六話
フチガミ対策と言う名のデート──それは二人にとって楽しい時間だった。
そして文化祭の準備も粛々と進む。
カップルコンテストへの出場は想定外だった。でも、まあ、嬉しかった。
ああ、このまま何事もなく平和に終われば──。
翌朝。
「行ってきまーす」
「行ってきます」
「いってらっしゃーい」
琴葉の母親に見送られて二人は市街地に向かって電車で移動した。
「琴葉。今日の服、とっても似合っている。可愛いわ」
「ありがとう! 千早もとっても似合っていて綺麗ね」
琴葉はスカイブルーのワンピースに麦わら帽子、白いポシェットを合わせていて少女らしさを滲ませる着こなしだった。
千早は白いサマーニットのトップスにタイトなスカートを合わせていて、スタイルの良さも相まって琴葉とは対照的に大人びた印象を持つ着こなしだった。
電車に乗って二駅、市街地に降りる。
「まずは何処に行くの?」
琴葉が訊ねる。
「まずは映画を見ます」
「映画?」
「映画館は閉鎖空間かつ人が多く溜まる場所。人の念が溜まりやすい淀みが集まりやすい場所。だからまずは映画館に行って結界を張るの。でも結界を張るだけだと怪しまれるから普通の客として振る舞うために映画を見ます。昨日、本当に偶然だけれども茜にオススメの映画を教えてもらってネットでチケットを予約したのでそれを見ます。オーケー?」
千早が一息で琴葉に伝える。
「お、オーケー……」
琴葉は若干苦笑いを浮かべる。
「さあ、行きましょう」
千早が琴葉の手を掴む。
「ち、千早──」
「今日はデートよ。琴葉、手をつないでくれませんか?」
千早が微笑む。
「うん! 今日はデートだもんね!」
琴葉も微笑みを浮かべる。
そうして二人は歩き始めたのだった。
§
市内に複数ある映画館のうち一番大きな映画館にやってきた。シアター数は十二になる大型の映画館だ。
千早が琴葉の手を引きながら結界を張れそうな場所を探す。ごみとして処理されなくて、なおかつ霊脈に近い場所。
「千早、あてはあるの?」
「地下駐車場にしましょう。淀みが深いはずだし、地面を掘ってるから霊脈に近いとも言えるわ」
エレベーターで地下駐車場に降り立つ。オープンして時間が間もないという事もあって人気は全くなかった。千早がうろうろと歩き回って結界を張れそうな場所を見つける。車両入り口やエレベーターから遠い消火栓の裏に用意してあった千早の髪の毛の束を貼り付けて血を垂らしていく。
「うん、まずは一か所完了」
「お疲れさま」
「じゃあ、映画観に行こうか」
「うん」
手を繋いでエレベーターに乗り最上階の映画館ブロックへと向かう。
§
今日見るのは日本のラブロマンスホラー映画。
千早はカップルシートを予約していた。
しかし琴葉はホラー映画があまり得意ではなかったようだ。
「怖かったらどうしよう──」
「じゃあ、手を繋ぎましょう。そうすれば怖くないわ」
「うん──」
千早、優しい。
嬉しい。
千早と手をつなぐ。
暖かい。
琴葉が少しだけ千早と距離を近づける。
香水に混じって千早の香りがする。
甘くて、優しい香り。
私の好きな香り。
ドキドキしながら上映を待つ。
予告編が流れていく。海外の大作映画の予告だ。
「予告編って、映画館に来たって感じがするわよね」
「うん。何だかドキドキするね」
何本か予告編が流れていって、徐々に照明が落ちていく。
辺りが暗くなっていって、千早の横顔が見えなくなっていく。少しだけ不安になる。
「大丈夫よ。琴葉──」
小声で千早が囁いてくれる。そしてギュって手を握りしめてくれる。嬉しい──。
「ありがとう。千早──大丈夫だよ」
「うん──」
手を握り返して大丈夫なことを伝える。
そして無音が訪れる──。
映画が始まった。
それは幽霊になった恋人によって主人公が悲痛の奥底から立ち直る話だった。
幽霊になった恋人からの手紙で主人公が立ち直るシーンはとても美しかった。
映画が終わって非常灯が点いて、徐々に照明が明るくなってくる。
§
「綺麗な映画だったわね」
「うん。全然怖くなかった」
映画を見終えて、二人は少し早いランチに向かっていた。
相変わらず、その手は繋がれていた。
映画館を出てランチのカフェまで歩きながら感想を話し合う。
「本当に綺麗だったわ」
「うん。綺麗な映画だったね。しんみりして、でも綺麗だった」
「ホラーだけどラブロマンス要素が強かったわね」
「うん、全然怖くなかった。良いアクセントになっていたと思う。本当に素敵だったわ。ヒロインの手紙が切なくて、ラストシーン直前の幽霊になったヒロインとの抱きしめあうシーンは思わず泣いちゃった」
「本当に素敵だったわね」
「うん、千早と一緒に見れて良かった」
「私も琴葉と一緒に見れて良かったわ」
ランチは茜のオススメ──まあ、ランチ以外にもほぼすべて今日のコースは茜の考えたデートコースなのだけれども……。
カフェで店員さんに注文する。
「ランチプレートにオレンジジュースを」
「私はランチプレートにアイスティーをお願いします」
「かしこまりました──」
店員の女性が去っていく。
「千早」
「琴葉」
言葉が重なる。
「あっ、千早からどうぞ──」
「ううん、琴葉からどうぞ──」
「ううん、ただ──名前を呼びたかっただけ」
そう言うと琴葉はぷいっと横をむいてはにかんだ顔を見せる。
ああ、好きだな。
嬉しくて、愛おしくて、大好き──。
「琴葉──」
「なに?」
「ふふふっ、名前を呼んでみただけ」
「なによそれ」
「だって琴葉もそうしたかったんでしょ。私もだもん」
「千早──」
「うふふ、おんなじことを考えていたね」
「うん──」
この関係性がむず痒くて、愛おしい。
ランチプレートは牛頬肉の赤ワイン煮込み、ニンジンとジャガイモのグラッセ、海老とアボカドのバジルサラダ、ピラフだった。デザートに小さめのプリンがセットで置かれている。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
「うん。この牛頬肉とっても柔らかーい!」
「よく煮込まれていて美味しいわね。ピラフとの相性も抜群よ」
「海老とアボカドのサラダも美味しいね」
「ええ、バジルの風味がよくきいていて美味しいわね」
「ふふふ、当たりのお店だったね」
「そうね。千早。お店選んでくれてありがとうね」
「ふふふっ、琴葉のためだもの。これくらい、なんてことないわよ」
「ふふっ、ありがとう──」
そうやってにこやかに微笑みながら二人はランチを食べ終えた。
デザートのプリンはとっても美味しくてお代わりしたいくらいだった。
また、琴葉と一緒に行こう。千早はそう思った。
§
最後は水族館だった。
休日というのもあって水族館は家族連れやカップルで混みあっていた。
「はぐれるといけないから──」
「うん──」
千早が手を差し出して、その手を琴葉が握りしめる。
そうして水族館の中を歩き始めた。
水槽を二人でめぐっていく。
「わー大きい!」
ジンベイザメを中心とした大きな水槽に目が惹かれる。
「大きいわね」
「イワシさん達の群れも綺麗だね」
「うん。大きな塊みたい」
銀色に輝くイワシの群れが縦横無尽に水槽を駆け巡っている。
「エイの顔って面白いよねー」
「目じゃないらしいわよ」
「へー、そうなんだ」
琴葉がエイの腹面と睨めっこをしている。
そんな琴葉が可愛くて千早は思わず抱きしめそうになった。
済んでのところで自制心を働かせて手をギュッと握るに留まらせた。
「千早とこうやって水族館を巡るの、すごく楽しい──」
「私もだよ。琴葉──」
ドキドキする。
胸がドキドキして──暖かい。
「ほら、次の水槽に行きましょう」
「うん」
水槽巡りを再開した。
深海魚コーナーやチンアナゴのコーナーを見ていくと外に出る。
「わー、ペンギンさんだ!」
外では柵に囲まれてペンギンが見られるようになっていた。
「ペンギンさんがお散歩しているね」
「可愛い」
ペンギンが飼育員によって行進していて、愛らしい姿を観客達に披露していた。
「わー、赤ちゃんペンギンだ!」
「思っていたよりも大きいのね」
毛の色が茶色で一目で赤ちゃんだとわかる姿だが、ずんぐりむっくりとしていて隣に並ぶ親ペンギンと大差ない大きさだった。
「大きいけど可愛いね」
「そうね」
ひとしきり鑑賞してペンギンコーナーを後にする。
屋外を歩き進めるとショーステージが眼前に広がる。
「イルカショーだって。そろそろ始まるみたいだし見ていこう!」
「ええ」
濡れないように後方の席に座る。
しばらくするとステージが始まった。
まずはアシカが二頭登場する。お辞儀から始まり、ボール遊びやエサキャッチなどの芸に観客が拍手を送る。私と千早も盛大に拍手を送っていた。
そしてイルカが登場する。
三頭のイルカが待機場所から泳ぎ出すとあっという間に中央にやってきて思いっきりジャンプする。
「わー!!」
「すごい、すごい!」
連続でジャンプを決めると今度はフラフープ潜りやボール遊び、飼育員を乗せてのジャンプなど大技を次々に披露していく。
その度に二人は歓声をあげてショーに魅入っていた。
最後にアシカとイルカが挨拶をしてショーは終わりを迎えた。
興奮冷めやらぬといった様子で次のコーナーへと向かう。
「凄かったねー!!」
「イルカさん達のジャンプ、とっても迫力があったわ」
仲良く手を繋ぎながら最後の水槽に到着する。
「わー、綺麗──」
「これを見せたかったの──」
琴葉が息を飲んでいると、千早が微笑む。
そこはクラゲの水槽だった。
無数の種類のクラゲがライトアップされた水槽の中を優雅に泳いでいる。
まるで夜空に浮かんでいるようだった。
「本当に素敵──」
「お星様みたいよね」
「本当に綺麗だわ」
「えへへ、琴葉と一緒に見れて大満足よ」
千早がニッコリと微笑む。
琴葉も微笑み返す。
「ここに結界を張りましょう」
水槽付近の観葉植物の底に髪の毛の束をセットする。
「うん、これで良し──」
「今日はこれでおしまい?」
「ええ、そうね。今日はこれでおしまい」
「そっかー。ねえ、千早。また、いろんなところにお出かけしようね」
「ええ、いっぱい色んなところに二人で行きましょう」
「うん。約束だよ」
「ええ。約束──」
繋ぎ合う指先に互いに力を込めた。
§
帰宅後、千早は湯船に浸かりながら今日の事を思い返す。
「楽しかった──」
本分はフチガミ対策。分かっているが、それでも今日のデートは千早にとって大きな意味を持つものだった。普通にデート──出来ていたはず。琴葉も楽しんでくれていたし、なにより──手をつなぐことが出来た。手をつなぐって凄い。あんなに嬉しくて、優しくて、フワフワのドキドキした気持ちになれるなんて知らなかった。手をつなぐって凄い──。千早が満足気に鼻歌を奏でる。
どうせなら──好きって言えば良かったかな?
そう、思ってしまった。
でも、それはフチガミをどうにかしてから。
フチガミ対策の結界はあと四か所くらいに張れば十分だろう。今日は市街地に結界を張れたから後は山間部を重点的に対策すれば残すは本丸の蛇神社だ。
今月中にはケリをつけたい。
そして──琴葉に告白しよう。
「よし──」
千早がお湯から立ち上がる。
§
同時刻、琴葉の自室では──。
「千早──」
琴葉が枕を抱きしめる。
「やっぱり、私──千早が好きなんだ」
今日のデートではっきりと分かった。千早といると胸が暖かくなってドキドキして、これが恋なんだって思う。私の初恋だ──。
でも、千早はどう思っているんだろう。
きっと好き──なんだと思う。けど、それは私が鈴鹿御前の生まれ変わりで、千早が大嶽丸の生まれ変わりだから? 千早自身は私の事、好きなのかな?
そんな考えが琴葉の脳裏をよぎっていく。
千早の事を考えると、ドキドキして、少しだけ不安に思う。
「恋って苦しいんだ──」
枕をギュっとして、千早が戻ってくるのを待っていた。
§
翌日から、学校の空気は一変していた。
体育祭ムードは一気に学園祭のものへと切り替わっていた。
琴葉のクラスでも出し物の打ち合わせがロングホームルームの時間に行われていた。
学級委員長の琴葉が壇上に立つ。
書記の千早がその後ろに立って控える。
「それじゃあ、文化祭の出し物についてです。体育祭で優勝したので今年はメイド喫茶にしたいと思いますが異議のある方はいますか?」
誰も異を唱える者はいなかった。
「では文化祭の出し物はメイド喫茶に決まりです。では──」
その後もメイド喫茶についてどうするかが話を進めていった。
今回はクラシックなメイド喫茶で紅茶と手作りの焼き菓子をメインに据えようという案が採用された。
内装は茜を始めとしてあゆみや由美が主導となって準備を進めることになり、ドリンクや焼き菓子は琴葉や千早が料理同好会の設備を借りて準備することになった。
メイド服は各自衣装部屋からレンタルすることになったので、打ち合わせもそこそこに試着しに向かうことになった。
裁縫部と演劇部の共同倉庫に向かい、衣装をチェックする。
そこにはずらりとメイド服が並んでいた。
モノトーンを基調とした落ち着いたクラシックスタイルのメイド服から、パステルカラーの可愛らしいものまで各種揃えてあった。
琴葉たちはクラシックなメイド服を手に取る。
「かわいい~」
上品なフリルがあしらわれたそれは生地も縫製も上等なもので本当にメイドが着るように仕立て上げたもののようだった。
「千早、背が高いからクラシックなメイド服がとっても似合うね」
琴葉がメイド服を着た千早の写真を撮る。
モノトーンのメイド服が千早の色気を上品に引き出していた。
「琴葉も可愛いわ。えへへ、おそろいのメイド服──」
千早が微笑む。
「うーん、二人とも絵になるねえ」
同じくメイド服を着た茜が琴葉と千早のメイド服姿を写真に収める。
「茜も似合ってるよ」
「うん」
「二人には負けるよー」
あっけらかんと笑う茜だった。
「はい、ヘッドドレス。メイド長は琴葉だからね。これつけて」
「私なの?」
「学級委員長でしょ? うちのクラスの顔なんだから、琴葉以外にいないっしょ」
「じゃあ──」
琴葉が茜からフリルのついたヘッドドレスを受け取る。
「うん、よく似合ってるよ。千早もそう思うよね?」
「ええ、本当に似合ってるわ」
「うんうん。じゃあ、次は二人ともドレスとタキシードに着替えようか」
「えっ!?」
「なんで?」
茜の提案に二人が驚く。
「何でってカップルコンテストよ。今年は琴葉と千早で出場すれば絶対に優勝間違いなしよ」
茜がニヤッと笑う。
カップルコンテストは学園祭の出し物の一つだ。いわゆるミスコンで各クラスから二人が出場して一般投票で一位を決めるコンテストだ。変わった点をあげるとすれば二人のうち一人は男装をするという点が挙げられる。
「あー、カップルコンテストね。でも千早はともかくとして私でいいの?」
「何言ってるの。琴葉も千早に負けずに美少女なんだからいいに決まってるでしょ。それにうちのクラスの顔なんだから。ねっ、みんなもそう思うでしょ?」
茜が周囲の生徒に問いかける。
「賛成~」
「うんうん、私も賛成!」
「琴葉ちゃんと千早さんなら優勝間違いなしだよ!」
「七海さん、男装姿がとっても似合いそう──」
「琴葉ちゃん、可愛いから大丈夫だよ!」
「二人ともお似合いだよね!」
女子生徒が賛同の声をあげる。
「ねっ?」
茜がウィンクをする。
「じゃあ、出ようか。千早」
「そうね。がんばりましょう」
「はーい、決まり~。じゃあ着替えましょう!」
そうして二人はみんなの着せ替え人形になるのだった。
§
それから文化祭の日まで、琴葉と千早は大忙しだった。
昼は文化祭の準備、夕方はフチガミ対策の結界張り、帰ったら日課となった吸血行為。
その繰り返しだった。
「薄力粉とかの粉物は基本的に全部先にふるいにかけておくといいの」
「一気に混ぜちゃダメなのね」
「ふるいにかけないとダマになって食感が悪くなったりするからね。このひと手間が大事なの」
「なるほどー」
千早は料理研究会で琴葉に料理やお菓子作りを教わっていた。
実家ではお手伝いさんの料理を食べるだけで自炊の経験はなかったので始めは慣れなかったけれど、毎日少しずつ色々なことを覚えていった。料理の味付けのさしすせそ、タンパク質の凝固温度、低温調理と殺菌温度、口どけと食感について、匂いと温度について、パンの発酵時間と温度、チョコレートのテンパリング、砂糖のキャラメリゼ、直火と湯煎、失敗しないスコーンの作り方──等々。たくさんの事を琴葉に教えてもらった。
学園祭のメイドカフェでは作り置きが出来るスコーンとフィナンシェにメニューが決まった。
その練習を調理実習室で連日繰り広げていたのだった。
「うん。千早、スコーン作るの上手になったね。ザクザクでバターの風味も良くてとっても美味しい」
琴葉がミルクティーと一緒にスコーンを頬張る。
「そう? ならよかった──」
千早もスコーンに口をつける。
ザクザクとした食感が小気味よくて、濃厚なバターの風味が広がる。甘さは控えめで何個でも食べたくなる味だった。
「次はフィナンシェだね」
「うん、お願いします。先生」
「えへへ、先生は良してよ」
「あはは──」
§
フチガミ対策の方も順調だった。
川から山へ、結界を張り巡らせてフチガミの弱体化を図る作戦は上手くいっていた。
時々、散発的にフチガミの末端と戦闘になることもあったが力を使い慣れてきた千早の敵ではなかった。今なら一番最初に出逢った程度のフチガミなら鎧袖一触で倒せるだろう。それほどまでに千早は強くなっていた。
今日は相手の本拠地の次に霊格が高い土地──戦国時代から歴史を持つお寺、高徳院に結界を張りに来た。高徳院は山の斜面を切り開いて作られた寺院で戦国時代、武田家が落ち延びて出家したことに端を発する寺である。
「大きなお寺ね」
千早が山門を見上げて呟く。
「古いお寺だからねー。私のお家のお墓もここにあるよ」
「そうなんだ。挨拶していく?」
「いいよ。お盆にお墓参りしたばっかりだし」
「そう。じゃあ、霊脈を探しましょうか」
二人が寺の中を進み行く。
山門を越えて、お堂を眺めて、千早は山の方を見た。
「お堂じゃなさそう?」
琴葉が訊ねる。
「うん、きっと山の方ね。琴葉は靴大丈夫?」
「うん、今日はローファーじゃなくてスニーカーだから大丈夫」
「じゃあ、ちょっと登りましょうか」
「分かった」
二人が山道を登っていく。最初は舗装された広い道が徐々に細くなり、次第に石畳に、そして砂利道に変わっていく。二十分ほど歩いたところで見晴らしの良い広場が現れる。小さなお堂もあった。
「ここにしましょう」
千早がお堂の裏手に回ってスコップで土を掘って髪の毛を埋めていく。
もう何回もやっているので手慣れたものだった。
琴葉がキョロキョロと周囲を警戒する。フチガミが現れるならそろそろなのだが──。
「最近現れないね、フチガミ」
「現れないに越したことはないのよ。戦わずに済むのならそれが一番。かなりの数の結界を張ってるからフチガミも弱体化したんじゃないかしら?」
埋め終えた千早がスコップをカバンにしまう。
広場に風が吹き込んできた。夏の終わり、秋を感じさせる涼しい風だった。
「もう夏も終わりね」
「来週は学園祭だもんね」
「ふふっ、琴葉のメイド服が楽しみね」
「千早のメイド服もね」
「あはは、そうね」
「帰ろうか」
「そうね、帰りましょう」
風を頬に感じながら、二人は家路へと向かった。
§
それから一週間。長雨が続いた。
時に苛烈に雷鳴を伴って。
時に静寂にしとしとと。
雨がこの土地を沈めようとするかのように。
ひたすらに地面を濡らし続けた。
二人は変わらず文化祭の準備とフチガミ対策を続けた。
千早のお菓子作りの腕前はかなり上達していた。フィナンシェとスコーンは琴葉と同等クラスに上手に焼けるようになっていた。
フチガミ対策も順調で市内のあらかたの霊脈に結界を張ることが出来た。あとは大元の天堂山の蛇神社を残すのみだった。
お風呂上り、季節の終わりを感じながらスイカを食べ終えた二人が部屋で話す。
「文化祭が終わった次の日、明後日には行きましょう。それで決着よ」
「なんだかあっという間だったね」
琴葉が部屋でストレッチをしながら感慨深げに呟く。
「そうね」
「千早はマンションに戻っちゃうの?」
「──そうね。残念だけど」
「このまま私の家に住んじゃえば? お母さんもお父さんも喜ぶよ」
「それは──とっても魅力的だけど。出来ない。私はマンションに戻るわ」
「そっか──残念だな」
「学校で会えるわよ。学校以外でも。フチガミ対策を抜きにして──デートしましょう。いっぱい色々な場所に遊びに行くの。きっと楽しいわ」
千早が微笑む。しかしその表情は少しだけ寂しさを浮かべているのが琴葉にも理解できた。
「──うん。千早といっぱいお出かけする。いっぱいおしゃれして、いっぱい色々な所にお出かけする。約束だよ?」
「ええ、約束」
千早が小指を差し出す。
琴葉が右手の小指を絡める。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら、血をのーます。指きった──」
「ふふふ」
「ふふっ」
「無理だけはしないでね。千早」
「うん、大丈夫」
「じゃあ。今日もしようか」
琴葉が髪をかき上げて首筋を千早に見せる。
「うん──」
千早が慣れた様子で首筋にキスをして愛し気に舐め始める。
「こうやって千早に血をあげるのもおしまいかあ」
「そうね。毎日は必要ないかも。でも、たまには吸わせてね──」
「うん。あっ──」
千早が牙を立てる。
琴葉が徐々に恍惚とした表情を浮かべるようになる。
痛みはなく、暖かなぬくもりと気持ちよさに包まれる。
ゆっくり、丁寧に、時間をかけて千早が琴葉の血を味わう。
「んあっ──」
ずぶりと牙が引き抜かれて、傷口をペロペロと千早が舐めていく。
「ごちそうさま。美味しかったわ、琴葉」
「ふふっ、お粗末さまでした──あれっ?」
少し琴葉がふらつく。
「ごめんなさい、ちょっと血を吸い過ぎたかも」
「あはは。大丈夫、寝れば良くなると思うから」
「ごめんね」
「いいよ、気にしないで。じゃあ寝ようか」
「ええ」
そうして二人は部屋の灯かりを落として眠ることにした。
§
琴葉は再び夢を見ていた──。
またあの夢。
放課後に千早と遊んで、家への帰り道。いきなり地鳴りと共に全てを押し流す濁流に街が飲み込まれていった。それを俯瞰して見続ける。通っていた学校も、遊んでいた水族館も、何もかも街全体を黒い濁流が飲み込んでいく。轟音と共に全てを砕いて飲み込んでいく様子は大蛇が餌を飲み込んでいくようにも見える。そんな光景を琴葉は見つめ続ける。何度も、何度も、繰り返し見た光景だ。轟々と音が響き続ける──。
§
またか──。
琴葉は嫌な予感と共に目覚める。
まだ千早は起きていなかった。
「千早──」
どうか千早に良くないことが起きませんように──そう祈りながら、千早の髪の毛を撫で続けた。
六話です。