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0510分岐点

「うっ……」


リリーが小さく呻きながら目を開けると、先ほどまでいた小屋とは違う天井が広がっていた。窓にはカーテンがかけられ、外の様子を伺うことは叶わないが、足元からは暖炉の薪が爆ぜる音が聞こえる。


「ここは……」

「気がつきましたか?」


顔を上げると、リリーが体を横たえているベッドに腰掛けたアルフレッドが、心配そうに彼女を見つめていた。

よくよくあたりを見渡してみれば、食事をとる前に身を休めていた場所だと気付く。


どうやらパニックを起こして気を失っていたらしい。湖畔の小屋からこの宿まで、アルフレッドに自身を運ばせた事を申し訳なく思いながら、リリーはため息をついた。

あそこまで醜態を晒した上に、迷惑をかけた事を悔やまずにはいられない。彼女は身を起こし、憔悴しきった顔で自らの非を詫びる。


「ごめんなさい、自分の感情をコントロール出来なくて。言ったでしょ、最近私はおかしいの……」

「気にしないで下さい。リリーが無事なら、僕はそれで構いません」


肩を落として塞ぎ込むリリーの頭を、アルフレッドは愛おしそうに撫でた。その手はどこまでも優しくて、彼女の目には涙が溜まる。

珍しくされるままのしおらしい態度に、アルフレッドは目を細め、かすかに笑みを浮かべた。


「君は昔から感情に疎いですからね、きっと精神的に成長したんですよ」


アルフレッドを見上げ、リリーの顔がくしゃりと歪んだ。


「だめ、なの……、エゼルバルド、のことも、怖いと思ったら、……ふ、震えるだけ、だった」


ボロボロと大粒の涙をこぼし、しゃくりあげる彼女は、かつての強さを失い、弱りきっていた。自らの脆さを覆い隠すように、視界を手で塞ぐ。


「こわくて、あなた、に、縋って、しまう……。そんなの、駄目なのに、なにも、考えられなくなって……こ、わくて、考えたく、なかった……」

「ならもう何も考えなければ良い」


低く響いた声色に、リリーはビクリと体を震わせた。


「君にはもう考える必要なんて、無い」

「アル、フレッド……?」


顔を覆っていた手を離し、涙でぼやける視界からアルフレッドを覗くと、彼の口元が薄っすらと笑っている事だけが読み取れた。

ギシッ、と音を立てて彼は身を乗り出す。軽い力で彼女の体を容易くシーツへ沈めると、今度は自らの掌で瞼を塞ぎ、耳元で甘く囁く。


「僕と二人で逃げましょう」


短く笑うような、色のある息使いを感じた。


「ゲームなんてくだらない事は忘れ、何も考えなければいい。兄上のこと、学園のこと、この国のこと、家族のこと、全部、全部、忘れて、新しく生き直せ」

「ッ……!」

「君の心に僕だけ残し、壊れてしまえ」


蛇のように掠れた声が、耳から入って、思考を溶かす。

唇で掠めながら首筋をなぞる感覚は、エゼルバルドの時とは異なる感情をもたらした。急所を晒しているにも関わらず、どうしてか震えるほどに心地良い。

たまらず声を漏らすと、肌に当たる肉が弧を描いた。


「長かった……、ようやくあの努力が報われる」


弱い部分に吐息をかけながら、アルフレッドは思い出すように、うっとりとした声を上げた。


「君と会えなかった一年半の間、僕は海の向こうの大陸と、コネクションを作っていた。君がいつでも逃げられるように」

「海の、向こう……?」

「ええ、そうです。二人で海の先へ。だからもう、君には考える必要なんてありません、僕が全てを与えます……」


リリーの口元が、クスッと音を漏らしながら緩んだのを見て、アルフレッドは暗い喜びに浸る。

しかし、彼の思いとは裏腹に、リリーは腕から抜け出すと、涙の乾かない瞳で身をよじり、声を上げて笑い始めた。


「どうしてだろう、私、知らなかった。海の向こうには大陸があるのね」


彼女は自身の矛盾を笑う。

『カルトッフェル』をはじめとした外国語を沢山見てきたというのに、海の向こうに他国が有ると、何故気がつかなかったのかが分からない。


ゲームにおいて、アルレガリア王国は唯一の世界。王都にある学園で起きる物語は、世界の中心で、全てはそれだけの為に有る。

しかし、実際はどうだろう、もしかしたら大陸は、この国より何倍も大きいのかもしれない。そんな国の中の、小さな学園内での話が、一体どうして世界の中心でいられるものか。

設定なんてこの世界に関係なければ、そんなものに考えを縛られる事自体がおかしな話だったのだ。


アルフレッドはそれを教えようとしてきたのに、リリーは今まで一度だって、この世界の視点に立った事がなかった。まるで画面越しに世界を眺め、自分を神のように錯覚していた。


拍子の抜けた顔で固まっているアルフレッドに、今度はリリーが腕を伸ばす。


「んっ」


髪の毛をかすめ、頰を撫でれば、アルフレッドはくすぐったそうに声を漏らした。


「この世界で私は神様なんかじゃない。私は何も理解していなければ、知ろうともしなかった。教えてくれてありがとう、アルフレッド」


屈託のない笑みを見せつけられ、アルフレッドは毒気を抜かれる。両目を閉じてボスンと音を立てると、彼女の隣に仰向けになった。黙って倒れこむ彼の頰をリリーが指で突くも、片目を開けるだけで抵抗らしい抵抗は見せない。

しばらくじゃれて気が済んだリリーは、身を捻ってアルフレッドとの距離を縮めた。


「ねえ、私が海の向こうに行っても、ついて来てくれるんでしょ?」

「むうっ。やっぱり、君は僕について来るんじゃなくて、僕が君について行くんですね」


アルフレッドは長く息を吐いて、肩の力を抜く。そして、向きを変えて寝そべると、仕方ないなとでも言いたげに鼻を鳴らし、リリーの目を見つめた。


「良いですよ。現実世界だろうが、地獄の果てだろうが、僕は何処へだって追いかけてあげますから」

「それは頼もしいね」


リリーがいたずらっぽく笑うと、アルフレッドは小指を差し出した。


「ほら、例のおまじないでもしますか?」

「何年も前のことなのに、よく覚えてるね」

「僕はリリーとの事なら、何だって覚えてますよ。一人で王都に乗り込もうとする君に、役立たずは家に引っ込んで寝てろって言われた事とか……」


そんな酷い事を言ったかな、と首を傾げるリリーから小指を絡めとり、アルフレッドは目を伏せて歌う。


「嘘ついて僕を置いてったら、針千本ほんとに、飲まーす」

「ちょっと怖いんだけど……」


指を離したアルフレッドが自身のそれに軽く口付けると、リリーの心臓が一度だけ跳ねた。少しだけ、彼を頼るのを許して欲しくなる。


リリーは瞼を閉じて大きく息をすると、ゆっくり体の力を抜いた。抱き寄せようとする腕に任せ、暖かかい温もりに身を委ねる。髪を撫でるアルフレッドの気配を感じながら、彼の体温に溶かされて、次第に意識は沈んでいく。


そんな二人を包むように、暖炉の炎はゆらゆらと燃えていた。









肩に冷気を感じてリリーが目を覚ますと、隣ではアルフレッドが彼女の体を抱いて、スースーと小気味良い寝息を立てていた。

どうやらあの後、二人とも同じベッドで眠ってしまったらしい。明け方になって部屋が気温下がってきたのか、少し肌寒さを覚えた。

静かにリリーが起き上がると、温もりが逃げた事に気がつき、アルフレッドは眉を寄せる。


「んんっ」


体を丸めた様子が可愛らしく、リリーは思わず笑みをこぼす。緩やかな手つきで頰を撫でてやると、彼は「きゅう」と鳴いた。気持ちよさそうに息を吐いてから、また規則正しい寝息を立て始める。


以前にも、こんな声を聞いた事を思い出す。あの頃は身長が同じ位だったのに、今ではリリーが胸にすっぽり収まるまで大きくなってしまった。

それでも変わらないのは、アルフレッドが昔から触れられるのが好きらしい事。もっとも、リリーは彼に対して、どうしても触れたくなってしまう性分なので、都合が良いのかもしれないが。


先ほどまで自分が包まっていたシーツをアルフレッドにかけてやり、リリーは暖炉へと歩く。

薪を足してしばらくすると、ボッと火が灯り、部屋は徐々に暖かくなった。




年が明ければ、すぐに卒業式。リリーの断罪イベントが待っている。これ以上、立ち止まってはいられない。

自戒するように胸を掴んで、心に少し蓋をした。

気持ちを真剣に考えるのは後回し。今はまだ、駄目なのだと彼女は思う。

ゲームが終われば、もしかしたら変われる日が来るのかもしれない。その時隣にアルフレッドがいて、全てを包み隠さず伝えられたなら、それこそがリリーにとってのトゥルーエンドなのだろう。


瞼を閉じて状況を整理する。

エゼルバルド、ローズ、ジーク。三人について、アルフレッドのような視点で考えてみる。

ふと、思考が止まり、些細な文言に気がついた。

ジーク・ワーバートン。エゼルバルドに病気の妹を助けられて、彼に尽くす男。


妹の病気が治ったかどうかは、一言も言及されていなかった。


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