彼の不安
翌日、葵の病室を訪れた武田は、しかし何を話すでもなく、ただ葵のベッドの傍らで椅子に腰掛けていた。
まるで話題が無い、というわけではない。
結局、葵はどこを悪くして入院していたのか。
余命半年という葵の言葉は本当なのか。
今、葵は何を考えているのか。
彼女に話したいこと、聞きたいことは、事実いくつかあった。
しかし、彼女にとってただの友人、いや彼女に言わせればただの知り合いになるのかも知れないが、とにかく殊更に近しい間柄という立場でもない自分が、その様に込み入った話を彼女に切り出しても良いものだろうか、という迷いや、自分の目の前で雑誌のページをめくる彼女の姿に、余命宣告された患者であれば当然身に纏うであろう悲壮感が欠片も見受けられないことに対する戸惑いが、彼の口を閉ざしてしまっていた。
「今日は見舞いの客も居るというのに、いつもより静かだわ」
そんな武田の様子を茶化すように、葵がひとりごちた。
その目は雑誌に向けられたまま動こうともしていない。
「……面白い話の一つもできなくて、悪かったな」
「責めているわけじゃないわ。静かな病室は嫌いじゃないもの」
「それは何より……ん、その俳優、確か……」
何か話題は無いものかと病室の中を見回す武田の目に、葵の読む雑誌の表紙が飛び込んできた。
瞬間、武田はしまったと口をつぐんだ。
その俳優、確か昨日死んだんだよな。
病室で、しかも今の葵の前で、こんな縁起の悪い話が有るか。
「ええ、死んだそうね」
「え?」
一人焦る武田に構う素振りも無く、葵は平然とそう言い放った。
「……いつに無く間の抜けた顔ね。何を驚くことがあるの、あなたが言い出した話でしょう?」
「あ、いや、それについては悪かっ……って、誰が間抜けだ」
「それにしても意外ね」
当然のように武田の抗議を聞き流して、葵が呟いた。
「世事に疎いあなたが、まさかそんな話を知っているなんて」
「馬鹿にするのもいい加減にしろ。俺だって、たまには新聞くらい読むさ」
厳密には、昨日の帰り、電車の中で向いに座っていた男の持っていた新聞がたまたま目に入っただけのことであったが、広義に解釈すれば、それとて新聞を読んだということには違いない。
先ほどの間抜け呼ばわりを挽回してやろうという見栄も手伝って、武田はあえて詳しい話はせずに置くことにした。
「あら、あなたが新聞なんて、輪をかけて珍しいわね」
「どこまで人を馬鹿にする気だ。昨日の夕刊、一面にでかでか載ってたろ。いくら物知らずったって……」
「……ふふ」
「何だよ、人が新聞読んだだけのことが、そんなに可笑しいか?」
「ええ、久し振りに面白かったわ。人が語るに落ちたところを見るのは初めてだもの」
「何を言って……」
「彼が死んだのは今朝のことよ。昨日の夕刊には載りようが無いわ」
微笑む葵の横顔を、窓から吹き込む風が撫でる。
少し生ぬるいその風が、武田にはどうにも薄気味悪く感じられた。




