0604選択
エゼルバルドを乗せた馬車が王宮の正門を通るのを見送って、門の脇に立つ衛兵が緊張を少しだけ解く。
彼の名はクレイグ。勤務歴三年目になる彼は、いつもとは異なる職場に気を張らせていた。
そんな様子が気になったのか、対になって門を守る相方のコリーが、気を抜くなとでも言いたげに、顎で正面を向くように指し示す。
本日はハイラント学園の卒業式。
第一王子の護衛の為、王宮に隣接する学園にも衛兵の人員を割かれているが、それで王宮に問題があっては本末転倒。人数が足りない故への隙をつかれぬよう、気を引き締めねばならない。
クレイグは再び身を正して警備に勤めた。
その時ふと前方から、先ほど馬車で出て行ったはずのエゼルバルドが歩いてくるのが見えた。驚いて目を凝らしていると、コリーも同じような仕草をしていたため、二人は顔を見合わせる。
恐る恐るコリーが彼に声をかけるのを、クレイグは固唾を飲んで見守った。
「エゼルバルド殿下、如何されましたでしょうか?」
突如、男は口元をグニャリと歪め、歯を見せた。
「いいえ、僕はこの国の第二王子、アルフレッド・ブレトワルダ・オブ・アルレガリアです」
さらりと述べられた言葉の意味に、衛兵たちは凍りつく。
アルフレッドが前に出ようとするので、慌てた二人は、槍の穂先を向けるのではなく、柄を交差させて行く手を阻もうとした。
「お下がり下さい、貴殿は廃嫡された身です!」
「そうです、ここを通すわけにはいきませんっ!」
「ならば力尽くで追い払えばいい」
唸るような低い声を出しながら、アルフレッドはしっかりとした足取りで前に出た。彼が自ら止まらないのであれば、足で払われた槍が音を立て地面に転がるのを、二人は黙って見つめる以外手立てがない。
クレイグとコリーは知っていた。彼が廃嫡された後も、未だ王位継承権を持つかのように恐れられている事を。
貴族達の間でまことしやかに囁かれている噂、その内容は知らずとも、計り知れない影響力を持つことだけは感じていた。
そんな相手に手を出せば、自分達がどんな末路を迎えるのか、想像に難くない。
彼らの胸中を見透かすように、アルフレッドは鼻で笑う。
「二度目は言わせるな。早く門を開けろ」
二人は言い付けられた言葉を守ると、怯え震えて傅いた。
エゼルバルドが学園に向かって暫くたったころから、王宮内では騒めきが聞こえるようになっていた。
自室で一人椅子に腰掛け、物思いに耽っていたセシリアは苛立ちを覚える。今日くらい静かに出来ないものかと考えるほどに、彼女の眉間のシワは深まっていった。
気を鎮めようと、用意させていた紅茶を口に含むが、それが昔親友の淹れてくれた味と違う事に腹を立て、結局彼女は飲むのを止めた。
セシリアは長かった半生を振り返り、深くため息をつく。
帰る場所を失い、親友を亡くし、魔王に仕えて子を産んだ。
思っていたよりも早くあの悪魔のような男が先立つことで、ようやく解放させると思ったら、子が成人するまでは摂政として勤めよと命ぜられ、結局今でも縛られたまま。
ただ、早く役目を終えたい一心でここまで来たセシリアは、もう身も心も擦りきれる寸前で、ようやくと留まっているに過ぎなかった。
エゼルバルドが国王として向いていようが、いまいが、彼女にとっては関係が無い。1日でも早く任を解ければ、それだけでよかった。
卒業後に控えた戴冠式を済ませれば、セシリアの苦労もようやく終わる。
彼女はもう一度だけ長くため息をついた。
不意に、小さな悲鳴が近くで上がったような気がして、閉ざされている扉に顔を向ける。すると、ノックもなしに血相を変えたメイドが飛び込んできた。
「せ、摂政殿下……お逃げください!」
言い終わると同時に、彼女は扉から伸びてきた腕に引き戻されて、見えなくなった。大きな音を立てて扉が閉まると、メイドの代わりに立っていたのは一人の男。
「お久しぶりです、殿下」
抑揚の無い声の後、ガチャリと鍵を締める音が鳴り響く。
セシリアは眉根を寄せ、彼の姿を眺めると、エゼルバルドに似て非なる顔立ちに、自分にはもう一人息子がいたことを思い出した。
アルフレッド。
兄に虐げられ、食われるだけだった存在。なんの役にも立たないと思っていたが、エヴァグレーズ公爵との取引に利用できたので、念のため廃嫡し牙を折ってから捨てた子供。
今更何の用だと訝しんでセシリアが見つめていると、アルフレッドは対面の椅子に腰を下ろした。
「本日は面白い話をもって参りました」
足を組み、頬杖を付きながら話す姿は、被虐者というよりも、むしろ……。
「グラーヴィア湖上流に位置する金鉱山、あれにはまだ膨大な量の金が眠っているようですね」
アルフレッドは懐から何かを取り出し、足元へ投げる。カツンッ、と音を立てて転がったそれは、光を反射してセシリアの瞳に黄金色の輝きを映した。
「ッ、どういうつもりですか……!」
「いえ、貴女の大切な一人息子さんが知ったら、あの街がどうなるか見物だと思いまして……。そう、何て言ったかな」
――――ヴィクトリアの呪い。
その名を耳にして、セシリアは顔を歪めた。
わざわざただの廃鉱に守衛など置く筈がない。まるで何かを守るように、そして誰かを遠ざけるように、不自然に用意された彼らは、セシリアが守りたかったものが何であるのかを物語っていた。
必死の思いでセシリアがアルフレッドの顔を睨むと、彼は余裕の表情で笑みをこぼす。
「三日後、これと同じものが彼に届くようにしました。無論、その後も定期的に」
クハハハッ、と面白そうに声をあげてアルフレッドは笑う。ひとしきり声を出した後、彼は堪えるように指で唇を軽く押さえた。
「『魔王』が死んで安心したか、セシリアよ……」
ニタリとほくそ笑んだ不気味な表情に、セシリアの背筋が凍る。彼はゆっくりと立ち上がり、肘掛けを掴んで逃げ道を塞ぐと、憐れな女の鼻先に顔を寄せた。
「まだだ、まだ終わらない。貴様の胎から産まれた魔物が二匹、どちらかの喉元を食い破るまで終われない」
セシリアは身をよじりながら、刺すような視線だけを向けた。ささやかな抵抗を見せる彼女の耳元で、アルフレッドが甘く囁く。
『セシリア、お前に選ばせてやろう……』
二十年ほど前、同じ言葉で自身に絶望を植え付けた魔王の姿をセシリアは見た。微かに震えながら、口を引き結んで瞼を閉じる。
最早、唯一残された大切なものを守るためには、アルフレッドに屈するよりほかはない。
そうして、彼女は過去、己がしたように、目の前の男が望む言葉を吐いた。
時を遡る事少し前、リリーは霞の中を歩いていた。
耳に入る音は、全てが間延びして聞こえ、目から入る光は全てが眩しくチカチカと脳を刺す。彼女は自身がハイライト学園内、講堂の廊下を歩いている事に全く気が付いていなかった。
リリーが動きを止めると、護衛と共に先を歩いていたエゼルバルドが、足を動かすように命じる。
「歩け」
「は、い……」
近寄ってくるの確認して、エゼルバルドも進行方向へと体の向きを変える。彼は横をついて歩くリリーを眺めながら、片眉を吊り上げ、蔑むように見下ろした。
「過去、エストレスタ男爵が持ち帰った薬草群が、国内で流通しない理由を教えてやろう」
どうやら独り言のつもりだったのか、リリーが反応らしい反応を見せなくとも、彼は気にせず話続ける。
「王家の毒、と呼ばれる強力な自白剤、その原料になることが分かったからだ。実際は相手の望む言葉を吐く、傀儡となってしまうのだがな」
クツクツと歪んだ笑いを頰に浮かべるエゼルバルドに、リリーは不思議そうに首を傾げ、再び足を止めた。
大方、薬の作用でアルフレッドと見間違い、「何故そのように笑うのか」、とでも思っているのだろう。
不愉快な予想に、エゼルバルドの虫の居所が悪くなる。
「リリー、早くこちらへ!」
「アル、フレッド……?」
気怠げにエゼルバルドが声を真似れば、リリーはよろよろと彼の方へと歩み寄る。
その時ふと、リリーの知った声が廊下に響いた。
「リリー嬢、アルフレッド殿っ!」
声の主はノエル、弟の卒業式に親族として参加した彼女は、リリーたちの姿を認め、声をかけたのだった。
「職場から直接来たら迷ってしまって……、私の家族を見なかったか?」
にこやかに笑いながら駆け寄るも、エゼルバルドの護衛に阻まれて、二人の元にたどり着く事は叶わなかった。
「こ、これは一体!?」
気圧されたように息を飲むノエルを尻目に、エゼルバルドは歩みを進め、リリーもそれに続く。二人が角を曲がり姿が見えなくなると、害意が無いことが伝わったのか、彼女は解放されてその場に一人残された。
釈然としない顔でノエルは呟く。
「あれは、エゼルバルド殿下……? 」
そうして、自身の直感を信じ、相棒のラルフを探し始めた。




