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五話

フチガミ対策の中で、学生生活を過ごし、千早と琴葉の中も進展していく。

二人は互いを意識して、恋の片鱗を掴んでいく。

二人の恋路はどうなるのか?


 翌日、無事平穏に学校を終えた二人は茜と別れて図書館に向かった。

 結界を張るのに必要な霊脈を探すための古地図を探すのが目的だ。

 古くからある要衝が霊脈になっている例は多い。

 鈴音神社がいい例だ。


「いい地図が見つかると良いのだけど」

「うちの学校の図書館、市立図書館とも提携してるし結構蔵書数はいいよ。だからきっと見つかると思う」

 琴葉が慣れた手つきで端末を操作して古地図を探す。

「うん、いくつかあるみたい」

「よかったわ」

「郷土史のコーナーに置いてあるみたい」

「じゃあ行きましょうか」

「うん」

 図書館の二階に上がって奥へと進んでいく。

 そこは普段人が使っていない事が感じられる空間だった。

 ひっそりとしていて誰もいない。

 しかし展示には力が入っていた。

 郷土史──和渕についての書物がずらりと並んでいて、簡易的な年表も作成されて掲示されていた。

「ふーん、昔は栄えていたのね」

 千早が年表を見てポツリと呟く。

「うん、この市って山を背にして川がいくつも流れて海に繋がってるから江戸時代くらいまでは栄えていたみたい。でも蒸気機関車とかが走り始めたら陸路に便利な方に人は流れていってだんだん人が少なくなっていったみたい。今も電車の駅はあるけど新幹線とか走ってないしね、この辺は。だからこのまま行ったらマズいんだよってお父さんが言ってたの」

「なるほどねー。確かに坂上田村麻呂と鈴鹿御前が蝦夷征討に向かったってことは当時から栄えていたんでしょうし、結構古くからある街なのよねー」

 千早が古地図といくつかの文献をピックアップする。

「これだけあれば大丈夫そう」

「うん、じゃあ帰ろうか」

「ええ」

 そうして二人は資料をカバンに詰め込んで家路についた。


   §


 帰宅して、夕食を食べて、お風呂に入って、涼みながらスイカを食べた後。

 二人は部屋で図書館から借りた資料を広げていた。

 古地図、蝦夷の書物、江戸時代の記録、明治大正の書籍──。

「うーん」

 千早が悩まし気な顔をする。

 少しシャープな頬のラインに手を添えて考え込んでいる。

「どう? 何か分かった?」

 琴葉が問いかける。その手には麦茶が入ったコップが握られている。コップが流す汗が時間の経過を示していた。

「まず最初に鈴音神社を抑えたのは正解だったわね。やっぱりこの辺で一、二を争うくらいに霊格が高い土地だと思うわ」

「その次は?」

「うーん、たぶん山か寺ね。この地は川がたくさん流れている。川の水脈は霊脈にも密接に関わっているのよ。だからその大元の山はきっと大きな霊脈になっているはず──この和渕ダムがある山、天堂山が第一候補」

「でも山って言っても広いよ?」

「単純に考えれば山頂ね。たいてい祠とかがあるはずよ。でも──」

 千早が古地図を指さす。そこは和渕ダムを越えてすぐの所だった。

「ここに蛇神社ってのがある。フチガミが蛇の姿を模しているのならおあつらえ向きじゃない?」

「確かに。じゃあ、決まりだね!」

「そうは行かないのよ」

 千早が難しい顔をする。

「確かに本命はここだけど、それだけ強力な本体がいるかもしれない。この間の末端にも苦戦しちゃったから、もしもここに行ってフチガミ本体と戦うことになったら悔しいけど勝てない確率の方が高いわ。そうね、限界まで琴葉の血を吸って強化しても二~三割ってところかしら。分が悪すぎる」

「そんな──」

 琴葉の表情が曇る。

 この間の戦いでも千早はボロボロになっていた。

 あんな姿は見たくない。

「どうすれば──」

「安心して。その為に他の所に結界を張るの。結界をこの市の霊脈に張り巡らして少しずつフチガミの力を削っていって最後に本体を叩く。その為にお願い、琴葉の血を毎晩吸わせてちょうだい。大嶽丸の力を百パーセント、ううん、それ以上に強めるために琴葉の血を吸って身体に馴染ませたいの」

 その目は真剣で、昨日の冗談めいたものとは異なっていた。

 フチガミを倒す。

 嗜好によるものではなく使命の為だと訴えていた。

「うん。それならいいよ。ふふっ、お母さんに鉄分多めの食事作ってもらわないとね」

 琴葉が茶化す。

「ふふっ、ありがとう。琴葉」

「ねえ、千早に血を吸われれば、私の中の鈴鹿御前の力も目覚めるかな? 最初にフチガミに襲われた時、上手くは言えないんだけど視界がクリアになったというか、千早とフチガミの戦いに目が追いついていたの。もしかしたら身体が強化されたんじゃないかなって思うんだけど、どうかな?」

 千早は少し表情を曇らせる。

「──そうね。それはたぶん鈴鹿御前の力に一時的に目覚めたのかもしれない。その予兆かもしれないわね」

「やった、それなら──」

「でも──!!」

 喜ぶ琴葉を千早が制する。

「無茶はしないで。約束して、琴葉は積極的に戦いには関与しないで。琴葉が傷つく姿を見たくない」

 しかし琴葉も引かない。

「嫌だよ。千早が傷つくのを見てるだけなんて嫌。この間、あんなに痛そうだった。身体の傷は治っても、傷を負った事実は消えないんだよ。千早が傷つく姿を黙って見ているなんてできない。無茶はしない、約束する。だけど鈴鹿御前の力に目覚めたら──私も千早の隣に立ちたい」

 琴葉がまっすぐな瞳で見つめる。

 澄んだ瞳だった。

 少しだけアンバーな瞳が確固たる意志をもって千早をつらぬく。

 千早は少しだけ逡巡して、折れた。

「分かった。本当に無茶はダメよ」

「うん。約束」

 琴葉が右手の小指を千早にかざす。

 意を汲み取って千早も小指を絡める。

「指キリげんまん、嘘ついたら、血を飲ます──指切った」

「約束よ。琴葉」

「うん」

 二人で静かに微笑み合う。

「じゃあ、市内の何処に結界を張るの?」

 琴葉が訊ねる。

「蛇神社の次に霊格が高いのはお寺──高徳院ね。ここは戦国時代からの由緒あるお寺だし、ここも山の中にあるから霊格が高いはず。だからここは蛇神社の前ね。水脈に近いほど霊脈が高いから山よりも川、川よりも海ね。まあ本来は海も荒帝の海神を祀るものだけど蛇の神様たるフチガミとは縁遠いから海から山に向かって結界を張っていけばある程度は安全に結界が張れるはず。フチガミの末端と遭遇しても比較的弱いものから順番に戦えるはずよ」

「戦わないのが一番だけどね」

 琴葉が念を押す。

「まあ、そうだけどね。でもいざとなったら戦うわよ。末端を潰すのも本体の力を削ぐのに有効だから」

「うん、分かってる──じゃあ、明日からは取り敢えず海を目指していって、そこから結界を張っていけばいいんだね?」

「ええ、そうなるわね。海沿いから順番に、人の多いところもチェックね。人の多さは淀みに繋がるから。それにフチガミの狙う対象が多い場所になるし」

「なるほど」

「だいたい一か月くらいかしら。紅葉が始まる前には終わらせたいわね」

「がんばりましょう」

「──と、言う事で」

 千早が姿勢を正す。

「血を吸わせて。琴葉──」

 千早が下から覗き込むように見上げる。そして伸ばした牙を見せて琴葉にアピールする。

「うん」

 恥じらいはなかった。

 ためらいはなかった。

 琴葉がTシャツの首元を広げる。

「ありがとう」

 そして琴葉の首元をペロペロと愛おし気に舐める。

「その──やっぱり舐めなきゃダメなの?」

「その方が痛くないよ?」

「うーん。じゃあ、仕方がないかあ……」

「そう。仕方がないの」

 そう言うと再びチロチロと舐め始めた。

 琴葉が諦めたように目を閉じて身体を千早に預ける。

 ひとしきり舐め終えた後に、一度大事そうにキスをしてから牙を突き立てて血を吸い始めた。

「んっ──」

 何度か血を吸われたけど、琴葉は未だにこの感覚に慣れていなかった。

 浮遊するような、フワフワとして落ち着く感じ。

 でも同時にドキドキもする。

 嫌ではない。むしろ気持ちよくて癖になりそう。怖いくらいだ──。

 琴葉が目を開くと千早の髪の毛が銀色に変わっていくのが見える。

 綺麗──。

 白銀の髪の毛はツヤツヤとしていて輝いているように見える。それを思わず手に取って弄る。サラサラとしていて癖一つない。上等な絹糸のようでいつまでも触っていたい感触だった。

 千早は意に介さず血を吸い続ける。

 琴葉からは見えないがそれは恍惚とした甘い表情だった。

 世界で一番の甘露を味わうかのように琴葉の血を味わっていた。

 五分ほど経った。じっくりと時間をかけて血を味わい、千早が牙を引き抜く。

 吸っていた部分をペロペロと舌で舐めて血を止める。

 何度か舐めると、琴葉の首筋には何の痕も残っていなかった。

「琴葉、ありがとう」

 千早が琴葉をハグする。

「うん。いいよ」

 琴葉も抱きしめ返す。

「千早の髪の毛、綺麗だね。お守りにしたいくらい」

 琴葉が千早の髪の毛に指を通す。

「もちろんいいわよ。ちょっと待ってね」

「えっ、本当に良いの?」

「うん、どうせすぐ元通りになるしね」

 ハグを中断して、千早が爪を伸ばす。そして鋭利な爪で束にした髪の毛を切り裂く。

「ヘアゴムちょうだい」

「うん」

 琴葉が赤いヘアゴムを千早に渡す。

 十センチくらいの髪の毛の束はその白銀の色合いもあってちょっとしたアクセサリーみたいだった。

「ありがとう。カバンに入れてお守りにするよ」

 琴葉がカバンの奥底に大事そうに入れる。

「大嶽丸の力が籠っているから本当に魔よけのお守りになると思うよ。もちろんフチガミも嫌がるはず。まあ、琴葉は私が直接守るからもっと安心だけどね」

「ふふっ、期待してるよ。でも無茶はしないでね。危ない時は一緒に逃げる事。約束して」

 琴葉が強いまなざしで見つめる。

「──分かった」

「本当?」

「大丈夫。そう簡単に死ぬ気はないから。だって琴葉がいるんだしね」

「うん──」

「じゃあ寝ようか」

「そうだね」

 布団に入って、部屋の灯かりを落とす。

「おやすみ。琴葉──」

「おやすみ。千早──」

 暫くすると、二人の静かな寝息が部屋に広がっていた。


   §


 翌日、放課後。

 二人は電車に乗って海を目指していた。

 渕ヶ丘高校の最寄駅から三駅。海浜駅に向かう。

「和渕は海の神様の伝承が少ないのよね」

「確かにそうかも? うちの神社も山の方だし、お寺の高徳院も山だしね」

「古くから漁業も盛んだったはずだからもっと海の神様を祀った神社があってもいいんだけどね。あらかた鈴音神社に合祀されていたわ。それだけ鈴鹿御前の影響力が強い土地なんでしょうね」

「私も早く力に目覚めないかな──そうすれば千早を助けられるのに」

 琴葉が少し悔しそうな顔をする。

「力なんてあっても持て余して苦労するだけよ。私も捨てられるのなら捨てたいわ──琴葉とはもう出逢えたんだから、こんな力なんて捨てて普通に暮らしたい」

「そっか──ごめん。無神経だった」

「いいのよ。琴葉の血を吸えるのは役得だからね。でも、フチガミを倒して全部問題が解決したら──この力も無くならないかな。力を加減するのって苦労するのよね。それで体育も休んでるし」

「明日の体育祭、本当に全部見学するの?」

「目立ちすぎるのは嫌いだしね。うっかり誰かにケガをさせたらいけないし。前の学校で、ちょっと人にケガをさせちゃったからね」

「そっか──」

 琴葉がしゅんとする。

「琴葉は気にしないで良いのよ」

「でも千早が楽しめないのは嫌なのよ。せっかくなら千早にも楽しんでもらいたいの。鬼の力があっても千早は普通の女の子なの。可愛いものを可愛いと感じて、オシャレしたくて、美味しいものを食べたくて、何でもない事でも友達と笑いあえる──千早は普通の人なの。だから一緒に楽しみたいの」

 琴葉が千早を真剣な顔で見つめる。

 千早が淡い笑みを浮かべる。

「──ありがとう。琴葉の言葉だけで、私は本当に救われるわ」


 次は海浜駅、海浜駅──どなた様もお忘れ物のないように──。


 車内にアナウンスが流れる。

 目的地はもうすぐだった。

「さあ、降りましょう。明日は応援で楽しむから安心して。琴葉も私のチア服楽しみでしょ?」

 千早がウィンクする。

「──うん。一緒に楽しもうね」

 そうして海浜駅に到着する。


   §


 海浜駅から歩いて十分。海沿いに小さな神社が見えてくる。

 海浜神社──地元の漁師が豊漁や航海の安全を祈願する神社だ。

 松の木に囲まれた神社は鈴音神社の十分の一程度の小さな神社だった。大きな御神木と社が一つ。簡素な造りをしていた。

「まずは普通にお参りしましょうか」

「そうだね」

 千早の言葉に琴葉は頷き、手水で清めてからお賽銭を放り込んで神社を参拝する。

 無言で二人が神様に挨拶をする。

 松の間から磯風が優しく吹いてきていた。

「──よし。じゃあ、結界を張りましょう」

 千早がウィッグの隙間から銀髪を束にして取り出す。

 往来では目立つので、学校で既に琴葉の血を吸ってきたのだ。

 伸ばした爪で銀髪の束を切り裂き、それを結んでから己の血をしみこませて触媒を作る。

「何処に置くの? まさか扉を壊して中に入ったりしないわよね」

 今回は鈴音神社の時と違って鍵などを持っていない。

「安心して。今回は御神木に奉納するわ」

 千早がカバンから小さなガーデニング用のスコップを取り出すと御神木の裏手に回って穴を掘り始める。

「いつの間にそんなの買ってたの?」

「学校の道具置き場からちょっと拝借してきたの。あとで返しておくわ」

「泥棒さんだなあ」

「これも街を守るためよ」

「はーい」

 砂浜に近いという事もあって、土はサラサラしていたので、すぐに五十センチくらいの穴が掘れた。そこに髪の毛を置いて埋めなおしていく。最後に大き目の石を要石代わりに置いてその上から血をたらしていく。

「毎回思うんだけど、千早、それ痛くないの?」

 自身の爪で血を要石に落とす千早の姿に琴葉は疑問を呈する。

「うーん。痛いよ、大嶽丸の力で色々と強化されているけど、痛いものは痛いからね。でもこのくらいの痛みなら慣れてきたよ、だから大丈夫。心配しないで」

 千早が微笑む。

 琴葉は少し不服そうな顔だった。

「──千早は偉いね」

 そう言って琴葉が千早の頭を優しくなでる。

 ウィッグ越しでも、琴葉の想いは千早に伝わっていくのが分かる。

「──ありがとう。嬉しいよ、琴葉」

 潮騒の音が聴こえる。千早は無言で撫でられ続けた。


   §


「じゃあ、帰ろうか」

「そうね」

 琴葉達が神社から出ようとする。しかし琴葉は何か悪寒を感じた。この気配は──。

「千早!」

「分かってる! フチガミが──」

 その時、千早の言葉を遮るようにして一匹の白い蛇が顔めがけて襲い掛かる。

 それを千早が真正面から爪で縦に切り裂く。

 サイズは五十センチくらい。今までで一番小さかった。しかし──。

「何匹かいるわね」

「どうして? 結界は張ったのに──」

「まだ土地に私の結界が馴染んでいない。その前に排除しようとしてるんだわ。琴葉! 昨日のお守りを持って。私の側を離れないで!」

「うん!」

 千早が爪を伸ばし、前傾姿勢を取って周囲を警戒する。琴葉はカバンからお守りを取り出して握りしめて視線をキョロキョロと動かしてフチガミの末端がどこにいるかを探そうとしていた。

 シャーという威嚇音が十重に二重に聴こえてくる。

「囲まれているわね」

「さっきまで気配はなかったのに──」

「危ない!」

 琴葉めがけて蛇がとびかかってくる。それを先ほどのように千早が切り裂いた。

「ありがとう、千早」

「ううん。私の琴葉には傷一つつけさせないわ」

 千早が睨みを利かせる。

「千早、あっちの茂みに何匹かいるみたい」

「そうね」

 おおよその位置は千早も掴んでいた。

 松の木の上に三匹、神社の裏に二匹、茂みの奥に五匹──たぶんこのくらい。

 でも己から打って出る事はためらわれた。

 琴葉を守りながら戦わなければいけない。

 一匹一匹は前回戦ったものよりも格段に弱い。しかし数が多いのが厄介だ。死角に踏み入るのは得策ではない。ある程度惹きつけてから叩きたい。しかし──どうすれば。

「千早! 私の血を使えば寄ってくるはず」

 千早が振り向くと琴葉がカバンからカッターナイフを取り出していた。

「琴葉!?」

「後で舐めて治してね──」

 そう言うと掌でカッターナイフを握りしめて、一気に刃を引く。

「痛──」

 ポタポタと真っ赤な血が手の中から流れ落ちていき、地面を朱に濡らしていく。

 大嶽丸の力で感覚が鋭敏になっている千早にとってその血の匂いはまさに劇薬だった。今すぐその手を取って舐めたい。そんな欲求に駆られる。

 しかしそれはフチガミにとっても同じだった。

 フチガミにとってもそれは求めていた鈴鹿御前の血であり、格好の餌だった。

 麻薬に酔ったかのようにフラフラとフチガミの末端たる白い蛇が惹きつけられていく。

「琴葉の血は一滴も吸わせないわ──」

 千早が琴葉に引き寄せられたフチガミの末端を切り裂いていく。一、二、三、四、五、六、七、八、九──そして最後の一匹が茂みから出てくる。明らかに今までのものよりも大型で一メートルくらいはあった。

「ラスト一匹!」

 千早が駈け出す。もう、後ろを気にする必要はなかった。そのスピードは潮風を置き去りにしていって一直線に走り抜けていく。フチガミが牙を剥いて襲い掛かる。

 両者が交差するその瞬間──。

 千早の身体が軌道を僅かに反らす。

 脚の動きを緩めてステップをずらし、フチガミの牙を避ける。そのまま大きく開かれた口に爪を立てて横凪ぎに切りはらっていく。交差したことによるクロスカウンターの勢いと千早の爪の鋭さで難なくフチガミは切り裂かれていった。

 決着が着いた瞬間、風が千早の頬をかすめていく。琴葉の血の匂いを乗せて。

「琴葉! 大丈夫?」

 その血の匂いで千早は琴葉が手を切っていたことを思い出す。

 振り向いて琴葉の元に駆け寄る。

「あはは、大丈夫だよ。でも、そうだね──結構痛いかも。ジンジンする」

 琴葉の血は止まらずにまだポタポタと地面を濡らしていた。

「今すぐ治すから」

 千早がひざまずいて琴葉の右手を取る。そして手を開くとぱっくりと割れたように傷口が赤く濡れていた。たかがカッターナイフと千早は思っていたけれど、存外にその傷は深かった。

 急いで千早が琴葉の手を舐める。

「んっ──」

 琴葉が少し痛がる。しかし徐々にその痛みは引いていく。

 ペロペロと千早が舐める度に痛みが穏やかに凪いでいくのを感じる。

「千早は凄いんだね。いつもこんな痛みでも平気な顔をしていたんだね。ちょっと泣いちゃいそうだったよ、千早は偉いね」

 琴葉が千早の頭を撫でる。

 千早はむず痒そうに目を細めるがお構いなしに琴葉の傷口を舐め続ける。既に血は止まっていた。傷を残さないように丁寧に舐めていく。

 二、三分経ってから千早が手から口を離す。最後に慈しみを込めてキスをする。

 千早が立ち上がって琴葉を見つめる。

「琴葉、痛くない?」

「うん。もう大丈夫、全然痛くないよ。ありがとう。千早──」

 そのまま琴葉が千早を抱きしめる。

「ありがとう、守ってくれて。ありがとう、戦ってくれて」

「いいのよ。私が琴葉を守りたいだけ。さあ、帰りましょう」

「そうだね」

 琴葉が抱きしめていた手を離す。

「今日の晩御飯は何かなー」

「お肉が良いわね」

「千早、お肉好きよね」

「琴葉のお母さんの料理は本当に美味しいから何でも好きだけどね」

「あはは、ありがとう」


 そうして二人は神社を出て帰路についた。


   §


「明日は体育祭だねー」

「そうね」

 帰宅してお風呂まで済ませた二人は部屋でのんびりとしていた。

「千早のチア服楽しみにしているからね」

「うん、ちょっと恥ずかしいけど、琴葉の為ならがんばるわ。琴葉もがんばってね」

「うん! 任せてちょうだい」

「明日は結界張るのおやすみしましょうか」

「私なら大丈夫だよ? 体育祭くらいでそんなにバテないって」

「ううん。あんまり急速に結界を張るのもフチガミを刺激しかねないからね。焦らず確実に仕掛けたいの」

「なるほどね、了解。じゃあ体育祭の打ち上げも出来るね」

「打ち上げ?」

「体育祭のあとはみんなでカラオケが鉄板でしょ?」

「カラオケ──騒がしいのは少し苦手かも」

「でも楽しいよ。歌わなくてもいいからさ」

「うん──それなら」

「やったー!! 決まりだね。明日が楽しみ──」

「ふふっ、そうね」


 そうして二人は眠りについた。


   §


 翌日。体育祭の朝は晴天だった。

「いってきまーす」

「いってきます」

 二人が自転車を漕ぎだす。

 残暑が二人を蒸しあげるが、晴天の空はカラッと透き通っていて自転車を漕ぐたびに心地よい風が頬を撫でていく。

「晴れて良かったねー」

「そうね」

 千早はだんだん琴葉の家から通うのに慣れてきたなとぼんやりと思うのだった。

 朝一緒に起きて、ご飯を食べて、学校に行って、勉強して、お家に帰って──。フチガミ退治もあって琴葉とは付きっきりで一緒の生活になっている。

 それが己の引き起こしたことであるという罪悪感はあるものの琴葉と一緒に生活できている事実がとても嬉しくて仕方がない。そう思うのだった。

 ずっと、このまま──。

 そんないけないことを考えてしまう。

「ぬるいわね──」

 甘い考えを持った自分に少しだけ嫌気がさす。

「ぬるい?」

「ああ、その──風がね」

「確かにね。天気がいいのは嬉しいけどもう少し風が涼しい方がいいよねー」

 交差点の信号で止まる。

 風が止んだ。

「琴葉に千早さんもおはよー」

 茜が合流する。

「おはよう」

「おはよー」

「いやー、絶好の体育祭日和だね。茜ちゃんがんばっちゃいますよー」

「あはは、茜ったらテンション高いね」

「なんたってみんなのメイド喫茶がかかっているからね。本気を出さなきゃって思うのですよ」

 茜が意気込む。

 信号が青になり、その意気込みと一緒にペダルにかけた足を踏み出していく。

「でも、確かに勝ちたいね」

「おっ、琴葉もやる気満々じゃない」

「千早のメイド服が見たいもん」

「だよねー。絶対に似合うよね、千早さんにメイド服」

「私が着るってことは二人もメイド服なんだけどいいの?」

「もちろん! だって可愛いは正義なのですから!」

「私は少しだけ恥ずかしいけど──」

「琴葉ならメイド服絶対似合う。私が保証する」

「私も保証するよ!」

「じゃあがんばりますか!」

「おー!!」


 いよいよ体育祭が始まろうとしていた。


   §


 体育祭の競技内容は午前中が球技の部。午後が陸上競技の部となっていた。

 球技はフットサルとバレーボールが行われる。それぞれの競技に出れるメンバーは事前に申請した者のみで変更は出来ない。また両競技を掛け持ちすることも禁止となっていた。メンバーをどう振り分けるかが戦略の要になっている。

 琴葉と茜は走る競技が得意なのもあってフットサルを選んだ。

「琴葉、くじ引き任せた!」

「琴葉ちゃん。いいとこ引いて」

「がんばって!」

 学級委員長の琴葉が代表でトーナメント戦のくじ引きをする。

 三学年四クラス、合計十二チームのトーナメント戦。出来れば三年生とは当たりたくない。運動が苦手な人の多いクラスと試合したい。

 琴葉は念じながらくじを引く。

 どうだ──。

 くじ番号は八番。ボードにクラス名が書かれる。相手は同じ二年生、料理同好会の露崎りんが所属するクラスだった。

「わー、琴葉さんとぶつかるのか。一試合目からはぶつかりたくなかったよ」

「私もだよりんちゃん。でも、負けないよ」

「私達もがんばるからね」

 琴葉とりんが握手をする。

 そしてクラスのみんなのもとに帰ってくる。

「ごめんー。りんちゃんのクラスとぶつかっちゃったー」

「大丈夫、三年生よりはマシ。それに私と琴葉がいるなら勝てるよ」

「フットサルはチームプレイも大事なのよー。私達もいるの忘れないでね!」

 同じクラスの田村あゆみが会話に入る。茶色のショートカットが活発な印象を与える少女が琴葉の肩を叩く。

「うん、がんばろうね」

 そして体育祭が始まった。


   §


「茜、パス!」

「サンキュー」

 茜と琴葉のチームプレイは見事なもので流れるように守備の流れを攻撃に変えていく。攻められれば誰よりも早く駆けつけ、相手のパスを予測してブロックして、ゴール際のボールポジションを奪取して攻撃に転じてからは一気呵成に進んでいく。

 あっという間に二点リードを広げた。

 琴葉はある違和感を感じていた。

 今日、すっごい調子がいい──。

 いつもよりも全然動ける。フットサルは小刻みなパス回しが大切だ。相手を翻弄するほどにステップが軽やかに踏み込める。そして全然疲れない。午後の陸上競技に支障が出ないように抑えて行こうかななんて思っていたけど、そんな心配は全然なさそうなくらい、息があがらない。

 何よりも一番大きいのは目だ。

 相手の動きがとてもゆっくり見える。

 緩慢な動きで放たれるパスを、シュートを、難なくブロッキング出来る。

 私、どうしちゃったんだろう?

 これって、まさか鈴鹿御前の力?

 琴葉がまたゴールを決める。ハットトリック達成だ。

「琴葉凄いー!! いつの間にそんなに上手くなったの? それに全然バテてないし。いったいどうしちゃったの?」

 コート内を同じく駆け回っていた茜の息が若干上がっているのに対して、琴葉の息は全く普段通りだった。

「あはは──なんでだろうね? 成長期ってやつ?」

「その体力が羨ましいー。まあ、試合はこの後もあるから琴葉はいったん交代しな。ペース配分は大切だし」

 全く疲れていないんだけどなーと思っていたが茜の言葉に従う。

「──そうね。そうするわ。あとは任せたよ、みんな!」

「任せて、琴葉ちゃん!」

「逆転されないように気を付けるよ!」


 交代してコートから出るとチア服を着た千早が出迎えてくれた。


「琴葉、お疲れ様。スポドリがいい? 水がいい?」

 ペットボトルを両手に持った千早が問いかける。

「じゃあ水をちょうだい」

「はい」

 水を受け取って口にする。冷えた水が喉を心地よく潤す。

 そのままコート脇に座って観戦する。

「美味しい──、お水ありがとう」

「ううん、いいの。ねえ──琴葉、鈴鹿御前の力が目覚めてない?」

「やっぱり分かった? なんか身体の調子が凄くいい。それに目も良くなってる気がする」

「──なるべく競技には出ない方がいいわ」

「なんで?」

「目立ちすぎるのは良くないって言っているの」

「大丈夫だよ。気を付けるからさ」

 琴葉の言葉に千早は納得していない様子だった。

「──私、ここに来る前に傷害未遂を起こしちゃったの」

「えっ?」

「鬼の力をうまく制御できなくて、友達にケガをさせちゃった。琴葉の血を──鈴鹿御前の血を求めてってのもあったけど向こうに居場所がなくなったからこっちに転校してきたの」

「そうなんだ──」

「だから気を付けて。その力は琴葉を守ってくれる力。でも危険な力でもあるの。力の使いどころはきちんと考えて。じゃないと琴葉も傷ついてしまう。それは絶対に嫌だから──」

「うん、気を付ける」

「うん。でも、まだ私ほどじゃないから琴葉は楽しんで、その分応援するから。ねえ、似合ってる?」

 千早が立ち上がって軽くポーズを取る。

 スカイブルーを基調としてライムイエローのラインが何本か入ったチアリーディング服は千早のスタイルの良さを十全に発揮していた。

「うん。とっても似合っているよ!」

 それは偽りのない言葉。でも、琴葉はその一方で少しもやもやしていた。

「七海さん、めちゃくちゃチア服似合ってるね! 私達と一緒に写真撮って!」

「あっ、ずるい。私もー」

「次、私達ね!」

「あはは──」

 少し困りながら微笑んでいる千早の顔を見て、琴葉は何だかどす黒い気持ちが湧いてきていた。

 あんまり脚出して欲しくなかったなー。可愛いけど──。

 見せるなら私にだけ見せてほしかった。

 そんな事を思ってしまうのだった。

 すると試合終了を告げるビープ音が鳴り響く。

 五対二でこちらの勝利だった。

 立ち上がって試合終了の挨拶に向かう。

「いやー、琴葉さんいつの間にフットサルの練習してたの? 全然勝てる気がしなかったよ」

 相手チームのりんが握手を求める。

「あはは、なんか調子が良かったね」

「優勝してね」

「うん、がんばる!」

 そうしてりんが去っていった。

「琴葉ー勝てたね」

「茜もお疲れ様」

「次はあんまり飛ばし過ぎないようにね」

「あはは、ペース配分気を付けるよ」


 そうしてフットサルのトーナメントは続いていく。


 順調に一年生のチームも、三年生のチームも破っていき、あっという間に午前の部ラストの決勝戦となった。決勝は三年A組、サッカー部や陸上部の主力が集まっているクラスで今回の大会の優勝候補だ。

「やっぱり三Aかー」

「大丈夫。がんばろう!」

「そうそう」

「琴葉に茜がいれば何とかなるでしょ」

「私も応援するわ」

 千早がポンポンを持って琴葉を見つめる。

「よし! あと一戦。みんながんばろう!」


 開始を示すビープ音が鳴り響く。


 まずは相手チームがボールを持ってパス回しをしながら様子見をする。

 そこに茜が割って入ろうと突っ込む、すかさずパスを回して回避しようとするがパスを回した相手の方には既に琴葉がマーキングしていた。パスをブロックして、自分のボールにした琴葉が速攻を仕掛ける。

 見える──。

 琴葉の目には自分に一番近い相手が脚を伸ばしてボールを取ろうとしているのも、パスを出そうとする茜が既にマーキングされいる事も、ゴールキーパーがどちらに重心を寄せているかも、全て見えていた。自分に視点がいくつもあるようで、しかしどれも自分の視点なのだと把握することが出来ていた。

 琴葉が選んだのは単騎による突破──。

 視線と身体の動きでフェイントをかけてディフェンスをかいくぐり、ゴールキーパーの身体の動きを限界まで見据えて、力いっぱいボールを蹴り上げた。

 ボールはゴールの右角のギリギリを狙って過たず貫いた。

「やったー!!」

「琴葉すごーい!」

「勝てるよー」

「がんばれー」

 ベンチでは琴葉へのエールがあげられている。

「琴葉──」

 その中で千早は少しハラハラしていた。

 どうか無茶をし過ぎないように──。

 それだけを祈っていた。

 勝利は二の次だった。

 どうか、どうか傷つかないで欲しい。私みたいに──。

 そう念じながら、固唾を飲んで見守っていた。


 試合は絶えず動いていく。


 琴葉が要注意人物である事を理解した三年A組のチームは琴葉にサッカー部二名を貼り付ける極端なプレイをする。

「くっ──」

 イエローカードギリギリの接触プレイで琴葉をがっちりガードしていた。

 無理にこじ開ければイエローカードをもらってしまう。そんな中で光ったのが茜のプレイだった。今日の琴葉ほど目立っていなかったが茜もテニス部譲りの足腰の強さとスタミナでボールを支配していた。琴葉を防ぐために二人犠牲になっている間にディフェンスを抜いてゴールを決める。

 これで二得点。

 琴葉も茜もガードするのは不可能という事でまた元のポジションに戻った相手チームが苛烈な攻めを仕掛けてくる。必死にディフェンスをするがチームプレイの実力は相手チームの方が高かった。隙をつかれたと思った瞬間、キーパーとストライカーの一対一となり、一点を失ってしまった。

 ゲームは二対一。まだまだ安心は出来ない。

「がんばれー」

「まけるなー」

「大丈夫、勝てるよー」

「がんばって!!」

 応援がヒートアップしていた。

 しかしその中に千早の声がない。

 琴葉は少しだけ目を離して千早を視線で探す。

 ベンチに千早は立っていた。

 しかし、ポンポンをおろして、何処か不安そうな表情だった。

 千早──。

 その時だった。

「琴葉!」

「きゃっ──」

 琴葉が視線を外していた隙を見逃さず、相手チームのメンバーがディフェンスをすり抜けてゴールを決める。

 これで二対二。同点となった。

「ドンマイ。琴葉」

「うん。ごめん──」

「まだ、負けたわけじゃないでしょ。勝とうね──」

 そしてゲームが再び始まる。

 千早がなんであんな表情をしていたのか、琴葉は分からなかった。

 でも──勝たなきゃ。

 相手をよく見据える。

 ボールの流れを、相手の脚さばきを、動線を読んでいく。

 己の身体の動き方を把握して、一気に動き出す。

「きゃっ──」

 さっきのお返しと言わんばかりにボールを奪い、速攻を決めようとする。

 待っていたかのようにディフェンス二人が抑え込もうとする。

 大丈夫──私なら出来る。

 琴葉がボールを軽く上に上げて、勢いよく飛んで、追いつく──。

 相手は何をされたか分からなかった。空中でプレイした? まさか──。

 しかし事実だった。

 琴葉が二人のディフェンスを抜き去り、残るはゴールキーパーだけ。

 確実にボールを脚でフォールディングしながら、琴葉はキーパーの視線を、重心の動きを読む。

「そこ──!!」

 思い切って蹴ったボールはゴールの左側の角すれすれを貫く。

 遅れてベンチから歓声があがる。

「やった──」

 そしてそこで試合終了を告げるビープ音が鳴り響く。

 琴葉のチームの優勝だ。

「琴葉ー!! 勝ったよー!! 優勝だよ!」

 茜が抱きつく。

「ふふふ、苦しいよ茜」

「午後の部もがんばろうね!」

「うん!」

 互いに礼をしてベンチに戻る。

 そこには笑顔のみんなが出迎えてくれたが──千早だけは少しだけ浮かない顔をしている。

「千早?」

「琴葉? 身体、大丈夫? 変に力が出過ぎてる感覚ない? 目の奥痛くなったりしてない? テンション上がり過ぎちゃっていない? 他にも何か変なところない?」

 千早がひそひそ声で琴葉に問いかける。

「うん。大丈夫、そんなに筋力が増えてるとかはないと思う。どっちかって言うと自分の力を今までよりも上手く扱えている感じ? 細かいことも出来るようになっているっていうか器用になっている感じがする」

「そう──ならいいんだけど」

「どうしたの? 琴葉、千早さん」

 ひそひそ声で話す琴葉と千早に茜が話しかける。

「えっと──」

「私の服。似合ってるか聞いてた」 

「もちろん似合ってるに決まってるじゃん。ねっ、琴葉」

 千早が上手く躱す。

「うん──本当によく似合っている。本当に可愛いよ、千早」

 琴葉がまじまじと千早を見つめて笑みを浮かべながら褒め言葉を伝える。

 そのストレートな言葉に千早は少し顔を赤らめる。

「その──ありがとう」

「あー、千早さん照れてる? ふふっ、可愛いなあ」

「ちょっと茜さん。茶化さないで! 別に照れてないわよ」

 良かった。いつも通りの千早に戻ったようだ。

 そんなことを琴葉は思う。


 さあ、後は午後の陸上競技だ。


   §


 昼食を食べて、午後の部がスタートした。

 琴葉たちのクラスは現在総合二位となっている。午前中の球技の部でバレーが三位だったのとフットサルで接戦を繰り広げた三年A組がバレーで一位だったのが影響している。

 現在、総合一位は三年A組。優勝するにはこのクラスに勝たねばならない。

 陸上競技は百メートル走、千五百メートル走、障害物リレー、四百メートルリレー、そして最後に一位と二位のクラスによるクラス対抗綱引き大会が予定されている。

 琴葉は千五百メートル走、四百メートルリレー、綱引き大会に出る予定だった。

 百メートル走は茜が俊足を見せて二位になったが三年A組が一位だったのでまだ追いつけないでいた。

「うー、ごめん。一位になれなかったよ」

「ううん。二位でも凄いよ。お疲れ様、茜」

「お疲れ様」

 琴葉と千早が労う。

「千五百メートル走は任せて!」

「うん! 琴葉、がんばってね」

 茜がクラスの待機場所に向かって歩いていく。

「琴葉、分かってるわね?」

「分かってる。目立ちすぎないように、無理はしないように、でしょ?」

「うん、分かってるならいい。琴葉、がんばってね」

「うん、任せて!」

 琴葉が千早にウィンクする。

 そして琴葉が走者の控えブロックに移動していく。

「琴葉──」

 千早は少しだけ不安そうだった。

 しかしそのまま踵を返して茜の元へと戻っていった。


「よーい」


 琴葉が緊張感を持った面持ちでスターティングブロックにセットする。

 琴葉の走力は並以上だが陸上部には最高速度で劣る。だからスタートダッシュを決めたい。

 五感を研ぎ澄ませる。

 耳を集中して、その時を待っていた。

 スタートを示す号砲が鳴り響く。

 耳に音が飛び込んだ瞬間、琴葉は全力でスターティングブロックを踏み込み、全身をバネのように弾き出してスタートを決める。これ以上ないくらいに理想的なスタートダッシュだった。

 身体が軽い──。

 フットサルの時も思っていたけど、今日は絶好調だ。スタミナが無限にある気がする。ずっと全力で走っても全く疲れを知らないようだ。

 琴葉が前傾姿勢で走り続ける。その姿勢はまるで百メートルを走るときのようだ。

 観客がざわつき始めるが琴葉には何も聴こえていなかった。全力で走る。風の流れを肌で感じて、踏みしめる大地の感覚を感じて、一心にトラックを駆け抜ける。今、自分の順位が何位かなんて気にしてなかった。ただ風を感じていた。


「琴葉──!!」


 否、耳に飛び込む声が唯一聴こえてきた。群衆の中ではなく、目の前から?

 その瞬間、自分がゴールテープを切っていたことに気が付く。

 そして勢いをそのままに目の前に立っていた人物──千早に抱きしめられる。

「千早──なんでゴールにいるの?」

 琴葉が不思議そうに聴く。

「琴葉のバカ──全力で走ったら目立っちゃうでしょ」

「えっ?」

 琴葉が後ろを振り向く。

 ようやく二位の生徒がゴールに入る。

 圧勝だった。

 記録員が集まり体育教師とザワザワと何かを話している。

 聞き耳を立てると、高校新記録がどうのこうのと聴こえる。

 これはやってしまったやつか──。

「あはー、やっちゃった」

 頬をかきながら曖昧に微笑む。

「もう、気をつけなきゃダメよ」

「でも、勝てたよ! 褒めてくれてもいいんじゃない?」

「まあ、そうね。がんばったわね、琴葉──」 

 千早が慣れた様子で琴葉の髪の毛を撫でる。

「ふふふっ、ありがとう。千早」

「さあ、戻りましょう。次は障害物競走よ」

「うん──」

 琴葉と千早がクラスのみんなのもとへと戻っていった。

 歓迎の言葉を受けながら琴葉たちは障害物競走を観戦する。

 障害物リレーには茜が出ているのである程度の順位はいけるだろう。

 しかし障害物リレーは純粋な走るスピードだけでなく運なども絡んでくる。油断は出来ない。

 スタートの号砲が鳴り響く。

 走者が一斉に走り出した。

「がんばれー」

「負けるなー」

「ファイトー!!」

 みんなで応援の声をあげる。

 トップの走者が平均台ゾーンをバランスを保ちながら走っていく。後続も追いついていく。その後はパン喰い競争ゾーンでバラバラだった走者が横一列に並んだ。琴葉のクラスの少女が一番で駆け抜け、そのまま次のランナーへタスキを渡す。

「やったー!!」

「そのままいっちゃえー」

「いっけー!!」

 網抜けゾーンに入った少女たちがモゾモゾと脚を取られながら網を抜ける。その後はピンポン玉運びだ。お玉に乗せたピンポン玉を落とさないように細心の注意を払いながら少女たちが走っていく。

 そしてアンカー。琴葉のクラスは現在一位だ。茜がタスキを受け取る。

 アンカーの種目は借り物競争。茜が何を引くのか、琴葉はハラハラしながら見つめていた。

 何を借りるかが書いている紙が入ったボックスを茜が引く。四つ折りにされた紙を開いた茜はすぐさま行動に移る。

「琴葉ー!! ダッシュ!!」

「えっ、私!?」

 茜が琴葉の方へと駆け寄る。

「行ってらっしゃい」

 それを見た千早が琴葉の背中を押す。

「うん!」

 琴葉が茜の元へとダッシュする。辿り着いた琴葉の手を茜が握りしめて、二人並んでゴールへ向けて走り出した。

 誰よりも早く、力強く、軽やかに──二人がゴールテープを一番にきる。

「やったー!!」

「一着よ!」

「今、総合一位じゃない?」

「本当に一位になれるかも!」

 千早が拍手をしながら琴葉と茜を出迎える。

「お疲れ様。琴葉、茜さん」

「ふふふ。ありがとう、千早さん」

「ありがとう、千早。そういえば茜、お題は何だったの?」

「ふふふっ、お題はねー、『親友』でしたー。楽勝のお題でしょ?」

「あはは、確かにね」

 琴葉と茜が笑いあう。

 走者全員がゴールしたところで各クラスのスコアボードが更新されていく。

 琴葉達のクラスが総合一位になった。

「やったね!」

「あとはリレーと綱引きかー」

「二人ともがんばってね」

 千早がポンポンを二人の前で振って応援する。

「うん。ありがとう、千早」

「よーし、がんばっちゃうぞー」


 そして四百メートルリレーが始まる。

 琴葉は第三走者、茜がアンカーだった。

「みんながんばってー!!」

 千早が応援席でみんなと一緒に声を上げて応援している。

 青いチアリーディング衣装が眩しく、健康的な美しさを放っていた。

 がんばろう──琴葉は応援を背にして集中し始めた。


「よーい──」


 走者が身構える。

 そして号砲と共に一斉に駈け出す。少女たちが一斉に全力疾走する。最初は横並びだったがあっという間に序列が出来てくる。先頭グループの後方に琴葉のクラスの少女が走っている。

 悪くない位置取りだ。十分に逆転の余地は残されている。しかし──。

「きゃっ──」

 運の悪いことにリレーのタスキを渡すブロックで走者同士が交差する所でぶつかり、転倒してしまった。

 後続のランナーが次々に追い抜いていく。

 ようやく立ち上がったところでタスキを二番目の走者である田村あゆみに渡す。

「ごめん! あゆみちゃん──」

「大丈夫!」

 あゆみが急いで後を追いかける。十二チームの中で最下位になったあゆみはめげずに走り続けた。一人、二人、少しづつではあるが順位を上げていく。

 その姿を琴葉はハラハラしながら見つめる。

 由美ちゃん転んじゃったけど大丈夫かな? でも顔から行かなくてよかった──。

 あゆみちゃんがんばれ。

「あゆみちゃん、がんばってー!!」

 あゆみは更に一人を抜いていた。これで九位。

 そしてタスキを受け取る番だ。

 落ち着け、焦るな、全力で走れ──。

「琴葉ちゃん、お願い!」

「うん!!」

 琴葉があゆみからタスキを渡される。

 呼吸を大きく吸って、一気にそれを力に変える。地面への踏み込みは速度へのカタルシスだった。跳ねるように琴葉が走り出す。倒れそうなほどの前傾姿勢、全力疾走で次々にランナーを追い抜いていく。一人、二人、三人──。

 千早はそれを諦めたように見つめる。

 あれほど目立たないでって言ったのに。

 でも──。

「がんばれー!! 琴葉!!」

 力いっぱい声を上げて、千早は琴葉を応援した。

 琴葉が怒涛の勢いで先頭ランナーを追いかけていく。

 慣性の法則に身体が流されそうになるのを身体を傾斜させながら抑えつけて走り続ける。あっという間にアンカーの茜の姿が見える。

「茜! お願い!!」

「任せて!」

 タスキを渡す。

 順位は四位まで回復していた。

「はぁ、はぁ──」

 琴葉が肩で息をする。流石に全力疾走すると息切れはするのだなと思った。

 でも、下を向いてはいられない。

 応援せねば──。

 汗がしたたり落ちる地面からトラックを走る茜に目線を上げる。

「がんばれー!!」

 精一杯の声を出して応援する。

 クラスのみんなが声援をあげている。

 その声に背中を押されながら茜は走り続ける。

 負けたくない。

 勝ちたい。

 みんなで──。

 一人、抜き去る。順位は三位。

 まだまだ、もっと行けるはず。

 一人、抜き去る。順位は二位。

 あと一人──。

 しかし百メートルのレーンはあまりにも短かった。これがもっと長距離のリレーなら逆転できていただろう……。

 最後の一人を抜く前にゴールがやってきてしまった。

 茜は荒い息を吐きながらゴールを越えた地点で俯く。

「はあ、はぁ──」

 勝てなかった。

 その事実に目の前が真っ暗になりそうだった。

 しかし。

「お疲れ様。茜──」

 茜が顔をあげると、そこには琴葉が立っていた。

「琴葉──ごめん、負けちゃった。アンカーなのに」

「大丈夫、大丈夫、私ももっと順位上げられなかったし一緒だよ。それにそんなに暗い顔してたら転んじゃった由美ちゃんに悪いでしょ?」

 琴葉の後ろには先頭ランナーだった桂由美が泣きそうな顔で立っていた。というか泣いていた。

「ごめんなさい~。私が転んじゃったせいで一位になれなかった~」

 顔を濡らしながら幼子のように泣く由美をあゆみが抱き寄せて泣き止ませようとしていた。

「はいはい。みんな気にしてないから泣き止みなさい。二位でも最後の綱引きには出られるでしょ? そこでみんなで勝てばいいんだから。ほら泣くのやめなさいって」

「だって~」

「ほら、可愛い顔が台無しでしょ?」

「う~、あゆみちゃん好き~」

「ねっ、茜も気持ち切り替えていこう。大丈夫だよ」

「そうだね。うん──」


 そうして最後の種目、綱引きの時間がやってきた。


 球技と陸上競技の総合得点の一位と二位が優勝をかけて行うのがこの綱引きだ。

 琴葉たちのクラスは総合二位。

 一位は三年A組だった。

 琴葉たちが円陣を組む。

「これに勝てば優勝だよ! みんなで優勝しよう!!」

 おー!! と歓声があがる。

「千早、一緒に参加しない?」

 琴葉が千早を誘う。

「えっ、でも私は──」

「綱引きなら千早さんでも参加した気分味わえるんじゃない? せっかくみんなでやるんだし、千早さんも一緒にやろうよ」

「そうだよ、千早さんもやろうよ」

「うんうん、七海さんも一緒にやろう」

 クラスのみんなが千早を誘う。

「ねっ、千早も一緒にやろう。大丈夫だよ」

「──じゃあ、私もやろうかな」

 千早が意を決したような表情で頷く。

「よーし、みんなで勝とう!!」

 綱をクラス全員で手に持つ。

 先頭は茜。最後尾は琴葉と千早だった。

「千早。勝とうね」

「──うん」


「よーい」


 合図と一瞬の静寂のあと、号砲が開戦の狼煙をあげる。

 千早の手に一気に引っ張られる感覚がやってくる。

 三年A組にはウェイトリフティング部や柔道部の主将もいる。地力は圧倒的に向こうが勝っている。

 しかし──。

「くぅ──」

 茜や琴葉を始めとしたクラスのメンバーが精一杯に綱を引いてこらえる。

 私は──。

 千早は葛藤した。

 目立ってはいけない。

 少しずつ、綱が相手の方に引き寄せられていく。

 今日はいっぱいがんばるみんなを応援してきた。バレーボールのコートで、フットサルのコートで、陸上競技のトラックで。いっぱいみんなの姿を見てきた。いつもは琴葉とばかりいっしょにいるけど、自分から他の人に声もかけたりした。

 琴葉のクラスの人たちはみんないい人だ。

 勝たせたい。

 勝ちたい。

 みんなで──優勝したい。

「──!!」

 異変に気が付いたのは千早の最も近くにいた琴葉だった。

 綱が──。

 あれだけがんばってもこらえるのが精一杯だった綱が徐々にこちら側に引き寄せられている。

 どっしりとした力強い何かに支えてもらっているかのような──。

 琴葉はちらりと後ろの千早を見る。

 その髪色は黒いままだった。しかし、この力は間違いなく……。

 勝とう。

 そう思って琴葉は精一杯力を込める。

 少しずつ、少しずつ、綱が琴葉の方に寄せられていく。

 一センチ、五センチ、十センチ──。そして、ついに琴葉の陣地に中央の印が入る。

 号砲が再び鳴る。決着の合図だった。

 一気に力みから解放されてみんながバランスを崩して地面に倒れる。

 琴葉もよろけて後ろに倒れそうになる。

「琴葉──」

 それを後ろの千早が支えてくれた。

「千早──ありがとう。力を使ってくれて」

 千早がウィンクする。

「髪の色が変わるまでは使っていないからセーフってことでよろしく。ふふっ、こうやって力は目立たないように使うのよ、琴葉──」

 みんなが立ち上がり勝利を喜ぶ。

 中には抱き合うものもいた。

 総合優勝だ。

 みんなで勝ち取った勝利を胸に刻んで、琴葉は歩き始めた。


   §


「じゃあ、みんなお疲れ様ー。かんぱーい!!」

 市内のカラオケボックスのパーティールームを二つ貸し切って、優勝を祝う打ち上げが始まっていた。

 琴葉のあいさつでみんなが乾杯をする。

 各々ジュースを飲みながらカラオケのデンモクに曲を入れていく。

「千早も一緒に歌おう?」

「えっ、私最近の歌はよく分からないわ」

「じゃあ、古いのでもいいよ。これとかどう?」

 琴葉が懐かしめの少女向け魔法少女アニメの主題歌をピックアップする。

「これなら知ってる。でも良いのかな? もっとカッコいい曲とかじゃなくて──」

「みんなそんなの気にしないって、それに懐メロだからみんな知ってるし」

 琴葉がリクエストを送信する。

「あー、懐かしい!」

「みんな一緒に歌おう!」

「いいねいいね」

 そうしてみんなで一緒にアニソンを歌った。

 千早にとってそれは初めての経験だった。小学校、中学校から家庭教師漬けで勉強の毎日。放課後に遊ぶ友達なんていなくて、高校にあがってから大嶽丸の力に目覚めてからは家庭内でも腫物扱いを受けていた。だからこういう普通の高校生の楽しみ方が、友達と笑いあう日々が自分に訪れるなんて思っていなかった。

「七海さん歌うまいねー!」

「本当~」

「えへへ、そんな──私、古い歌しか知らないから、ごめんね」

「じゃあ今日は懐メロメドレーで行こう」

「いいね~」

 みんなが思い思いに曲をリクエストしていく。

「ねっ、大丈夫だったでしょ?」

「うん」

「じゃあ、私、ちょっと隣の部屋に挨拶行ってくるから」

「なら、私も──」

「いいから、たまにはみんなと交流を深めるのも大切だよ」

 琴葉がウィンクをする。

 そして千早は琴葉に置いていかれた。

「琴葉──」

 しょんぼりした顔をしていると、その横に一人の少女が座る。

「千早さん、琴葉に置いてかれちゃった?」

「うん」

 茜だった。

「そっかー。ならさ、私と少しおしゃべりしない? いつもは琴葉と三人でしょ? 千早さんと二人っきりになるのって結構レアだからさ」

「──そうね」

 自覚はあるものの千早は普段から琴葉の側を離れようとしない。

 だからそれについて触れられると少し気恥ずかしくなる。

「ねえねえ、千早さんってさ。ぶっちゃけ琴葉の事好きでしょ?」

「へっ──?」

 千早は時が止まった気がした。周囲の世界から音が消え去った気がしたのだった。

 実際はそんなことはなく、懐かしの女児アニメメドレーがBGMに流れているのだが……。

「なっ、なっ、何を──」

「あはは、その反応が正解そのものだよ。いやー、琴葉はモテモテだね」

 茜がクスクスと笑う。

「そんな、私、何も言ってないじゃない」

「じゃあ違うの?」

「それは──」

 千早が言葉を濁す。

「そんな事言ってると私が琴葉を獲っちゃおうかなー」

 人の悪い笑みを浮かべる。

「えっ、茜さんも──?」

「ふふふ、私はかなりアドバンテージあるよー。なんてったって幼稚園からの幼馴染で琴葉と一緒に育ってきたからねえ。琴葉と一緒に成長してきたから琴葉の好きなものいっぱい知ってるよ。何が好きで、何が嫌いか、琴葉が何に対してどう思うのか──私には全部お見通しだよ」

「そっ、そんなの私だってこれから知っていけばいいだけよ」

「本当に分かるかなあ? 琴葉が千早をどう思っているかも私には全部わかるよ」

「──その、どう思われてるのかしら」

「内緒」

「なんでよ!」

「ふふふ、ちゃんと好きって言うまで教えてあげないよー」

 ニヤニヤと笑みを浮かべる茜に千早は葛藤する。

 一時の恥よ。

 いいえ恥ですらないわ。

 だってこの気持ちはやましくなんてないもの。大嶽丸が鈴鹿御前を想う気持ちに後押しされているだけ。私が、七海千早自身が──。

「──きよ」

「えっ?」

「好きって言ってるの──琴葉が、その、好き──なの」

 俯いて顔を赤くしながら千早が呟く。

「──ふふっ、千早さんは可愛いね」

 千早が顔をあげると、茜は穏やかに優しく微笑んでいた。

「茜さん?」

「実るといいね、千早さんの恋」

「その──茜さんは良いの?」

「さっきのは嘘──かもしれないよ」

「なによそれ」

「ふふふ、千早さんがあんまり可愛いからさあ。ついイジメたくなっちゃったのでした。応援するよ。琴葉は本当にいい子だからさ、よろしくね。あとでデートプランとか送っておくから、誘ってみるんだよ。琴葉は奥手だからグイグイ行った方が絶対にいいから」

「その──ありがとう。茜さん」

「茜でいいよ。だから千早って呼んでもいい?」

「──うん。ありがとう、茜」

「よーし、千早も一緒に歌おう! はーい、次は私と千早が歌いまーす!」

「えっ、茜──」


 そうして打ち上げは盛り上がっていった。


   §


「じゃあ、みんな気を付けてねー」

「不審者に会ったらダッシュで逃げるんだよー」

 不審者はまだ捕まっていないのでみんな警戒しており夕方の六時くらいには解散の流れとなっていた。まあ、フチガミ問題はまだ解決してないから正しい選択だと千早は思った。

「じゃあねー。琴葉、千早」

「じゃあねー、茜」

「ばいばい」

 琴葉たちもみんなと別れる。

「千早って茜の事呼び捨てだったっけ?」

「──仲良くなったの」

「そっかー、よかったー。千早が茜と仲良くなって嬉しいよ」

 琴葉が微笑む。

 ああ、好きだな。

 何でもない瞬間に見せる微笑みに好きと言う感情が、愛しいという想いが溢れ出そうになる。

 茜に問われて急に自覚的になった。

 琴葉が好きだ。

 千早はそう、強く思ったのだった。

「ねえ、今日はフチガミ対策しないの?」

「うん、今日はおやすみ。明日はする。だから──琴葉」

「なに?」

「明日は、私とデート──してくれない?」

 千早が風になびく髪の毛を抑えながら琴葉を見つめる。

「でっ、デート?」

「うん。デート──したいな」

「その──フチガミ対策じゃなくて?」

「もちろんそれもある。その為に色々な所に行くんだけど、街中にあるから、その、デートも兼ねて琴葉と一緒に回りたいなーって思うの」

「そういうこと──」

 琴葉が少しだけ陰を持った笑みを浮かべる。

「どうかな?」

 千早が見つめ続ける。

「──うん、いいよ。」

 琴葉が微笑む。そこに陰はもうなかった。

「よかった。じゃあ、帰りましょう」

「うん」

 二人は家路へとついた。


   §


 帰宅して琴葉はお風呂に入っていた。

「はあー」

 湯船にとっぷりと肩まで浸かる。

「デートって言うからその──期待しちゃったじゃない」

 デートはデートでもフチガミ対策の一環なのとデートに本筋が入っているのとでは琴葉の中で雲泥の違いがあった。

 フチガミめ──。いつか問題が解決したら、その、デートしたいな。

 琴葉が口元まで湯船に沈める。

「あー、私って──千早の事、やっぱり好きなのかな?」

 湯船で両ひざを腕で抱え込んで小さくなる。

「千早はとっても美人だし、髪もサラサラだし、瞳もウルウルしてるし、私に優しいし、血を吸われるのはちょっとびっくりするけれど──気持ちいいし。んー、女子高だから? でも今までこんなのなかったし。こんな気持ち千早にしか思わないし──。あー、やっぱり好きなのかなー」

 千早がみんなにチヤホヤされているときにちょっとムッとしてしまったり、アンスコを履いているとはいえミニスカートのチア服はあんまり見せたくなかったり、そんなモヤモヤした感情を持っていたり。そして極めつけは今日のデートのお誘いだった。

 私に尻尾がついていなくて良かった。

 もしも尻尾がついていたら尻尾をブンブン振って喜びを表していただろう。

 それは恥ずかしい。

「千早──」

 少しのぼせそうなほどに長湯したのだった。


   §


 その頃。

「ふむふむ、ここに行けば良いのね」

 千早が茜に返信する。

 デートスポットを教えてもらっていた所だった。

「恐らくここは霊脈と合致しそう──うん、やっぱり人混みにも霊脈はありそうだからデート作戦は成功ね」

 本当は何の気兼ねもなしにデートしたい所だけど。

 そんなことを思ってしまう。

「琴葉──」

 フチガミ対策を口実にしてデートに誘ってしまった。

 明日は琴葉、楽しんでくれるかな?

 一歩前進した……といいな。

好きって告白するのはやめておこう。フチガミの問題にケリがつくまではやめておこう。それが逃げだなーとも自覚している。けれどこんなのは初めてなのだ。初めての恋に千早はドキドキしていた。初めての恋に千早はワクワクしていた。しかし同じくらい不安にもなっていた。琴葉は受け入れてくれるのだろうか? 人でない鬼の自分を受け入れてくれるんだろうか? 私の恋心が重荷になったりしないだろうか? 私の恋心に気づいてくれるだろうか? こんなにも好きなのに、千早に自分の気持ちを上手く伝えられない。伝えられる自信がない。

 私に尻尾が付いていればいいのに。そうすれば素直に気持ちを伝えられるのに。

「大好き──琴葉」

 千早が枕を抱きしめる。


 二人の想いが交差するには今暫し時間がかかりそうだった。


五話です。

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