D0105御せない女
鳥男がゴキリと音を立てるように首を捻る。
次の瞬間、まるで鍵穴から覗いている事に気がついているかのごとく、鳥を模った嘴が向きを変えた。
「キャアアアアアアアッ!!」
驚いた僕は叫び声を上げながら後ろに飛び、トムにぶつかった。
「何があった!?」
「あう……とり、とり、とり」
震える指で鍵穴を指差すと、トムも同じように顔をつけ、小さく悲鳴を上げる。
「どうかしましたか!?」
真っ先に駆け付けたのはリリアちゃん。トムが扉を破ろうと体当たりをする横で、僕は手っ取り早く状況を説明する。
「『鳥男』が出た、シドニーさんが中に囚われてる」
「鳥男……?」
「嘴が付いた仮面を付けた……説明は後だ、兎に角リリアちゃんは人を呼んでくれ、男手がいる!」
「わかりました!」
大声で「誰か助けて!!」と叫びながらリリアちゃんが走る。僕はトムと二人で扉に体当たりを繰り返すが中々思うようにはいかなかった。せめて中の様子をもう一度確認したかったけれど、鍵穴を覗いていたワット君によると、黒い羽毛を詰め込まれ途中から何も見えなくなったそうだ。
直後、リリアちゃんがオズワルドとクララさんを連れて戻ってきた。
「シャーク先生、オズワルドさんとクララさんを連れて来ました、ウィリアムズさんたちも後から来ます」
「場所を代われ、探偵、お前じゃ無理だ!」
オズワルドに押し退けられるようにして場所を代わるが、扉はびくともしない。中から乱暴に窓を開ける音がして、僕は反射的に玄関へと走る。
「窓へ回ります、ドアが開いたら突入してください!」
「私も行きます!」
リリアちゃんが声を上げ、どうしてか僕についてきた。止まる時間が惜しくて並走しながら叫ぶ。
「危ないから向こうで待ってて!」
「一人の方が危険です、ワット君やクララさんを連れて行く訳にはいかないでしょう!!」
理屈が無茶苦茶過ぎる。君だって女の子だよと余程言いたかったけれど、それを伝える前に屋敷の裏側にたどり着いてしまった。
目に入ったのは開け放たれた窓。風に舞う黒い羽根から、鳥男の逃走した痕跡は残っているものの、森の中に姿は見えない。僕が窓から室内へ入ろうとすると同時、ようやく扉が開き、倒れるようにトムとオズワルドが転がり込んできた。
「シドニーッ!!」
ベッドの上に横たわるシドニーさんをトムが抱き抱える。動揺して彼は声にならない音を漏らしていたので、オズワルドがシドニーさんの容態を確認した。
「安心しろ、生きてる」
僕とリリアちゃんは緊張感を解く。いつの間にか部屋の前にたどり着いていたであろう管理人夫婦も、事態を飲み込み抱き合った。
ワンテンポ遅れ、血相を変えたアレックスも部屋へと飛び込んだ。
「大丈夫ですか、リリア!!」
皆に助けを求めていたのがリリアちゃんだったから、何か事件に巻き込まれたと思ったのだろう。僕の隣にいるリリアちゃんを見付けると、彼の顔色も元に戻った。
リリアちゃんはトボトボと窓へ寄る。
「嘴のついた仮面をした人が、シドニーさんを襲ったらしいの」
「……嘴のついた仮面?」
「『鳥男』って呼んでるみたい、私たちが来たときにはもう森の中へ逃げてしまって……」
悔しそうに話すリリアちゃんの話を聞き終わると、彼は口元を押さえながら考える素振りを見せた。
取り敢えず部屋に戻ろうと、両腕を窓枠にかけて跨ぐ。リリアちゃんは助走をつけて飛び越えようとしたが、アレックスに危ないから来た道で戻るよう叱られ、渋々それに従った。廊下の先からは酔っぱらっているらしいヴィクターが、ふらふらとこちらへと向かってくるのが見える。
部屋に戻ると、直ぐにワット君が僕の足元に寄ってきた。
「お帰りなさい、先生」
「ああ、ワット君ただいま、さっきのは真似しないでね」
「気を付けます」
聞き分けよくコクリと頷きながら、彼は鍵を差し出した。
「入り口付近に落ちていました。扉が開くのとほぼ同時に見付け、直ぐに拾ったので誰も触れていません」
「ありがとう、助かるよ」
「扉の裏も真っ先に確認したけれど、誰も隠れてはいませんでした」
「子供ながらの目線って、本当に助かるなあ」
ワット君が助手でよかった、だなんて考えている僕を、アレックスが蔑むような目で見下していた。コイツはリリアちゃんがいないと本当に態度が悪い。
気付かないふりをしていたら、彼はまるで王族が平民に接するが如く、高圧的に振る舞った。
「で、状況は?」
「えっ、シドニーさんが出てこないから鍵穴から覗いたら、ベッドの上に倒れていているのが見えて、彼女の上に『鳥男』がのし掛かっていたんだ、あとはリリアちゃんの言っていた通りだよ……」
探偵は僕なのに、何故遅れてやってきたアレックスに説明しなければならないのか。お前は一体何様だ。文句の一つでも言ってやりたかったけれど、口答えをすると理詰めの正論で泣くまで問い詰められそうな予感がしてやめた。
アレックスはおもむろにハンカチを取り出し、それでシドニーさんの手を掴む。じろじろと指先を見詰めてから、何かを探すように部屋中を見回した。
僕は訝しんで彼の動向を探る。流石のトムも、眉根を寄せた。
「妻をどこかに寝かせてやってもいいだろうか?」
「あっ、じゃあ、ひとまずシドニーさんを二階の談話室へ運ぶ流れで……」
「分かった、ありがとう」
抱えていたシドニーさんをトムが持ち上げると、ハンカチを掴んだままのアレックスもつられて立ち上がる。そうして彼は、黙ってシドニーさんの手をヴィクターの口へと突っ込んだ。
「むぐっ、女の人の指ぃ……くちゅっ、甘酸っぱい青春の味ぃ、……たまらーーん」
酔っぱらっているヴィクターは美味しそうに指を舐めまわす。親世代にも近い男性が意識のない女性の水掻きを吸う姿に、僕はゾッとして全身に鳥肌が立った。
見ているだけだったトムも我に返り、ヴィクターの口から手を引き抜く。そして怒りに任せてアレックスの体を肩で押し退けた。
「僕に触らないで下さい!!」
「触るなじゃないだろう、ふざけるなッ、つ、妻に何をするんだ!!」
「気になることがあったので、僕はただ確認をしただけです」
怒鳴られても特に気にする様子もなく、アレックスは平坦な口調で返す。トムは彼を睨み付けていたが、何かを言おうとして勢いよく口を開いた。
しかし、今までのやり取りを知らないリリアちゃんが絶妙なタイミングで部屋に戻り、アレックスの隣に寄り添ったので冷静になれたようだ。最後にひと睨みだけして、トムはシドニーさんを抱え二階へと向かった。
二人の姿が見えなくなると、場には奇妙な沈黙が流れる。リリアちゃんは不思議そうに首をかしげた。
「ところで、グレンさんはどこですか?」
言われてみればグレンがいない。皆が一斉にヴィクターを見つめたが、彼はヒックとしゃっくりをするだけだった。
慌てて隣にあるグレンの部屋の前に移り、ノックを繰り返すが返事はない。僕に付いてきたワット君がドアノブを見つめる。恐る恐るドアノブを回すと、驚いたことに鍵は開いていた。
――ギイッ。
中には誰もおらず、ずた袋に入った荷物もそっくりそのまま置いてある。鍵のかけ忘れかとも思えたけれど、僕は異様なものを見つけた。それはベッドサイドに置かれたテーブルと椅子に残る、刃物で引っ掻いたような細長い傷だ。
「みんなこっちへ来てくれ、グレンがいない!!」
隣の部屋から皆が移動してくる。
その中で、オズワルドが手を八の字に広げて肩を竦めていた。
「つまり『鳥男』の正体はグレンだったってことだろう」
「じゃあ、あの傷は何……?」
真っ青な顔で震えるクララさんの問いに、彼は依然として軽口で答える。
「さあ、前からあったとか」
椅子のあたりを彷徨いていたワット君が、机越しにひょっこりと顔を覗かせた。
「傷口からすると相当新しい傷のようです」
「坊やの言う通り、部屋を貸す時にはありませんでした」
管理人のウィリアムズさんも彼の推測を肯定する。こうなるとグレンの滞在中に付いた傷と判断するのが妥当だろう。襲撃の後に姿を消すなんて、何かがあったに違いない。
「皆で手分けをして館の中を探しましょう、屋敷の周囲と地下を僕、一階と二階をオズワルド、三階と屋根裏をアレックス、他の人はトム達と合流して談話室で待っていてください」
僕の指示はとても的確なはずだったのだが、アレックスは眉のあたりに皺を寄せ、睨み付けてきた。
「馬鹿らしい、どうせ急用で帰っただけでしょう、僕はリリアと部屋に戻ります。」
「では、彼の代わりに私が……」
リリアちゃんが勇んで右腕を上げる。アレックスなのかアルフレックスなのかこんがらがってきたけれど、とにかく彼は観念してため息をついた。
「……分かりました僕も行きます」
それは渋々従っているという感情を隠さない声だったけれど、リリアちゃんの単独行動を止めるという点に関してだけは意見が一致したようで、僕は安心した。
続いて、ウィリアムズさんも積極性を示す。
「シャーク先生、老体ですが私も先生に同行します」
「ではウィリアムズさんは僕と一緒に。オズワルドはそれで文句ない?」
「ああ、いいぜ」
「イレインさんはクララさんをお願いします、さっきから彼女の顔色が優れなくて」
「いいえ、私は大丈夫よ、大丈夫……」
気丈に振る舞うも、クララさんは顔を背けて隠した。やはり心なしか青白い顔をしている。全く大丈夫そうには見えないのに、彼女は一人談話室へと向かった。
寄り添ってあげたい気持ちは山々だけど、今だけは気持ちを切り替え、事件に集中しなければならない。そうして僕らはそれぞれの持ち場へと向かった。
屋敷の裏側に広がる林の中、僕は声を大きく張り上げる。
「おーーい、グレーーン、いないのかグレーーーン」
何度呼んでも返事はない。
地下のワインセラーでの捜索も特に収穫はなかった。見付かる可能性があるのならこの林だけど、どれだけ先に進んでも、グレンの姿どころか痕跡すらなさそうだ。
周囲ではうっすらと霧が出始め、方向感覚が狂いそうになり、仕方なく来た道を引き返す。襲撃のあった部屋の窓まで戻ると、グレンの乗ってきた馬を確認していたウィリアムズさんが待っていた。
「先生、馬は全て繋がれたままでした」
「ということはやはり、連れさられたか、はたまた酔っぱらっての悪ふざけが過ぎたせいで怖くなり、山に隠れているか……」
「この霧で山に隠れていては、迷ってしまうかもしれません」
「僕たちの下山も止めた方が無難ですね……。ひとまず談話室でアレックスとウィリアムズが戻るのを待ちましょう」
警戒しながら二人で玄関へ移動すると、オズワルドが広間の階段に腰掛けて待っていた。
「用があるのはそこの探偵だけだ、じいさんは先に行ってろ」
「しかし……」
「いいから行ってろ」
有無を言わせぬ態度に、ウィリアムズさんが階段を上がる。途中で振り返ってこちらを見たが、僕が頷いて行くように促すと、彼は談話室へと入っていった。
二人きりになると、オズワルドは僕を一階の廊下奥へと引きずり込む。
「これがお前の部屋のドアに挟まっていた」
そう言って彼は四つ折りの紙を突き出した。
『デテイケ、ツギハ、オマエダ』
歪な文字で書かれたのは明らかな脅迫文。もしかして、シドニーさんが襲われたのも、グレンが姿を消したのも僕のせいなの……?
恐ろしくなってオズワルドを見上げると、彼はニヤリと口元を歪ませた。
「一度目に『鳥男』が現れた時、シドニーはお前といたから今回狙われたんだろう、失敗して標的をグレンに変えたようだが……」
「……」
「暗号を解読されそうになって焦ってるんだろうな、永遠の命を手にいれるためなら何でもするつもりだろう」
「永遠の命……?」
耳慣れない単語に驚いて小さく呟くと、オズワルドは虚をつかれたとばかりに目をぱちくりとさせる。
「なんだ、宝の正体を教えられてないのか?」
「もの凄いお宝とは聞いたけど、ウィリアムズさんたちは知らないそうだからね」
「あのタヌキじじい……」
オズワルドが憎らしげに毒を吐く。だけど、何かを閃き、彼は動きをピタリと止めた。
「いいぜ、教えてやる。ただし貸し一つだからな、俺に協力しろよ」
「えっ、なにそれ、待って……!」
絶対に良からぬことを考えている。拒否したい気持ちでいっぱいだったけれど、オズワルドは乱暴に僕の耳を引っ張り、口を寄せた。
「いいか、宝の正体は――
――……不老長寿の妙薬だ」




