10話 ただの食事風景
広いホールには十人ほど並んで食事できるテーブルがいくつかある。
食事はトレイを持ってカウンターで受け取るらしい。カウンター奥の厨房には食事の支度をしている人たちが数人で作業をしていた。
「食事の時間は決まっているので、遅れないように気を付けてください」
コウライさんの説明に僕は頷いた。
「駆け足で話を進めましたが、大体のことはおわかりになりましたでしょうか」
「はい、と言いたいですが、本当のところ少し不安です」
「過ごしていく中で慣れていくしかないですね」
シャマルさんの言葉に苦笑する。
「もしわからないことがあれば、管理人のアルギニオ様に尋ねてみることですね。寮内のことならば相談に乗ってくれるでしょう」
「そうしてみます」
食堂を出たとき、どこからか賑やかな声を耳にした。
あそこから? 視線を、食堂を出た廊下の更に奥へ向けてみた。
「社交会ですね」
「社交会?」
コウライさんが頷く。
「交流会とも言い、二階の共有のホールで貴族様や富豪の生徒たちの娯楽みたいなものですよ。行ってみますか」
「貴族様たちの……」
身分の高い人たちのことは気になるけれど、心の準備ができていない。僕は大きく首を振って断りをいれた。
「でもギル様、明日にはみんなと顔を合わすことになるのですよ。今からそんな消極的に……」
「まあシャマルそう言うな。これからゆっくりと慣れていけばいい」
そうですが――とシャマルさんが心配そうに僕を見てくる。引きつりながら笑みを浮かべ、「少しずつ頑張っていきます」と返事しておいた。
「それではギル様。私たちはそろそろ時間ですので帰ります。これからの生活を心より応援いたしております」
「いろいろとありがとうございました」
僕は寮の出入り口まで見送り、コウライさんに頭を下げた。
「ギル様。生活用品はなくなる前に必ず相談しに来てください。あと、生活で困ったことがあれば、なんなりと話してください。なんでも相談に乗りますので」
「シャマルさん。ありがとうございます」
何度も心配してくれるシャマルさんに礼を言う。
なんていい人なんだろう。これからの生活の緊張が少し和らいだ。
扉が閉まり、不安の灯を消すように大きく息をつく。そして、振り返るとアルギニオさんの姿が目に入った。
最初会ったときは気配を感じなくて驚いたけれど、今は存在感たっぷりな覇気を感じる。見た目は白い髪の年配なのに、見た目以上に大きく感じる。威圧とは違う不思議な感覚だ。でも、やはりこの人は強いとわかる。
「どうかしましたか? ギル様」
「いえ。なんでもないです」
僕はそう会釈して自室へと向かう階段へと進んだ。
「夕食は六つの鐘がなってから八つの鐘が鳴るまでです。遅れませんように」
「はい。ありがとうございます」
振り返って礼を言い、再び階段を上り始めた。
六つの鐘が鳴ってしばらくしてドアをゆっくりと開けてみた。廊下は静かで誰もいない。
ホッとして廊下へ出ると、首元にあるペンダントを使ってドアを施錠する。
夕食の時間だ。食堂へ向かう中、人と出会ったら挨拶しなきゃ、と緊張する。そろりそろりと廊下を進み、階段先で足を止め、耳を澄ましてみたけれど人の声はしない。
みんな食堂に集まっているのかな? まだ見ぬ貴族様たちを想像して更に緊張が滲みだす。ウィードルド民だと貶されたり、いじめられたりしたらどうしよう。そう悪い方へ想像が進む中、ゆっくりと階段を降り始めた。
「夕食ですか。ごゆっくりと」
一階にたどり着くとアルギニオさんがカウンターの中から声をかけてくれる。
僕は挨拶をして不安いっぱいで食堂へ向かった。足を進めていく中、ふと気がついた。
あれ? 静かだ。
食事中はだいたい賑やかなものだと思っている。なのに、食堂の近くに来ても人の声が全く聞こえてこない。貴族様というのは静かに食事をするのかな? 食堂の入り口に着くとこっそりと覗いてみた。そして驚いた。なんとそこには誰もいなかったのだ。
食堂に一歩歩み入り、中を見渡してポカーンと突っ立ってしまった。
「食事ですか?」
その声に我に戻ると、声のした方へ目を向けてみた。厨房の中で布巾を被った女性にしどろもどろ言葉を返す。
「は、はい。食事を頂きに来ました」
「ではトレイを持ってこちらへどうぞ」
入り口の傍にあるトレイを手にして、言われた通りカウンターへ近づく。見渡せる厨房では五人の人たちが慌てて盛り付けをしている。
「お待たせいたしました」
そうトレイにお皿が並べてくれる。
すごい御馳走だ。
色とりどりのサラダと具材たっぷりのスープ。大きい肉に白いフワフワのパン。いい匂いがして思わず喉が鳴ってしまった。
「ありがとうございます。いただきます」
厨房にいる人たちに頭を下げ、テーブルへと向かう。
うまい!
領地に入ってからずっと思っていた。食べるものはどこへ行っても美味しかった。特に味付けだ。ウィードルドでは調味料が貴重なため味が薄い。でも、ここは違う。しっかりとした味付けに手にしているフォークが止まらない。途中何度も喉を詰まらせ、目を白黒としながら水を飲んだ。
至福の時間はあっという間だった。
なんという贅沢。なんという幸せ。口の中に残る味の余韻に浸る。ウィードルドにいるみんなにも食べさせてあげたい。
などと陶酔していると、ふと厨房で働いている人たちが皆、こっちを見ていることに気がついた。
田舎者全開な醜態を。恥ずかしさのあまり顔が熱くなる。慌てて椅子から立ち上がり、トレイを手にして俯きながら食器を返却口へ運んだ。
「ご馳走様でした」
厨房へ向かって頭を下げ、通り過ぎようとしたときに、ふと声をかけられた。
「これからの食事はこちらで召しますか」
「はい。そのつもりですが。なにか問題があるのでしょうか」
「とんでもございません」
僕は足を止めて、厨房にいる人たちへ視線を向けてみると、働いている人たちが皆、頭を下げていた。
え? みんなの態度に僕は慌ててやめてもらうように促す。でも、誰も頭を上げようとしてくれない。
どうしようと困惑していると、誰もいない食堂のホールへ振り返って訊ねてみる。
「もしかして食堂を使う順番とかありましたか」
「いえ。そのようなことはございません」
「そうですか……」
「ただ」
「ただ?」
そう首を傾げていると、厨房で頭を下げている人たちが顔を見合わせているのがわかる。
「あのう」
僕の声かけに一人の女性が反応をみせる。
「は、はい。申し訳ございません」
なにについて謝っているのだろう? 僕は『ただ』の言葉の続きが気になっているだけなのに。もしかしたら、日常生活に間違いを起こしているのでは、と気になっているだけなのだ。
「こちらにいらっしゃっている貴族様の皆様は、食堂で食事をなさらないので。どうしたものかと思っただけです。足を止めさせてしまい申し訳ございません」
どうやらここにいる人たちは、僕のことを貴族様と勘違いしているようだ。
「頭を上げてください。僕は貴族ではありませんので」
僕の言葉にみんなが上目遣いになる。
「貴族様ではないのですか」
「はい。僕はただの平民です」
「でもここは」
「そうみたいですね。ここの寮生には、貴族様や富裕層の人しかいないみたいですね。僕ももの凄く緊張しています」
そう微笑んで見せるとカウンターの奥の人たちがホッと気の緩みをみせた。どうやらお互いに緊張していたみたいだ。
「ほかの皆さんはどこで食事をしているのですか?」
「自室です。使用人や側使いが用意してあるものを召し上がっていると聞いています」
「でも、今はまだ入学前の期間ということもあって、別邸に帰って食事しているみたいです」
「そうなんですか。美味しいのにもったいないな」
率直な感想に働いている人たちが嬉しそうな顔を見せた。
「今までそんなこと言ってくれる方がいなかったので、とても嬉しいです」
「今まではアルギニオ様とアーソニヤ様しか食事を召されなかったので」
「アーソニヤ様?」
初めて聞く名前に首を傾げた。
「女子寮の館長さんです」
ああ、なるほど――そう頷いて男子寮の入り口と反対側にある出入り口を見た。おそらくその先に女子寮があるのだろう。
「いろいろとありがとうございました。また明日もお願いします」
「はい。明日の朝食もお待ちしています」
挨拶を交わして僕は自室へ向かった。
ほかの寮生と顔を合わさずに済んだことにホッとした半面、まったく誰にも会えなかったことにちょっと残念に思った。貴族の人ってどんな感じなのかと、ほんの少し気にはなっていたのだから。
自室に入って着替えると、ふかふかのベッドに倒れこんだ。
入浴しなきゃ。そう思っていたのだけれど、今までの旅の疲れと緊張の糸が切れたことで、僕はそのまま眠りに落ちてしまったらしい。次気がついた時には、窓から薄っすらと陽ざしが流れ込んでいたのだから。
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