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腹時計が鳴った航介は、学食で「はいからうどん」を食べていた。そこにいつもの仲間が顔を見せた。
「いっちゃん、相変わらず鋭いな。」
大阪出身の梅多が、レポートへの感想を口にした。
「戦後とくに、宗教について議論することがタブーとされてきただろ。オレは、世界でも稀にみるかたちで日本に残されたインテリジェンスに光をあててみたい。北野天満宮のほかにも、八坂神社の門前町である祇園町には『神』の隠し文字が入っているわけだし、江戸建設の中心地は、あの平将門を祀る『神』田明神だったことがわかっている。この二ヵ所のお宮は、どちらも祟るほどの霊気があるとされることから、御霊信仰の代表地として古くから有名なんだ。」
航介はそう言って、透き通った色のダシをすすった。よく昆布が効いている。航介は、二人のどんぶりの中身が気になった。
「このダシと蕎麦はあわねぇだろ。この薄味のダシは、うどんのためのモンだよな。」
彼らの昼食も、貧乏学生らしい質素なものだ。ひとりは、大きな油揚げが入った「きつねそば」。もうひとりは、どろりとした餡に隠れてよくわからない。
「それは、かけそばのトッピングか?」
航介は、「きつねそば」を囲った梅多をからかった。
「こっちは、このクソ暑いのに、餡でとじたのを食ってやがる。なんだそれは?」
航介は、自分の箸でひとくち貰おうとした。
「たぬき。」
と京都出身の瓦町が言ったので、どんぶりを覗き込むと、「たぬき」につきものの天ぷらや揚げ玉がない。代わりに、おろし生姜がちょこんとのっている。
「おいおい、『たぬき』じゃねえだろ。天ぷらもねえし、餡でとじているし。」
「餡でとじているから、『たぬき』なんやで。」
そう言って、瓦町はメニューを指した。たしかに「たぬき(餡かけうどん・そば)二百円」と書いてある。
「いっちゃん。関東の『たぬき』と大阪の『たぬき』、京都の『たぬき』は、別モンだっていうのを知らんの?」
航介には、瓦町の言っていることが理解できなかった。航介にとって「たぬき」とは、天ぷらか揚げ玉が入ったうどんかそばのことだ。ところが瓦町が言うには、大阪の「たぬき」は「油揚げ入りそば」、京都の「たぬき」は「きざみ揚げ入り餡かけうどん・そば」らしい。
ややこしい。
この日、偶然にもこの三人は、三人とも「たぬき」を食べていたのだった。どんぶりの底には、それぞれの「たぬき」の産地が表示されているようだった。無知を恥じながら、「これも文化か」と理性でわかろうとした航介は、うどんダシの全国的な趣向を、簡単にイメージした。
食べ物の好き嫌いは、母親経由のトラウマがそうさせるらしい。このことが真実ならば、食文化というものは、幼少期の原体験が基本になっているはずだ。航介は、椀物や汁物こそが、日本の食文化を測るバロメータになるとおもっていた。どんなに人気があるラーメン屋でも、食文化が異なる土地に出店したために失敗した例を、航介はいくつか知っていた。うどんでも同じである。本場といわれる讃岐うどんも、そのダシの味は航介の口に合わなかった。
航介は、駅構内の立ち食いそば屋での経験から、関ヶ原(岐阜県)を境に、日本の東西軸が分断されうるという直感は得ていた。しかし、豊臣秀吉の墨俣一夜城で有名な墨俣川(長良川支流)でもって東西軸が分断されていたという史実を知った時、深夜のJR東海道線を突っ走る快速「ムーンライトながら」号の発着駅でもある大垣(岐阜県)という街に、東西軸の分岐点を示すやじろべえが立っていることを確信した。大垣は、関ヶ原とは目と鼻の先である。
「いっちゃん、柳田ってどうなの?」
唐突に、梅多が聞いてきた。
「柳田って、柳田國男のことか?」
梅多はうなずき、航介が京都から遠く離れた町で生まれ育ったことに興味があると言った。「取材だ」とも言った。梅多は、夏休みの課題をまだまとめあげていないらしい。
「彼は在野の学者としてはスゴいと思うけど、性への考察が薄弱だし、彼の地名分析もいまいちかな。」
柳田を世に出した「遠野物語」の舞台でもあるその町は、航介の故郷と関わりがある町だった。
「彼が唱えた文化周圏化説は粗さが目につく。うどんのダシだって、青森と鹿児島はちがうんだ。」
「いっちゃんと初めて喋ったとき、九州の人かと思ったんやけど。」
「たしかに、方言というかイントネーションに関していえば、オレの田舎の言葉は、南九州や出雲あたりと似ていなくもない。柳田ならば、古い時代の京ことばのイントネーションが、今の北東北や出雲地方のそれに近かったと言うんだろうな。」
そう言った航介は、始めのうちは梅多からの取材にこたえているつもりだったが、そのうち、日本の古き良き伝統や風習、そして強く興味を持っている神や仏に関する忘れられた何かが、自分の故郷に残されているかもしれないと思うようになっていた。
これまでわざわざ明るめの茶髪に染めあげ、ピアスを通し、洋楽しか聴いてこなかったハイカラな航介は、自分の存在意義を故郷と結び付けて考えられることの喜びを、初めて覚えたのだった。