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0509過去の亡霊

完全に日が落ちて暗くなった頃、リリーとアルフレッドは未だ坂道を登っていた。

ようやく坂が終わり、白く反射した湖が見えてくると、その傍に寂れた小屋が姿を現す。これから本格的に雪が積もったら、潰れてしまわないか心配になりそうな荒れ具合だが、隙間からは中の明かりが漏れ、在宅を示していた。

リリーは扉に近寄ると、ドンドンと音を立てる。


「こんばんは、ロヴィンさんはいらっしゃいますか?」


しばらく待つと、腰が折れ曲がり、顔には深いシワを刻んだ老人が窓を開けた。


「そっちのドアは固まっとる。裏口へ回れ!」


指先で示された小屋の裏手の方へ歩くと、待っていたロヴィンが中へ招き入れてくれた。室内は一本の道を囲い込むように、本や書類が積まれ、肘掛け椅子や毛布などが空いた空間に詰め込まれている。


遅い時間の来客にも関わらず、人さみしいのかロヴィンはリリーを快く迎えてくれた。しかし、彼女と一緒に近づいてきたアルフレッドを見上げた瞬間、目つきが変わる。

ジロジロと目を凝らしながら、彼は渋い顔を向けた。


「先王の息子が今さら何の用だね」

「何故、それを?」


アルフレッドは動揺こそしなかったが、訝しんで尋ね返す。吐き捨てるようロヴィンは、「先代の魔王にソックリだった」と答えた。

険悪な空気が漂う中、とりあえず追い返される前にと、リリーが手早く本題に入る。


「すみません、私たちは街で噂になっている、ヴィクトリアさんの名前を冠した、『呪い』について尋ねにきました」

「呪いなものかッ!! あの子は自ら望んで死を選んだのに……ゲホッ」


呪いという言葉に、ロヴィンは火がついたように怒り出した。興奮して咳き込む背中を、リリーは慌てて撫でる。


「どういうことでしょうか……」

「ヴィクトリアは、セシリア様を逃した罪で、捕まった……魔王からの拷問を受け、帰ってきた時は、虫のい、息だった」


ゴボッと、ともう一度大きく咳き込む様子に、立たせ続けるのは無理だと感じ、リリーはロヴィンを肘掛け椅子に座らせる。アルフレッドに目で合図して、彼の横に置かれていた毛布を受け取ると、それをロヴィンの膝にかけゆっくりと体をさすった。

ロヴィンは娘の面影を見たのか、長く息を吐くとグレーの瞳を潤ませる。


「セシリア様が我が身を犠牲にして、娘への恩情を魔王に訴えてくださったんだ。それを憂いたあの子は……」

「母上の足枷にならないために、自ら命を絶ったのですね」


アルフレッドが静かに述べた言葉に、ロヴィンは黙って頷いた。

リリーは表情をかげらせて悲痛な声を漏らす。


「それを街の人が面白おかしく噂して、呪いなんて呼ばれる事に……」

「ヴィクトリアが亡くなった後、街で奇病が流行っているのは知っている。でもそれは娘のせいじゃない」


ロヴィンは忌々しげに表情を歪めると、書類の山を崩し、取り出した一部をリリーの手に押し付けた。


「おかしくなったのはあの金鉱山のせいだ、赤ん坊の奇病が流行るより先に、犬や猫も狂って死んだ」

「金、鉱山の、せい……?」

「そうだ、あれのせいで全部おかしくなった」


言葉に詰まるリリーに、まるで追い打ちをかけるかのごとく、ロヴィンは苦しそうに嘆く。


「娘の潔白を証明しようと何度も調べた。どう考えても金鉱山の周りで被害が多いのに、誰もワシの言うことを信じやしない……」


リリーが恐る恐る紙をめくると、数々の痛ましい事例が乱れる文字で綴られていた。彼女がそれを落とすのを見て、ロヴィンは手で顔を覆う。


「セシリア様にも手紙を書いたよ。娘の愛したこの街を守って欲しいと、でも結局返事は来なかった。金が枯渇してようやく閉山したんだ」


ダーヴァ男爵家だけでなく、エヴァグレーズ公爵家すら飛ばし、一国の王妃相手に直訴すれば、最悪迎えるのは死。それでもロヴィンがそうせざるを得なかったのは、もう彼には思い出の残るこの地しか、残っていなかったからなのだろう。


恐らく、エヴァグレーズ公爵であるネイサンに訴えが届いたとしても、リリーとアルフレッドの為には金鉱山を手放すという悪手を選べても、領民とはいえ見ず知らずの人間に同じ選択はしない。ロヴィンは唯一残された大切なものの為に、悪手を選び、最善を尽くそうとした。


だが、これはまだ一人の老人の推測の域、金鉱山が原因とは限らない。静かに目を閉じると、リリーは考えを払うように声を強める。


「私の国、いえ、他国では『公害』という概念があります。同じように銅山周辺では病気が広まりました。でも、金にまつわるものは聞いたことがありません」

「いや、絶対にあの金鉱山のせいだ、間違いなどであるものか!」


ロヴィンは言葉を証明しようとでも思ったのか、次々に証拠となる書類を抜き取り、紙の山を崩し始めた。危険を察知したアルフレッドが、リリーの体を引く。予想通り間髪入れず、読めとばかりに紙束が投げつけられた。

腕で顔を庇いながら、アルフレッドは目線を送る。


「ッ、リリー、『公害』とやらの原因は一体?」

「私が習ったのは、有毒物質による水質汚濁が原因だった」

「有毒物質……」


頭の中で答えを探し、彼は思考を巡らせていたが、何かを閃き面を上げる。ちょうどその時、体力を切らせたロヴィンが、咳き込みながら椅子に寄りかかった。再び動き出さないかを警戒しながら、アルフレッドは推測を述べる。


「金の抽出原理、アマルガム法では、人体に有毒な水銀を使用します。それと関係があるのでは?」


リリーから反応は無い。

訝しんでアルフレッドが振り向くと、彼女は目を見開いたまま、真っ白な顔で、体を小刻みに震わせていた。


「大有りよ。過去二つの大きな公害の原因がそれだった。魚を使った生物濃縮で、多くの人が苦しんだ……!」


膝の力を失ったリリーが床に倒れそうになり、アルフレッドは腕で彼女の体を受け止めた。


「しっかりしてください、リリーッ!!」

「わ、たし、のせいよ……わたしが、私が余計な事をしたから!」


抱きとめられた姿勢のまま、リリーはアルフレッドの目を見つめ、涙をためた。


「ッ、ただ知っていただけじゃないか! それで誰が君を責めることが出来る!」


アルフレッドの叫びに、状況が分からず狼狽えたロヴィンも首を縦に振る。


「これはお前さんのような小娘が生まれるより、ずっと前の話だぞ」


けれども、リリーは何も聞こえないかのごとく、己を責める言葉を吐くだけで、自分の体を抱きしめて震え続けた。

次第に目の前は暗くなり、彼女は前回と同じく意識を失いかけている事に気づく。


「たす、けて、……アルフレッド」


二度としないと決めたのに、どうして再びそんなことを望んでしまったのか。

吐いた言葉への後悔を覚えながら、自分を嘲って、涙を溢す。アルフレッドの腕の中、彼が必死に何かを叫ぶ顔を眺めながら、リリーは全ての力を手放した。

※念のため注釈


作中でアルフレッドが挙げた例は、無機水銀についてです。


アルフレッド「(無機)水銀は(急性毒性があり)有毒です」

リリー   「(有機)水銀が(生体濃縮による慢性中毒を起こす)原因です」


神経毒性があるのは有機水銀(メチル水銀など)。

無機水銀は環境中に暴露されると、微生物代謝などを受けて、有機水銀となるので、噛み合ってなくとも結論としては会話が成立しています。


ただし、テストで原因物質に『水銀』とだけ書くと、無機水銀と判断されバツをくらうので、それだけは注意してください。


ついでに。

アマルガム法による金の精錬。

水銀と金を接触させ生成した金アマルガムから、水銀のみを蒸発させ、残った金を回収する。水銀を蒸発させる際に発生する、水銀蒸気を吸い込むと水銀中毒を起こすので危険。

古来からの手法であり、日本では奈良の大仏を作る際に使用された。


【参考文献】

吉田 稔•赤木 洋勝(2004)「発展途上国における金採掘の環境汚染と環境保全」,『環境科学会誌』,17(3), p. 181-18,環境科学会.


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