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0606碧への畏怖

突如現れたセシリアは、刺さるような視線を一身に受け、それでも眉一つ動かさずに立っていた。

エゼルバルドは気圧されたのか、口を開いたまま、ふらりと一歩後ずさる。


「は、母上……ッ!?」


エゼルバルドを無視したまま、セシリアは全員の視線を伴って、壇上を指し示すかのように敷かれた絨毯の上を歩く。彼女の隣には、アルフレッドが控えるように付き従っていた。

彼は兄に一瞥だけくれてやると、直ぐに視線を戻す。その態度にエゼルバルドは怒りでうち震えた。

そして、平静さ失った彼に追い討ちをかけるように、セシリアが宣言を下す。


「私、セシリアの名において、アルフレッドへの廃嫡を撤回し、逆にエゼルバルド、お前を廃嫡とする」


エゼルバルドは口を引き結んでアルフレッドを睨む。セシリアの横で当然のごとく堂々と振る舞う彼は、正統な後継者としての姿だった。

今まで自らの存在を肯定せずとも、互いを利用し共生を許してきた女が宿主を変えた事実に、エゼルバルドは静かなる激昂を迎える。


セシリアがリリーの手前で止まると、汚いものでも見るかのように見下げて鼻を鳴らした。すぐにアルフレッドが膝を折り、彼女の体をそっと抱き寄せる。


「リリー、遅くなってすみません……」


その囁きを、エゼルバルドはアルフレッドの口元の動きを読んで知る。彼は下げてしまった足を、再び踏みしめ、怒りを隠すために表情を作った。


「こんな馬鹿な話を、皆は許せるだろうか!?」


彼は壇上から全体を見渡し、将来の臣下へと問いかけた。指で力強くアルフレッドを指し示すと、会場の視線が彼に注がれる。


「その男は、先ほどの悪女にたぶらかされ、謀反を心得ただけに過ぎない!」


向けられた悪意ある視線を遮ろうと、アルフレッドはリリーの頭を胸に寄せた。それを好機と見て、エゼルバルドは群衆の感情を操ろうと、握り締めた拳を口の横で動かす。


「先ほど、あの女の悪逆さを聞いただろう。醜く嫉妬し、人を陥れたことへの懺悔をみ……」

「皆さん、私の話を聞いてください!」


ジークがエゼルバルドの言葉を遮るように、鋭い声を上げ立ち上がった。


「王家が秘匿している薬草には、人を操る毒がある。私も以前、同じ状態にされた人間を見た……彼女は薬漬けにされたんだ!」


肩で息をしながら、青白い顔で汗を拭うも、ジークはエゼルバルドの支配から抜け出そうとしていた。また一つ、手元から駒が離れていく。エゼルバルドの体が僅かに揺らいだ。


「何を証拠に言うかジーク!」

「証拠は目だ、目を見れば分かる。毒の接種により瞳孔は最大まで散瞳し、少量の光にも過剰に反応する」

「このッッ!」


潰れた声を漏らすエゼルバルドには、絶対的な支配者たる姿はもうなかった。ジークは自身の心が解放されるのを感じ、一度瞼を閉じてから、力強く見開く。


「ローズへの卑劣な犯行は、全て私が手配した。エゼルバルドが彼女を追い詰め、手にいれるため、私にそれを強いたんだ!」


エゼルバルドは自分を見つめる人間達の、空気が変わるのを感じた。

女に現を抜かした口先だけのこの男には、国を任せられない。数多の瞳がそのような意図を持って、見渡す限り全ての方向から彼を責め立てた。


「ぐッ……」


ただでさえ注目を集める壇上に逃げ場などない。

エゼルバルドは頭を抱え、足元をふらつかせると、定まらない指で、もう一度アルフレッドを指し示した。


「俺から、俺から全てを奪おうとする、その男にだけは、王位を渡さないッ!」

「ならば、先王の遺言通り、殺して勝ち取ればいい」


アルフレッドは威圧的な声を響かせると、リリーの肩にジャケットをかけ、ゆらりと立ち上がった。


「我が父、先王エゼルウルフの遺言では、王位は生き残った者が継ぐことになっている」


合図と共に従者が掲げたのは、言葉通りの内容が記された、エゼルウルフ王直筆の遺言状。

腕を下ろし、カタカタと震えながらエゼルバルドは唇を噛む。アルフレッドの二つの瞳までもが、挑発するように彼の目を睨みつけていた。


「欲するのならば、殺してみせろ、エゼルバルド」

「う、あぁ、あぁあっっ!!」


叫び声と同時にエゼルバルドがお飾りの聖剣を引き抜き、アルフレッド目掛けて走り出した。呼応するように、アルフレッドはセシリアの護衛が持つ剣を奪う。

しかし、前に出ようと足を踏み出した時、リリーが弱々しい力で離れゆく彼の服を引いた。


――お願い、エゼルバルドを殺さないで。


目が合った刹那、声にならなかった言葉を、確かにアルフレッドは理解した。

剣を手放す動作に、一切の迷いは無い。

彼は望まれるままリリーの体を抱き起すと、無防備な姿を晒しながら、迫り来る男を迎える。


勝った。


エゼルバルドはアルフレッドまでの距離を走り抜けながら確信する。

ゆっくりと流れる時の中で、彼は走馬灯のように過去の事を思い出していた。いつだって自分から大切なものを奪うのは、アルフレッドだと。


王位、ローズ、否、それより以前。誰にも愛されないエゼルバルドを、唯一『坊っちゃん』と呼び、仕事でもないのに世話を焼いた女性の顔が浮かぶ。その馴れ馴れしさとお節介さに、エゼルバルドが初めて心を開いた人。

そんな彼女を奪ったのは、物心付かないアルフレッドの一言だった。


『かあさま』


その一言で、アルフレッドの乳母だった彼女は、エゼルウルフによって王宮からも、貴族社会からも、永久に追放された。

もし、エゼルバルドが『魔王』と呼ばれた父親に彼女の温情を訴え時、その返答が違っていたら、アルフレッドとの関係も、今とは異なるものだったのかもしれない。


『我が妻、セシリアに対する侮辱、許せる罪ではない』


だが、父から返ってきた言葉はそれだけだった。

何とかもう一度口を開こうとしたが、あのみどりの瞳に睨まれると、喉元を締め付けられたかのように息苦しくなり、エゼルバルドは体が震えて動かせなくなった。

結局のところ、それ以上何もできず、自室に逃げ帰って一人女々しく泣いただけ。


だから、ただひたすらにアルフレッドを憎んだ。全ての感情を彼へとぶつけ、己の心を守ってきた。

無抵抗の小さな弟は、あの時何もできなかった子供と、よく似ていた。


回想を止めたエゼルバルドが一滴だけ零した涙は、過去からの悲しみ故か、未来への歓喜故なのか。

彼は口元を勝ち誇ったかのように歪める。


「アアァアァァアアアアッ!!!!」



握った剣の切っ先を、アルフレッドの肉体へ刺し通さんとして、彼を見る。

されど、リリーの思いを守るため剣を棄てたアルフレッドは、決して戦う意思までをも棄ててはいなかった。


愛する人が繋ぎ止めたことよって、ようやく人の形を保った獣。

牙を鳴らし、本能が噛み殺すことを望みながらも、動こうとする体を抑え付け、敵の喉笛を狙い続ける瞳に全ての感情を込める。


その青い瞳は、興奮で膨張した己の血管を透かし、()()()()()()()()()()()

あの、エゼルバルドの恐怖を象徴するみどりへと。


「ヒィッ……父上ッ!!」


カランッ、と乾いた音をたて、エゼルバルドは握っていた剣を落とす。腰から砕け、這いつくばって後ずさる彼を、喉を潰すような、みどりの虹彩が捉えていた。

その目線に射ぬかれたエゼルバルドは、全ての戦意を挫かれ、逃げるように背後へと這い続ける。

舞台手前で動きを止めると、エゼルバルドの目にローズの姿が映った。


「ローズ……、終わりだ……全部終わりだ……」

「や、来ないで」


よろよろと立ち上がり階段を上ると、ローズに近づいて彼女の体を掴む。


「い、一緒に死のう、君だけだ、もう俺にはッ、君だけなんだ!」

「いやよ、止めてッ!!」


エゼルバルドはローズに誰かの面影を重ねる。強くて慈愛を忘れない、気高い姿。

もうローズだけは逃すまいと、エゼルバルドが彼女の首に手をかけ力を込める。

しかし、彼の背後で舞台に上がる人影があった。


「このおぉぉおっっつ馬鹿坊っちゃんッッッ!」


言葉と同時に飛んできた拳によって、エゼルバルドは吹き飛んだ。彼はその人が記憶よりも老けた、あの乳母だと理解する。

彼女は義娘ローズの親族として、昔愛情を与えた少年、エゼルバルドの晴れ姿を見るためにこの場に来ていた。


「立派になったと、おぉお思ったらあぁぁあッ! 教育のし直しですッッ!」




馬乗りになった女性から、何度も頬を叩かれるエゼルバルドに、アルフレッドはようやく興味をなくし顔を背けた。

そして、初めて腕に抱いたリリーの異変に気づく。


「息、をして、いない……?」


先程まで、苦しそうに浅い呼吸を繰り返していたリリーは、上下する胸の動きを止めていた。


「うそ、だッ」


アルフレッドの声に周りの人間がざわめき出す。




人混みを掻き分けてシャーロットが近づいた時、アルフレッドは青い顔で、リリーの心音を確認していた。

やがて、それも無いことが彼の表情から読み取れる。


「そんなっ……!」


シャーロットが膝から崩れ、その場に座り込む。

だが、アルフレッドは諦めていなかった。

ジャケットを床に敷いてリリーを寝かせると、彼は両手を組み、力強く心臓へと下ろした。


「1、2、3、4、5、6……ッ!」


アルフレッドはリリーから教わった心肺蘇生法を未だ覚えていた。数々の思い出の中で、一際強く焼き付けられた記憶。


『大切な人を守るために必要な事』


ゲレンデへ向かう雪馬車の中、秘めた思いを抱え、彼女の言葉に耳を傾けていた少年は、今大切な人を守るために腕を動かした。


「……26、27、28、29、30!」


三十回目の動作を終え、必死に息を吹き込むアルフレッドの姿は、その行為の意味を知らない者たちの目にも、彼がひたすらにリリーを助けようとする意思を映した。



「……5、6、7、……ッ死ぬな、死ぬな、リリーッ!!」







拘束を解かれたノエルとラルフがようやくその場に駆けつけると、アルフレッドは全身から汗を滲ませながら、必死に腕を動かし続けていた。


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