D0103地獄耳
二日目、朝。
食堂の一角にワット君と並んで座り、朝食のトーストを齧る。
「ほら、あそこの窓に『鳥男』がいるぞ、逃げなくていいのか?」
僕は先ほどからしつこく絡んでこようとするオズワルドに、いい加減うんざりしていた。食堂の真ん中に置かれた長机の、わざわざ目立たない隅を選んで腰掛けた意味を察してほしい。
「食事中にまとわり付くのは、止めてもらえる?」
「遠慮なんてするな、俺はお前のピンチに駆けつけてやるような仲じゃないか」
確かに彼の言い分は正しい。
昨晩悲鳴を上げた後、放心してしまった僕にドアを隔てて声をかけていたのは、
シドニーさんと、隣の部屋に泊まっていたクララさん、そして向かいの部屋のオズワルドだった。
あの時は感謝したけれど、弱味を握りたかっただけなら来ないで欲しかった。第一、今はコイツに構っているせいで、食事が一向に進まなくて困っている。
どう対象しようかと考えていると、丁度タイミングよく、ワット君が食事を終えた。
「ワット君、僕はまだ食べているから、昨日みたいに好きにしていて」
「分かりました先生、必要であればお呼びください」
彼はペコリと礼をしてテーブルを後にした。遠ざける作戦は成功だ。あまり助手に恥ずかしい姿を見られたくないからね。
にやついたオズワルドが、小馬鹿にするように鼻で笑う。
「なあ、お前は暗号が解けそうにないから、怪物が出たのを口実にして帰ろうって魂胆なんだろう」
「し、し、失敬な、ちゃんとこの手帳に考えをまとめて……」
「残念、いただきだ!」
するりと伸びた腕によって、胸ポケットに入れていた手帳を奪われた。時既に遅し。取り返そうと思った時には、既に中身を見られてしまっていた。
だが、オズワルドの余裕に満ち溢れていた表情は、直ぐに苦いものへと変わる。
「おい、何語だよこれは!」
「大切な情報は全て『シャーク暗号』で記しているから、僕以外には読めないよ」
「抜かりはない、か。この分だと暗号の解読も進んでいるようだな」
やれやれといったふうに手のひらを見せ、彼は僕から離れた。
『シャーク暗号』というのは、単に汚すぎて読みにくい文字というだけだ。子供の頃から馬鹿にされてきたけれど、こういう時には役に立つ。
僕からの情報を当てにしていたオズワルドが肩を落とす様子は、少しだけいい気味だった。まあ、まだ暗号文を書き写しただけだから、中身を読まれたところで何も困らないのだけど。
出口へと向かうオズワルドの後ろ姿を、余裕に満ちた表情で眺める。だがしかし、彼は事もあろうに、愛しのクララさんが座る椅子へと近寄った。
「しまった!」
思わず両腕で頭を抱える。
だけど、最悪の結末をよそに、クララさんは無言で椅子を引き、背後を通るオズワルドから距離を取るだけだった。そして彼もまた、声をかけることなく通りすぎていく。
オズワルドの借金がばれて嫌われた可能性もあるが、あのとっても気さくでチャーミングなクララさんが、つまらない理由で人を無視するのも信じがたい。一体何があったんだ……。
「女心は難しい、オズワルドはクララの地雷でも踏んでしまったようだね」
「ひゃっ、トム!」
僕が飛び上がると、トムは頬を掻いた。
「悪い、悪い、普通に話しかけたつもりだったのだが……」
「もう、探偵さんは怖い思いをしたのだから止めてあげて!」
あまり反省する様子のなかったトムも、シドニーさんに叱られると体を丸めた。
「昨日は災難だったわね、あれからちゃんと眠れたかしら」
「大丈夫、ちょーーと驚いたけど、爆睡でした。考えてみれば見間違いですよ、多分ね」
「でも見間違いだとしても気を付けて、黒は凶兆とされ、鳥は魂を運ぶ生き物、虫の知らせなんてものにならないといいわ」
背筋にヒヤリとしたものが伝う。恐怖を悟られぬよう僕は話題を変える。
「そういえば昨日の飲み会はどうでしたか、参加しなくてすみません」
「いやあ、グレンとヴィクターは底が抜けた桶のようだな。途中から私の話し相手は便器になってしまったよ」
つまり酔っぱらって吐いていたということかな。よくよく見れば顔色もあまり優れていない。この分なら宝探しどころではなかったようだ。もっとも、ヴィクターが半年も滞在していた部屋ならば、分かりやすい場所はあらかた探し終わっていそうなものだけれど。
「部屋にある酒を飲み終えても、ヴィクターのやつがどこからか新しい酒を取り出すから、魔法のポケットでもあるのかと……」
「もうっ、あなたったら馬鹿を言って……、心配したんだからね」
「すまなかった」
軽いリップ音が鳴り響く。お熱いことでして、どうもどうも。
二人の世界を視界に入れるものかと顔を背けると、アレックスと管理人のウィリアムズさんが何やら話し込んでいるのが目に入った。
「宿泊をもう一日伸ばすことは可能でしょうか?」
「同じ部屋でよろしいのであれば、何日でも歓迎いたします」
「いえ、明日には必ず発ちます」
「まあ、そう急がれず、アレックスさんも宝探しに参加されてはいかがでしょうか」
「僕は既に長年欲していた宝を手に入れた身分ですので……」
アレックスは薄く静かな微笑を浮かべた。
もしかしなくてもリリアちゃんのことか、リリアちゃんのことなのか。ウィリアムズさんだって返答に困っているだろ、自重しろ若造。宝探しに興味がないなら何で残るんだよ。
そう思って聞いていたのは僕だけではなかったらしく、トムとシドニーさんも不思議そうに顔を見合わせた。
「おかしいな、彼が昨日グレンと揉めた感じでは、直ぐに出ていくと思ったんだが……」
「三階の部屋なら、顔を合わせることもあるでしょうしね」
「はははっ、殺傷沙汰だけは勘弁してほしいものだな!」
「ちょっと、トム、聞こえるでしょやめなさい」
冗談になってないぞ、トム。
聞こえているのか聞こえていないのか、アレックスは気にも止めず、宿泊客の食事面を担当しているイレインさんから、パンとハム、チーズに加えて野菜を数種類受け取った。最後にはこれ見よがしに、切れ味の良さそうなサンドイッチナイフまで……。
彼は手首のスナップを効かせてそれを放り上げると、こちらへ向けてほくそ笑んだ。クルクルと回転したナイフが、計算したかのように手の中へと戻っていく。
そうして、トドメとばかりに逆手で握り、刺すような動作を繰り返しながら去って行った。
残された僕たちの間には沈黙が流れる。陰口を聞かれたことよりも、アレックスから漂う血生臭い雰囲気にゾッとして、僕たち三人の顔は真っ青になった。




