05 橙色に染まる奇跡
帰りの時間になり帰宅部の凛太郎はバス停から家路へと歩く。
地元のバス停で降りてからもうすぐ家に着くという所で、今夜見るアニメでも探そうかと携帯を開くと画面に表示されているブログの更新通知に息を呑んだ。
あのコメント送信以降更新されていなかっただけに、安堵もあるが自分がブログ内容とは全く関係のない事を送ってしまっただけに一抹の不安も過ぎる。
いつも通りの写真と些細な日常であってくれと思いながらも表示されたバナーをタップするとブログページが表示されその内容に思わず止めた。
『コメントを読んで心がとてもぎゅっと締め付けられた方がいたのでここに書きます。
送ってくれた方は何が苦しくて何があったのかは私にはわかりません。それでも、きっと全力で頑張ろうとしていて上手くできなくて、励まして欲しいわけでもなくて、ただ聞いて欲しかった。
そんな風に感じました。
何もしてあげる事は出来ない私ですが、こうやって話してくれたあなたの味方でいたいって思っています。
美味しいご飯を食べて暖かい布団で眠って少しでも笑顔でいられますように』
呆然と立ち尽くしたまま気づけば「……ははっ」と声を出して笑っていた。
ずっと心の中を覆っていた真っ黒い霧が一瞬で弾けて消え去るような感覚だった。
一番下まで落ちていくような体験をして、ラブコメアニメに出会って心の中を満たされていくような甘い感覚とか完結しての満たされた感情になる様な感覚は沢山経験してきたけど、そのどれとも異なった不思議な感情。
数日前に無理やり引き起こされた自分の中にあるネガティブな感情そのものが一瞬で全て消し飛んでいくという味わったことのない感覚に心が軽くなる。
『大丈夫』『次がある』『いつでも話してくれ』
当時は色んな言葉を投げかけられた。もちろんそれは善意から来るものだと理解しているし感謝もしていたけど心の奥底までは届かなかった言葉。
会ったこともない他人が書いたこの小さな液晶に映し出されている文章は心を包み込む様な暖かい感触で、心の中に漠然と感じていた重みを跡形もなく消し去ってくれた。
どこかふわっとした感覚のまま家に着くまでに何度も文面を読み返しながら歩いているといつの間にかもう玄関の前だった。
鞄から鍵を取り出し玄関に入りリビングへと向かう。冷蔵庫から麦茶を取り出して喉を潤すと、ソファに腰掛けながら受験勉強をしていた沙由は凛太郎をじっと見つめると呟くように問いかける。
「何かあった?」
「……いや、特に何もないぞ」
最近は帰宅しても特にリアクションのない沙由なので唐突にかけられた声に一瞬言葉を詰まらせる。
昔から洞察力や勘が恐ろしく鋭く、先程の事がもしかして表情に出ていたか? なんて考えるが、変化を妹に悟られるのもなんとも言い難い心境なだけに平然を装う。
眉尻を下げ瞳を眇めながら如何にも、何か隠してない?と、疑う様な面持ちで凛太郎を見る沙由であったが数秒もすればソファで読んでいた参考書に視線を映した。
その姿を見て凛太郎はそっと吐息を落とすと、半分飲んだ麦茶を持ったまま自室に戻り鞄とコップをテーブルに置いて制服のままベットに仰向けで横たわった。
心の中はふわふわとした不思議な感覚に包まれていて、仰向けに転がると天井を見つめる。
なぜ彼女は自分のコメントに対して返答をしてくれたのだろうか?
今までのブログの中でそういった記事は一切なく日常の光景や自分自身の感情が綴られていただけなのに。
いくら考えようとも答えなんて見つからないのは明白だがそれでも〝助けられた〟という感覚が確かにあった。
数分して体を起こすとベット脇に置かれた携帯を手に取りディスプレイ左上に映し出された時刻は午後四時を表示していた。
時計を見つめた凛太郎は徐に立ち上がると、ベッドに横たわる際に脱ぎ捨てたブレザーに袖を通し部屋を出る。
携帯と財布だけを持ち玄関で靴を履いていると自室へ戻ろうとしていた沙由は「……どこいくの」と珍しく聞いてきたので「学校!」と端的に返し玄関の扉を開けて飛び出した。
足早に学校へ向かう後ろ姿を見つめながら「やっぱなんかあったじゃん」と小さく呟いた声は凛太郎には届いていなかったが沙由は小さく笑っていた。
『ーーーー高校前』
バスのアナウンスと共に席を立ち上がると一番に下車した凛太郎は校門を抜けて下駄箱へ向かう。
ポケットから取り出した携帯に視線を移すと時刻は午後五時を回っており太陽は少しづつ沈んできていた。
下駄箱から上履きを取り出すと履いてきたスニーカーはそのままに上履きに履き替え足早に三階へと向かう。
途中すれ違う教員に廊下は走るなよと声をかけられるも、振り返らずに全力で階段を駆け上がり目的地に辿り着いた。
入り口ドアの上には図書室と記載されたプレート。
いざドアの前に立つとなぜ自分がこんなにも必死に走ってきたのかすら理解出来ていないが扉にかけた手は少し震えていた。
「……失礼しま……」
走ったことによって荒くなった息を少し整えて扉を開いた瞬間、目の前に映った光景に呼吸するのを忘れる。
心地良いインクの香りがその先の視界の先の開いた窓から吹く風で運ばれてくる。
真っ赤な夕陽は纏められたカーテンにより満遍なく図書室を照らし、橙色に染まった室内の中で佇む彼女の胸元まである長い髪は風に撫でられるように揺れて夕陽の光に反射するかの様に光沢を見せ輝いている。
ドアの開く音に気付きこちらに視線を向けたその表情はとても艶かしく少しだけ切ない。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳は吸い込まれるような綺麗さで、遠目からでも分かる染みひとつない乳白色の肌にほんのりと色付いた淡い桜色の唇。
「……そら」
自分でも無意識の中で零れ落ちた言葉。
あの時写真で見た景色の中にいる彼女を見た瞬間になんの確証もないのだけれど何故が確信は生まれた。
現実にアニメの様な綺麗な世界なんて存在しない。
それは過去の自分自身の経験からの間違いない真実で、自らの世界すら変えてしまった事実。
それでも今、目の前に映る彼女の姿はどんなアニメのヒロインよりも綺麗に思えて見惚れてしまうという事を生まれて初めて経験した。
溢した声に気づいた彼女は瞳を見開くと大きくぱちりと瞬きをして驚いた表情を見せる。
「いや、あの……」
その様子に気がついた凛太郎が言葉を詰まらせた瞬間、彼女は机の上に置いてある携帯電話を急いで鞄にしまうと俯きながら足早に図書室から立ち去った。
すれ違い様に香った揺れる髪からの甘い香りと、走り去る彼女の横顔の美しさに思わず胸が鼓動をあげ動くことも出来なかった凛太郎は、橙色に染まった誰もいない図書室の中で呆然と立ち尽くした。




