11話 よくある 女の子との出会い
朝の六つの鐘が鳴る前に目が覚めた僕は、重たい瞼を擦りながら体を起こし、柔らかな布団から足を滑らせた。
朝焼けの空。窓の外は薄っすらと明るい。
そういえば、最近、早朝の鍛錬をしていないなと、ふと窓の外へ思いを寄せた。
布の服に着替えた僕は足音を立てないように廊下を歩き、階段を下りていく。
ウィードルドにいた頃は毎朝のように走り込み、ばあちゃんから教わった拳術の型の練習をし、じいちゃんに貰った剣で素振りをしていた。
さすがに剣をもって外に出るのは。走り込みぐらいなら大丈夫だと思う。そう考えて部屋を出てきたのだった。
一階ではアルギニオさんがもうすでに待機していた。
こんな朝早くから……まさか寝ずの番じゃないよね? 管理人という仕事も大変だなと思う。
「おはようございます。朝早くからどうなされましたかギル様」
「えーと、鍛錬というか、少し走り込みをしようかと思ったのですが、寮の外に出るのは禁止ですか?」
「夜の外出は禁止ですが、早朝は大丈夫でございます。鍛錬でしたら尚のこと」
よかった――思い立ったらジッとしていられなかった。身体が運動を求めてうずうずが止まりそうになかったのだから。
「最近の寮生は、自主トレーニングをする方がいらっしゃらなかったので、なんだか新鮮な感じがいたします」
「そうなんですか。それじゃ、ちょっと行ってきます」
「頑張ってください」
挨拶を交わし、扉を開け外へ歩み出た。両腕を伸ばして大きく深呼吸をする。
ウィードルドでは今ごろ朝食の準備が始まっていて、食事の匂いが漂っていたものだ。でも、ここ寮のキャンパスでは芝の香りがする。
村を離れて王都に来たんだな。そう実感を噛みしめながら、眠っている筋肉を目覚めさせるため柔軟体操を始めた。腰や足の筋肉を伸ばし、芝が広がるキャンパスを眺める。男子寮と女子寮の前をぐるりと楕円形に広がっている。周囲を走れば一キロとちょっと程度かな?
仕上げに大きく深呼吸していると、不意の、ぱたりと扉の閉まる音にハッと振り返った。その視線の先は女子寮。そこから誰かが出てきたのだ。
上下赤い軽装に銀髪の女性。どうやら彼女も僕の姿に気がついたようで、こちらを見ているのがわかる。
「おはようございます」
近づいてきた女子が僕の前で立ち止まり、挨拶をしてきた。
動かしていた体を止めて、僕も慌てて挨拶をする。
「お、おはようございます」
僕の胸元ほどの小柄な体格。長い銀髪は頭の後ろで一つに束ねられていて、円らな瞳は僕の顔をジッと見つめている。
「大変申し訳ございません。お会いしたことはありましたでしょうか」
彼女は困ったように手を頬に当てて訊ねてきた。
「いえ。初めて会ったと思います。僕は昨日この寮に来たので」
「そうでしたか。わたしリリーと申します。よろしくお願い存じます」
そう言って、胸に手を添えたリリーさんが挨拶をしてくれる。
「僕はギル。こちらこそよろしくお願いします」
と、頭を下げた。
「ギル様も早朝鍛錬ですか」
「はい。リリーさんも」
「さん? あ、はい」
「そうなんですか。アルギニオさんが、鍛錬をする人がいないと言っていたので驚きました」
そう言いながら、僕は深呼吸を再開して走り出す心構えを作る。
「それではお先に」
体をほぐし終えた僕は、走り始めようとしたそのときに気づいた。リリーさんの視線が、僕の格好を値踏みするような目で見ていたことに。
彼女の着ている鍛錬用の服装は真新しく、赤い服の胸には金色の刺繍が施されていた。見るからに高価な服装だ。お嬢様か貴族様なんだろう。それに比べて僕の格好ときたらうす汚い。どこから見ても平民以下の身なりだ。場違いな姿を隠すように、急いでその場を離れることにしたのだ。
リリーさんは僕の身なりを見てどう思っただろうか。怖くて、振り返って彼女の表情を確かめることができなかった。
自己嫌悪を胸に秘めながらキャンパスの周りを走る。
ウィードルド民。その言葉が重く感じる。まだ学校が始まっていないのに、これから一年間、苛まれながらやっていけるだろうか。
不安の種が大きくなるのを感じ、三周目に入ってしばらくすると、走りこんでいるリリーさんに追いついてしまった。
このまま後ろにくっついて走るのは、どうんなだろう? そう思い、ペースの遅い彼女の横を、顔を逸らして追い抜き走り続けた。
五周走り終えると、僕は芝の中に足を踏み入れて呼吸を整える。そして目を瞑っておもむろに両腕を上げ、足を肩幅ほどに開いて腰を落とす。さらにゆっくりと掲げていた腕を下ろし、ばあちゃんから教わった拳術の構えをとった。そして頭の中でばあちゃんを二人思い浮かべて目を開ける。そこには僕にしか見えないばあちゃんが二人。
大きく息を吐きだし、集中し、二人のばあちゃんとにらみ合う。そして次に息を吸い込んだとき、僕はばあちゃんに向かって飛びかかった。
一人のばあちゃんに拳と蹴りで攻撃しながら、もう一人のばあちゃんの攻撃を防ぐ。
ほれほれどうした。集中を切らすではない。そんな声が聞こえてきそうな中、攻防が続く。
「ハッ!」
僕の最後の攻撃は肘鉄だった。二人のばあちゃんを倒した僕は、大きく息を吐きだして体内の熱を抜くと、構えを解く。
よし! 想像する三人のばあちゃんには、なかなか勝てないけれど、最近二人のばあちゃんには負けることはない。
腰をねじったり肩を回したり、激しく動かした筋肉を解す。すると、パチパチと手を叩く音に振り返った。そこには走り終えたらしいリリーさんが、少々息を切らせながら立っていた。
「すごい体術ですね。見ていて鬼気迫るものを感じました。この学園にいらっしゃるってことは、もちろん剣術もおやりになるのでしょう?」
「は、はい」
見ず知らずの人に鍛錬を見られるというのは、ちょっと気恥ずかしい。熱くなった顔を隠すように俯き加減で返事をする。
「走っているときの姿といい、体つきといい、そして、先ほどの体術。ギル様はかなり強い方だとお見受けします」
そう言うリリーさんはまた僕の身なりを見る。いや違う。僕の腕を見ているようだ。
「ギル様。わたくしの鍛錬に少々付き合っていただけないでしょうか?」
「え、僕が、ですか」
驚く僕にリリーさんはにっこりと頷くと、突然走り出してしまった。
「そちらでしばらくお待ちください」
敷地の隅にある木の方へ駆けてしまったリリーさん。その姿に唖然としていると、戻ってきた彼女の手には枯れ木の枝を二本持っていて、そのうちの一本を僕に手渡してきた。
「敷地内の抜刀は禁止なので、こちらを。どうかわたくしと一つ、お手合わせお願いいたします」
見上げてくる彼女の笑みが突如引き締まる。
木の枝を一振り、リリーさんは本気だ。彼女の体からわずかな覇気を感じ取った。
でも、彼女は女の子だ。僕は今までばあちゃん以外の女性と手合わせをしたことがない。しかも僕よりかなり小柄ときている。
僕は手に持った木の枝へ目を向けた。これで叩くと女の子の体にミミズ腫れを作ってしまいそうだ。そう思ってリリーさんの頼みを断ろうとした。でもその刹那、彼女の身構えた姿を見て思わず息を飲んだ。
両足を前後に開き、身をかがめ、今にも飛びかかってきそうな構え。眼光が鋭く、まるで狙いが定まった鷹のような構えだ。
なんだこの構えは? 初めて目にする。いや、そもそも僕自身、ばあちゃんやじいちゃん以外の強い人と手合わせをしたことがないのだけれど――そんな僕にもわかる。
リリーさん、強い!
「こう見えても、一応選ばれてこの学園に来ているのです。普通の女子と一緒にしないで頂きたいですわ」
そうだった――僕は頷いて一歩距離を取った。この学校には強い人が選ばれているのだった。僕は身構えて納得したのだった。
やっと学園生活まできました。
……ここまで長すぎた? 心配になってきました。
誤字脱字見つけられた方、報告したいただけると幸いです。
一言、いただけると嬉しいです。
ここまで読み進めていただきありがとうございます。