服装は清潔感があり悪くない。通った鼻筋や切れ長の双眸は整った顔立ちと評しても良いだろう。僅かに緊張している様子も感じとれて、若さを感じるが……。元軍人である清太郎は見逃さなかった。若さに似合わず数多の修羅場を潜り抜けたかのようなある種の凄味を。その双眸に宿る力強い意志を。そして、ベストの胸元に刺しゅうされた狩人協会の紋章を。


「……今お開け致します。しばしお待ちください。」


 冬子お嬢様の目に狂いはない、清太郎はそう判断してモニター越しの探偵に声を掛けた。清太郎の記憶が確かならば、あの紋章は瑞西スイス狩人協会の紋章だ。米国の、或いは最近できたと言う南阿みなみあふりかの狩人協会とは、歴史がまるで違う。産業に乏しい瑞西スイスが嘗て行っていたのは、傭兵として、或いは欧州に蔓延る妖魔や魔獣を狩る狩人として、人材を派遣する事だった。傭兵業は禁止されたが、狩人は禁止される事無く今も続いている。日本人で瑞西スイス狩人協会に登録されるなど、野津道貫のづみちつら大将以来ではなかろうか。


 門扉の開閉ボタンを押し門が開くのを待つ間、清太郎は今一人、男の連れにも視線を向ける。女は日本人離れした容姿である。髪は金色こんじきであり、如何にも染めている訳では無く地毛のようだ。顔立ちは、此方ははっきりと眉目秀麗と言えた。服装は男物の白シャツに茶色の肩掛けカバン、そしてデニム地のジーンズと言うラフな格好だ。だらしなさを感じる程ではなく、これだけならば此方も、及第点であったろう。だが、この女は明らかに暴力を生業にしていると言う予感が清太郎にはあった。目つきの鋭さ、それを取り繕うかの様に浮かぶ口元の笑み。その整った顔立ちが、返ってその違和感をはっきりとさせていた。この女は要注意だなと、胸中に思いながら清太郎は再び声を掛けた。


「それでは、門が開きましたので玄関までご足労願います。」


 そう告げて、インターホンのスイッチを切る。近くにいた香代子が、不安げに清太郎に視線を投げかければ、彼は大丈夫だろうと言葉を投げかけて、玄関へと向かった。



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