2話 よくある 門出
住んでいる人たちは色褪せた布の服を着て、お世辞にも裕福とは言えない人口五百人足らずの小さな村。早馬を飛ばしても丸二日はかかる王都から、百年ほど昔に移民したと聞かされている。
僕はそんな村で育ったのだけれど、どこで生まれたのかは知らない。剣術士のじいちゃんと武術家のばあちゃんに拾われ、このウィードルドの村へやって来たらしい。詳しいことはよく知らないし、話を聞く前に二人は二年前に亡くなってしまったのだ。
その二人に鍛えられている最中、僕は四歳のときに魔力が芽生えたのだった。
村が開拓されてから初めての魔術使いのため、詳しい魔力の使い方は誰も知らない。唯一、ばあちゃんが辛うじて知っていた程度だった。そこで十六歳になった僕は王都にある魔術学校の試験を受けた。結果、なんと合格したのだった。しかも、その学校ではポーションや魔術陣というものの作り方を教えてくれるらしい。それは貧しい村にとって、なんとしても手に入れたいものだ。
魔獣や猛獣の襲撃、流行る病気などで多くの人が亡くなっている。
井戸や川から水を運ぶことも、火を熾すことも、この村では大変なのだ。
だから必然と村の人たちから期待が寄せられている。
そして本日、まだ肌寒い春のこの日に、王都へ向かって旅立つときが来たのだった。
魔獣の毛を編みこまれた純白の手袋。ばあちゃんが大切にしていたものだ。生活必需品と干し肉が入ったリュックの横ポケットに丁寧に畳んで入れる。
二日間かけて大掃除した自室。
机の上にある革のベルトを腰に巻き、左右の腰部分にナイフがあることを確認する。そして、机に寄りかかっている剣を手に取り、革のベルトの背後に鞘を通すと、リュックを背負い一階へ向かった。
ばあちゃんがいつも立っていたキッチン。
暖炉の前にあるソファーでは、よくじいちゃんが酒を飲んでいた。
階段を下りる途中、立ち止まって思いに耽ってしまう。
階段の横では、夜遅くまで酒を飲んで帰ってこなかったじいちゃんが、よく正座させられていたのを思い出してクスッと笑ってしまった。
そして、三人で楽しく食事をしていた中央のテーブルへ目を向けたとき、懐かしさのあまり唇をかみしめた。
捨て子だった僕をここまで育てくれてありがとう。必ず立派に魔術が使えるようになって帰ってきます。
玄関前で頭を下げ、それから胸を張って回れ右をすると誰もいない家を出た。
木造の家の外では、手仕事を放り出して多くの村人が集まっていて思わずびっくりした。
やっと出てきたか――というような声が飛び交い、目が丸くなる。
「ギル。おせえよ」
騒然とした中、赤髪のザッハが馬の手綱を引いて近づいてきた。彼の周りにはほかにも三人の幼馴染が揃っていた。共に走り回って育った彼らに、にっこりと笑みが零れる。すると照れくさそうな笑みが返ってきた。一年間だけど、お互いに別れを言葉にするのが恥ずかしいのだと思う。
「ギル。富豪や貴族のヤツに負けるなよ」
「うん」
頬に傷があるルーが僕の胸を軽く叩き、激励してくれる。
「来年、無事に卒業できたら祝いだよ。あと土産忘れるなよ」
「任せておいてよ」
悪戯っぽく笑うエコーに笑みを返す。
「ギル。体に気をつけてね。ちゃんと食事してね。あと……」
「大丈夫だよルカ」
心配そうに見つめてくる彼女。そのおさげ頭を優しく撫でてあげる。
「じいちゃんとばあちゃんがなくなってから、いろいろと世話をしてくれてありがとう」
そう礼を言うと彼女の瞳から涙があふれ出した。
ルカ泣くなよ――幼馴染たちがそう宥める。ルカは頷きながら頬を拭うけれど、僕と目が合うと再び涙があふれ出した。お世話になった彼女に泣かれるとちょっと辛い。
「コラ、ギル。ウチの娘を泣かせてんじゃねえぞ」
慰めていたところにルカのオヤジさんの怒声を耳にした。振り向けば、その破顔は門出を祝ってくれているとわかる。思わずはにかんでいたところに、人だかりから村長が歩み出てきた。
「ギルよ。これを。カーミルとアンジェから頼まれていたんじゃが」
そう言って手にしていた布袋を手渡してくれる。中には少量だけど銅貨と銀貨が入っていた。僕が魔術学校に合格したとき、家にある家具を売って持たせて欲しいと、もし万が一なにかがあったときにじいちゃんとばあちゃんから頼まれていたと言う。
受け取った布袋を慌てて突き返す。来年帰ってきたとき、物がなにもかも無くなっているのは困るし、思い出の品々はそのままにしていてほしい。
「そう言うじゃろうと思って、この金は村の皆からの入学祝で集まった金じゃよ。家具はそのままにしておくから安心して、これを受け取りなさい」
村長の言葉に集まった人たちが揃って小さく頷く。
「でも、そんな」
王都から遠く離れた村。みんなが身にしているのは継ぎ接ぎの衣服。とても裕福には見えない。しかも、村には学舎もなく、僕みたいに王都まで学舎に通うような子どもはいない。学舎へ行くこと自体が贅沢なのだ。裕福とは言えない生活の中から出してくれたお金なんて受け取れない。丁重に断ろうとした。
「この村から初めてでた魔術使いだ。それに、カーミルとアンジェはこの村の英雄なのだ。みんながいろいろと世話になった。その恩返しだ。受け取りなさいギル。みんなの気持ちを無駄にしないでおくれ」
村長がそう言い終えたそのとき――村の英雄の息子に門出の声援を! 誰が声を上げたのかわからないけれど、集まった人たちから、うおーと歓声が上がる。そして僕の名前が喝采のように飛び交いだした。それはあっという間に広がり、差し出された布袋を断れない雰囲気となってしまった。
「さっさと受け取らねえと、村から出られないぞ、ギル」
「そうは言っても」
ニヤニヤとしている幼馴染にそう苦笑いを浮かべて、申し訳なく思いつつも小さく頷き、集まってくれた人たちに頭を下げて礼を言い、布袋を受け取ることに決めた。
「そろそろ出発しないと」
エコーの言葉に頷き、お互いの手を握り合った。
負けるなよ、そう言うルーと拳をぶつけ合い、微笑んだ。
「ルカ。行ってくるね」
涙目の彼女としばらく見つめ合う。
「気をつけてね。絶対に帰ってきてね」
僕は頷き、隣で手綱を握っているザッハからそれを受け取る。お互い黙ったまま、パーンと手を合わせ、なにも言わずに僕は馬へ飛び乗った。
頑張れよ――ザッハに言われなくても手のひらから伝わってくる。見つめていた手のひらを握り締め拳を掲げた。
「みんな、ありがとう。しっかりと魔術を学んで帰ってきます」
声を張り上げると、激励が轟いた。
「行ってきます」
そう言って手綱を握り直し、馬を蹴って走らせた。
何人か馬のあとを追いかけてきたようだけど、振り返らず村の中を走る。集まりに参加できなかった人たちが、家の窓から畑の中から、あちらこちらで声を上げてくれる。
ありがとう! そう手を振って答え、風を切るように馬を走らせ、村を出て、僕は王都へ向かった。
じいちゃん、ばあちゃん、村のみんな、ありがとう。何度も胸の中で礼を言いながら。
誤字脱字を見つけた方、報告してもらえれば幸いです。
支離滅裂な文章、気になった部分等あればコメントいただけると嬉しいです。
目を通してくれた方、ありがとうございます。