0101惨劇の食卓
リリーがエヴァグレーズ公爵領内の屋敷に戻って1ヶ月。
彼女は合流した家族たちと、のんびり過ごしていた。
「痛いの痛いの飛んでけー」
「いたいのとんでくぅーっ」
膝を擦りむき、今にも泣き出しそうだった妹のアメリアに、リリーがおまじないをかけやると、彼女はすぐに機嫌を直した。
キャッキャと笑い、両手を叩く姿に、リリーは笑みをこぼす。
すると、二人のやりとりを見ていた母親のアイリーンと、弟のオリバーも加わって、リリーの周りは賑やかになる。
「姉上、僕にもお願いしますっ!」
「リリーちゃん、ママにもやってー」
どうやら、第一王子エゼルバルドとの婚約後、あまり笑わなくなったリリーを家族は皆心配してくれていたようだ。笑顔を取り戻したリリーに喜び、はしゃいでいるのだろう。
しかし、表情とは裏腹に、彼女は内心焦りを感じていた。家族と和んでばかりはいられない、そろそろ行動に移さなければ、と。
冷害はゲームでいうリリー処刑後には、確実に起きるだろう。最長でも、それだけの猶予しか無い。その上、小規模なものならば、ゲームが開始する前に発生する危険性すらある。
頼みの綱である金鉱山をエヴァグレーズ公爵家が失った今、冷害に備えるというのはリリーにとって一番の課題だった。
彼女の父親、ネイサンは、週末になると一人忙しく王都と領地を往復し、国外から入ってきた新しい農作物を買い付けて運んでいる。他領と同じ小麦主体の生産から、より寒さに強い作物への転換を考えているところだ。
「当たりは付いてるし、そろそろ倉庫を探してみようかな」
リリーはそう呟くと、その場をそっと、抜け出した。
リリーはこっそり拝借した鍵束を片手に、屋敷内の倉庫へと向かう。
施錠された扉の前にたどり着くと、彼女は幾つか鍵を試し、合うものを見つけると鍵穴に差し込んだ。ギイ、と大きな音を立てて、扉を開ける。
薄暗い倉庫の中には、ネイサンが集めた農作物が、ぎっしりと山のように保管されていた。一応、区画ごとに分類されてはいるものの、整理された農作物の上に、外国産の花の球根や苗が置かれ、雑多な印象になっている。
おそらく夫の主旨をいまいち理解していないアイリーンの仕業だろう。
しかし、彼女が取り寄せたラベンダーは、この土地の風土と合って、主用輸出品にもなっているので侮れない。天然最強、といったところだろうか。花では腹が膨れないことは難点であるのだが。
砂っぽい倉庫の中で、リリーは目当てのものを探す。
「『パステーク』スイカの種かな、違う」
そう言って、彼女は手にとっていた黒い種を麻袋に戻す。倉庫内の作物は、国内でまだ十分に流通されていないためか、他国の言語での名前がプレートに印字されているものが多い。
リリーは辺りを見渡しながら、プレートを読んでいく。
「『パンジー』『ビオラ』『シクラメン』思ったより、お母様ゾーンの侵食が大きい……」
リリーの目線の先には、タワーのように積み上げられた麻袋が、崩れそうになりながらも素晴らしいバランスで置かれていた。ネイサンと違い、片付けも苦手らしいアイリーンの痕跡を見て、リリーは呆れて肩を落とす。
彼女が半ば諦めかけたころ『トゥルプ』と書かれたチューリップの球根の下に目的のものを見つけた。『カルトッフェル』のプレートが示す麻袋には、茶色くデコボコした拳ほどの物体が詰め込まれている。
平たく言うと、それは――――。
ジャガイモである。
ヨーロッパの寒冷な地域では、昔からジャガイモを食べる事によって飢饉を回避してきた。領地のほとんどが寒冷なエヴァグレーズ領なら、同じ条件にあたるだろう。そう推測したリリーは、ずっとジャガイモを探していたのだ。
「一度調理して感想を聞いてみようかな」
一言漏らしてリリーは倉庫を後にした。
厨房に場所を移したリリーは、何だかんだと理由をつけて、その場から使用人たちを遠ざけた。メイドのラナだけは、リリーの行動を怪しんでか、最後までウロウロしていたが、結局彼女の指示には逆らえずに出て行った。
「よしっ、やろう」
一人になったリリーは、エプロンを締めると気合を入れて料理に取り掛かる。
とりあえず、家族に試食してもらう為、メニューには無難そうなシチューを選択して、調理に取り掛かった。
ジャガイモはいくつか芽が出ているものがあったので、リリーは緑色になった部分の皮を多目に剥いていく。やはり、薄汚れた倉庫での管理は良くなかったようだ。
「食中毒が怖いから、一応水にもさらしとこう」
うっかり公爵家の人間が中毒死事件を起こしては大問題である。
リリーは、エヴァグレーズ公爵家の葬式でエゼルバルドが腹を抱えて大笑いするところを想像し、ゲームとのギャップにやるせない気持ちになってしまった。
しんみりとしたところで気を取り直し、切ったジャガイモを水に浸して、その間に人参と玉ねぎにも包丁を入れる。人参と玉ねぎはこの国でも作られていたらしく、厨房にあったものを勝手に使った。
その後の作業で、火を起こすのには苦心したが、なんとか具材を炒めて、最後に入れるのは牛乳ならぬヤギ乳。完成したシチューを味見してみるが、特に問題のない出来のようだ。
「みんなの口に合えばいいけどな」
出来上がったシチューを傍によけると、リリーは厨房を片付けた。
リリーが厨房を出ると、ネイサンも偶然帰ってきていた。
「食料事情を解決する料理を作ったので、お父様も食べてください」
そう言うと、彼も心よく試食会に参加してくれたので、リリーは両親と弟妹たちにシチューを振る舞った。
ネイサンの皿から、シチューが半分ほどなくなったところで、リリーは彼に声をかける。
「どうでしょうか、小麦の代用品として考えるなら、マッシュポテトなんて料理もありますが」
「乳で煮込むのは良いアイディアだな。今度はそれも食べてみたい」
スプーンを持ち上げ、すくったシチューを見つめネイサンは舌を巻く。リリーが他の家族を見ると、オリバーは一皿目をペロリと平らげたところだった。
「お野菜嫌いなのに、ちゃんと全部食べれたのね」
そんなことを言いながら、アイリーンは微笑んだ。横ではアメリアがスプーンを上手に使って、ニコニコとシチューを口に運んでいる。
しかしその時、バタバタと慌ただしい音がして、メイドのラナが息を切らし飛びこんできた。
「お、お嬢様! 厨房で一体、何をしたんですかッ!! コレは一体ッッ!!」
ラナは倒れそうな表情で叫びながら、腕を掲げ、その手には厚めに切ったジャガイモの芽が握られていた。
「ジャガ……えっとカルトッフェルで料理を作りました」
リリーの一言によって、一家団欒の場は一気に修羅場と化した。
まず、自分が口にしたものが何であるかを理解したアイリーンが「カ、カルトッフェル!」と叫び卒倒。続いて、スプーンを咥えたままだったネイサンが、ブフォッと口のなかのシチューを噴出。オリバーは事態が分からず、空になった皿と両親を交互に見つめ青ざめ、力を無くす。最後に、アメリアだけが「いたいのとんでく~?」と不思議そうに首を傾げていた。
もしかして、宗教的にジャガイモを食べてはいけなかったのかな。
目の前の惨劇に対して、他人事のようにそう考えると、リリーはムムムと唸って腕を組む。
しかし、記憶の中をほじくり返しても、彼女には特にそれらしい理由が思いあたらなかった。