0506フルード公爵
「迷惑をかけたね。同じ王族の血を引く者として、私は謝罪するよ」
労わりの言葉をかけたフルード公爵を、リリーは虚ろな表情で見つめていた。
時が遅かったこともあり、王都とエヴァグレーズ公爵領の間に位置する、フルード公爵家で一夜を明かすこととなった。
現在、リリーには客間の一室が宛がわれ、アルフレッドとフルード公爵が見守る中、ベッドで体を休めている。憔悴しきった彼女は、半身を起こした状態で、呻くように口を開く。
「エゼルバルド殿下は狂っています。愛する人が、自分に泣きすがる様を見たいだなんて……」
その言葉に、フルード公爵の横で控えていたアルフレッドの口元は、ヒクリと動いた。だが、直ぐに表情を保つ事に努める。
彼の変化に気がつかないまま、フルード公爵は決まりの悪そうな顔で髭を撫でた。
「彼は父親と同じ事をしようとしているのかもしれない。先王エゼルウルフは、『魔王』と呼ばれるほど恐ろしい男だった」
「魔王……?」
リリーが言葉を繰り返すと、彼はコクリと頷いた。
「欲しいものは何でも手に入れた、どんな手段を使ってもね。現在の王妃、セシリアには、無理やり婚姻を迫り、外堀を埋めて追い詰めた」
フルード公爵は「かわいそうに」と、当時を思い出すように呟いた。
リリーの表情は暗くなる。エゼルバルドならば、間違いなくやりかねない。
「セシリアと一緒に逃げたメイドがいたが、拷問にかけられたよ。彼女を許すように、セシリアはエゼルウルフに縋った」
「それで、どうなったのですか?」
「メイドは自由になったが、よほど辛かったのだろう、その後自ら命を絶ってしまった。心の支えを失ったセシリアも、壊れてしまったよ」
リリーは黙り込むと、頭を抱え、小さく体を折り曲げる。
心情を察したアルフレッドは、彼女に寄り添おうと足を一歩踏み出そうとしたが、フルード公爵の腕によって動きを制された。
「無理をするといけない、今日はもう眠ると良い」
「ありがとう、ございます……」
力なく答えたリリーを見つめ、未練を断ち切れないでいるアルフレッドに、フルード公爵は退室を促し、二人は部屋を後にした。
廊下を歩きながら、フルード公爵はアルフレッドが爪を噛み、何やら深刻そうに思いつめていることに気がついた。
景気付けに、背中でも叩いて鼓舞してやろうかと考えたが、彼が他者から触られるのを極端に嫌がることを思い出し、思うに留める。
代わりに、できるだけ心を砕いて声をかけることにした。
「怖い思いをしたんだ、今はそっとしてあげなさい」
思考を止めたアルフレッドは、彼の目を見つめて、立ち止まった。
「今回の件を抜きにしても、兄上はずっと僕を憎んでいました。どうして、リリーを巻き込んででも、長年僕を苦しめようとしてきたのか……」
爪が食い込みそうなほどきつく握りしめた拳に、薄っすらと血が滲む。その様子にフルード公爵は悲しそうに眉を寄せる。
「君は、どうして王家の紋章である動物が、サラマンダーであるのかを、知っているかね?」
「いいえ、聞いたことはありません」
突然の問いかけにアルフレッドは少し驚いた後、首を横に振った。フルード公爵は彼から目線を逸らすと、自嘲するかのように笑う。
「俗に言う、共食いをするからだよ」
フルード公爵は静かに語る。
過去、王家の直系血統者は、幾度となく兄弟同士殺し合い、王位を奪い合ってきた。血を血で洗う争いの末、より強く国を発展させる王を生み出す為だという。
いつしかそれは、本能のように刷り込まれ、強い者が弱い者を食らうようになってしまった。
「私には弟が居た、兄だって何人も……でもいつの間にか全員病死したことになっていた」
この国で王族のみが持つミドルネームは、強い言葉の力を借りて、病から幼子を守るために与えられる。その伝統は、今まで多くの子供達が、病気で亡くなった事を示していた。死因の真偽は隠したまま、記録だけが残ってしまった故に。
「先々王は私の姉だ。私は幼いころから酒に逃げ、生き残る為に選んだ選択は、彼女の靴先を舐める事だった」
怯えた目を向けるフルード公爵に、アルフレッドは彼が今までもこの表情を見せてきた理由を、ようやく理解する。
「あの人は結局、自らの幼子であるエゼルウルフに階段から突き落とされ、腹の中の胎児もろとも亡くなったよ。それでも彼女は恐怖で私を支配する」
フルード公爵は腕を震わせる。まるで目の前にいない『何か』から守るように自身を抱きしめて、身を竦ませていた。
「姉は言った、選ばせてやろうと。家族を作らず、子も成さず、無意味な人生を一人で終える代わりに、天寿を全うするか、毒をあおるかどうかを」
彼は大きく肩で息をし、やがて頭を振ってから息を整えた。アルフレッドは、幼い頃の自身と重ね、憐れみの眼差しを向ける。
「それで、僕を養子にはしなかったのですね」
「……別の理由もあるが、大旨そうだ」
貴族たちからすれば、フルード公爵が何故その財産を誰かに残す選択をしないのかが疑問がられていた。彼が亡くなれば、領地は直系である、王家に返上されるにもかかわらず。
アルフレッドが望んでも、実際に養子にすることは無かったが、きっと彼を後継にするのだろうと誰もが思っていた。
「では、父上の遺言にある『息子として相応しい優れた方に』とは、殺し合えということですか」
「伏せられているが、正確には『生き残った方に』だね。もっとも、今では真実を知る者の方が多いのかもしれん……」
フルード公爵は苦々しく頭を押さえた。
「やられたよ。廃嫡の騒動に紛れ、いち早く遺言のからくりに気がついた者が、私を酩酊させ、聞き出した事実を噂として広めてしまった」
「噂……?」
「すまない、気づいた時には遅かった。君が王位継承権を失ったと思わせない為だろう。私はどちらに付く気も無いが、そうでない者達がいる」
眉間にしわを寄せたアルフレッドは、口元に手を当て、考える素ぶりを見せた。
「母上と逃げたのは、本当にメイドですか?」
「直接は見ていないが、そう伝え聞いている」
「では、確証はないと」
アルフレッドの意図を察し、フルード公爵は渋い顔をする。
「エゼルバルドの出自を疑っているのだろうが、他人の子を孕んだ女を娶るとは思えん」
「父上は僕たち兄弟の両方に興味が無かったそうですし、欲しいもの以外に興味が無いならば、可能性として有り得ます」
兄だけではなく、先王とその妻への侮辱とも取られかねない発言に、フルード公爵は馬鹿な考えは止めるよう釘を刺そうとしたが、続く声の低さに息を飲む。
「僕が父上ならば、穢れようが、他人の子を孕もうが、愛する者なら絶対に手中に収めようとするでしょう。そうでなければ、最初から欲しがりはしない」
冷たく断言するアルフレッドに、フルード公爵は目を見開いた。彼はアルフレッドに姉の面影を見た。己の青色とは異なる、碧の瞳を持つ、恐ろしい『魔女』を。
カチカチカチと歯が踊る。
元来からの気質なのか、それとも王族の血がそうさせたのか、フェリックス・フルードが持つ事の無かった、欲する物への猟奇的な執着心をアルフレッドは宿していた。
「メイドの出自はご存知ですか?」
「エ、エヴァグレーズ公爵領内にある、男爵家が管理する土地だ……」
フルード公爵は冷や汗が頰を伝うのを感じていたが、それに対してアルフレッドは全く気にも留めない様子であった。
「それならば、エヴァグレーズ公爵家の人間である、リリーに仲介を頼めば、接触も可能ですね」
彼は首をひねりながら、次の予定でも考えているかのような仕草を見せた。黙って出方を伺っていたフルード公爵は、一つだけ問いかける。
「次の王位を狙うとでも言うのか、アルフレッド」
「えっ、国王なんて疎まれそうな身分、僕は絶対に嫌です……」
キョトンとした表情で固まるアルフレッドに、フルード公爵の緊張が一瞬で消え去った。肩の力を抜いて見つめると、アルフレッドは口を尖らせて「王族との婚約ですら、リリーは面倒がっていたのに……」とブツブツ文句を言っていた。
「僕が狙っているのは、ご存知の通り、次期フルード公爵です。それが確約されれば、僕にだってリリーに婚姻を申し込む資格が手に入る……」
バツが悪そうにアルフレッドが頭を掻くと、年相応の姿に見えた。
フルード公爵は彼に申し訳なく思いながらも、考えを変えて爵位を譲るとは言わず、言葉を濁す。力なく口を開き、もう眠るようにとだけ伝えると、自室へ戻るよう促して、自身も部屋へと向かった。
言われるままに、アルフレッドは足を動かしたが、一度足を止めると客間を振り返る。閉ざされた扉の向こう側へ思いを馳せ、口元を緩めた後、彼は表情を全く別のものに切り替えた。
「リリーの為にも、兄上には首輪を用意しなければいけませんね」
忌々しく呟くアルフレッドの瞳は、底知れず暗い青を湛えていた。
一国の王子が傷跡が残るくらい虐待されていても、誰も止めなかった本当の理由回です。




