腑に落ちない何か
「そう気にすることでもないわ。誰でも間違いや勘違いはあるもの」
病室を後にする道すがら、武田は頭の中で葵の言葉を反芻していた。
「くそ……」
その時の、蔑みというより哀れみの篭った葵の眼差しを思い出すたび、武田の胸に重苦しく腑に落ちない何かが渦を巻くのだった。
あの後、葵の熱を測りに来た看護師に話を聞いてみても、やはり件の俳優が息を引き取ったのは今朝方とのことであった。
博識を気取って聞きかじった知識をひけらかし、挙句余計なことを口走って自滅し恥をかいた。
きっと、先ほどの武田は、少なくとも葵の目には、そう映ったに違いない。
「……それじゃ、あれは一体なんだったんだ?」
腑に落ちぬ何かが、一層色濃く武田の胸中に立ち込めた。
恥をかいたこと自体は問題ではない。
もとより守るべき名誉もプライドも、とうに地に落ちているのだ。
武田が納得していないのは、そうだとすると、自分に恥をかかせたあの夕刊は、一体なんだったのか、ということだった。
無理に見たと言い張っても、恥の上塗りになるだけだと考え、葵には何も言わなかったものの、武田の脳内には、昨日目にした夕刊の一面が、今でも鮮明に残っている。
なぜ、今朝亡くなった俳優の訃報が、昨日の夕刊に載っていたのだろうか。
「……あれが、いわゆる飛ばし記事ってやつなのか?」
病状を見て、峠は越えまいと判断した出版社が、勝手に記事を刷ったのだろうか。
もし一命を取り留めていたなら、洒落にならない大誤報だ。
そのようなデリケートな話題を、先走って記事にするだろうかという疑問はあったが、しかしそうとでも考えないと説明が付かない。
あれこれと考えをめぐらすうち、武田の足はもう駅のホームへと辿り付いていた。
タイミングよく到着した電車が、扉を開けて武田を迎え入れた。
「ま、そういうこともあるか……」
席に腰を落としながら、武田が一人呟く。
思えば、人の読んでいる新聞を盗み見するなど、あまりマナーの良い振る舞いとも言えない。
ひょっとしたら軽い罰でも当たったのかもしれない。
天網恢恢疎にして漏らさずだ。
「……ん?」
一人納得しようとしていたところ、武田は、自分の向かいに見覚えのあるサラリーマンが腰掛けているのに気付いた。
手には、またどこかのスポーツ新聞が握られている。
「またかよ……」
向かいの男に何の罪も無かろうことは分かっていながら、運命と呼ぶには性質の悪い偶然に、武田は小さく舌打ちをしていた。
ちらりと目に入った新聞の一面には、とある有名アーティストグループの解散が報じられている。
もうジロジロ見るまい。
武田はそう心に決め、自宅の最寄駅に着くなり、逃げるように電車を飛び出した。
早歩きでホームをつっきり、改札を通ろうとしたその時、すれ違った学生達の会話が、武田の耳に飛び込んできた。
「昨日の特番見た? あの○○ってグループ、今度のライブで重大発表があるとかってさ~」
「あ~、何かボーカルがスキャンダルで騒がれてたとこだろ? ひょっとして解散したりしてな」
「どうせ新曲の発表とかだろ。ああいうのっていつも大袈裟じゃん」
特に珍しくも無い、ミーハーな学生達の会話。
すれ違いざま、武田は確かに、背筋に鳥肌が立つのを感じた。




