0605断罪
その年、ハイラント学園の卒業式は、例年よりも多くの来賓を迎えていた。
第一王子の卒業。彼を次代の国王と認める者達は、戴冠式前に自身を売り込んでおこうと、卒業生、在学生の垣根を問わず、遠縁の子供すら頼ってこの場に群がった。
スケジュールが順調に進む中、学園に納められている聖剣の授与を行うため、卒業生代表として、首席であるエゼルバルドの名が呼ばれる。鳴り響く拍手と共に、彼は舞台に上がった。
舞台袖奥から式の様子を眺めながら、ノエルはラルフに耳打ちをする。
「気が付いているか?」
「ああ。これはちと、キツイな」
言葉が示す内容は、二人の前方と後方を塞ぐように立っている、エゼルバルドの護衛。
前に三人、後ろに二人、先ほどノエルの行く手を阻んだ者とは異なる男たちは、表向きはラルフに警護の協力を仰いできた形であるものの、明らかに彼本人を対象として警戒していた。
本職の彼らがいるのであれば、いくらエゼルバルドが無防備な姿を晒すといえど、卒業生のラルフをわざわざ呼び出して、舞台袖で警護に当たらせる必要は無い。
先ほどのリリーの様子からも、ノエルはこれから何かが行われるのではないかと疑っていた。
「事が起きたら、私のことは捨て置いて飛び出せ。鈍った体では足止め位にしかならん」
「チッ、……親父はどこだ?」
「向かって右斜め後方の来賓席。駆けつけるにも止められる」
ラルフは苛立ちを抑えられず、頭をガリガリと掻く。
しかし、この場に彼の母親、ライラも来ていることを考えると、エストレスタ男爵との距離が遠いことは幸いかもしれない。無力なライラがいれば、男爵の戦力を考えてもマイナスである。
ラルフが視線を戻すと、聖剣を受け取ったエゼルバルドが鞘に収まる剣を掲げた。また拍手が巻き起こる。
続いて在校生代表に聖剣を受け渡すため、最前列の席で控えていたジークの名前が呼ばれようとした時、エゼルバルドは剣を置いて演説台に立った。
「俺はこの場をもって、告発したいことがある。リリー・エヴァグレーズ前へ出ろッ!!」
ザワリと周りが騒ぎだし、連れられてきたリリーが会場前方の赤絨毯上に投げ出されると、皆の視線が彼女へと集まった。
それを皮切りに、ノエルとラルフは動く。
ノエルがラルフを押し出すと、彼女は直ぐに振り返り、後方にいた男の拳を弾いた。掌底で顎を打ち付け、勢いを殺さず流れる動作でもう一人の喉を潰そうと踏み出す。
時を同じくして、ラルフも目の前にいた男の鼻に肘をめり込ませると、胴を蹴って後ろに続いていたもう一人の体へと叩きつけた。通路に生まれた空間から、瞳には舞台に躍り出るための動線が映る。
だが、残る一人を突き飛ばす前に、彼は後方から上がった微かなうめき声を聞き、振り向いた。
その光景に、冷たい汗が伝う。
ノエルが髪先を腕に巻き取られる形で拘束されつつも、武器を奪おうと踠いていた。
「暴れるなッ!」
抵抗に焦った男は動きを止めようと、短剣を腕に振り下ろす。彼女の、夢を叶えるための右腕へと。
「ッ!!」
飛び散った血液がノエルの服を濡らす。
腕を真っ赤に染めた彼女が目にしたものは、剣を貫通させたラルフの掌。
彼は利き腕を盾に切っ先を止めていた。
ノエルの表情がみるみる歪む。
「ばか、ものッ!!」
らしくもない彼女の姿に、ラルフはお手上げだと言わんばかりの表情で目を背け、苦しそうに笑う。
「お前もだぜ、ノエル……」
短いやり取りすら待たず、二人は床へと押さえつけられた。
エストレスタ姉弟の拘束が成功したのを察し、エゼルバルドは鼻で笑う。会場にいた群衆は、舞台袖で響いた物音など気に止める事もなく、リリーを見つめていた。
エゼルバルドは注目を集めるため、一度演説台を強く叩きつけてから、大振りの動作で視線を誘う。
「この者は嫉妬にかられ、一人の女子生徒へ、悪魔のごとき所業を行ってきた!」
まるで、耳を傾ける者たちの感情に訴えるような、叫び声が響き渡る。
「ある時はドレスを引き裂き、また、ある時は寒さに凍える彼女を閉じ込めた。これを罪と言わずに何と言うか!」
彼の言葉の後には、唾を飲み込む音すら聞こえそうなほど、沈黙が広がっていた。全ての人間が、何かに操られるかのように口を閉ざす。
まるで、ゲームの中のリリー・エヴァグレーズ断罪イベントのように、意見を言うものなど居なかった。
エゼルバルドが修羅のごとき鋭さで叫ぶ。
「リリー・エヴァグレーズ、貴様の罪を皆に伝えよ!」
「わた、し、の罪、は……」
リリーは朧気な意識の中で、自らの業を考える。
その時、沈黙を破り意外な人物の声が上がる。
「やめてッ! 彼女はそんなこと出来ない!!」
声の主はローズ。
リリーを守るように彼女が前へ躍り出ると、空気の流れが変わった。その場を支配していた力のようなものが抜け、人々は自我を取り戻したかのように、ザワリ、ザワリと騒ぎだす。
遅れてシャーロットもリリーの元へ駆けつけようとするが、彼女の腕をコリンズが掴み、立ち上がるのを阻んだ。彼は首を横に振る。
周りを囲む生徒たちが、何故か二人の一挙一動を無表情で見つめていた。異変を感じたシャーロットは動きを止め、ローズへと顔を向ける。
「彼女の自由の利かない左腕では、そんなこと出来ない!」
周りを見回し全ての観衆へ向けて訴えを叫んだ後、ローズは堂々した足取りで赤絨毯を進むと、壇上に上がりエゼルバルドに詰め寄った。
「どうやってドレスを力任せに引き裂けるの、どうやって私を左腕で階段から突き落とせるの、どうやったら片腕で私を捕まえて閉じ込めれるの、ねえ、エゼルバルド、答えてッ!!」
ローズの気迫に、エゼルバルドは眉をピクリと動かしたが、直ぐに優しく彼女に微笑んだ。
「優しいローズ、こんな女にも情けをかけるとは。恐らく人を使ったのだろう」
ニッコリと笑みを作る彼の瞳の奥に、本能を屈服させるような凄まじい圧を知り、ローズの体からガクリと力が抜けた。エゼルバルドは彼女の腰を抱き、動きの主導権を握ると皆に示す。
「見たかこの慈愛の心を、名はローズ、彼女こそが先の件の被害者だ。今一度静粛にしてこれからの話を聞いて欲しい」
エゼルバルドは手を上げ、舞台下で控えていた従者を壇上に呼び、ローズを預けて舞台脇へと控えさせた。
彼女がもう邪魔立てする気力を失くしたことを確認し、リリーに体を向き直ると、再び糾弾の声を響かせる。
「全ての犯行はお前が考えた事なのだろう、リリー・エヴァグレーズ!」
「はい、わた、しが全て、考え、まし、た」
リリーは自身の罪を思い返す。ローズへの嫌がらせは、全て自分が作り上げたものであると。エゼルバルドの言葉は染み渡るように意味を伝え、彼女には、まるで頭の中に直接話しかけられるように感じられた。
全てが遠くに消え去って、唇が紡ぐ言葉とは別に、かけられた声と、彼女の心の中の声が対話する。
――貴様は彼女の苦しみを理解していたのか?
「は、い……」
彼女の苦しみも、痛みも、悲しみも、追い詰められることすら分かっていて、私はあえてそれが行われるようにした。
――何故そのようなことをした?
「みな、が、それを、望んだから」
それが望まれていたから、望まれることをしなければならなかったから。彼女がそうされる事を皆が望み、私がそれに答えたから。
――お前は親しいものすらも騙したのか?
「すべて、を、だましました」
両親にも、親友にも、アルフレッドにすらも言わなかった。いや、言えなかった。
どう思われるのか恐ろしかった。そんな秘密を言える訳がなかった。
私がゲームのシナリオライターだなんて。
――お前の罪はなんだ?
「わ、たし、の、つみは……」
それは、恋い焦がれるべき攻略対象者に、恐怖心を覚えたこと?
それは、親しみを覚えるべき主人公に、嫌悪を覚えたこと?
それとも、自身が作り上げたこの世界の人間に、恋を、してしまったこと……?
母なる『私』は、彼らにそんな感情なんてものを、向けてはいけなかったのに。
リリー・エヴァグレーズを殺さなければ成立しえなかったこの世界を作り上げるため、彼女を救わず、見捨てた時のように、そんな思いは割り切ればよかったのに。
ああ、そうか、彼女を見捨てた事こそが罪なのだ……。
リリーは首を垂れて黙りこんだ。小刻みに震え、涙を流す姿は、自らの罪を悔いるようにすら思わせる。
その場に居合わせた、何も知らない人々の目に映るのは、嫉妬に狂った哀れな少女の姿。真実と噛み合わない状況は、皆の心に偽りの真実を植えつけた。
エゼルバルドは、先ほど流れが途絶えた事で生まれた不信の芽を摘もうと、仕上げにかかる。
ここに群がるのは、少なくとも彼の王位継承を認める者達。紛れ込んでしまった反対意見を持つ者こそが少数派。エゼルバルドに対抗しうる発言力を持つ、エヴァグレーズ公爵もフルード公爵もこの場には居ないのだ。
数の力があれば、群衆の理性を破壊するなど容易。
壇上から全体を見渡し、エゼルバルドは扱い易い贄を見繕った。
「ガスター伯爵、この女の罪に関してどう思われるか?」
注目がガスター伯爵に一斉に移る。しかし、いくら言葉を求められようと、伯爵である彼は公爵家の人間を強く糾弾する事は出来ず、断言を避けた無難な言葉を選ぶ。
「いかに公爵令嬢といえど、行き過ぎた行為だったかと……」
「では、ヒューム子爵、これは罰せられる行為か、否か」
自らの治める街がガスター伯爵の領地内にあるヒューム子爵は、上の意見に沿う以外の選択が無い。しかし、用意された質問は先程とは異なり、肯定か否定かの断言を迫られる、クローズドクエスチョン。
穴に嵌るように、伯爵の言葉を誤って掘り深めてしまう。
「罰せられる行為です……殿下」
「その通りだヒューム子爵、しかし悲しい事にそうはならない。ローズは平民、身分を持たなかった」
思い描く流れになりつつある事で、エゼルバルドはより声を張り上げる
「同じ公爵家として問おう。公爵家の権力で、民に無理を強いることは許される事か、アップルビー公爵!」
「……ッ、多少なり、仕方の無い側面は有ります。この国の正しい身分制度を示すためには、そうでなければならない」
「言い難い意見をあえて言い切ってくれた事に礼を言う。そうこれは仕方が無い事なのだ、権力を持つならば当然考えて仕方の無い事、貴族である我々に罪は無い」
反論を覚悟していたアップルビー公爵は、思わぬ賛辞に汗を吹き出し、がくりと体の力を抜く。自身の言葉に同調された事で、自らそれを否定する事も出来ず、彼は口を閉ざす以外の選択が無くなった。
エゼルバルドが握った拳で演説台へと叩きつけ、注目を集める。
「それを踏まえた上で断言しよう。我々はより良い支配者として変革を起こさねばならない。目を瞑る事こそが罪、新たな流れをもって変わる事こそが正義。公の述べた、身分制度のあり方、それを正しく示すためにもこの罪を許してはならない」
ダンッ、と響いた大きな音に、皆は唾を飲む。
リリーの処刑を暗に否定したはずの言葉が、彼の舌先によって、エヴァグレーズの名が示す爵位と同じ、アップルビー公爵家までもがその意見を肯定したかのように錯覚させる道具と変わった。
「俺は先の女性、ローズを将来の妻として迎え入れる。皆が知るあの心根は必ずや新しい風を王室に巻き起こす。この国は変わる、臣下も、民も全てが生まれ変わるだろう。もう一度断言しよう、だから罪を許してはならない!」
胸の横で握り締められた拳の抑揚をつけた動きが、皆の感情の起伏を盛り立てて煽った。エゼルバルドの掌の中で、全ての心が揺り動かされる。
そして、彼は出来映えに満足するように目を閉じた。
「この女を罰することは、我々の持つ全ての罪を洗い流すと同義。二度と権力に溺れ、同じ過ちを繰り返さない為の過去の清算、決別への意思表示である」
かけられた言葉から、ビリビリと痺れるように、周囲に彼の意図が伝播する。
エゼルバルドの言葉は、洗脳に近い形で群衆の心理を掴んでいた。
リリー・エヴァグレーズは処刑されるに値する。正しい幕引きの為には、彼女の死を確定させなければならない。
誰もが、たった一人の咎人にはなりたくはなかった。
貴族院議会の開会も待たず、近日中に彼女の処刑が執り行われれば、エゼルバルドを諌めるなど、誰も出来なくなるだろう。犠牲を強いる事に目を瞑った罪は共有され、より強い絆となりて、この場にいた者全員が盲目に忠誠を誓う。
例え後に誰かが疑問を呈したとしても、多数の意見の前では黙殺されるのみ。
「皆の者、次期国王の妻への冒涜を、許すことなかれ……」
心を掴まれてしまった人々は、一部の反対意見を押しつぶし、未来の君主の言葉に頷こうと動く。
しかし、それを行うよりも早く、大きな音を立て入り口の扉が開け放たれた。
「お待ちなさい、エゼルバルド! お前は次期国王などではありません!」
叫び声を上げたのは、彼の母親、摂政セシリアであった。




