D0102同担拒否
大雨の中現れた男女は、フォスター伯爵領からエヴァグレーズ公爵領に向かう途中、道のトラブルで立ち往生してしまったとのことだった。
管理人のウィリアムズさんを玄関まで呼んだ後、僕は階段を上がって二階の談話室前の手すりに身を預けた。階下では、宿泊を希望していたアレックスが交渉を始める。
「一人部屋でも構いません、なんとか一晩泊めて頂けないでしょうか」
「二人部屋にせよ、一人部屋にせよ、今空いているのは3階のお部屋のみでして、夜が少々騒がしいかもしれません」
言いづらそうにウィリアムズさんが眉を顰める。どうやら、毎晩行われるヴィクターとグレンの飲み会が理由のようだ。
アレックスも何かを察してか、はたまた別の理由からか、泊まれるならば構わないと答えつつも、少しだけ残念そうな顔をしていた。
とにかく交渉は成立。僕たちの時と同じく、準備が整うまで談話室で待っているように言われ、二人は移動を始める。
だけどその時、リリアちゃんが階段につまずいて体勢を崩した。
危ない!
思わず叫びそうになったけれど、倒れる前にアレックスの腕がしっかりと彼女の体を抱きとめた。
「ありがとう、アルフ……」
「アレックスです」
「アリガトウ、アレックスゥ!!」
その会話を聞いて、僕は大変な事実に気がついた。名前を言い間違えるなんて、もしかしたら二人は知り合ったばかりなのかもしれない。
クララさんは素敵な女性だけど、年下のリリアちゃんには女の子らしい可愛いさがある。新たな出会いに期待して、僕は階段を上る彼女をじっと見つめた。
透き通るように白い肌、真っ赤に色づいた唇、そのコントラストの激しさに、僕の心臓は掻き乱され……。
「エエッ、エッフン」
アレックスがわざとらしく咳払いをして、左手の婚約指輪を見せつけた。熱し上がっていた気持ちは、一気に氷点下まで突き落とされる。
その上彼はリリアちゃんの肩を抱いて引き寄せると、自らの体で僕の姿を隠した。すれ違い様、後ろ手で立てられていた中指が、彼の性格の悪さを物語る。
確かにジロジロ見ていた僕も悪かったけれど、何もしていないじゃないか。リリアちゃんがもっと良い相手を見つけ、アレックスが無事振られますように、と心の中で願う。
二人から少し遅れて談話室に戻ると、ワット君は遊んでいたガラス玉をポケットにしまい、新しく興味をアレックスとリリアちゃんへと移していた。僕は二人を見つめるワット君の横へと腰を下ろす。
「リリアちゃんとアレックスだって、雨が酷いから泊まるそうだよ。珍しくもない若いカップルだろう?」
「……はい」
それでもワット君は余程二人が気になるらしく、見るのを止めようとはしなかった。
アレックスがリリアちゃんを手近な椅子に座らせ、自分は馬車まで戻ると言って踵を返す。
「やあ、急な雨で苦労したようだね」
振り向いた瞬間トムに声をかけられ、アレックスは後退った。差し出された右腕を前に固まり、怪訝な顔でジロジロとトムの全身眺める。礼を欠いた態度にトムは機嫌を悪くするどころか、むしろ驚かせた事を謝罪して自己紹介を始めた。
「初めまして私はトム、妻のシドニーと来てるんだ、宿泊するなら挨拶をしておこうと思ってね」
「……ああ、僕はアレックス、後ろの彼女はリリアです。外に馬車を待たせたままなので、失礼します」
なんだかんだで握手をしないまま、彼はそそくさと外へ出て行った。
トムもキョトンとした表情で自身の右手を見つめる。だけど、直ぐに切り替え、今度はリリアちゃんへと腕を差し出した。
「リリアちゃん……かな、仲良くしてくれると嬉しいよ」
「あっ、リリ、リリアです。よろしくお願いします」
アレックスとは違い、リリアちゃんは人懐っこい性格のようだ。トムの腕もしっかりと握り返している。
この分なら嫌味な婚約者君が戻る前に、僕も挨拶を済ませた方が無難だろう。腰を浮かせようとしたけれど、それより前にトムが僕を手のひらで指し示した。
「そこの彼、正体を知ったら絶対に驚くぞ、なんとあの名探偵シャーク先生なんだ」
「ええっ、あの超有名人の!?」
リリアちゃんは驚きのあまり黄色い声を上げた。
「えへっ、よろしくネ、ちなみにこっちは助手のワット君だよ」
ワット君は立ち上がり、礼儀正しくお辞儀をしてみせる。彼女も軽くスカートをあげて礼を返す。その動作はまるで良家のご令嬢のようにも思えたが、こちらへと近づく俊敏な動きは優雅さとは程遠く、チグハグな印象を受けた。
「友人が先生のファンで、何度もお話を伺っています。まるで主人公だと言わんばかりの活躍に、毎回大興奮です!」
「いやー、あんまり褒められると照れちゃうな」
「褒めずにはいられません、だって推理ものも大好きなんです。私もいつか本物の難事件を解決できたら……!」
女は高揚を隠さず、熱く思いの丈を語った。女の子からキラキラした瞳で尊敬の眼差しを向けられるのは悪くない。いや、むしろ最高。
ついつい調子に乗って、僕は鼻の下を掻く。
「実を言うと、今回の依頼は外に飾られている肖像画に記された暗号を解いて、この館の元あるじによって隠された宝を見つけてくれといったものでね」
「えっ、隠された宝……?」
「きっと、見たこともないような金銀財宝さ、リリアちゃんだって十分に活躍するチャンスはあるんじゃないかな」
顎に手を当て、深く考え込んだリリアちゃんは可愛かった。なんだか微笑ましい時を過ごしていると、僕たちの後方にいたグレンが酒臭い息を吐きながら寄ってきた。
「お嬢ちゃん、お前さんの容姿だと、エヴァグレーズ公爵領の出身だろう」
「えっ、はい、もちろんです!」
「俺はグレン。同郷のよしみだ、謎解きがしたいなら、今夜そこにいるヴィクターおじさんの部屋で飲まないかい?」
当然のごとく、リリアちゃんは彼らとの飲み会が謎解きと何の関係があるのか、全く理解出来なかった。彼女が不思議そうにしていると、グレンは髭に埋もれた口から得意げに歯を見せる。
「ヴィクターおじさんの部屋は、元々館の主人が使っていた寝室だ、宝を隠すなら一番可能性がありそうだろう」
「確かに一理ありますね。でも私はともかく、公爵領出身でないアル……ア、レックスはあまり飲めないかもしれませんが」
「そいつは野暮というもんだぜ、お嬢ちゃん」
「野暮……?」
純粋そうなリリアちゃんの反応に、目を覆いたくなる。言わずもがな、はなからアレックス抜きでのお誘いだ。下卑た笑いを浮かべたグレンが、こっそりとリリアちゃんの体へ腕を伸ばす。
「おおっと、長い足ですみませんッッッ!!」
突如、大声と共に突進してきたアレックスが、申告通りの長い足でグレンの腕を蹴り飛ばした。
「うおっ!?」
潰れた声を上げ、グレンの体は吹き飛んだ。
いくらなんでも子供がいる前で乱暴すぎる。リリアちゃんだって事態が飲み込めず、目が点になったまま立ち尽くしているじゃないか。
彼は悪びれる様子もなく、一仕事終えたとばかりにわざとらしく額を拭う。
「あーーっ、本当にすみません、バナナの皮に滑って止まれませんでした」
「ふざけるな、小僧ッ!」
「いやだなあ、事故ですよ、事故」
謝罪の意を込めたアレックスの微笑みは、明らかに火に油である。起き上がったグレンが、真っ赤な顔で彼に詰め寄った。
これから起きる事態を察し、僕はワット君の目を覆う。しかし、リリアちゃんも同じ想像をしたらしく、寸でのところで二人の間に割り込み、アレックスを庇って腕を広げた。
「ごめんなさい、私からも謝ります、だから暴力だけはやめてください」
「なっ、危ないから君は下がって
いてください!」
「私に任せて!! 喧嘩にならないよう、誤解を解いてあげるから!!」
まるでお姉さんと弟だ。女の子に守られるなんて、アレックスのプライドはズタズタだろう。
たまらずグレンも吹き出した。
「なんだ、ひ弱な彼氏がのされる代わりに、お嬢ちゃんが体を張ってくれるってか?」
「勿論です、ア、……レックスの為なら、何だってします、一緒にバナナの皮を捨てた犯人を探しましょう!」
「邪魔者抜きなら歓迎するぜ」
真剣な眼差して見つめるリリアちゃんに対し、グレンは不誠実にもニタニタとはしたない笑みを浮かべた。絶対にこのオッサンはいかがわしいことを考えている。だって同じような展開を本で読んだ。
分別の付く大人でなければ買えない本によると、恋人を代償に命拾いした男は泣きべそをかくだけだったけれど、一方のアレックスはというと、完全にグレンを敵と見なし、表情に宿った影からはどす黒い怒りの感情を滲み出させていた。
彼はリリアちゃんが心配するように、誰かに庇ってもらう必要なんてなければ、黙って泣き寝入りするような性格でもなく、むしろ好戦的かつ暴力的な解決を好む傾向のようだ。明らかにグレンに対して危害を加えようと、碧の瞳をギラつかせていた。
…………あれ、碧?
「おーーっと、今日は満月だったな、秘蔵のウィスキーがあるのだが、今夜は皆で一緒にどうかな?」
何の前触れもなく素っ頓狂なトムの声が響き、酒につられてグレンが興味の対象を変えた。
「ウィスキーだと!?」
「ああ、地元で作っているものを自分用に持ってきたんだ、味は保証する」
「何年ものだ?」
「ええっと……」
質問に答えながら、トムは指で出入り口を示し合図を送る。
僕はハッとして、この場を離れるようにリリアちゃんを言いくるめ、背中を押した。彼女は少し迷った後、申し訳なさそうに頭を下げ、アレックスの腕を引いて部屋を後にする。
「私と探偵君で今夜ヴィクターの部屋にお邪魔するから頼んだよ!」
二人の姿が見えなくなるのを確認し、トムは話を切り上げた。彼の言葉にグレンは頷き、椅子に座っていたヴィクターも「待っとるぞ」と叫ぶ。
再びグレンが席に戻ると、こちらを向いたトムは胸を撫で下ろし、親指を立てた。お見事な采配だが、僕は寄ってきたトムにこっそり耳打ちをする。
「ありがとうございます、でも飲み会には参加できません」
「待て、待て、ヴィクターはずっと部屋に鍵をかけてるんだ、彼の部屋を調べるには良いチャンスだろう?」
「探偵である前に僕は一応ワット君の保護者だから、小さい子を夜一人に出来ないんです」
「それは……そうだね」
苦笑するトムは、僕の助手の存在を完全に忘れているようだった。
そもそも宝の金銭的な価値を求める人間とは違い、暗号を解いて宝を手に入れなければならない探偵にとって、そんな手段はご法度だ。クララさんやシドニーさんが参加するのなら、もう少し悩んでから話を切り出したかもしれないけどね。
一日目、夜。
「ねえ、ねえ、ワット君、ト、トイレに行きたくはないかい?」
「…………」
「そんなあ……」
ワット君は僕の呼びかけに全く反応を見せず、いつも通り両手を胸の上に組んだ状態で死んだように眠っていた。悔しいけれど、枕が変わっても熟睡できるのは羨ましい。
仕方なく僕は薄暗い廊下を一人で進むことにした。
壁に備え付けられた燭台には蝋燭が立てられているとはいえ、その明かりは心もとない。せめてここが二階でなく三階であれば、ヴィクターの部屋から漏れる音で気持ちを紛らわせられたのかもしれないが、あいにく何の音も聞こえなかった。
なんとかトイレまでたどり着き、用をすませて扉を開くと、視界の端に光が映った。
「あら、探偵さんこんばんは」
「キャ、キャァ……!!」
浮き上がった白い顔に腕が生え、僕の口を塞ぐ。
「シーーーッ、騒いだら、みんな起きちゃう!」
パニックになりかけたが、よくよく落ち着いてみればシドニーさんである。
「すみません、つい驚いてしまって」
「ごめんなさい、脅かす気は無かったの。戻らないトムが心配で階段に座って待っていたら、探偵さんの姿が見えたから……」
ネグリジェ姿で頰を赤らめたシドニーさんは、強い色香を放っていた。昼間とのギャップに、つい彼女が人妻であることを忘れ、メロメロになってしまう。
「でも一人で暗いところにいたら危ないですよ、夜は冷えますしネ!」
「そうね、トムも大人なのだから、私は部屋で待っていようかしら」
ため息をついたシドニーさんは、つい支えてしまいそうになるほど物憂げな表情をしていた。彼女は一階の自室へ戻ろうと、階段の手すりに手をかける。
すると、床が軋む音に紛れ、どこからともなく不思議な声が響いた。
「……サ……レ……タチサ、レ……」
おかしな聞き間違えかと思い、僕はシドニーさんを呼び止める。
「シドニーさん、何か言いました?」
「えっ、なあに?」
振り向いたシドニーさんは何も聞こえていないらしく、不思議そうに首をかしげた。
「今、立ち去れ……みたいな声がした気が」
「私は何も聞こえなかったけれど、気のせいじゃないかしら」
「気のせいかぁ……」
「タチ……サレ、ココ、カラ……デテイケ……」
全身の毛穴が総毛立つ。確かに声がしたにも関わらず、僕たち以外に人の気配などなければ、床鳴りの聞き間違いでもない証拠に、シドニーさんだって体を指一本動かしてはいなかった。
僕が警戒して辺りをキョロキョロと見回していると、面白がってシドニーさんが笑う。
「怖がりすぎよ探偵さん、何もないじゃない」
「いや、でも確かに声が」
「きっと木の葉の擦れる音」
そう言って彼女は窓を開け、安心させるように館の周囲に広がる森を示した。僕も窓から身を乗り出して覗くが、目に映るのは真っ暗な闇だけ。
「ほら、大丈夫でしょう。部屋に入るまで見守ってあげるから、眠った方がいいわ」
シドニーさんは眠そうにあくびをしながら、階段に足をかけた。穴があったら入りたくなるとはこのことだ。僕はぎこちなく礼を言っていそいそと部屋に戻る。
鍵を閉めて一安心。早く眠ろうとシーツを持ち上げた。
――コン、コンッ
窓に何かがぶつかる音が響いた。
相変わらずワット君は眠ったまま。何か、の気配を窓の外から感じ、僕はゴクリと唾を飲み、恐る恐るカーテンを開ける。
真っ黒な影が窓の外を横切った。
「イヤアアアアアアアアアアーーーーッ」
腹の底から声が出た。
一瞬で瞼の裏に焼きついたのは、マントの端から飛び出した真っ黒な羽毛、そして大きな嘴をかたどったマスク。仮面の下から覗く、失明したような白い目を思い出し、僕は腰から砕けるように地に伏せた。




