第2話 冬子の調査
大堂路修司の死、それはつい先日の事だ。……父の死因は精神的興奮、この場合は恐怖のあまりの心筋梗塞だと言う。傷は父が死んでから付けられたと言うのが警察庁の検死官の見解だ。
では、誰がどのように殺したのか、傷をつけたのかと言う問いには誰も答えてはくれなかった。密室殺人、これが普通の殺人事件ならば名探偵が解決してくれるのかも知れない。だが、明らかに異様な事件である。どの様な伝手を頼れば、この謎を解き明かしてくれるのだろうか。刑事の一人が口惜しそうに呟いていたのを覚えている。
「魔術調査室が健在であったなら……。」
……カルト教団との戦いで一躍有名になった軍部内に設置されていた帝国魔術調査室。カルト教団のテロを防ぐために二人の魔術師を失っても戦い、そしてテロを阻止した英雄的活動は当時盛んに報道されていた。
もう、一五年は前になるのか。その魔術調査室も軍部の派閥争いに負けて閉鎖の憂き目に合ったのが二年前だ。彼らの存在は今の時代にそぐわない迷信を国民に押し付ける、と言うのが軍部の主流派の意見だった筈だ。そんな戯言を主張する連中には、頼るだけ無駄だろう。
冬子は、父の亡骸を見つけた日の、あの生々しい見えない悪意を思い返す。あれは、旧来からこの国に巣食う、或いは世界中に潜む闇からの使者だ。だが、こんな事を口にしては、親族に精神病棟に押し込められる可能性もある。親族の中には父の遺産を狙う輩も少なくない。
だから、冬子は今もこうして忌引きを理由に大学を休み、外にも出ずにパソコンでインターネット上にある胡乱な記事を検索しているのだ。しかし、広大な電子の海に落ちている情報はどれも胡散臭い物ばかり。
脳を奪う怪物、上空に旅人を浚う雪男、特定できない海底に眠る巨大タコの神……。こんな物ばかりである。冬子は一つ息を吐き出して、窓越しに晴天の空を恨みがましく見つめた。開かれた窓から微かな風に混じり、蝉の声が響いている。
途端、私的電子式汎用計算機の映像機からカッコーと音が響いた。イスラエルのソフト会社が開発したインスタントメッセンジャーの通知音である。発信者はあまり交流の無い先輩の英嗣からのメッセージだ。冬子は訝しげに画面を目で追う。
『君が神秘学に興味があるとは知らなかったが、まあ良い。ご質問の件だが、心当たりは一人いる。一ノ瀬晃人、探偵兼狩人。狩人としての階級は、魔物狩人。彼ならば、君の挙げた要件に沿うと思う。』
そのメッセージを読んで、冬子は英嗣に、大学内でも変わり者で有名な彼に質問していたことを思い出した。あの生々しい悪意の齎す恐怖と、父を殺した犯人を捕らえたいと言う思いから、神秘学に造詣が深いと言う陣野英嗣に質問状を送っていたのだ。奇怪な出来事に慣れた、魔術師か狩人に心当たりは無いかと。
そう、魔術師か狩人だ。我が大日本帝国にも古式ゆかしい呼び名で陰陽師などと呼ばれる魔術師は数十人は居る。彼らは持って生まれた希少な才能を鍛え、太古の神々と契約を交わしたエリート達だ。
そして今一つの狩人とは、諸外国では魔術師に次いで怪奇事件に慣れた職業と言われている。無論、狩るのはただの獣ではない。有名処では吸血鬼狩人や狼男狩人だ。彼らの中で最も力ある者は魔物狩人と呼ばれている。
鍛錬のみで異形と戦う事を選んだ狩人であれば、その最高峰である魔物狩人の数は魔術師よりも尚少ないとされている。才能ではなく、愚直にも積み上げた手法が彼らの武器である為、その反復を極められる物は少ないからだ。
冬子は英嗣はその手の事に詳しいと人伝に聞いていた。また、彼が不埒な行いはしないと先輩たちから確約を得ていたので、質問状にインスタントメッセンジャーの登録IDを書いていたのだった。音沙汰がなかったのですっかり忘れていた。
慌ててキーボードに感謝の言葉を打ち込み送信すると、端的に連絡先と住所が返送されてきた。その電話番号をネットで検索してみると、確かに一ノ瀬探偵事務所と表示が出る。住所もネット上に出ている情報と変わらない。冬子は、今一度、英嗣に礼の言葉を送ってから、外へと出かけるべく立ち上がった。
初夏の空の下、早鳴きの蝉の声を聞きながら、黒を基調としたワンピース姿の冬子が家の周囲を歩いている。スマートフォンのと言うよりは携帯電話の普及で大分数が少なくなっていた公衆電話を見つけると、急ぎ駆け込み電話を掛けた。
掛ける相手は無論、一ノ瀬探偵事務所。呼び出し音が鳴ってから、もう十回を超えようとしている。受話器に繋がるコードに指を絡ませながら、冬子は苛立たしげに待っていると、漸く繋がった。
「はーい、こちら一ノ瀬探偵事務所……。」
今にも寝入ってしまいそうな眠たげな若い女の声が聞こえてきた。その時点で冬子は嘆息とも諦めともとれぬ息を吐き出していた。だが、折角掛けたのだ、本当に無意味かどうかだけでも確かめなくてはと、受話器を強く握り。
「付かぬ事をお伺いしますが、そちらでは、その。怪異を狩られるとか。」
「……誰に聞きました?」
僅かな間の後に底冷えするような冷たい声が返って来た。言いようのない恐怖、まるで、父が死んだあの日に遭遇した、目に見えぬ恐怖を再び味わたかのようだ。冬子は微かに震えながら言葉を如何にか紡ぐ。
「陣野英嗣さんより、頼るなら、ここをと……。」
「ああ、陣ちゃんね。こいつは失礼しました。それでは、詳しいお話をお聞かせ願いますか?」
不可解な事件の解決と、生々しい悪意から逃れるため、一縷の望みを託して掛けた電話が大堂路冬子の命を救う第一歩となった。
時は皇紀二六八八年、西暦二〇二八年。二十一世紀と言う昼夜問わず光に満ち溢れた新たな時代であろうとも、闇は消えず、その領域が狭くなればなるほどにその濃さを増していた。これは、帝都の闇を討ち滅ぼす若き狩人とその助手の物語である。