考えても仕方ないこと
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人間は考えても仕方のないことを考えるようだ。俺にもそういったところがある。今後の自分の生活や将来的なことを、仕事しながらでも考え続ける傾向がある。普段ずっと書斎にいて、パソコンのキーを叩き続けるのが仕事だったからだ。四十代というやや遅い年代で芥川賞を受賞し、作家専業となっていたのが、文芸雑誌や週刊誌などに連載を掛け持ちで持っていて、ある程度原稿料は入ってきている。だがいつその手の雑誌類が廃刊になったりするのか気が気じゃない。単行本の書き下ろしもしていたのだが、印税らしい印税はほとんど入ってこなかった。これが今の芥川賞作家の現実だ。本が売れない。確かに芥川賞や直木賞は権威ある賞だが、獲ったからといって即本が売れるわけじゃないのである。苦労が続くと思った。朝から夕方まで出版社の関係者から、書斎の固定電話に連絡が入ったりする以外はずっとキーを叩き続けている。別に売れようが売れまいが、生活に支障はない。単に収入が減るというだけで、普通のサラリーマン以上にお金は入ってきていた。主に原稿料だ。全額生活費に回していた。いくら芥川賞作家とはいえ、貧乏であることに変わりはなかったので……。
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「村井先生」
――はい。
「そろそろ一作書き下ろしていただけませんか?我々としても先生の原稿をちょうだいしたいと思ってまして」
――分量はどのぐらいで?
「そうですね。原稿用紙三百五十枚ぐらいの原稿が一作欲しいんです。何せ先生は芥川賞作家なのですから。規定の原稿料もお支払いいたしますし」
――分かりました。早速執筆しましょう。
「助かります。なるだけ早く私のメールボックスにお送りください。ではまた」
担当編集者の倉岡が電話越しに言ってくる。俺も倉岡の言い分を聞かないわけにはいかない。何せ現役の作家としてしっかりと原稿を書くことはしているのだから……。常にキーを叩き続けていた。この世界に入って長い。二十代のときから約二十年ちょっと書き続けていた。昔はワープロだったが今はそんな物を使わない。普通にパソコンだった。しかもOSが比較的新しい物を使っている。もちろん倉岡のいる会社だけじゃなくて、いろんな社と契約を結んでいる。俺もさすがに芥川賞作家として、いろんな出版社と仕事をしているのだった。別に特定の社ばかりから仕事を請けるわけじゃない。誘いがあれば乗っていた。単に支払われる報酬が多いか少ないかの違いだけで。ずっと一日中、午後三時からの散歩の時間以外はずっとパソコンに向かっていた。キーを叩くことに変わりはない。今現在の主な収入源は原稿料だったのだし……。リリースした単行本や文庫本も派手に増刷が掛かるわけじゃない。単に五版か六版ぐらいまでされたら、後は売れなくて絶版となるのだ。いくら芥川賞受賞者でも、そんなに大して本が売れるわけじゃない。もちろん賞などを獲っていなくても、自費出版などから火が点いて売れていく作家は大勢いるのだけれど……。要は作家は貪欲に書き続けるのである。俺のように一定の肩書きを持っている作家でも出版した本があまり売れずに悪戦苦闘する場合もあったのだし……。
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倉岡が電話してきてから十日後の、八月半ばのお盆前に原稿を一作書き終え、メールで入稿した。さすがに暑さで疲れていたのだが、俺も書斎に扇風機とエアコンを併用して入れ、原稿を書き続ける。ずっと仕事が続いていた。夏場に少し休暇をもらえるなら、書斎でのんびりと読書したかった。かねてより出版社から他作家の新作などが献本されてきているのである。俺もそういった本を読むことで、何かが得られそうだった。素人が書いた作品もまるでダメというわけじゃない。中には抜きに出るような秀作もあった。プロの俺もそういった物を読みたい。部屋に静かなクラシック音楽を掛けて、ゆっくりとした気持ちで読書できる時間は実に至高だ。そう思っていた。ずっとキーを叩き続けていたので腰痛や腱鞘炎などになり、普段から感じることは山ほどある。芥川賞作家でも最近のヤツらの作品はやたらと映画化やドラマ化などがされて、俺の受賞したときとはまるで事情が違っていた。だがそういったヤツらが俺の足元を掬うかいえば、そういったことはまるでない。選考委員も体たらくなので、いい加減な作品が賞を獲ることもあった。そういった作家たちは次が書けないので、大抵売れないで終わっていくのである。現役の芥川賞作家や直木賞作家でどれだけの人間が文壇に残り、継続して原稿を書いているのか知っていた。何かと文芸の世界の裏にある情報を把握しているのだ。別にそれが悪いことじゃないのだが……。書ける作家の方が少ないのだし、受賞していなくても売れっ子で有名な作家は大勢いる。その程度のことは知っていた。芥川賞作家、村井幸仁としてこれからも筆を絶やすつもりはない。原稿はいくらでも書ける。依頼されていなくても、何かあった場合に備えて書き溜めていたのだし……。
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一日が終わる午後十一時過ぎぐらいに、ウイスキーの水割りを一杯作って飲む。疲れていた体にアルコールはよかった。軽く飲むと疲労が取れる。暑さによる肉体の疲れだけじゃなくて、心労が重なったりすることもあったので、夜はなるだけゆっくりしていた。執筆は午後八時には終えてしまい、入浴してから後の時間はゆっくりと過ごす。疲れていた。夏バテしていたのだが、もうすぐ暑さで蒸されるような季節も終わる。俺もさすがに疲労が重なっていた。いろんな類のものが、である。パソコンに向かう傍ら、合間に他作家の作品などを読んだりしていて退屈することはなかった。一日が終わると、眠る前に軽めの睡眠導入剤を飲んでベッドに倒れ込む。不眠症が幾分あったからだ。俺も生身の人間である。いろいろと抱え込んでいた。近くの心療内科に相談に行くこともあったのだし、疲れているときはなるだけ体を休めている。俺自身、現役の作家としてやっていけているのだし、これから先も筆を絶やすことはないだろう。創作は絶えざる道だ。自分にそう言い聞かせてやっていた。幸い、俺には芥川賞受賞作家という肩書きがある。これが何よりも強みだった。この看板があるからこそ、やっていけている面がある。仕事は続くのだが、夜間は睡眠時間に充て、また翌日は午前六時前に起き出して業務に励む。体調には十分気を付けていた。作家業というのは何かと疲れる仕事なので……。それに与えられた時間は皆平等だ。俺自身、今まで人生のいろんな箇所で寄り道してきたのだが、これから先はそういったことのないよう、気を付けるつもりでいた。原稿の締め切りには追われるのだが、余裕を持ってやっている。決して慌てずに。そしてより磨きを掛けていくつもりでいた。四十代の俺にもまだまだ先があるので……。
(了)