08 王子様からの指令
第二章
「……さて、どうしたもんか」
帰宅した凛太郎はベットの上で胡座をかきながら枕の上に乗せた携帯電話のチャットアプリ画面と睨めっこをしていた。
帰宅後少し早いが夕食の時間だったのでリビングで食事を取った際に、目の前に座る年頃の妹に指南を仰ごうとも過ったが冷静に考えて、ちらっと顔を見ただけで「なに」と話しかけないで感が満載な妹に同級生の女子との話し方を教えてくれない? なんて言えるわけもなく視線を目の前の茶碗に移すとそそくさと食事を終わらせる。
そんなこんなで自室に戻りアプリ画面を開いたのは良いものの、自らの意思で異性に対して連絡を取るという行為事態が中学校での、あの時期以来なだけに悲しい事にもはや話の切り出し方すら分からないのだ。
萩原は適当に話せばいいだろ? なんて簡単に言ってはいたが、凛太郎からすれば学期末考査なんかよりも余程憂鬱で難易度も高く、ここ数十分で文字を打ち出しては消してを幾度となく繰り返していた。
「今何してる?」「最近調子はどうだい?」「こんばんわ」
考えれば考える程に単調な文面しか浮かばないし、クラス内の自分の立ち位置や印象なんていうのはある程度は理解しているつもりなだけに「同じ班だしよろしく!林間学校楽しみだな!」なんて送ろうものなら画面越しの相手のリアクションを想像しただけで寒気が止まらない。
アプリで同級生に連絡するだけで、ここまで狼狽してしまう自分に対して引きつった苦笑を浮かべてため息を落とす。
お手上げ状態の中、萩原に対して『なんて送っていいかわからん』と送れば『挨拶用のスタンプでも送っておけば静香なら返信はくるだろ』と返ってきたが同級生が使っているような可愛げのある物や面白いスタンプなんて持っていないだけに、アプリ内に元々ある既存のスタンプの中で何か良いものは無いかと悩んでいると、突如部屋のドアが開きビクッと体を震わせて振り返る。
「体操着」
「……体操着?」
扉の先にいた妹は気怠そうに言葉を投げかける。
どういう事か理解出来ないだけに同じ言葉を返すと、なんで分かんねえかなコイツは……と言わんばかりなため息と共に口を開いた。
「ママが体操着あるなら洗濯回すから聞いてこいって」
「あっ、ああ、そういうことか。今日ないから大丈夫」
内心では分かるわけねえだろと愚痴を溢すものの、年頃の妹と喧嘩する事ほど体力的にも精神的にも消費するものはないと確信しているので普通に返答を返したが、何故だか立ち去らない沙由は枕の上で鎮座している携帯をじっと眺めていた。
「なにしてんの?」
「い、いや、特に何でもない。あれだ、アニメの検索してただけだが、どうした?」
「……ふーん、あっそ」
瞳を眇めてじっとこちらを見つめ、あからさまに納得いってない雰囲気を見せるも沙由は静かに扉を閉めて部屋を出た。
別に隠すほどの後ろめたい事なんてないのだが、かなり勘の良い妹なだけに女子との掛け合いを悩んでいるなんて状況は知られたくもないし立ち去ってくれたことに安堵の吐息を落とした。
そして再度ベットに置かれた携帯の画面に視線を落とすと「……あっ」と気の抜けた声をあげて頭を抱える。
視線の先には既存で入っているスタンプのクマのキャラクターが『おはよー!」と満面の笑みで親指をグッとあげている何とも愉快な絵面が送信されていた。
恐らく沙由が部屋に入ってきた際に慌てて触れた指先でタップしてしまったのだろうが、現在の時刻は夕食も終えた午後七時半。
会話もへったくれもない余りにも支離滅裂な連絡を送ってしまった現実に頭を抱える他ない。
そんな予想外の第一歩に対して落ち込んでいる暇もなく流石の現役女子高生と言うべきか、送信された時刻からまだ二分足らずしか経過していないのにも関わらず既にそのスタンプの横には《既読》という二文字が表示されていた。
「……手遅れか」
もはや苦笑しか出ない中で既読の二文字を見つめていると「ピコン」という電子音と共に返信が表示された。
「……猫? うさぎ?」
画面の先には猫のような兎のような、そのどちらとも言い難い創作物のキャラクターが愛くるしい笑顔で「おはにゃ!」と言っているスタンプが表示されている。
うさぎ要素も満載なのに語尾は“にゃ”なのか、なんて一瞬考えて呆けていたがそれどころではない。
あまりにも早い返信に動揺を隠せずに慌てふためいていると続け様に携帯は慌ただしく電子音を鳴らす。
『おはよー!って、んなわけないでしょ!』
『鈴本から連絡なんてどしたの?』
スタンプのみであったなら、そこからの返信は迷宮入りしてしまう確信があったので文面が返ってきた事に少し安堵する。
とはいえ、ここから軽口をするような上手い会話は出来る自信なんて無いのだが、それでもやらないことには鬼教官の王子様に後日何を言われるか分かったもんじゃ無いだけに画面に指を滑らせた。
『いや、その同じ班になったし仲良くなった方が良いから挨拶くらいしておけと萩原に言われて連絡してみた。今忙しかったか?』
嘘は言っていない。変にここで嘘の理由つけから会話を続きてしまっても現状の自分のキャパシティ的に後々爆発してしまいそうだし下手な嘘で面倒くさくなるのも嫌だった。
『なるほどね!それにしたっておはようだから笑ったよ』
『すまん、なんか指が勝手に触ってたみたいで』
『指が勝手な動き出したってこと!? 私におはよって伝えたくて?』
『んなわけあるか! 妹が部屋に急に入ってきてその時に送っちゃったんだよ』
案外と会話をスタートさせてみると想像していたよりも遥かにテンポ感良く続くものだった。
相手の表情や空気感というのが伝わってこない分、文面でのやり取りでは『気持ち悪い』となってしまう感情も出てこないし、何よりも静香の明るい性格と時折挟まれるキャラクタースタンプが画面内の雰囲気を可愛らしくしているのも要因かもしれない。
そこからしばらくは何気ない会話を続けていたのだが、始めたのは良いものの、このラリーはいつ終わりにすれば良いのだろうという疑問が頭に浮かぶ。
こちらから連絡を取ってしまっただけに勝手に終わらせてしまう事も気が引けるなと、一度返信する手を止めていると、先程までは毎回絵文字や顔文字スタンプなどを駆使した可愛らしい文面だったのだが、少し真面目な雰囲気の文章が送られてきた。