第35話 消える紫
三番街で三日目の夜を迎えた。
夕方から降り始めた雨が通りを濡らす音が聞こえる。
人影や、町並みにともる灯も昨日より少ない。
雨は人々に見えない隔たりをつくるみたいだった。
右門はただ静かにそれを見ていた。
四日目の朝、障子を開け、通りを見下ろすとこの日は雲海が道で待っているのが見えた。
「おはよう。呼んで起こしてくれてもかまわないよ」
玄関を出てあいさつをすると、木綿の仕事着姿の雲海が笑顔で出迎えてくれた。
「いえ、今きたところですから」
そう言うと雲海は右門のやや後ろを歩きながら、すれ違う町の者たちに丁寧にあいさつを返しながらついてきた。
「二人はずいぶん慕われているんだね」
町を見渡してもあいさつを交わしている者はそれほど多くはない。
それでも声をかけられることの多い九間と雲海を見ながら右門は言った。
「頭領なんです。あの人は側守の筆頭ですから」
「側守?」
「緒月様の側近です。御空様と折り合いがわるく、今はこの街にいますけど」
「そうか、色々あるんだね」
右門はまだ二人には身の上の話をしていない。国の治政とは無縁の村で育ったということは知らないようだった。
「大雨でもこの場所は大丈夫なのだろうか」
昨晩の雨で少しだけ水かさの上がっている小川を見て右門が言う。
「大丈夫ですよ。周りから水は流れ込みませんし、雨水は全て洞窟を通って東側へ流れていきます」
「あの洞窟はずっと昔からあるのかな」
「はい。古代遺跡として、この国の地下にずっとあります」
「では、地上の街と古代遺跡とではどちらが先にできたのだろう」
「……」
右門の突然の問いかけに、雲海は当然、古代遺跡の方が先だろうと考えた。しかし、あの洞窟は街を囲むかのように地下で外周を形取っている。地上にすでに街ができていないとあのようなかたちにはならないような気がした。
おそらく右門もそれに気づいたから聞いたのだろう。しかし、雲海にはそれに答えられるほど、この国の起源については詳しくなかった。
「今日はこっちだ。お前たち」
そうしていると、町の外れの宿舎の前で手招きをして立っている九間の姿が見えた。
雨が上がったばかりなので、今日は部屋の中でスキルの説明をするようだ。
宿舎の土間で少しの間、右門は立ち止まった。雲海は鼻先が思わず背中にぶつかりそうになった。
「どうしたんですか?」
雲海が尋ねると右門は、「いや、何でもない」と言いながら振り返らずに中へと入っていった。
「……ここで説明をする」
先に入っていた九間は食堂を兼ねた入ってすぐの大部屋で、昨日の冊子を取り出して右門の方を見ながら言った。
――属性と修得気燃。
気燃はそれがどういうものかを他者に伝えることはとても難しく、本人でさえもはっきりとどういう形であるかを捉えているものは少ない。しかし、全ての冒険者に共通して体系的な概念が存在していることは知られている。
それは次のようなものになる。
心――精神力。心の強さ。高い数値を取っている者はあまり多くない。
気――練気。精神力によってつくられる瞬間的気力の扱いの上手さ。気の操作。
技――気を用いて体を動かす際の、身体操作の上手さ。
体――体の力。腕力など直接的な攻撃力、防御力に最も影響する力。
円――空間を掌握する力。広範囲に及ぶスキルで主に必要となる力。
土――大地の力を使って放たれるスキルに必要な要素。
火――蛍火など、火にたずさわる要素。
水――主に回復スキルで用いられる要素。
以上のうち、心と気が共通する項目で、技と体が戦闘スキル、円と三つの属性が探索スキルの習得に必要な要素となる。
気燃とは、要するにこの八つに分けられる要素がどれほど備わっているか、というものになる。
そして、それぞれのスキルには八つの要素がどれほど満たされていれば獲得できるか、というのが数値化されている。
ギルドでの任務の報酬による修得気燃のポイントから、大体の見当をつけて目当てのスキルを目指す、というのが一般的な獲得の流れになる。
「お前のギルドカードには残念ながら修得気燃は一つも溜まっていない。きっと雑用任務しかなかったのだろう。スキルを持っている冒険者はそもそもそんなに多くない。スキルがほしければまずランクを上げることだな」
閉じたままの冊子を手に持ちながら九間が言った。
「説明はこれだけです。気燃は奥の深い力なのですが、言葉で表せるのはこれくらいなんです」
向かい合う九間と右門とのあいだで雲海が食卓の上の書類を片付けながら言う。
「もしよかったら、お昼食べていって下さい、右門さん。頭領も今日は仕事ないですから」
「そうなのか、気を使わせて申し訳ないな」
「……」
「いいですよ。お口に合うといいんですが」
そう言って支度を始める雲海に後ろから九間が声をかける。
「いや、俺は急用ができた。すまないが二人で食べていてくれ」
そう言うと九間は冊子を食卓に置き、玄関から外へと出ていってしまった。
「頭領、どうしたんだろう急に」
「……いいのかな、本当に」
九間の出ていくのを見送った後、雲海は食卓の椅子を引き、「ああいう人だから、気にしないで大丈夫です」と言いながら台所へと入っていった。
右門は何も言わず、奥の部屋を眺めた。
空気が澄んでいる。
しかし、それは少し前までの間のことだ。
静まり返った奥の部屋で、右門はその一つが暗がりへと帰っていく音がしたのを感じた。




