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0601同情

年も明け、しばらく時がたった頃。

王都のハイラント学園では、ジーク・ワーバートンが足早に柱廊を通り過ぎようとしていた。


もうすぐ彼を縛り付けていた男は学園から居なくなる。ジークはそれを喜びたい反面、たった二年間の忠誠で、本当に約束通り将来まで保証するのかを考えると、気が狂いそうたった。


どれだけ医学知識を身につけようが、エゼルバルドがいなければジークの妹は死ぬ。

だからこそ、無抵抗に殴られることもあれば、言われるまま何だって汚いこともしたし、人を使うのだって厭わなかった。全ては妹のため。

だが、あの男は知れば知るほど恐ろしく、彼の精神と肉体を削り続けていた。


『何度しくじるつもりだ、その目は節穴か?』


エゼルバルドの言葉と共に、瞳に親指をかけられた時の恐怖が蘇る。

底の見えない青い瞳に映る己の翠眼は、色が混ざった碧ではなく、真っ黒な穴と見まごうた。


例え卒業という区切りを迎えたとしても、エゼルバルドの支配は変わらず続く。そんな確信めいた予感を、必死に頭から振り払う。


「大丈夫、あと少しだけだ。あと少し……」


自分に言い聞かせるように呟いて、ジークは掌に爪を食い込ませる。

その時、ふと背後に人の気配を感じた。


パンパンパンパン――――。


まるで称賛するかのような拍手の音。

得体の知れない存在に、身の危険を感じたジークが慌てて振り返る。柱の影から現れたのは、彼の記憶の中にある限り、いつも静かな笑みを浮かべている男だった。


「生徒会長ご就任おめでとうございます」


エゼルバルドお気に入りのサンドバッグ。声をかけてきたアルフレッドは、ジークが最も会いたくない男の弟に当たる。

彼が入学してからというもの、気分次第の殴られ役だけは脱する事が出来たが、いなくなってからは元通り。

不審の眉を寄せてジークは尋ねる。


「なんのつもりだ……」

「いえ、兄上が生徒会を引退なされたので、新生徒会長殿へのご挨拶に参りました」


近づいてくるアルフレッドの笑みに、薄ら寒い物を感じる。

彼は冬期休暇前、醜態を晒し生徒会を去ってから、ジークの目の前に現れることは無かった。それが今、待ち伏せをしてまで接触を図ったいうことは、何かの企みを疑わざる得ない。


「私に寄る、な……」


ジークは内心恐ろしくなって、逃げの一手を選択した。だが、振り向いた先に、中庭を優雅に歩くもう一人の人影を認め、彼はピタリと動くのを止める。


「こんにちは、初めましてジークさん」

「ヒイッ」


胸から上を覗かせながら、二つの石壁の間を通り、柱廊へと姿を現したのはリリー・エヴァグレーズ。

ジークは顔を腕で庇いながら後退る。



本来であれば非力な少女など、突き飛ばして逃げることは容易。しかし、エゼルバルドに支配され続けた二年間が、彼の性格を酷く臆病な物へと変えていた。

真っ青になったジークを諭すように、極めて柔らかい声でリリーは語りかける。


「怯えなくて大丈夫ですよ。私たちは取り引きをしたいだけです」


近寄ろうとするリリーを、ジークはまるで魔物でも見るかのように怯えていた。


「妹さんについて調べさせてもらいました。私は彼女が助かる方法も知っています」

「……私だって知っている、薬さえ、薬さえ飲み続ければ良い。でも、それがどこにある!?」


リリーは彼の返答に、ハーーッと大きくため息をつき、目を瞑る。まるで、そうするのは気が進まないとでもいった態度。


「やはり、ラルフさんを連れてくるべきでしたかね?」

「ふざけるなっ!!」


居ても立っても居られず、ジークは叫んだ。

学園内でエゼルバルドの護衛役を引き受けている、屈強なラルフの姿を思い出すと、指の端まで震えてしまう。それを悟られぬよう、彼は必死に声を張り上げる。


「いくらラルフが強かろうが、私は伯爵家子息、男爵家の人間がそんな事をすればどうなるか、分からんわけではあるまい!」


ジークの牽制をもろともせず、リリーは人差し指を立て、にっこりと笑う。


「ラルフさんのご実家は、エストレスタ男爵家です」

「なぁっ、っ」

「あなたの妹さんの病に効く、心臓の薬を見つけたのはどなたでしたか?」


その言葉に、ジークは目を見開いた。


「男爵家ご家族は、薬草の株を所持しているだけでなく、栽培も成功させています。株分けさえ済めば、エゼルバルドから定期的に薬を貰う必要はありません」

「だ、だから何だと言うんだッ!!」


問題の解決する提案をジークは拒絶する。それは彼の意思というよりも、もはや刷り込まれ続けた恐怖によるものだった。


「それでどうやってアイツから逃げるッ!! き、機嫌を損ねたら、何をされるか……」

「エゼルバルドの悪事を証言して下さい。戦わなければ一生支配されたままです」


膝を付き、頭を抱えて呻くジークに対して、リリーは淡々と言葉をかけた。彼女は近寄って腕を伸ばす。一緒に戦おう、エゼルバルドを止めよう、と。

けれども、ジークはその手を荒々しく払うと、リリーの服を強く掴んで、引き寄せた。


「何故、戦う必要がある……し、従いさえすれば酷くはされない。そうだ、私は妹を守れるんだ、守らなければならない妹を……」

「アハハハハハッ、これは傑作ですね」


突如、今まで口を閉ざしていたアルフレッドが、腹を抱えて笑い出した。さも面白そうに笑う様子に、ジークは顔を歪める。


「何がおかしいッ! お前だって、エゼルバルドの恐ろしさは知っているだろう!」

「これは失礼、妹さんを守るというのが、本当におかしくて、おかしくて……」


目尻を拭いながら、アルフレッドは堪えた笑いを再び漏らす。


「兄上が、そんな面白いものを放っておくわけがない。まるで妹を狙ってくれと言っているようなものだ」


話しながら一歩ずつ近づくアルフレッドに、ジークは思わず身じろいだ。

彼が発した声色と、張り付いている表情は、機嫌の良さを示すのに、目だけがそれを否定する。

アルフレッドはわざとらしく指を顎に当て、考える仕草をしてみせる。


「次の段階はそうですね、選択をさせられるでしょう。大切な人を犠牲にするような一択を」


目の前まで近づくと、リリーの服を掴んだままのジークを、アルフレッドは見下ろした。二人の距離は、もう腕を伸ばせば届くほど。

ジークが真っ青な表情でリリーを抱きすくめると、アルフレッドはニッコリと微笑んでみせた。


「最後に大切な人を傷つけるのは、兄上でなく、貴方自身の手ですよ」

「あ、ぁあっ、あ」


最悪の結末を想像し、ジークは声にならない音を漏らした。リリーはしがみついて未だブルブルと震える彼の手に、自らの手を重ねた。


「ジークさん、選択肢はまだ沢山あります。でもその中で、ほんの少しで良いから勇気を出してください」


そうやってリリーは、彼に最後の願いを伝えた。









放心状態のジークを置いて、二人はあの場を去った。人目を避けて移動しながら、リリーはアルフレッドに話しかける。


「さっきは発破をかけてくれてありがとう」

「いえ、でもあとは彼自身の問題でしょうね」


歩きながら会話をしていた二人だったが、リリーは足を止めてアルフレッドを見上げた。


「私もエゼルバルドの支配から逃れられなかったら、ジークと同じように、言われるままローズをいじめていたのかもね……」

「そんなこと、彼に同情をくれてやる理由になりません」


リリーは前を向いて再び歩き出す。しかし、アルフレッドが立ち止まったままだということ気がついて振り返ると、真剣な表情で彼が見つめていた。


「リリーの計画は穴だらけです。これで兄上を止められるとは思えません」


事実、アルフレッドの言う通り、リリーにはこれ以上確証が無かった。エゼルバルドはローズを手にいれるまで止まらないし、リリーを処刑することに全力を注ぐだろう。


「僕は確実性が欲しい。リリー、君の死を回避する確かなるものが」


彼は今まで必死に願ってきた。拒まれようと追いかけて、海すらも越えてみせたほどの強い願い。

しかし、それを否定して、リリーは首を横に振る。


「悪いけど、それは約束できない。でも、どうすればアイツが変わるかは何となく分かる」


愛を知らない王子様は愛し方を知らなかった。知らないから分からない。博愛も、親愛も、友愛も、知らず、恋の仕方も分からない。だから、愛を知って貰う必要がある。

リリーは腕を組むと表情を変えた。


「得られなかった18年分、それに値する、ママからの愛情パンチを食らってもらう」


アルフレッドの瞳には、不敵に笑うリリーが、まるで何かの悪役のように凛として映っていた。


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