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06 ラブコメヒロインは現実に

            第一章

 

「ただいま」


 本日二度目のただいまを言って自宅のドアを開ける。

 時刻は既に夜の七時前で夜ごはんよと母親に声をかけられるも「さっき食べたから」と一言伝えて二階の自室へと上がる。


 いつもの帰り道だがここまでどうやって帰ってきたのか思い出せない位に頭の中はあの景色で一杯だった。


 携帯と財布をテーブルの上に置いてブレザーをハンガーにかけベットに横たわる。


 心の中に生まれた不思議な感情。

 現実に本当に心の綺麗な女性なんて存在しない。

 上部だけ取り繕っていても内心では自分の保身と他人からの評価や親しい間柄からの視線だけを気にしている。

 純粋に人を思いやれるなんて期待してはいけない。


 心底そう思うようになったし、それが現実だって確信していた筈なのに図書室で見た彼女はその思考そのものを否定する位に綺麗で、あの景色はまるで一枚の写真のように脳裏に焼きついて離れない。


 もう一度コメントしてみようかとも考えたのだが、仮に図書室の彼女が本当にそらだった場合は、コメントをした本人だと確実にバレてしまうし、何よりも親しい間柄に教えてないであろうブログなだけに知り合いでは無いにしろ同じ高校の生徒とは交流なんて取りたくもないだろうし、なによりも触れて欲しくないだろう。


 瞼を閉じて頭の中で顔を出すその思考を否定しては悩んでを繰り返す。

 でも結局この結論に戻ってくるということは自分自身がそれを望んでいるのかもしれない。



「……現実にラブコメのヒロインは実在するのかもしれない」


 灯りをつけないまま仰向けに寝そべったベットで呟いた自分自身の言葉に苦笑する。

 側からこの光景と台詞を聞けばとんでもなく拗らせてしまった痛い男だろう。

 それでも、至って真面目にその可能性を考えていた。


 現実的に痛みを伴った経験で否定する時はあんなに簡単に言語化出来たのにも関わらず、今の気持ちは上手く説明は出来ないけれども、図書室の扉を開けてあの景色を見た瞬間に確信したという感覚だけは心の中にあった。


 もし、自分が決めつけていた世の中の現実が間違っていたのならば。


 もし、この世界に自分が思い焦がれた画面の中で輝く彼女たちのようなラブコメヒロインがいるのであれば。



 それを見てみたい、確かめたい、知ってみたい。


 ーーそして何よりもそらに会ってみたい。


 この衝動はもう止めることは出来ないものだと確信した時にテーブルの上に置いた携帯電話が暗い部屋の中でチカっと光り連絡を知らせる。


 表示されていた内容は林間学校でのグループチャットの招待で送り主は『萩原』と表記されていた。


 グループの正体を受けると凛太郎は個別アイコンの萩原をタップして画面に指を滑らせる。


『鈴本だけど、明日話したいことがある』


 打ち出した文章に既読の文字はつかなかったが、気にすることもなく携帯をテーブルに戻すと数ヶ月ぶりにアニメも付けずに凛太郎は眠りについた。




「それで話ってなに?」


 購買のパンと缶コーヒーを持った萩原は中庭のベンチに腰掛ける凛太郎を見つけると隣に腰掛けて問いかける。


 昼休みのチャイムと同時に鞄から登校時に買ったお昼ごはんの焼きそばパンが入ったビニール袋を取り出した凛太郎はチャットアプリを開くと『中庭で待ってる』とだけ送信して教室をひと足先に出たからだ。


 静かに話せるのであれば教室の方が移動もなく良かったのだが、相手は学年一の人気者の王子様ってことで、女子からの視線は勿論、男子との交流関係も良好なだけに何かと話しかけられる頻度も高く焦燥するのは目に見えているだけに自然とこの選択になった。


 隣に腰掛けて購買のパンの袋を開封しながら問いかけてきた萩原に視線を向けた凛太郎は真剣な表情で言葉を投げかける。


「ラブコメって現実にあると思うか?」

「……ん?」

「いや、正確に言えばラブコメのヒロインって現実にいるかと思うか?」


 突然の予想外の問いに萩原は口をぽかんと開けて固まると掌で顔を覆い小さく咳払いをした後に視線を戻す。


「えーと、それは真面目に聞いてるって捉えていいんだよな?」

「もちろん大真面目だ。じゃなきゃ俺がお前をわざわざ呼び出すと思うか?」


 真剣な表情で見つめる凛太郎に萩原は苦笑すると、顎先に右手を添えて少しの沈黙の後に「とりあえず、なんでそう思ったのか聞いても良いか?」と投げかける。


 ブログにコメントした内容や自分の過去の事までは明確には伝えなかったが、端的に自身が女性に対して上手く対応出来ないし、一度気持ち悪いという感覚になると耐えきれない位の嫌悪感に襲われるようになった。


 ラブコメヒロインだけが純粋だと思っていたのだが、あるブログでの言葉と図書室での偶然出会いによってその可能性を否定出来なくなってしまった。


 普通に考えればこんな事を真剣に言われても、なんだそれで終わってしまう話なのは重々承知しているのだが、それでも凛太郎の話を黙って聞いていた萩原は缶コーヒーを一口飲んでから吐息を落とすと口を開く。


「鈴本が言っている現実の女性は信用出来ないっていうのは一概に間違いでもないと思う」


 まさかの肯定意見に目を見開いて驚いた表情の凛太郎を横目に言葉を続けた。


「俺だって女性のそういう一面は感じたこともあるし人並みには嫌悪感みたいな感情も感じた事もあるからな」


 苦笑しながらそう言った萩原の言葉はやけに説得力があるもので、学内でも常に女性から視線を向けられているだけに自分よりも遥かにそういった経験も多いのだろうと悟る。

 だからこそ、人との距離感の取り方も上手く女性との交流も他の男子生徒よりも遥かに多い萩原を質問の相手として選んだのだ。


「それでも、鈴本が見て感じた女性像だけが全てでもないと思うのも俺の意見だ。流石にアニメや漫画のヒロインそのものっていうのは実在はしないと思うけどね」

「それじゃあ、やっぱりーー」


 やはり自分が希望的観測で描いてしまった偶像なのかと落胆のため息を落とす凛太郎の言葉を遮るように萩原は言葉を続けた。



「でもさ、図書室で見た彼女との出会いって、まさしく鈴本が言っている“ラブコメ”って感じじゃないか?」



 そう言って笑った萩原の言葉を聞いた瞬間に心の中で引っかかっていた疑問の答えをようやく見つけられた。


 何でこんなにも惹きつけられたのかという疑問は常にあったのだが、この実体験こそが凛太郎が心奪われたラブコメアニメの世界観そのものに類似する体験だったからだ。


 いつからか自分は人生の主人公じゃないし脇役にすらなっていない。

 一歩引いた目線から傍観者の様な立ち位置で毎日を生きてきた凛太郎にとって、この数日間の出来事は変わらぬ毎日を選択して送ってきた中である種のイレギュラーの様な行動から生まれたものだった。


 それでも、その行動によって生まれた感情と出会いは自分自身の中で無視出来るものではなくなったのは傍観者ではなく間違いなく当事者としての行動だったからだ。


「……俺はこれからどうしたらいい?」

「鈴本の期待する何かっていうのはこれから女性と関わらない限りは見える事はないし、先ずはそこからじゃないか?」

「でも、俺はクラスの女子とも関わりはないし図書室の子だって誰かも分からないからどうしようにもーー」


 もしかしたらという期待感は生まれても現状自分にはどうすることも出来ない。

 入学してから女子生徒に関しては業務的な話以外は一切の関わりを自ら断絶していただけに今更気軽に話しかけるなんて出来るわけもなかった。


 何よりも発作にも似た『気持ち悪い』という感情がいつ爆発するかもしれないという恐怖感すらある。


 どうしようもない現状に眉尻を下げたまま口をつぐんだ凛太郎を見た萩原はふうと吐息を落とすと口を開いた。



「そんな鈴本におあつらえ向きなイベントがあるから大丈夫。今度の林間学校だよ」



 口端は小さく弧を描き、いつもの教室で見せる王子様の笑顔とは違った含みのある笑みを向けた萩原の言葉と共に、物語の始まりを告げるかの如く昼休み終了のチャイムは鳴りだした。



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