【 1 学舎にて 】
竜は人に無関心で、人は竜の気まぐれに恐怖した。
線引きのされていない二つの世界はとても曖昧で、いつしか時の流れとともわけられた。
今はよき隣人である。
【 1 学舎にて 】
レンガ造りの建物が並ぶ。ぐるりと巡らせた塀は高く盗賊といった敵から町を守っていた。
町を一望できる塔があり、そこを起点として商いが開かれる。
塔のてっぺんには鐘が時間を知らせると共に、そこで飼われていた鳥がはばたいた。
自給自足の為、町から離れた場所は放牧や農作物がうえられている
さらに離れた小高い丘に、その学舎はあった。
建ててからそんなに時間の経っていない建物は白く、ステンドグラスが美しい模様を地面に描いていた。
白く塗られた石の壁。尖がった青い屋根が伸びる。
まだ年若い子供たちが一様に似たローブを身にまとい廊下を歩いていた。
年は十から十五といった所だろうか。胸には掌の形をした、先がぎざぎざとなっている葉を模したブローチがつけられていた。
真っ黒なローブのフチが赤や白や青と学年を表している。
わあ!と歓声が聞こえ、何事かと分厚い本や紙の束を抱えた子供たちはそちらへと目をむけた。空より青い屋根からのぞいた黄色に目を剥き、それが紫の瞳を有している事、大気がゆらめき暖かくなった事により興奮から我先にと駈け出した。
「末永くお願いしますわ、旦那様」
そう、見上げる程大きな竜の足元で、紫の髪をした少女は艶やかに笑む
年齢にそぐわない肢体も、仕草も、今ばかりは夢叶ったとバラ色に染まる頬が年相応で
人間などひとのみできそうな竜は頷き、ため息のような小さな炎を空に吐き出した。
羽を動かして飛び立つ。ここより広い土地へ降り立つために。ここでは学舎を壊しかねないから
見送る少女に竜の姿が見えなくなってから学友、クラスメイト、通りかかった年下の子供たちがかけよった。普段はとっつきにくい少女も、この時ばかりは愛らしかった。
それを、離れた所で見ていた少年が一人
「はあぁ~なんでだ~」
重いため息を吐き、頭を抱える。片手には人が体内に持つ魔力を増幅させるという杖を持つ
茶色い髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜ身もだえする。僅かばかりいた人もこの独り言を耳にし、気の毒そうな眼差しを向けた後、そっと離れて少女を取り囲む輪に加わりに行った。
ひらり、脇に挟んでいた本の隙間から一枚の紙が落ちる
目を閉じてふらふらとしていた為踏みそうになったが、すんでの所で気が付き踏み込もうとしていた足をひいた。ずべしゃと肉の音をさせて転ぶ
このまま地面と一体になってしまいたかった
「ううぅ……」
ずれたメガネの蝶番をつまんで直し、起き上がる。
周囲にいた子供よりは年上なのか、柔らかな頬のラインが僅かばかり鋭い
ぼさぼさの、元から跳ねていた髪は襟足をくすぐる程に長く、瓶底メガネの奥の黒い瞳は陰鬱に沈んでいた。呪詛のような低い声が漏れる
「こんなに、こんなに誠心誠意お願いしているっていうのに、ちらりとも反応しないとかあああぁ」
先ほど落とした紙を両手で握り、だが皺がついたりやぶれたりしない力加減ですがる少年は丸まった状態でおでこを地面につける
白い紙には文字がびっしりと書かれていた。
「おっと」
太腿と腰に何かがぶつかる。見ると足があった。
「こんな所にいるとうっかり踏んでしまうよ?」
そう、鼻筋が通り青い目をした金髪の少年が言う
さっと後ろに目をやると取り巻きの一人が出てきてハンカチを出した。
「ワトー様、足に汚れが」
ぶつかった場所を拭いてゆく。勿論目に見えるような汚れはない
「ワトー様の道をふさぐとは」
「なんて迷惑な奴だ」
「ああくさい、犬のションベンの匂いがする」
青い髪の少年が鼻をつまみ、赤毛がこれみよがしに顔を歪める
「いつまでここにいるつもりなんだろうな、落ちこぼれの平民が。お導き下さるノース・トレイド様に申し訳なく思わないのだろうか」
両手を広げ緑の頭を左右に振る
「ただ飯と住む場所があるんだ。そりゃ離れたくもないだろうさ」
「コイツの所為で他のやつらまでそうだと思われたくはないよな」
「ホントいい迷惑だぜ」
丁重に拭き終わったそばかすの男も立ち上がり話に加わった。それを「コラコラ、一応は共に学ぶ学友、そう言ってやるものではないよ」とワトーと呼ばれた少年はたしなめるがその言葉は軽い
そうしていまだ地面に膝をついている姿を見下ろすと、噛んで含めるように言った。
「君も一応は頑張っているようだが、誤解を生むような真似は控えてくれ。我々は選ばれた人間なんだ。その中でも落ちこぼれがでてしまうのも仕方ない。だが、そういう人こそ、それ相応の身の振り方はあると思うんだ」
解るね?と物わかりの悪い子供に言って聞かせるような口調で続けた
「引き際というものは大事だよ。あとは醜くなる一方だ。これ以上醜態をさらす前に家に戻ったほうが君の為だと思うな?」
片目を閉じて優しく教えているようであったが、隠しきれない嘲りが笑顔の中に見えた。
唇を噛みしめ立ち上がる。
返事を待っているようだったが少年は返す言葉をもたなかった。
通り道だというのなら立ち上がれば通るだろう
だが、一向に動く様子が無い。不思議に思って窺うがもしやととずれれば長い足を振り上げるようにして横を通った。
その後ろに続く4人の取り巻き。金色の頭と同じ金の瞳を持った竜も、4人と契約している頭一つ低い竜たちも彼を一瞥した。
尻尾を左右に振りながら渡り廊下へと進む竜に、周囲は感嘆の息を吐き羨望の眼差しを向ける。紙に目を落とした。
翌朝、まだ寮では大半の人が寝ている時間に学舎に来た少年は、落ちている棒で召喚陣を描く
本と見比べ間違いが無いのを確認すると、近くの岩の上に本を置いた。
腰にさげていた杖をはずし、乳白石の埋め込まれた先を線の上やって、岩の上に置く前に抜き取った紙を見る
冷たい湿った空気を吸い込み、固い声で読み上げた。
声変わりのしていないやわらかな声が広がり落ちてゆく
歌のようにも聞こえる不可思議な言葉。
ぼんやりとした小さな光は石から線へと伝わり、ふわりと髪や服が浮き上がった。
長く書かれていたすべてを読み上げ変化がないかしばらく待つ
しかし、ぼんやりとした光を放つ以外に変わりがないのに、肩を落とした。
「才能、ないのかな……」
いつものように学舎へ向かう時間が来るまでねばろうと、本の横にある包みを持った。
寮のご飯が食べられるまでまだかかる。忙しそうに動く食堂のおばさん達の邪魔にならぬよう、切られたパンにその時出来上がっていた具を適当に挟んできただけの朝ごはん
ここ二年、周囲の目が気になり食堂に足を運んだ事はない
間に合わなかった場合は諦めて水を飲んでしのいだ。
一口かじる。アスパラに白いソースを絡めたサラダ。味がそれなりにあったので嬉しい
「……こう、ひょっこり『きちゃった』って来てもいいのになー」
「きちゃった♡」
「そう、そんな感じに……」
ん?へ、はあ?!と驚いて召喚陣を見る
が、木々を超す大きな姿も自身と同じサイズの竜の姿も見つけられない。
幻聴か、または同級生や元同級生についにこの場所がバレたか!と慌てて立ち上がり周囲を見渡す。
しかし、どんなに草や木々や建物の陰に目を凝らしても見つけられない。この二年で人の気配には敏感になった。だから大体どこにいるのかだけは解る
気配もなくやはりさっきのは幻聴だったかと座り直し、手の違和感に強く握って中身がこぼれたかと口を近づけた。
舐めようと舌を出した所で「やめろ変態」の声と同時に頬に何かがぶつかった。
「あべしっ!!」
「告白といい今といい……本当に残念な人間だったんだな」
思いっきり舌を噛んで悶絶していた少年は「草食主義なのか?味薄くね?」という台詞は聞こえていなかった。
痛みが落ち着いてきたころふと、涙がぼろりと落ちた事によりはれた視界に召喚陣がうつった。
ぼんやりとした光が無くなってる
がばりと身体を起こすと座っていた所、正確にはパンを包んだ布の上にもぞりと動く生き物がいた
まさか!両手をつき鼻先を近づける。人差し指より小さい竜がそこにはいた。
「ちっさっっっっ!!!!」
「近い!」
再び頬に衝撃がはしる。地面にぺたりと座り頬をおさえ何があったのかハテナマークを飛ばす
ころころと拳大の氷が転がっていた。
「な、なにすんだよっ」
「身の危険を感じたのと純粋に気持ち悪かったからだけど?」
確かにそうだったかも知れないと自分の行動を振り返って言葉に詰まる
チェック柄のマス目と竜の体長を目で測る。六センチぐらいだろうか。黒い身体に赤い瞳。
口を付けた箇所を残して綺麗にパンは食べられていた。物足りなさそうに尻尾を揺らしている。
二度も同じ場所をぶつけられて痛かったが念願の竜だ、でへへ、と笑み崩れた
「ま、まぁいいや。お前あの召喚陣から出てきたって事は俺の竜だろ?これぐらいは許してやるよ。なにせ長い付き合いになるしな。上下も教えていくし!」
ふふんと腕を組み高揚していた少年はずれた眼鏡もそのままに言う
「あ、それだけどオレ友達に会いに来ただけだから。用事終わったらすぐ帰るから」
やけに人間臭い動作で片手を上げた
「…………へ?」
「折角こっち来たのに冷たい飯とかないわー。なんかあったかいご飯食べれる所ないか?」
「いやいやいや何言ってんの?!」
「あ、それとも所持金少ないのか?そんな身ぎれいな服着ているけれど実は苦労しているとか?」
「解る!竜なのに表情が解る!!今とても同情されてる!!!」
「えっと、パン食べて……悪かったな……?」
「ちがうー!そんなのはどうでもいいー!!そんなんじゃないー!」
「そんなの呼ばわりとはご飯に失礼だろ謝れよ」
「理不尽!ふぎゃっ!!」
急にあらわれた氷の塊に潰され、額どころか頭を地面につけた。
「まぁそこらへんは今はいいとして」
「……いいならなぜやった………」
頭の上の氷をどかす。こんな塊を落とされてよく無事だったなとゾッとした。
「どれぐらいかかるか解らないけれど、そんな長くないし宜しくな」
「長くないって……どうして?だって召喚陣で来たんだろ?」
そう、召喚陣は竜をこちらに招く物。提示した契約書に竜が判子を押し、その書類という召喚主の魔力をまとって渡る。
それが無いと歪みを受けどんな姿になってくるか解らない
三百年前歪みがひどい時、なんの策も取らずに渡りを試した人間が入った場所から違う場所に落ちた。
胴が丸くなり手足が短くなり頭も手足もどれもが一度引き抜かれ適当に付けられたような姿になって戻ってきた。
初めて召喚できた竜も向こうでは同じようになっていたと聞いてからは、交流の方法は現在これしか無い
折角だから一生を共に過ごしたい。魔力や招くときの文章で気が合いそうと見初めて来る
契約破棄は合意か呼び出した者が死ねば自然とあちらへと帰るようにはなっているが、大抵は家族のように、友のように、恋人のように傍にある。
「え、貴方と一緒に?ナイワー」
「な、なんでー?!」
「だってラブレターが最低なんですもん」
それを聞いて固まった。
「え……それは、どういう……」
「召喚する際の魔力と文章で竜が相手を選ぶって知ってるよな?実際してたし」
「うん……」
「文章は本人が考えた物だっていうのも」
「がんばったよ、これでもかっていろんな本を参考にしたり召喚に成功した人のを真似てみたり」
「はいそれ」
え、と言葉を止める。人が指さすように尻尾をびしり!とむけた
「ごちゃごちゃのダラダラで最後まで聞いても何がいいたいのかよく解らん」
「へっ」
「あと一つでも当てはまればと思って沢山希望を書いていたようだけれど、それ、全部当てはまる竜じゃないと無理って事だから。狭めてるから」
「……へ?」
「こっち風に言い直すとあのラブレターは『肌は白い子がいい。黒い子でもいいけど。瞳は黄色や紫がいいなあ。髪の毛はストレートが好みだけどこのさい猫毛でも癖が強くてもいい。気の強いのは怖いからヤダ。女はやっぱり男を立てて3歩後ろをついてくるような慎ましさが欲しいな。かといって控えめすぎるのもちょっと。いざという時には意見して欲しい。体はスレンダーでかつ出るところは出てひっこんでいるようなそんなパーフェクトだとすごいよね。ああでもワガママボデイも捨てがた』「ちょっとまってーーー!!」」
片手を前にだし静止を願う。だがその手はすげなく払われた。
わざわざ尻尾に氷をまとわせ鞭のように長くしたので
「そんな事言ってたの、俺?!」
「そうだよ。もの凄く注文つけてた。竜の間では評判だったな」
「なにアイツ最悪キモーイ」と声色を変えて実際に口にされていただろう台詞を再現した。
ぐふぅっ!!胸を押さえてうずくまる
「反対にどんな顔しているのか気になっていたヤツもいたけれど、さっき言ったので合致しなくて出来なかったのと、雌に『あんなのと契約するって事はアンタもそうなのね』って思われるのが嫌だって雄が大半で触らないでおこうとなっていたな」
「つらい……そんな事になっていたなんて………理由がここにあった………」
「ちなみに解りやすく女子にしたけど男子の場合も似たり寄ったりで何様だった」
「うわーーーーーん!!!」
泣いた。今までこんな泣き方はしたこと無いんじゃないだろうかというぐらいに
「実際合致したらそれどこの邪竜?ぐらいですごい趣味だな!ちなみにオレは顔見にきた!!何様!」
「うわあああああんっ!!!!!」
ガチ泣きした。