二話
千早の意味深な行動と事件に関連性はあるのか?
そんな矢先に琴葉の友人の茜が襲われた──。
犯人は?
「他校の女子生徒が何者かに襲われたようです。幸いケガは軽いもののようですが皆さんも下校時には気を付けてください。なるべく複数人で帰ったり、夜遅くまで街にいないように。いいですね」
朝のホームルームで先生から一昨日の事件について注意された。
一限目が始まるまでの休み時間。
思ったよりも大事になってるんだなあと琴葉は感じた。
「千早、マンションに一人暮らしなんでしょ? 気をつけなきゃだめだよ?」
「うん、ありがとう」
「琴葉ー、私も心配してよー」
茜が琴葉に抱きつく。
茜のポニーテールが揺れ動いた。
「茜は走って逃げれそうなんだもん」
「まあ、それはね。もしくはラケット振り回すか」
「ダメだよ。男の人に襲われたらラケットくらいじゃ勝てないんだから」
「はーい。大人しく逃げまーす。任せて、走るのには自信があるから! 今度の体育祭もぶっちぎりで勝ってみせるから」
茜は去年一年生ながら陸上部の三年生も負かすほどの健脚ぶりを見せつけて組対抗リレーで優勝してみせたのだった。陸上部からは未だに兼部しないかとお誘いが来ている。
「うん、今年も応援してるね」
「琴葉もメンバー入りでしょ? たぶん。料理同好会の癖に運動神経、そこらの運動部よりもいいんだから」
琴葉も運動は苦手ではない方だった。足の速さもまあまあ自信があるのであった。
「私は無理ね。大人しく応援してるわ」
「七海さん美人だから応援してくれればみんながんばれるよ。そうだ、うちの組の応援団長やらない? 見学してるだけなんて楽しくないしさー」
「えー、高咲さん。それはちょっと恥ずかしいかも──」
千早が困ったように微笑む。
「そうかなー。良いアイディアだと思ったんだけどなー。琴葉もそう思うでしょ?」
茜が琴葉に問いかける。
「うん! 良いと思う。千早はスタイルいいからチアリーダーの服も似合うし、学ランとかもいいよね。茜もそう思わない」
「琴葉ナイス! 良いねチア服! でも学ランもいいよねー。うち女子高だから男に飢えてるし七海さんが男装したらみんな一発で落ちちゃうよー」
「ちょ、ちょっと、私やるなんて全然言ってないってば~」
「ふふふ、今度の体育祭の打ち合わせの時にみんなに提案しよう。目指せ優勝!! おー!!」
「ちょっと~!! 勝手に決めないで!」
その時先生がやってきた。
「ほら、授業。授業──」
「覚えていてね。高咲さん、琴葉──」
そうして一限目の授業が始まった──。
§
「そう言えば琴葉。なんで七海さんのこと呼び捨てにしてるの? はっ!? 昨日二人で校舎見学してる時にドキドキイベントが!」
「あはは、ただ仲良くなったからよ」
昼休み、三人は今日もまた食堂に来ていた。
「えー。いいなあ、私も七海さんのこと名前で呼びたーい」
「いいわよ。高咲さん」
「じゃあ、その──千早さん」
「ふふっ、よろしくね。茜さん」
「うん!」
昨日と同じく窓際に座りながら昼食を食べ始める。
琴葉は母の手作り弁当。千早は豚の生姜焼き定食。茜はきつねうどんだった。
「今日は琴葉の料理同好会に体験入部に行くんでしょ?」
「ええ」
「そうね」
「今日は何を作るの?」
「今日はフィナンシェよ」
「わーい。楽しみにしてるね!」
「もらう前提なのね」
「琴葉ー、くれないの?」
茜が目をウルウルさせて琴葉に問いかける。
「まあ、もとからあげる予定だったけど」
「やったー!! 琴葉だーいすき! アイラブユー!!」
「ずいぶんと安いアイラブユーね」
琴葉が苦笑いする。
「そんなことないよ。本当に愛してるよ、琴葉ー」
「ふふふ、随分と仲良しなのね。琴葉と茜さんは──」
千早がクスクスと笑いながら二人のやり取りを眺める。
真っ黒の瞳は揺れていなかった。
「あはは、私と琴葉は幼稚園からの幼馴染でね。小さい頃から琴葉の神社に遊びに行ってたんだー。この暑い時期はセミ取りとかよくしてたんだよね」
「私は虫嫌いだから遠めに見ていただけだけどね」
「セミ持っていったら琴葉泣いちゃってビックリだったよねー」
「あっ、あれは急にセミが鳴いて驚いただけで、別に怖くて泣いたわけじゃないんだからね!」
「セミって殆ど見たことないわね」
「千早さん、セミ取りする?」
茜が目を輝かせる。
「なんで今更セミ取りするのよ」
琴葉が渋い顔をする。
「いや、遠慮しておくわ」
千早は困った顔をした。
「もう、夏の風物詩なのにー」
「もう九月でしょ、秋を探しましょ」
「そうね。その方が建設的だわ」
「秋になってほしいなー。そしたら部活もやりやすくなるのになあ」
「夏は熱そうだものね」
「うん、スポーツドリンクがぶ飲みしても熱中症になりそう。いいよねー料理同好会は、屋内だしスイーツ食べ放題だし」
「食べ放題っていうか作った分だけ食べれるから無限じゃないのよ。もちろん茜への差し入れも」
「へいへい、わかってまーす。本当に感謝、感謝、感謝ですよー」
そんな感じで昼食が終わっていく。
§
昼食後の眠気にも耐えながら琴葉は午後の授業を耐え抜いて放課後になった。
「じゃあ、琴葉、千早さん。お菓子作りがんばってね。期待してるよー」
茜がポニーテールを揺らしながらテニスコートに向かっていった。
残された琴葉が横に立つ千早を見つめる。
「行きましょうか。千早」
「ええ」
そうして二人は階段を下りて一階にある調理実習室に向かった。
「失礼しまーす」
「失礼します」
調理実習室に入ると既に殆どの部員が揃っていた。
「部長。転校生の子を見学に呼んだんですけどいいですか?」
「田中さん、もちろん歓迎よ。えっと──」
「七海です。七海千早です」
千早が頭を下げる。
「如月です。三年の如月詩音。この料理同好会の部長をやってます。あっちにいるのが向かって右から田村栞さん」
「一年の田村栞です」
少しおどおどしたショートカットの少女が頭を下げる。
「その隣が露崎りんさん」
「二年の露崎です。よろしくね、七海さん」
ボブカットの快活な印象の少女が頭を下げる。
「そして──」
「詩音と一緒、三年生で副部長の雨宮霧子です。ようこそ料理同好会へ! 歓迎するよー」
詩音とおそろいのロングヘアーをなびかせた少女、霧子が頭を下げる。
「はい、三重県から転校してきました。七海千早です。みなさんよろしくお願いします」
千早が頭を下げる。
「じゃあ、早速作りましょうか。バターは賞味期限の短いのから使ってねー」
「はーい」
各々冷蔵庫から卵、バターを、ストッカーからグラニュー糖、薄力粉、コーンスターチ、アーモンドパウダー、塩を取り出す。
「何か手伝う?」
千早が訊ねる。
「じゃあ、粉物をふるいにかけてくれる?」
琴葉がスケールで粉物の重量を計ってビニール袋に入れていき、それをふるい機と一緒に千早に渡す。
「うん。がんばる」
その間に琴葉が焦がしバターを作りながら、卵を卵黄と卵白に分けていく。
「フィナンシェって卵黄使わないのね。何だか意外」
「そう。だから卵黄は何個か卵白混ぜてカスタードプリンにするの」
「へー」
卵白に塩とグラニュー糖を入れて摺り混ぜていき、ふるった粉物も混ぜたら、焦がしバターを入れて生地の完成だ。
「良い匂い」
「焦がしバターの香りって本当にいい香りだよねー」
型に流し込んで二百四十度のオーブンで焼き上げれば完成だ。
オーブンの待ち時間でカスタードプリンもサッと作っていく。
「みんな手際がいいのね」
千早が料理をする姿を見て呟く、琴葉だけでなく部長の詩音も、他の部員も千早から見ればプロ並みの手際の良さだ。
「あはは、フィナンシェとカスタードプリンは鉄板だからねー。みんな身体に沁みついているんだよ」
「そういうものかしら」
「そんなものだよ。千早は料理しないの?」
「ええ、あんまりしないわね」
「一人暮らしなんだよね? 食事はどうしてるの?」
「引っ越してからはコンビニでご飯済ませてるわね。だから正直学食の料理が美味しくて安心してる」
「あはー。じゃあ、本格的に入部しない? お料理の基礎もみんな優しく教えてくれるよ。一人暮らしするなら自炊する時が来るかもだし」
「そうね。そうするわ」
「えっ、入ってくれる?」
「うん。入部するわ」
「わーい! ありがとう」
「まあ、もとから琴葉がいるから入る気はあったしね」
「えっ──?」
「ふふふ。気にしないで」
ピー、ピー、ピー。
オーブンの焼き上がりを示す音が鳴り響く。
「あっ、焼けたみたい」
琴葉がミトンを装着してオーブンから天板を取り出す。
「おー、良い匂い──」
「わー、千早、近づいたら危ないからダメー!」
近づく千早から琴葉が天板をさっと離す。
「あはは、分かってるって。平気よ」
「焼きたての天板は危ないから近づいちゃだめだよ」
「はーい」
フィナンシェの型をテーブルでコンコンと軽く叩いてからひっくり返して型抜きをする。
「美味しそうね」
「まだ熱いから触っちゃダメよ」
「うん」
じーっとフィナンシェを眺める千早の横顔に、なんだか小さな子供みたいと思う琴葉なのだった。
§
「じゃあ。新入部員の歓迎も兼ねて乾杯」
部長の詩音の言葉で皆がティーカップを軽く触れ合わせる。
今日の紅茶はヌワラエリアだった。
コク深い味わいと爽やかな香りがフィナンシェと絶妙にマッチしていた。
「美味しいわ、琴葉」
「良かったー。焼き菓子には結構自信あるんだよ」
「うん、こんなに美味しいお菓子は初めてよ」
千早が琴葉をじっと見つめる。
「あはは、それは言いすぎだよー」
琴葉が微笑んで応える。
「ううん、そんなことはないわ。本当に美味しい。少し持って帰ってもいい?」
「もちろんいいよ! 茜用にラッピングするから千早にもラッピングするわ」
「ありがとう──本当に茜さんと仲がいいのね」
「んー、小さい時からの腐れ縁だからねー。幼稚園に小学校、中学校、そしてこの学校でも一緒だからねー。離れ離れになるなんて考えられないなあ」
「へえ──そうなのね」
「うん! きっと千早も仲良くなれると思うよ」
「──そうね。そうなるといいわね」
ティータイムが過ぎ去っていった──。
§
その後、琴葉と千早は茜に差し入れを持っていった。
「琴葉、いつもありがとう! 美味しく食べるね」
「今日は千早も手伝ったのよ」
「千早さんもありがとうね」
「私はほんのお手伝いだけどね」
「それでも嬉しいの。ありがとう。琴葉、千早さん」
「うん」
「私たちは帰るけど、茜はまだ帰らないの?」
既に夕方になって、他の部員は帰る準備をしていた。
「大会近いから、もう少しだけ走り込みとかしようかな」
「気を付けるのよ。今朝、先生が言っていたみたいに不審者が出たら危ないから」
「大丈夫。その時は走って逃げるよ。心配しなくても平気、平気」
「気を付けてね」
「琴葉に千早さんも気を付けてねー」
手を振り合って別れる。
§
帰り道──。
「千早の家って学校から近いの?」
「坂を下ってすぐだからもうすぐ着くわよ。ほら、あそこのマンション」
千早の指さす方には立派で小綺麗なマンションが立っていた。
「めちゃくちゃ綺麗だね」
「今度、遊びに来てもいいんだよ」
「うん。今度遊びに行くよ」
「絶対だよ」
「うん。約束」
「約束ね」
マンションの前に到着する。
「じゃあね、千早」
「じゃあね、琴葉──夜は出歩いちゃダメよ。物騒だから──約束して」
「う、うん。そうだね。危ないから出歩かないようにするよ」
「約束よ」
「うん」
「じゃあ、また明日。バイバイ──」
「バイバイ──」
そうして琴葉は千早と別れて、自転車を漕ぎ始めたのだった。
黄昏時、夕陽は落ちかけて薄っすらと月が輝き始めていた。
§
琴葉が家に帰る。
昨日と変わらず、父親は着物でくつろいでおり、母親は料理をしていた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
「おかえり」
「今日の晩御飯なーに?」
琴葉が母親に問いかける。
「今日は豚の冷しゃぶサラダよ」
「いいねーさっぱりしてて」
「もう出来上がるから、早く着替えてらっしゃい」
「はーい」
琴葉が部屋に戻って着替える。
ブラウスが少し汗ばんでいた。
残暑がまだ厳しい事を物語っている。
「あー、明日の予習面倒くさいなー」
そんなことを想いながら着替えるのだった。
§
「なんでもまた被害者が出たそうだよ。例の不審者」
「そうなの?」
夕飯が終わってスイカを食べながら麦茶で一服していたところ、父親が話題を切り出す。
「物騒ねー」
「琴葉も気を付けるんだよ。茜ちゃんと一緒に帰るとかするんだよ」
「はーい。でも茜、部活の練習後も残ってるからなあ」
「凶器は不明だし、軽傷らしいけど失神するくらいだから強く殴られているかもしれない。十分気をつけるんだよ」
「分かった。一人暮らしの友達もいるから、みんなで一緒に帰るように気を付けるよ」
そうして夜が更けていく。
§
夜のマンション──その一室で千早はあるものを抱きしめていた。
「琴葉からのプレゼント──大切に食べなきゃ。冷凍でも保存しましょう」
琴葉と一緒に作ったフィナンシェの入った包み紙を大切に、大切に、抱きしめていた。
「琴葉──琴葉だと思って大切に食べるね。一片も零さずに食べてみせるわ」
千早がフィナンシェを一つ取り出して食べる。
焦がしバターのコク深さと良好な風味が口の中に広がっていく。
「美味しい──」
一口、一口、大切に味わっていく。
「美味しいけど──やっぱり琴葉の血が飲みたいなあ」
か細い声で千早が呟く。
「茜さん。ちょっと邪魔よね、親しくし過ぎだわ。琴葉は私のものなのに──」
フィナンシェをもう一つ食べ始める。
「ああ、琴葉──早く、琴葉の血が飲みたいわ。ふふふ──」
その口元には鋭い牙が生えていた──。
§
翌朝、何事もない一日が始まると琴葉は思っていた。
茜の姿が見えないことに気が付くまでは──。
「高咲さんは何日か学校をお休みすることになりました」
担任の先生が告げる。
風邪とかかな? 茜が風邪ひくなんて珍しいな。
スポーツ少女の茜は元気印な子で基本的に皆勤賞だった。だから担任の言葉に琴葉は驚いた。
帰りにお見舞い行こうかな? うん、そうしよう。
「それと不審者ですが、今も捕まっていません。部活は当面の間は中止で、放課後は残らずに速やかに帰って下さい。なるべく集団でお願いします」
また不審者の話題か。
千早、一人暮らしだけど大丈夫かな? 一緒に帰ろう──。
そんなことを想いながら、一日が始まっていった。
§
放課後。
琴葉は千早に声をかける。
「ねえ、千早。茜のお見舞いにいかない?」
その提案に千早は困ったように微笑む。
「風邪だったら悪いんじゃないかしら?」
「具合悪そうだったらすぐ帰るよ」
「うーん、じゃあ行きましょうか」
「うん。行こう」
購買でプリンを買って千早と共に琴葉は茜の住む家へと向かった。
§
時刻は夕方、まだ陽は傾き始めた頃合いだった。
「こんにちはー、琴葉ですー。茜は大丈夫ですか?」
インターホン越しに呼びかけると茜の母親が応対する。
「あら、琴葉ちゃん。今開けるわね」
ガチャリ──。ドアロックが解除されて茜の母親が顔を出す。少し顔色が悪そうだった。
「あの、茜が何日か休むって聞いて心配で。これ、お見舞いのプリンです」
「あらー、悪いわね。その、ちょっとね──」
「──? 風邪とかじゃないんですか?」
「うん、あのね。その──」
「お母さん。琴葉ならいいよ」
「あっ、茜──」
歯切れの悪い茜の母親の後ろから茜が顔を出す。何だか血の気が引いているみたいだ。
「茜ちゃん。立って大丈夫なの? まだ寝てなきゃ──」
「ちょっとくらいなら大丈夫だよ。琴葉、それに千早さんも、少し話そう。お母さん、ジュース持ってきて──」
そんなわけで茜の部屋に琴葉と千早は上がり込んだ。
「いやー。大変だったんだわ」
「何かあったの?」
琴葉が訊ねる。
「うん。例の不審者いるじゃん? たぶんあいつに襲われたっぽい」
「えっ──!? 大丈夫だったの?」
「まあね」
「犯人の顔は見たのかしら?」
千早が訊ねる。
「いや、全然。なんか凄い寒気? 嫌な視線みたいな、変な感じがして後ろを振り向こうとしたらもうその後の記憶はなくて病院だったの」
「立ち眩みとかじゃなくて?」
「ううん。なんか変な傷跡があったから襲われたっぽい。ほら──」
茜が首筋を見せる。
そこにはガーゼが貼られていた。茜がそのガーゼを剥す。
「なんか変な痕でしょ? まるで血でも吸われたみたい」
そこには少し間隔を空けて赤い穴のような傷跡があった。
「実際にふらふらするんだよね。病院で検査したら貧血みたい。本当に血でも抜かれたんじゃないかって言われちゃった」
「血を抜かれた──」
「警察で話を聞かれたんだけどね。吸血鬼事件って呼んでるみたいだよ」
「まさか──。そんなのいるわけないじゃん」
「だよねー。でも実際に血を抜かれたみたいにフラフラで倒れちゃう人が結構出てるみたい。琴葉に千早さんも気を付けるんだよ」
茜が神妙そうな顔で忠告する。
「うん」
「ええ、気を付けるわ」
琴葉と千早が頷く。
「じゃあ、そろそろ帰りな。私が襲われたのも夕方過ぎだからそろそろ危ない時間帯かもしれないよ」
「そうね。それに茜に無理させちゃ悪いものね。そろそろ帰るわ。行きましょう、千早」
琴葉が立ち上がる。
「ええ、お大事に──茜さん」
「うん。二人ともありがとう」
そうして二人は茜の家を出る。
§
黄昏時を琴葉と千早が帰る。
「送っていくわ」
「えっ、でも千早の方が一人暮らしだから危ないでしょ? 私が送っていくよ」
「大丈夫──私は襲われないから」
「そんなの分からないじゃない」
「大丈夫なのよ。それに武道には心得があるから大丈夫。普段は貧血気味だけど、いざとなったら凄いんだから」
千早が自信たっぷりに微笑む。
「うーん、じゃあ。送ってもらおうかな」
「うん。ナイト役は任せてちょうだい」
「あはは──」
「琴葉──おまじないをかけてあげる」
「おまじない?」
「不審者に襲われないおまじない」
「なにそれ?」
「いいから。目を瞑って」
「うん──」
琴葉が目を瞑る。
千早が真剣な顔で琴葉の髪の毛を持つ。
そして愛おし気にキスをした。
「──はい。おしまいよ」
琴葉が目を開く。
「何をしたの?」
「内緒のおまじないなのよ」
薄っすらと月が出始めた頃、二人は帰路についた。
§
何事もなく無事に帰宅した琴葉は同じく帰宅した千早からメッセージをもらって安堵の息をつく。その後食事とお風呂を済ませて就寝前、琴葉は茜の身に起きた出来事について考える。
「吸血鬼ねえ──」
読んで字の通り血を吸う鬼。夜に生きる怪物。不死の怪物。血を吸って眷属を増やす怪物。
怪物、怪物、怪物──。物語に生きる夢幻の存在だ。警察も本気で吸血鬼がいるなんて思ってはいないに違いない。でも、確かに茜は血を抜かれた痕があった。
「怖いなあ」
琴葉は背筋に嫌なものを感じた。なんだか誰かに見つめられているような──。
思い切って振り返る。
そこには鏡越しに己の視線があるだけだった。
ため息をつく。
「気のせいだよね──寝よう」
そうして部屋の灯りを落として眠りについた。
§
深夜。マンションの一室。
千早は少しイライラした様子で室内をウロウロしていた。
「邪魔なのが多すぎる──」
何かを諦めた様子でベッドに横たわる。
「琴葉──会いたいよ」
枕を抱きしめる。
「早く明日にならないかな──もう、待ちきれないよ」
深く深く深呼吸を繰り返す。
「早く琴葉の血が吸いたいわ──」
夜が更けていく。
二話です。