別色
いつもの毎日、当たり前のような生活、普段と変わらない日々、皆さんは人生を大切にされてますか?
「子供は好きじゃない」
小学生にも満たない私の耳に飛び込んできた言葉は両親から発せられた言葉だった。
20歳で私を産んだ両親は、私の事なんてどうでも良かったのかパチンコに行くことが多かった。1日帰ってこない日は必ず祖父母の家に預けられていた。
「ごめんなさい」
いつの間にか口癖になっていた言葉。言葉の意図が読めず聞き返した日、テストの点数が悪かった日は必ず私の体が傷付いた事を覚えている。人は痛いことを避ける生き物なんだろうか。避けてはダメと頭だ分かっていても自然と避けてしまい、その行動がいつも良くない方へと向いていた。
子供が好きじゃないと言っていた母は3人の子供を産んだ。怒りの矛先は長女である私が受けているのが当たり前になった。
「生まなければよかった」
小学2年生に難病を発症した。親からの言葉は酷いものなのに、気付かないフリをして明るく話していた小学生時代を思い出す。人一倍、相手の感情や自分に対して敵意があるのかが分かるようになっていた。
「小さいのに偉いね、頑張ろうね」
「こんな小さいのに可哀想に」
大人は私に対してそんな感情を抱くが、子供は凄く残酷だ。
「仮病」「ぶす」「でぶ」
難病を発症した私はジャンプすら制限されていた。体育が苦手な子供からしたら気に障るものなんだろうか。大きく黒板に書かれた文字、男子トイレに突き飛ばされた日、傷つく私を見て笑って楽しそうにする姿があった。
「捨てて、洗って、沸かして」
次に舞い降りてきたのは離婚だった。お金があったお父さんが出ていった。母の余裕はなくなり、家政婦かのようにたくさん働いた。
「頑張って治そうね」
毎日10錠以上の薬は、小さな体では耐えられないのだろうか、気付いたら吐いていた。薬の影響か、副作用でできた腫瘍。小学四年生で初めて体験する全身麻酔の手術。そんな時に声をかけてくれる看護師、普通なら嬉しさ、辛さと感情が入り混じるのだろうか。私はこれ以上何を頑張れば良いのか、そんな声をかける看護師に嫌悪感すら抱いていたと思う。
そんな毎日を過ごした私は精神的に強くなっていた。悩み事は皆ある、私以上に苦しんでいる人もたくさんいるんだと思えるようになった。
しかし神様は私を許してくれなかった。
母の性格に我慢ならなかったのか、弟が家出した。
今思えば探し出すべきだった。
家出してから一年、親の携帯に着信。
警察からだった。
未成年だった弟はお咎めなく解放された。
人は変わる事は出来ないんだろうか。
家出の一件はただの始まりだった。
重なる警察からの電話。
逮捕、示談金、執行猶予。
親は病気で目が見えなくなる。
悲しい事は連鎖しているのか。
新しく見つかった私の腫瘍。
悲しい時は泣けば良い、泣きたい時に泣けば良い。
幸せになりたい時は自分を褒めて、好きになって。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
この作品はノンフィクションです。
少しでも私の作品で救われる人がいれば良いなと思って、初めて小説を書きました。




