第2話 帝都の教師
帝都第一六中等教育学校、略称イチロ中に教員として勤務する騎西伝一は友人達との待ち合わせの為に、国鉄が運営する帝都環状線に乗り、目的の駅で降りる。時刻は既に午後の六時を回っていたが、遅鳴きの蝉の声は相変わらず喧しい。
駅を降りれば、そこは異国情緒漂う移民の街。亜細亜各国からの移民が混在する雑多な移民街ではあるが、治安は悪くない。帝国人が足を踏み入れて巻き込まれるトラブルはスリに会う程度で済む。移民の街には帝国の法は通り辛いが、ここにはここの仕来りがあるのだ。
中等教育学校の教員としては聊か場違いな場所ではあるが、伝一のもう一つの顔である道場の師範代としては、何ら可笑しなことは無い。これから向かうのは門下生が営んでいる飯屋なのだから。
まだ残暑も厳しいと言うのに、きっちりとスーツにネクタイ姿の伝一を盗み見る移民達はそれなりに居る。だが、その鋭さを纏う顔を、全く隙の無い所作を確認すれば彼らはそっと視線を外すのだ。懐の財布を狙えばただでは済まない、いや、それ所か何処かのボスと通じているかもしれない……。そんな相手に手を出せば命が無い、彼等はそう心得ている。移民の街には、法とは違う秩序が形成されていたのである。
しかし、それが繁華街の呼び込みであったり、娼婦ともなれば話は違った。帝国人であれば上客。飯屋がある付近、いわゆる繁華街ともなれば伝一に声を掛ける者も多数現れる。鮮やかな青色のアオザイ姿の若い女がしなを作り声を掛けてくるその横で、客引きと思われる若い男が声を張り上げて呼び込みをしている。
雑多で猥雑な街並みである。時折、良識人を自称する者達が、風紀が乱れるから移民は追い出せと騒いでいるが、伝一にはこの雑多な光景が嫌いではなかった。それでも、流石にしつこい客引きなどに遭遇すると面倒を感じる。今も、腰を低くしながらも、行く手を阻む様に伝一の前に立ち塞がり、しきりに近くの店を進める客引きに少しばかり辟易した。
「若先生!」
如何したものかと言うように天を仰ぎ見た伝一の耳に馴染みの声が聞こえた。門下生の一人、リチャード・ウェイである。裏社会の人間であるとでも言いたげなダークスーツにサングラスと言う酷い格好なのは如何言う訳か。伝一は眉根を顰めるが、一つ頷き応えに返す。一方で客引きは、どう見ても堅気でない者が『若先生』等と呼ぶ目の前の相手が危険人物ではないかと遅まきに気付き慌てて逃げ出した。
「助かった、しつこくてな。しかし、そんなに遅れたかな?」
「いいえ。ただ、最近少し客引きが煩いので迎えに来ただけです。さぁ、大哥も姐姐も陣さんも待ってますよ。」
「何だ、やはり遅れているのじゃないか。……あー、それにしても、その恰好は何だい?」
「仲間内の罰ゲームです……。」
逃げた客引きは捨て置き、軽口を叩きあいながら二人は目的の店へと向かっていく。
黄彩飯店、出資者のウォン家から一文字拝借して付けられた名前の飯屋に足を踏み入れると、相変わらずの盛況ぶりだった。感心したように店内を見渡す伝一だったが、チャイナドレスの女性給仕がその姿に気付くと、すぐに奥の個室へと通された。リチャードはその後ろを護衛の様にぴったりとくっ付いて来る。いつもの事だが、聊か物々しい。
個室に入れば、円形のテーブルには既に三人の友人が席についていた。
「若先生、ご足労頂きありがとうございます。」
「先にやってますよ、若先生。」
「丁度良かった、若先生も聞いてくださいよ。変わった祭りの資料が手に入ったんですがね。」
口々にそれぞれが喋りだした。伝一は苦笑を浮かべて、軽く肩を竦めて。
「聖徳太子じゃないんだ、いっぺんに喋ってくれるな。」
その言葉に彼等は一様に気恥ずかしげに笑った。彼等こそが伝一の気の置けない仲間達である。晃人とアリシア、それに英嗣。結局、伝一に次いで騎西無念無想流の高弟である一ノ瀬晃人が、皆を代表してスタウトを片手に掲げて伝一に告げた。
「若先生、お誕生日おめでとうございます。」
「三十過ぎてからの誕生日会なんて嫌がらせ以外の何物でも無いな。」
チャイナドレスの女性給仕からインペリアルスタウトを受け取った伝一は、晃人にグラスを掲げ返しながら、軽く笑って言葉を返す。互いのグラスで黒いアルコールが揺れて、微かにローストされた麦芽の香りが伝一の鼻腔をくすぐった。
それから近況を話し合いながら食事と相成った。近況と言っても二ヶ月に一回はこうやって集まるのだから、話す事もさほど多くない。アルコールも回り昔話に花が咲きそうになった頃合いに、不意に陣野英嗣が語りだしたのは、ある村に伝わていたと言う奇祭だ。
英嗣はエビチリを箸でつまみながら皆を見ながら話を始めたのは、ある祭りについてだ。彼が論文にするべく調べている地方の祭りに関する資料の中に、獣に纏わる秘された祭りに関する事柄を見つけたのだと言う。獣、その単語に晃人がピクリと眉を動かすのが伝一にも分かった。アリシアが苦笑を浮かべながらスタウトを喉に流し込むのを気にせずに、英嗣は言葉を続ける。
「五年に一度、贄を差し出す事で獣を祭り、山の事故を減らしていたらしい。江戸時代初期に土岐何某かと言う武将が村に訪れ、獣を封じるまで続いていた悪しき風習だと文献にはある。」
「土岐氏? 獅子王を家康から授かった土岐頼次の家系ではあるまいな。その長男頼勝は戦乱の世に蔓延った獣退治を生業としたと聞くが。」
晃人が英嗣に問いかけるが、英嗣は紹興酒をそこまでは分からないと言う。魔獣狩人である晃人が、以前語っていた言葉を伝一は思い出す。魔獣は、人々が疲れ活力を失った時代に蔓延るのだと言う。この日本国も戦国の世が終わったばかりの頃合いでは、さぞ魔獣も多かった事だろう。
そんな事を考えながら二人のやり取りを聞いていた伝一のスマートフォンが、胸ポケットで震えだした。呼び出し音は切っており、振動モードに切り替えていたのだ。誰であろうかと取り出してみれば、そこに記された名前は……岸井太郎、伝一の受け持つクラスの生徒である。
「すまん、ちょっと電話に出る。生徒からだ。……もしもし?」
友人たちにそう声を掛けて、スマートフォンを耳に押し当てると聞き知っている筈の少年の声が、聞いた事の無い緊張を纏いながら助けを求めてきた。このままでは父と祓い屋のお姉ちゃんが死に、僕も危ない、先生助けて、と。
伝一は、助けに行くと力強く伝えスマートフォンの通話を切り皆に告げた。
「生徒が厄介ごとに巻き込まれた。私は早速向かうから、今日はお開きにしてくれ。」
「急ですね、何方まで?」
「〇〇県の蒲根村だ。」
伝一の言葉に、獣に纏わる秘祭の話をしていた英嗣が、目を瞠って驚いたように告げた。
「俺が話していた祭りがあったと言う村と同じ名前だ。」
その一言に、一ノ瀬晃人も立ち上がる。
「若先生、僕もいきましょう。ちょいと、嫌な予感がする。」
「それは晃人としての感か? それとも……。」
「狩人としての感、ですね。」
そう語り、微かに双眸を細めた晃人を見やり、伝一は小さく息を吐き出して頷きを返した。晃人の狩人としての感が外れた事が無い事を伝一は知っているのだから。




