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0607まどろみの中で

『私』が微睡みの中で目覚めた時、自分の体が心臓を動かすのを止めていることに気が付いた。

ふと、鼓動が止まった時の記憶を思い返す。


心地のよいリズムで、誰かが心臓を動かしてくれていた。30回胸の圧迫を続けては、新たに酸素が吹き入れられ、脳の思考は一定に保たれる。

昔、うっすらと習った覚えのあるそれを、実際に受けるのは初めてだったけれど、ずっとそのままでいたいと思ってしまうほどに、安心しきっていた。


しかし、やがて身を任せていた動きも止まり、頬に暖かいものがポタリ、ポタリと当たったところで意識が途切れ、何も考えられなくなってしまった。

そうして静かに死は訪れた。


あの時、最後まで救おうとしてくれた人を、もう思い出せなくなっている。

名前も、顔も、思い出すらも、大切な人だったはずなのに、全てが……、ああ。




……思えば酷い人生だった。ずっと温めてきたゲームへの構想を、破壊されるような指示ばかり受けてきた気がする。


男装の麗人、ノエルは主人公と友人になるルートこそがトゥルーエンドだったのに、それはバッドエンドとなり、シャーロットにはより過激さを求められることで、自らを傷付けることを良しとされた。


悪役令嬢リリーは最後に改心して、主人公と手を取り仲直りするはずが、ユーザーが喜ばないという理由だけで、綺麗さっぱり削除に改悪。

リリーは主人公と優しい家族たちによって、性格を改め、救われるはずだったのに。


それでも、何とか設定を付け加え、説得力を持たせることで、理想を実現しようと足掻きはした。


エヴァグレーズ公爵領にある金鉱山。


それを断罪後に王家に献上することで、エヴァグレーズ公爵家は辛い立場に追い込まれるが、立ち直る。

苦し紛れながらも、理想的なリリーの結末の許可を、上へと請うた。

しかし、結局それが反映されることなどなく、金鉱山の文言はそのままに、結局リリーは処刑されることとなる。


その時に付け加えた『金鉱山』の一文のせいで、何人もの人が苦しんだのは、どこでの記憶かしら?


全ての設定を把握していたはずなのに、思い出せないのはどうしてなのか。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。




せめて、産み落としてしまった責任として、愛するキャラクター達だけでも、トゥルーエンドという安らぎを与えてやりたかった。なのに、リリーを救うことを諦めて、最優先にしたのはゲームの発表。


可哀想なリリー。製作者からすらも見捨てられた彼女は、愛する人を失って、心をすり減らし、何度も、何度も、死んだのだろう。

彼女の死は、ゲームとしての世界を成立させるのに避けられない、必要な事象となった。


テストプレイヤー名ローズ。彼女が形となって手元の画面に現れた時、一人のプレイヤーとして、期待と憧れを混ぜた喜びを感じ、リリーのことなど忘れることにした。

だが、ゲームを世に送り出した後、物語を作り上げた強い感受性が仇となり、騙してきた感情に耐えきれず、心は自ら死を選んだ。




「君の症状は解離性障害、俗に言う『離人症』に近い状態です」


そんな風に言われたことを思い出す。その人物が主治医だったのか、それとも違ったのか、それすらも覚えていないというのに。


「物事を判断する能力は保たれるが、心と思考を切り離し、まるで自身を見つめる傍観者になったように感じられる症状をきたす。でも、君の場合はまだ心で感じている、これ以上傷つかないよう閉ざしてはいるけれど……」


嘘を付くのが下手なことを褒められたのは、後にも先にもその時だけだった。

心を切り離せば嘘を付くのは容易だから、なんて台詞は、自分の心を騙し続けている事への皮肉としか言いようがない。


「大丈夫、僕が治しますよ」


どうしてそんな気休めの言葉を吐いたのかを、考えるつもりはないが、自分には無用のように思えた。

強いストレス、例を挙げるなら、幼少期の虐待などによって、引き起こされると説明された病気。それさえあれば、感情なんてものに振り回される事はなかったのに。

心を捨てて、結果だけを見つめ、生きる事ができたのに。


自分の心も、他人の心も、リリーの心も、誰の心も、もう考えたくなどはない、傷つきたくなんて、ない!




……これは『私』の記憶。混ざる前、もっと前、リリーを見捨てた後悔を持った『私』の記憶。

私とは違う過去のお話。




ここからは私の勝手な推測なのだけど。

何が罪かと問われたら、リリーを死なせてしまったことが『私』の罪なのだろう。魂にまで刻み付けられた、忘れられない罪。


もしかしたら神様は、彼女が罪を償えるように、ゲームと似た世界で産まれ、育つ事を許してくれたのかも知れない。ゲームの設定と限りなく近く、それでいて、全く噛み合わないこの世界で。

結果、二度も同じ過ちを犯すとは、神様も呆れてしまうのかもしれないけれど。



それでも、もう一度チャンスが与えられたならなんて、“もしも”を考えてしまう。これ以上望むのは、我儘だって分かってる。

だって神様は『私』と私の願いを叶えてくれたのだから。


『私』にはあがないの機会を、私にはずっと救いたかった彼を助ける力をくれた。



目の前で繰り広げられる光景に耐えられず、一つずつ感情を削ぎ落としていく日々。恐怖すら切り離し、いつしか涙も枯れ果てた。

だけど『あの日』、私のせいで、自分の首に手を掛けかねない程の後悔を植え付けてしまった日。残っていないはずの感情を燃やし、私は願った。


彼を助けて欲しい、と。


誰かが助けてくれることを願っていた。

それが叶うのなら、例え二度と会えなくなったっていい。

不幸を抱いた人生に、幸福とは何かを教えるのが私の役目でないのなら、大きくなった彼が、いつか誰かに恋をして微笑む時、隣にいるのが自分でないのだとしても、得られなかった愛を知れるのなら、それだけでよかった。


私の大切な、初恋の人だったから。


だけど、本当の意味での救いは、私を彼に守らせないことだったのだろう。

与えられたのは、『誰か』ではなく、『私』。二度と同じ過ちを繰り返さない為に、私は力を与えられた。


それさえあれば、もう目の前の人を犠牲にさせなくて済む。力が及ばないような事態を迎えてしまっても、切り離すべきが何かはもう知っていたから。

傷を刻み続ける小さな体を、全てが終わったあと、抱き締めるだけしか出来ない自分が、誰より一番憎かった。


それは、いつの、誰が、どこで、感じた……彼の名前は……。

私は誰だったのか、誰になってしまったのか。


ああ、二つの思いが、記憶が、混ざってしまう。


……違う、最初から一つだった。私の記憶は感情が抜け落ちてしまっていたから、同じものだと気づけなかっただけ。

過去の記憶は自分の名前すら思い出せなくなっていたのに、心の傷が記憶を思い出すのをためらわせる私は、違和感に気づけず、焼き付いた古い感情に惑わされ、今の思いを信じられなかった。


愛したいと焦がれてしまったのは、私だったのに。



お願いします。

どうか、神様もう一度だけ。

これ以上望むのは我儘だって分かってる。

だけどもう一度だけ、どうか、神様。


私はこの世界を生きたいと願う。


心のままに生きればよかった。私にだって、彼と一緒に生きる未来があったのかもしれない。そうなるように望めばよかった。

二人で逃げ出してでも、愛せば良かった。






……ごめんね、アルフレッド、それを捨ててしまったのは、私だったね。
















ハイラント学園の講堂では、アルフレッドが全員の視線を一身に集め、未だ心肺蘇生法を続けていた。

どのくらいそうしているのか、彼にはもう分からない。腕が千切れそうになりながらも、何度も同じ動作を繰り返す。


「……26、27、28、29、30」


二回息を吹きいれると、クラリと意識が遠退いた。

倒れる前に踏みとどまり、再び心臓へと腕を伸ばす。


彼の思いとは反対に、その場ではもう諦めの色が漂っていた。

身を横たえたリリーは、意思が戻ることもなく、全身を弛緩させている。彼女の手を握っていたシャーロットは、だらりとした腕をゆっくりと地面に置くと、体を竦ませ涙を流した。


「もう、止めてあげて下さい」

「1、2、3、4、……」

「もう眠らせてあげて……ッ!」


腕の動きを止める事なく、アルフレッドはどんよりとした目で彼女を見るも、言葉を返さず視線を戻す。

シャーロットは彼を直視することが出来なくなり、目をきつく閉じた。


「12、13ッ……14、15、」


既にアルフレッド自身、いつ倒れてもおかしくはない。止めようとする者もいたが、彼はそれを拒み、獣のように威嚇した。

額から滲み出た汗が川のように流れ、顎を伝う。


「21、22、……ッ23……24」


ラルフは彼の行動を後ろから見守っていたが、これ以上希望を持てそうにはないことを察し、目を逸らす。隣にいるノエルの表情を伺うと、彼女も同じく顔を背け、真っ青な顔で口を押さえていた。


既に救うべきはリリーではなく、身も心も擦り切れる寸前のアルフレッド。

誰かが無理にでも終わらせなければいけなかった。だが、待ったところで都合よくそんな人物が現れるはずもなく、状況が変わることもない。

ラルフは汚れ役になることを決め、アルフレッドの背中から腕を回し、リリーの体から引き離した。


「もうやめろ、お前までどうにかなっちまう!」

「触る、な、はな、せっ、……僕は約束したんだ! どこまでも……追いかけるとッ、僕は誓ったんだっ!」


体を引きずろうとするラルフは腕に力を込めるも、息絶え絶えのはずのアルフレッドは普段では考えらえないほどの力で暴れた。


「現実世界、だろうが、地獄の果て、だろうが……どこ、だって」


リリーの元へたどり着こうと、前に出るアルフレッドの瞳に、正気の色は無い。

最早、それは執念だった。


「僕から逃げるなんて許さないっ……どこまでも、追い詰めて、追いやって、絶対に手に入れてやるッッ!」


汗を垂らし、歯を食いしばり、必死に這いずって彼女に届く範囲までたどり着くと、アルフレッドは全力で拳を振り下ろす。



「生きろ、生きろよ、リリーッッ!」





奇しくもそれは、『あの日』リリーを覚醒させた痛みと、同じ所に落とされた。





「……っか、はあっ」




ゲホッと咳をしてリリーは息を吹き返す。

それは紛うことなく一つの奇跡。


全員が俯いていた顔を上げ、息を飲む。

呆気に取られラルフが腕から力を抜くと、アルフレッドは彼の元から抜け出した。


「リリーッ!!」


倒れるように被さり心音を確認すると、弱々しくも確かに自ら動いていた。アルフレッドは未だ意識が戻らないリリーを抱き寄せ、頰を寄せる。

確実となったこれからを前に、最後まで諦めなかった彼は、ようやくポタリ、ポタリと涙を落とした。


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