第34話 魔の洞門
宿舎までの僅かな間、九間は後ろをついてくる右門の気配から、森羅万象の息遣いを感じた。
周囲を殺さない音は、風景を一段階引き上げているようにも見えた。
しかし、雲海と大して変わらない年の男がそれを出していることに、九間は違和感を覚えざるを得なかった。
訓練場を少し行ったところの木立に入っていき、そこで簡単なスキルの説明をし始めた。
冒険者はまず二つの基本スキルを習得する。その二つは戦闘スキルだが、探索専門の冒険者でも必ず習得するという。
「常身と打突。この二つは誰でも持っている。念のため確認しておこう」
そう言うと九間は目の前の栗の木に向かって殴打を打つように右門に促した。
――ダンッ
言われるままに構え、木の幹に向かって打ち込むと僅かに木が揺れる音がした。
「問題ないな」
九間はそう言うと、右門がまた森羅万象の息を潜ませた常の身に戻るのを感じた。
「お前がスキルについてどこまで知っているかわからないが、冒険者として心得ておくべき全てを伝えておく」
そう言って九間は手書きの冊子を右門に渡し、一から説明を始めた。
――冒険者のスキルは大きく分けて戦闘用と探索用の二つがあり、それぞれのスキルには一から五までの段階が振られている。
昔は一から四までしかなく、順に人間、動物、魔物、そして通常では獲得の難しい鬼と名付けられた領域のスキルがあったのだが、あるとき、一人の男がその更に上の五段階目のスキルを獲得した。そのスキルは特殊な行程を辿らなければ使用自体が不可能なスキルであったが、男はそれを可能にしていたため、ギルドで正式にスキルとして認められ、それ以降、スキルの難易度も単に段階の数字のみで表されるようになった。
ほとんどのスキルの元となる【常身】と戦闘時、武器を用いない際の戦闘手段となる【打突】は一段階のスキルではあるが、この二つは使う者によって熟練度に差があり、独自の戦い方を持つ者も多い。
「最初の頁にあるのが特質素性。そして、それ以後はスキルと習得に必要な気燃の内訳が記されている」
右門が冊子を開くと、そこには技の名前のようなものが連なっており、【特質素性】という見出しが付けられていた。
特質素性は冒険者のそれぞれ個人だけが持つ独創的なスキルで、それぞれに独自の名前が付いている。
よく見ると、技名の後に持ち主と思われる名前も付いている。
「森羅万象の気燃を持つ者だけが、そこにある特質素性を持つことができる」
「森羅万象?」
耳慣れない言葉に右門が聞き返すと、九間は森羅万象にだけは説明は付けないと言ってきた。
森羅万象は冒険者になるまでの早ければ十数年の生き方で各人が獲得するもので、口伝や訓練で得るものではないという。
一通りの説明を終えると、九間は明日、もう一度、この場所で属性の説明をすると言い残し、宿舎の方へと戻っていった。
残された雲海は、時間があるなら探索に行ってもいいと九間から言われていたことを思い出したが、それは右門には伝えなかった。
「属性は探索スキルの習得に必要な要素になります。他に気になることがあればお答えしますよ」
雲海がそう言うと、右門は今日は宿に戻って町の中でも見て回るよ、と言った。
二人はその場で別れ、まだ日が明るい訓練場を通り、右門を見送ると雲海も宿舎の自分の部屋へと戻っていった。
雲海は冒険者ではない。当然、スキルも持っていない。しかしこれまでに何人かの冒険者のスキルを実際に見たことはある。そして何より、右門は雲海にとってこれまでの冒険者とは違う、どこか懐かしく心を寄せることができるような雰囲気を感じることができる冒険者だった。だからもしかしたら細部に渡り、感覚的に見ることができたのかもしれない。
あのとき、右門が木に向かって打突を放ったとき、あるいはその前後だったかもしれない。
雲海は言いようのないような違和感を感じた。それはあまりよくないもののような気がした。
まるで何かが妨げられるような、どこか悲しい誰かの声が聞こえたような気がした。
本棚から一冊の本を出して手に取った。手書きの本だ。
それは、雲海も九間からもらったあの冊子に、自分の見識や解釈なども加えたさらに厚みがあるものだった。
特質素性の頁をめくり、ある項目を確かめた。そこには次のような記述があった。
・【動的覇円】――獲得したスキルにこだわらないようだ。覚えたスキルを捨て、再び他を獲得できる状態にする。一度失ったスキルも、覚えている限り再獲得可能――――赤山露残
そして、その下に雲海の書き込んだ注意書きがある。
――彼は、この力で最強の名折りと呼ばれていた。まるでスキルの世界を渡り歩いているようだ。
赤山露残が右門の父親であることは薄々気付いていた。
しかし、特質素性には重要な決まりがある。それは一人につき一つしか持てない。そして、他者が持つ同じものは持てない。
あのとき感じた違和感は、動的覇円の効果を知ったときと同じものだった。しかし、同じ特質素性は持てない。
右門の特質素性にはまだわからない何かがある。彼が森羅万象の持ち主であることは雲海から見ても明らかだった。
やっと辿り着くことのできた場所に、日陰があるのを感じた。
それは自分の力では、決して払うことのできない日陰のような気がした。




