七話
文化祭当日。
ヤツがやってきた。
フチガミの本体がやってきた。
千早はフチガミの圧倒的な力にズタボロにされる。
そしてその牙は琴葉にも──。
そんな時、死の間際で琴葉は鈴鹿御前の力に目覚めた。
千早に血を分け与えて、己の力も奮い立たせて二人でフチガミを倒したのだった。
そして雨上がりの中、二人はカップルコンテストで結ばれることになった。
文化祭当日はやはり雨だった。市内には河川の氾濫警報が出ているが、渕ヶ丘高校は高台の山にあることもあって予定通り文化祭は実施することとなった。
客足が心配されたがふたを開けてみれば盛況だった。
「おかえりなさいませ!」
「おかえりなさいませ、ご主人様──」
琴葉と千早のメイド喫茶も客足は十分だった。
カーテンも張り替えてシックな内装に改造した教室でメイド服を着た女子生徒達が手作りのお菓子と紅茶でもてなす。人気が出ないわけがなかった。
「ふふふ、琴葉も千早もメイド服似合ってる~」
「茜も似合ってるよ。メイド服」
「そう? ふふっ、嬉しいなあ」
茜が髪を揺らして微笑む。
あっという間に午前中が終わりそうだった。
「琴葉も千早も朝早くからお菓子の準備に接客に忙しかったでしょ? カップルコンテストもあるし今のうちに二人で休憩行っておいでよ」
「そうね。そうしましょうか、千早」
「ええ」
「二人でデートして役作りしてきてね!」
「あはは、分かったよ」
「じゃあ、茜。あとは任せたわ」
「うん。あとはお任せあれ。衣装の着替えもあるから時間までには帰ってきてね~」
「はーい。じゃあ、また後で」
「また」
「いってらっしゃーい」
手を振る茜に見送られて琴葉と千早は教室を出た。
§
「どこからまわろうか?」
「演劇部の舞台も見たいけど、朝ごはん軽くしか食べてないから何か食べたいな」
「そうだね。じゃあ出店のコーナーに行ってみようか」
「うん」
千早が歩き出そうとする。
琴葉が並んで歩き──距離を詰める。
「琴葉?」
「その──デートしましょう。手をつながない?」
そう言うと琴葉が千早の手をとる。
「ふふっ、もう手を繋いでるじゃない──うん、デートだもんね。手を繋ぎましょう」
千早が指先を絡めて微笑む。
「うん!」
琴葉も微笑む。二人が出店の方に歩いていく。
「何がいいかな? アメリカンドッグとかあった気がするよ」
「たこ焼きもいいわね」
「ガッツリ焼きそばもいいなあ。朝からスコーンにフィナンシェで甘いものだったからしょっぱいものが食べたい」
「そうね。私もしょっぱいものが食べたい」
二人が各クラスの出し物を横に眺めながら歩く。
「執事喫茶とかもあるのね」
「うん、メイド喫茶の次くらいに人気だよ。千早は男装も似合うから執事喫茶だったら一番人気だっただろうね」
「私は琴葉のメイド服が見たかったからメイド喫茶で良かったわよ」
「ふふ、似合ってる?」
琴葉が小首を傾げて千早を見上げる。
「ええ、世界で一番似合ってるわ」
「もう、世界で一番は言い過ぎだよ~。でも嬉しい。ありがとう、千早。千早もとっても似合ってるよ」
琴葉が微笑む。
「ありがとう。琴葉に褒められるのが一番うれしいわ」
千早が少し照れながら微笑む。
教室のある区画を抜けて出店のある外に出たがやはり雨が降っていた。
「雨ずっとやまないねー。梅雨でもないのに」
「そうね。ちょっと嫌な感じだわ」
「嫌な感じ?」
「ええ、フチガミの気配がするの。何処ってことはなく市内全体から薄っすらと気配を感じる。結界は効いているはずなのに」
「早く蛇神社の本体を倒さないといけないかもね」
「そうね。フチガミは洪水の神様。水害の神様だからこの雨で活性しているか、最悪のパターンはこの雨がフチガミによるものね。明日はなるべく早めにケリをつけましょう」
「うん」
二人が屋台の前に到着する。
「何にしようか?」
「うーん。焼きそばの香りがとっても魅力的かも」
「私もおんなじ事考えていた。このソースの香りはちょっとズルいよね」
鉄板から濃厚な香ばしいソースの香りがしてくる。
フラフラと導かれるようにして二人は焼きそばを購入した。
屋内に戻ってベンチでふたを開ける。
「美味しそう~」
「うん。とっても美味しそう」
朝から甘いものしか食べて来なかった二人にとってこれは刺激的すぎる香りだった。
一口、麺を食べるとモッチリとした麺に濃厚で香ばしいソースが絡みついていて食欲を更に倍増させる。具材のキャベツ、ニンジン、豚肉も強火で一気に焼き上げられておりジューシーな味わいだった。
「美味しい──めちゃくちゃ美味しい」
「うん、最高──」
二人はあっという間に食べ終えたのだった。
「あー、なんかようやくお腹が落ち着いた」
「そうね。やっぱりしょっぱいものも必要ね」
ごみ箱にプラ容器を捨てると二人は体育館に向かった。
目的は演劇部の舞台だった。今年の演目は銀河鉄道の夜だった──。
§
体育館に向かおうとしていた千早が急に怖気を感じる。
「琴葉──!!」
琴葉も異変を感じていたようだ。身を震わせている。
「千早──何か凄く嫌なものが近くにいる。怖い……」
琴葉が絡めていた指に力を込める。
「どこだろう? グラウンド──? 違う、もっと見下ろされている感じ」
「でも誰も騒いでいない──人気のないところかも」
「琴葉──鬼の力を使うよ」
人気のない通路で千早の髪の毛が銀髪になっていく。
「グラウンドでもない。体育館でもない。教室でもなさそう──屋上か!」
千早が上を見つめる。
「琴葉、どの校舎の屋上が一番広い?」
「第一校舎! ついてきて──」
手をつないだまま、二人が第一校舎の屋上めがけて走り出した。
何人もの生徒が千早の姿を見て振り返ったが、学園祭のコスプレと思い少しだけ見惚れてから学園祭を楽しんでいた。
§
十分ほど全力疾走したところで第一校舎の屋上に辿り着く。
「ここに──」
「ええ、間違いないわ」
千早はもちろん、琴葉にも十分わかるほど嫌な淀んだ気配がにじみ出ていた。
「鍵はかかってるか──ごめんなさい」
千早が爪を伸ばしてドアノブを壊して扉を開く。
「────」
そこに、それはいた。
まつろわぬ神。
荒ぶる神。
水害の神。
フチガミの本体がそこにとぐろを巻いて鎮座していた。
まるで自分の領土を荒らす不埒な輩を待っていたかのようだった。
睨みつけられて、動けなくなる。
蛇ににらまれたカエル以下だった。メデューサによって石像に変えられたようにその場に縫い付けられてしまう。
「っ──」
瞬間、千早は悟ってしまった。
勝てない──。
圧倒的な負のオーラに気圧されてしまった。
どうする?
逃げるか?
けれど逃げたら琴葉だけでなく他の生徒や一般のお客さんも巻き込まれるかもしれない。
転校した当初の千早なら、琴葉さえ無事ならよかった。けれど日々の生活を通して、体育祭を通して、クラスのみんなも大切な友達になった──なってしまった。自分だけなら逃げられる。琴葉も何とかなるかもしれない。けれど全員を避難させるなんて出来ない。
戦わねば──でも、どうやったら勝てる?
勝てないのに、どう戦う?
千早が生存本能にしたがって少しずつ後ずさる。
「千早──」
琴葉が後ろから千早を抱きしめる。
「ごめん。怖いと思うけど──戦って。今、退いたらみんなが危ない。私達でやっつけなきゃ」
琴葉がメイド服をまくり二の腕を千早の口元にもっていく。
「限界まで──限界以上でもいい。思いっきり血を吸って」
「琴葉──わかった。痛いけど、我慢して──」
「うん」
千早が牙を伸ばして、琴葉の細腕にかぶりつく。
「つぅ──」
普段のキスや舐める行為がない吸血にこんな痛みを伴うのかと琴葉は驚いた。
でも、これから千早はきっと、もっとつらい戦いになるのだと思い我慢して、目の前のフチガミを睨みつける。
フチガミはそこに鎮座したままだった。
時折こちらの行為を不思議そうに見つめながら舌をチロチロとだして様子を伺っている。
圧倒的な格上だからこそ許される行為だった。
どうすれば勝てるんだろう?
私には何か出来ないんだろうか?
琴葉は考える。
少しずつ鈴鹿御前の力に目覚めつつある。
体育祭以降、身体能力が向上した感じはある。動体視力はかなり向上している。少しくらいなら常人離れした動きも出来るようになった。けれど千早ほどではない。まだ人の枠に収まっている。千早に血を分け与えるくらいしかやっぱり出来ないんだろうか?
そんなことを考えているとぐらりとした感覚がする。
視界が狭まったり、広がったり、意識の輪郭がピント調整しようとしているが上手くいかない感覚に陥る。
「琴葉。ありがとう──」
千早が牙を引き抜く。血を吸い終わったようだ。
「気をつけて。千早」
「うん、琴葉は後ろに下がっていて」
千早が前傾姿勢をとる。
雨粒が滴り落ちていた。
しかし千早の周囲ではその雨粒が蒸発している。
極限まで大嶽丸の力を引き出した千早は人の理を越えた存在となり、人の耐えられる熱量を遥かに越えた高熱を宿して臨戦態勢をとる。鈍色に輝く爪を刃のように伸ばして、鋭い牙を伸ばして、銀髪をなびかせる姿は人の持つ美を超越した一つの化生としての美を宿した存在になっていた。場違いなメイド服も一種の戦装束になっていた。
フチガミがようやく動く。
観察するだけの小さき存在から、戦うべき存在であると認識を改めたようだった。
全長二十メートル以上のフチガミが首を伸ばしながら徐々に千早と距離を詰める。
五十メートル四方の屋上は両者にとって最適とは言えない間合いだった。
フチガミにとっては狭く、千早にとっては広かった。
だから先に動いたのは千早だった。
前傾姿勢のまま全身に力を込める。
「っ──」
琴葉の目の前から千早が消える。
琴葉には千早が消えたかのように見えた。
琴葉の強化された動体視力でも追いつけないほどの速さで千早は駈け出し、爪をふるい、フチガミのわき腹を狙ったのだった。
「くぅ──」
バキン──鈍い音が聴こえた。
フチガミの身体には傷一つ入らず、代わりに千早は爪をへし折られた。赤い血がポタポタと指先から流れ落ちていく。
「千早!」
痛みに耐えるように俯き、指を握る千早に琴葉が叫ぶ。
「だいじょうぶ。まだまだ──」
折れた爪は再び元通りに生えていた。
今度はフチガミが動く。予備動作なく、頭を伸ばして千早を飲み込もうとする。
「危ない!」
琴葉が叫ぶのと同時に千早はその場から勢いよく跳躍して上空へと離脱する。千早がいた空間にフチガミが頭から飛び込む。千早は上空から戻る勢いでフチガミの脳天にかかと落としを決める。履いていたパンプスが粉々に砕けるほどの、稲妻のような勢いだった。
「やった──」
「まだまだよ」
バックステップを決めてその場から離脱した千早の頬をフチガミの尻尾が襲う。寸での所で躱すが頬がぱっくりと割れて血が滴り落ちる。
そこからはフチガミが連打を決める。
頭で押しつぶそうとし、牙で裂こうとし、尻尾で叩き潰そうとし──少しずつ千早は身体に傷を負っていった。傷が治る前に新しい傷が出来ていった。
十分ほどの攻防で千早のメイド服はボロボロになっていた。純白のフリルは真っ赤な血で汚れていた。脚も手も、顔も、傷がない箇所はない程であった。
「千早──」
琴葉は焦っていた。
千早の傷の治りが少しずつ遅くなっている気がしたからだ。
そしてフチガミに有効打を与えられていないのも焦燥感に拍車をかけていた。
全くではない。少しずつ千早の爪でフチガミも傷を負っているが千早の傷の多さの方が勝っている。このままではジリ貧だ。この状況でも自分に何もできないことがもどかしくて辛いと琴葉は千早の戦いを見つめ続けた。
「はあっ──!」
千早が何度目か分からないがフチガミに突進する。フチガミの尻尾による攻撃をすれすれですり抜けて爪で切り裂く。
「──!」
ずっと同じ所を執拗に攻撃していた甲斐があってついにフチガミの腹部に一条の傷跡を残し流血させることが出来た。
「はあ、はぁ──」
しかし明らかに千早は満身創痍だった。
肩で息をする姿には全く余裕はない。
しかしフチガミの猛攻は続く。
二十メートル越えの体長から繰り出される尻尾の攻撃は当たれば鉄筋コンクリートでも粉々にしてしまうだろう。常にその脅威にさらされ続ける死線の中に身を置くことのプレッシャーは想像を絶するものだった。千早は己の想像以上に消耗していたが、それに気が付く余裕も無くなっていた。
バックステップで尻尾の攻撃から逃げる際に、身体がガクっとよろける。
「千早──!」
千早はその瞬間、後ろにいる琴葉の事を思った。
盾にならなきゃ。
避けれない。
後ろに飛べない。
こらえるしかない。
両腕をクロスさせて、全身に力を入れる。
「ぐっ──」
その場でこらえようとしたが、あえなく千早は後方に吹き飛ばされた。
「千早!」
琴葉の目にはスローモーションのように千早が吹き飛ばされていくのが見えた。
身体がとっさに動いた。動くことが出来た。
千早を両腕で受け止める。
「きゃっ──」
勢いに負けて琴葉も一緒に後ろに飛ばされて、屋上の貯水タンクにぶつかる。
しかし琴葉は千早を決して離さなかった。
「痛──千早」
衝撃に千早は気を失っていた。
「千早、目を覚まして。お願い、起きて」
琴葉がメイド服の袖を破く。そして千早を抱きしめながら、片腕を千早に噛ませようとする。
「お願い、千早。血を吸って。死なないで」
牙を無理やり刺し込ませる。激痛が走る。けれど千早はもっと痛い思いをしていた。
お願い、千早──。生きて。負けないで。
意識が白濁していく感覚がする。千早が血を吸ってくれている証拠だ。
よかった。血を吸ってくれている。
安心して、余計に力が抜けていく。
早く、フチガミが襲ってくる前に──。
しかしフチガミはすぐそこまで迫っていた。
琴葉が千早を引きずって貯水タンクの陰に隠れるがフチガミは尻尾で難なく貯水タンクを破壊していく。ミシミシと巨大な貯水タンクが締め壊されていく。
お願い、目覚めて──。
目の前で貯水タンクが完全にひしゃげてゴミくずになっても千早は目覚めない。
琴葉はじっとフチガミを睨みつける。
琴葉にはスローモーションのように見えた。
フチガミが笑っているように見えるのも、尻尾を振り上げたのも、全部スローモーションのように見えた。死ぬ直前ってこういうものなのかな? 私、死ぬのかな?
琴葉の思考が止まらない。
死にたくない。
でも死ぬのなら千早も一緒だし、良いのかな?
ああ、千早に好きって告白してないな。
千早って絶対に私の事好きだよね?
私は──好きだもん。
千早が好き。
千早が好きで、千早と一緒に生きたい。
いっぱい色々な所に行って、色々な場所で遊んで、いっぱいおしゃべりして、楽しいことも、悲しいことも、全部まとめて大切に残しながら生きていくの。
そうしたかった──。
まだ、死にたくない。
まだ、生きていたい。
フチガミを倒したい。
フチガミに勝ちたい。
勝ちたい。
勝つ。
──?
ありえない程思考が高速化していた。
もう、フチガミに叩き潰されていてもおかしくないのに──。
それも思考の片隅に流れていった。
雨粒が完全に止まって見えていた。
どうして?
そう思った。
『今、目覚めつつあるからですよ──』
「誰!?」
琴葉が問いかける。
『あなたの前世──そうですね鈴鹿御前と呼ばれているものです』
「鈴鹿御前──」
『助けたいですか? この鬼の少女を』
「助けたい。だって好きだから」
『鬼でもですか?』
「それでも私は千早が好き。大好きなの」
『今なら人としてその生涯を終える事が出来ます。不幸な事故かもしれませんが人として死ねます。しかし私の力に完全に目覚めたらそうはいかないですよ。蔑み、迫害されるかもしれません。想い人と結ばれないかもしれません。事実、私はその鬼と殺し合いの末に別れました』
「今、人として死ぬくらいなら、化け物として千早と生きていく。どんな覚悟が必要か想像もできない。けれど千早と一緒に生きていきたい。その為だったら化け物にだって私はなる。だから力を貸してちょうだい」
『──いいでしょう。まあ、どの道そうなる運命なのでしょうね』
鈴鹿御前の声色が柔らかくなる。
『今度は仲良くして下さいね。どうか、上手くいきますように──』
声が遠ざかっていく。
琴葉は自分の中で何か大きなうねりを伴った変化を感じていた。
暖かい。
春先の太陽の暖かさのようなものを全身で感じていた。
そして右手に違和感を感じる。
「剣?」
それは日本刀だった。
「これは──千早の髪の毛が結ばれている。鈴音神社にあったはずの顕明連──どうしてここに?」
それは鈴音神社の結界として千早が髪の毛と血を使って印をつけた日本刀。鈴鹿御前が使っていた三つの宝剣のうちの一つ、顕明連だった。
「つまりは──これで戦えって事ね」
フチガミに勝つ。
勝てるかは分からないけど、あの声の主──鈴鹿御前がくれたのなら、やってやろうじゃない。
止まっていた雨粒がゆっくりと加速しながら落下していく。
徐々に止まっていた時が戻っていくのだと理解した。
振り下ろされるフチガミの尻尾に顕明連を掲げる。
そして、その時はやってくる。
「──?」
フチガミは初めて困惑した。
確実に息の根を止める一撃だったはずだった。それが止められいている。しかもさっきまで己が戦っていた銀髪の少女ではなくその後ろに控えていた少女に。全くの予想外だった。
片腕で止められている? それにあの剣はとても嫌なものを感じる。それに赤い髪の毛も。かつてその姿を何処かで見たことがある。そうフチガミは思った。
いったん距離をとるために初めてフチガミは自ら後退する。
「全然衝撃を感じなかった──」
左腕は千早に牙を刺されているから右手だけでフチガミの攻撃を受けたが正直受け止めきれるとは思っていなかった。だから衝撃の少なさに琴葉は驚いた。
「──くぅ」
すると千早が目を覚ます。
「千早! よかった──」
「琴葉──その赤い髪の毛。まさか!」
「そう。鈴鹿御前の力に目覚めたの! 神社に置いてたあの刀もなんでか手元にやってきたし、私も戦えるよ。大丈夫、千早は休んでいて」
「ううん。だいぶ良くなったし、鈴鹿御前になった琴葉の血を飲んだから私も十分やれる。二人で倒そう」
「うん!」
二人が一気に走り出してフチガミとの距離を詰める。
千早が爪を繰り出し、琴葉が顕明連をふるう。
フチガミの鮮血が周囲に舞う。
千早は驚いていた。さっきまでとは明らかに違う。フチガミが弱体化している? 違う、琴葉の血を吸ったことで己の力が強化されているのだ。爪で深く切り裂くことが出来ていた。
琴葉も驚いていた。日本刀など扱った事がない。それでも身体が理解していた。鈴鹿御前の記憶が身体に焼き付いている。化け物との戦い方を身体が覚えていたのだった。
二人は一気に勝負をつけようとした。
身を切り裂かれる痛みから闇雲に尻尾で攻撃してくるフチガミを避けながら全身を爪で、刃で、切り裂いていく。瞬く間に周囲はフチガミの血で鮮血に染まっていく。
二人のメイド服も真っ赤に染まっていた。
フチガミは理解できていなかった。何故、急に二人が力をつけたのか、何故、己が狩られる側になったのか。しかしこのままでは死んでしまうという事だけは理解できた。
だから逃げる事にした。
神様も普通の生き物となんら変わらなかった。
「千早!」
「ええ!」
しかしそれを千早が阻止する。
フチガミの胴体に爪を刺し込みがっちりと抑えつける。
「琴葉!」
「うん!」
琴葉が顕明連をもってフチガミの正面に回り込む。
琴葉はフチガミと目が合ったような気がした。
その目は死にたくないと訴えかけていた気がした。
「ごめんなさい──」
琴葉はまっすぐにフチガミを見ながら顕明連の刃を脳天に突き立てた。
水蒸気のようにフチガミの身体が消えていく。
血の跡も何もかも、夢幻だったのではないかと錯覚するほどだった。
しかしひしゃげた貯水タンクが、ボロボロになったメイド服が夢ではないことを示していた。
二人が同じタイミングで並んで倒れ込む。
「倒したのかな?」
「たぶん倒したんじゃないかな? 後で蛇神社に行って結界は張るけど、あれが本体だったって信じたい」
「私、役に立った?」
「もちろん。琴葉がいなかったら何回死んでいたか分からないよ」
「よかった──ずっと守られっぱなしだったから、千早を守れてよかった」
「私はずっと琴葉に守られていたよ。琴葉に出逢えて本当に良かったんだから」
「私もだよ──」
琴葉が千早の手を握る。
千早も握り返す。
その時だった。
『二年A組の田中琴葉さんと七海千早さん。至急体育館に来てください。繰り返します。二年A組の田中琴葉さんと七海千早さん。至急体育館に来てください。カップルコンテストですよー』
そんなアナウンスが学校中のスピーカーから流れた。
千早が億劫そうに琴葉の顔を見る。
「どうする? このまま行かないで寝てる? 雨に濡れながら寝るのもいいものよ?」
「──行こう。ふふっ、私に考えがあるの」
「考え?」
「行ってのお楽しみだよ。ほら起きて」
そうして二人は屋上から体育館を目指す。フチガミが倒されたからか、偶然か、長雨が止んで晴れ間が見えてきた。虹のアーチに見送られる。
§
「遅れてすみませーん」
ステージに出た琴葉と千早は壇上にあがっていたどのカップルよりも注目を集めた。単純に遅れたからではない。その見た目だった。片方がタキシード、片方がドレスなコンテストにおいて二人ともメイド服。しかもボロボロ。しかし二人の纏う雰囲気がそれを隠していた。琴葉の深紅の赤髪と千早の白銀の銀髪がいい意味で目立っていた。
「それでは他のクラスの皆さんはアピールタイムが終わっていますので二年A組さん、お願いします」
司会の生徒は二人の姿に若干動揺していたが職務に忠実にあろうとした。
「琴葉、アピールって何も考えていないんだけど」
「大丈夫」
琴葉が司会の生徒からマイクを奪う。
そして再び千早の横に立つ。
「私たちは今回タキシードとドレスを着ませんでした。まあ、これは理由があるのですが、このカップルコンテストにはむしろちょうど良いと思いました。私──田中琴葉は女として隣にいる七海千早の事を愛しています」
会場がどよめきに包まれる。
「ちょっと琴葉──」
千早の言葉を琴葉が遮る。
「いつから好きになったのかは分かりません。ある事情で一緒に暮らす様になって、一緒にいるのが当たり前になって、気が付いたら好きなっていました。初恋です。初めて人を好きになりました。初めて人を愛しいと思いました。朝起きておはようと言って、夜寝る前におやすみと言い合える関係をずっと続けたいと思いました。寝起きの顔も、朝ごはんを食べているときの顔も、授業を受けているときの顔も──全部が愛おしいと思いました。この人を愛したい。この人に愛されたい。そう思いました。だから千早──私と付き合って下さい」
琴葉がマイクを千早に向ける。
千早が固まる。
周囲からはがんばれー等とヤジが入る。
千早は困ったような笑みを浮かべると口を開く。
「琴葉──ズルいよ、先に好きなったのは私だよ? 一目惚れだった。実際には出逢う前からって言った方が正しいのかもしれないけど、それでも初めて出逢った時に私の運命の人はこの人だって思ったの。初めてフィナンシェを一緒に作った時、嬉しくて何日かに分けて食べた。琴葉に出逢う前は周りの人とか、友達とかどうでもいいって思っていたけど、クラスのみんなとも仲良くなれた。琴葉は私の運命をたくさん変えてくれる人。──特殊な体質の私を受け入れてくれて一緒に生活してくれて嬉しかった。でも甘えすぎちゃダメだと思うから、自分の感情が重荷になっちゃうと思ったから琴葉の家から出て行こうと思った。でも、私だけじゃなかったんだね。私だけが好きなんだったら、諦めようと思った。大切に、大切に思い出に残そうと思った。けれどそうじゃなかった。琴葉も私が好きだった──それがとても嬉しい。本当に、本当に嬉しい。泣いちゃうくらい。琴葉──大好きです。琴葉と一生一緒にいたいです」
琴葉が言葉を聴き終えると千早を優しく抱きしめる。
パチパチ──まばらな拍手は瞬く間に割れんばかりのものへと変わっていった。
§
学園祭が終わった翌日──。
二人は天堂山の蛇神社に来ていた。
「ここの祠にしましょう」
「うん」
蛇神社を参拝して、祠に千早の血を染み込ませた髪の毛を奉納する。
「よし。これでおしまい」
「ねえ、フチガミの気配しなかったね。やっぱり倒したのかな?」
「そうね。倒したんだと思う。でも、神様だからいつかはまた生まれてしまうのだと思うわ」
「そっかー」
「でも、今じゃない。暫くは、私達が生きている間くらいなら大丈夫なはずよ」
「私達っていつまで生きられるんだろうね?」
琴葉が千早の肩に頭を乗せる。
「分からないわね。普通に死ねるのか、長生きしちゃうのか──」
「どうせなら一緒に死にたいね」
「そうね。でも、先の事は分からない。いつ死ぬかは分からないけど、取り敢えずは身近なことを楽しむ事から始めましょう」
「身近な事?」
「そう──その、カップルになったんだし。いっぱいデートしましょう」
「──そうだね。なんてったってカップルコンテストで優勝しちゃったからね。ふふふっ、いっぱいデートしようね」
琴葉が千早の指先に己のものを絡める。
千早も指先に力を込める。
「琴葉、大好きよ」
「うん──大好きだよ。千早」
そうして二人は歩き出す。
「今日は水族館に行こうか」
「そうね。ペンギンさんを見ましょう」
仲睦まじげに二人が寄り添いながら歩いていった──。
七話です。
終わりです。
読んで下さりありがとうございました。